Mr.ハードボイルド
@kkb
第1話 ストーカー被害の女
俺の名は比由らあちゃ。男のくせに名前がひらがなだが、決して混血ではない。奇妙な名前の由来は話せば長くなるのではしょって言う。本当は頼太となるはずで、周囲の大人かららいちゃんとか、らあちゃんと呼ばれた。それが役所に届けでる際のトラブルで、らあちゃになったわけだ。
現在三十三歳で職業は私立探偵をしている。雇われではなく、個人で事務所を経営している。一応美人アシスタントもいるし、それなりに流行っている。
前職はいろいろあったが、探偵稼業に落ち着いた。自慢ではないが、探偵事務所などで経験を積んだわけではない。見よう見まねで始めて、そのまま惰性で続けているだけだ。素人の俺にどうしてプロの探偵が務まったのかというと、日頃の心がけがいいからだ。
アシスタントの飯室響子は、もともと大手探偵事務所に勤めていたが、あることがきっかけで俺のところで働くことになった。凄腕で知られた彼女は、ターゲットの向かいのアパートに引っ越しをすることになり、その引っ越しの手伝いを俺がすることになった。
そのとき彼女は、自分では一切作業を手伝わず、俺が運んだ椅子に座り、偉そうに長い脚を組んで、ダンボールを運ぶ俺のことを監視していた。
「便利屋さんって、犬の散歩くらいしかイメージ浮かばないけど、引っ越しもするんだ」
「いちいち仕事を選んでいたら、生きていけないからね」と俺は言った。
「今、『と俺はいった』って、聞こえたけど?」
「それはきっと空耳さ。仕事上気を遣うことが多くて、あんたも神経参ってるんだろ」
彼女は女子大生と名乗っていたが、探偵だった。見た目以上にストレスが重なる仕事だ。
「なんで、私が探偵だってわかったの?」
彼女は驚いて、椅子から立ち上がった。その衝撃で板張りの床が大きく揺れた。雲突く長身が大巨人のごとくそびえ、狭い部屋がよけいに狭く思えた。
「雲突く大巨人? 175しかないけど。そんなことより何で私の職業がわかったの」
彼女は俺に近づき、問いつめた。俺はダンボールを抱えたまま、
「向かいのマンションの住人から、さっき、そんなようなことを聞いた」と明かした。
「向こうは私のことを知ってるってこと? でも、どうして? まさか……」
彼女の混乱を沈めるため、俺は自分の推理を披露した。
「たぶん、君の会社の人間がばらしたんだよ」
「そうなの……まさか」
彼女はまさかと言ったが、俺の言葉に心当たりがあるようだった。
「ちょっと待ってよ。あなたが変な独り言話すのは勝手だけど、事実を客観的に話してよ。今、私自身が、会社の上司のこと疑ってたのに、まるであなたが私に教えてくれたみたいに言ってるじゃないの」
それからしばらくして彼女は、会社を辞め、なかなか次の仕事が見つからず、貯金が底をつき、俺が面倒を見ることになった。
「あなたの説明では、もうかなりの時間が経って、私が便利屋で働いているみたいなことになってるけど、まだ引っ越しも終わってないのに、未来の妄想を過去の事実みたいに話さないでよ。とりあえず、もう話しかけないから、早く荷物運んでください」
彼女はそう言ったが、それから時が経ち、俺の予言はほぼ当たることになった。外れたのは、彼女は便利屋の仕事をせずに、探偵を続けるつもりだったことだ。それで業務内容に浮気調査等を付け加えた。ついでに、「便利屋らあちゃん」という会社の名前も「ラーチャー&スミスバーニー探偵社」に変えた。
宣伝文句は、何でもおまかせ便利屋探偵。一般雑用、害虫駆除、清掃全般、不要品回収、浮気調査、人探し、不可能犯罪解決等々。
ちなみにスミスバーニーなる人物は存在しない。
彼女も指摘したように、俺は普段考えていることを知らずに口に出しているらしい。らしいと曖昧に表現したが、自分でも気づくときもある。そんな俺の癖というか特徴を、初対面の相手は、ふざけていると思うようで、それが次第に精神病だと納得するようになる。
決して精神病ではなく、ただの癖にすぎないのだが、これがなかなか直らなくて、最近は気にしないことにしている。そんな大問題を抱えて、探偵という秘密厳守の仕事がつとまるのかと訊かれれば、実のところこれが大変なメリットになっている。
探偵なんていう職業は、信用が第一。依頼人の秘密をネタにゆすりまでするやつもいるくらいだ。
俺が何を考えているか、相手はすべて知ることができるので、どんな正直者より、信頼できることになるわけだ。
ドン、ドン、ドン、ドン……。
夢から覚めると、俺は安っぽい事務用椅子の背にもたれていた。深夜の代行運転のせいで、ついうとうととしてしまったようだ。それがドアをノックする音に起こされたということだ。
「すいません」という若い女の声がする。こんな朝早くからいい迷惑だと思ったが、時刻はもう九時を回っている。
俺は「はい」と答えて、ドアのところに行き、ノブをひねった。俺がドアを押すより早く、向こうからドアを引いたことから、相手は相当慌てているのだろう。
「あの……」
雑居ビルの廊下に立っていたのは、二十代後半から三十歳前半の中肉中背の女だ。艶々とした黒髪は綺麗だが、雑な造りの顔に似合っていない。出勤前のOLといった服装で、会社に行く前にここに寄ったのだろう。
「いきなり、なんなんですか?」とその女は訊いた。それは俺のセリフだ。
「何かぶつぶつ言ってますけど」と女は俺の癖に難癖をつけた。
「独り言だから気にしないでくれ」といって、俺は応接セットまで女を案内した。その間も女は、俺の顔を奇妙な動物でも見るように睨んでいる。
「別に睨んでないですよ」
「そういうつもりで言ったわけじゃない」
「じゃ、どういうつもりですか?」
大事な客の機嫌を損ねてはまずいと思い、俺は「ただの癖だ。おもしろいだろ?」と微笑んでみせた。
「わざとらしく微笑んでくれなくて結構です」
俺はテーブルを挟んだ向かいの椅子に座り、
「ところでどういったご用件でしょうか?」と改まった口調で訊いた。
女は俺の顔をじっとみすえて、
「表になんか便利屋みたいなことも書いてあったけど、ここ本当に探偵事務所ですか?」
と、失礼な言葉を口にした。
「ここを始めた頃は、探偵だけじゃ食っていけなくてね。便利屋的な仕事も請け負ったことがごくたまにあった。おかげで、ここ数年は探偵だけでやっている。最近じゃ助手を雇うくらいに、仕事が増えて、オフィスの引っ越しでもしようか考えているんだ」
と、俺は口からでまかせを言った。俺がそれだけ説明しても、女は、
「本当にあなたが探偵なの?」と当たり前のことを訊く。
「探偵じゃなきゃ何に見える?」
「頭のいかれた変人か、どっきりカメラの仕掛け人」
頭のいかれてない変人がいるかどうか知らないが、素人相手のどっきりカメラは最近放送していない。
俺は、テーブルの上で両手の指を組み合わせ、次の台詞を考えた。
……なかなか浮かんで来ない。
そうだ、あれにしよう。
「そうおっしゃるけど、そちらからここに来たんだ。どこかでうちの評判を聞いたはずだ」
「知り合いから、ここの探偵絶対信用できるって聞いてたんですけど」
女は、すでに俺の最大のセールスポイントを知っていた。
「俺は、自分の考えていることを口にしているらしい。自覚はないが」
つまり、依頼人からすると、自分の考えていることを自白する探偵は、嘘をつかれる心配がなく、都合のいい存在だと言うことだ。
「そういうことです」
女は納得したようだ。
「勝手に納得させないでください」
女は機嫌をよくしたのか、姿勢を正すと、「それでは、用件に入ります」と言って依頼内容を語り始めた。
「まだ、語ってないですけど……」
状況からそう推測しただけのことだ。
「そうですか。じゃあ、話します。私、松村千佳といいます。派遣の……」
女の話をまとめると、彼女は都内デパ地下で派遣の掃除婦をしていて、それが、派遣元の給与未払いの件で、デパートのフロア長に相談すると、親身になって話しを聞いてくれたのだが、そのフロア長がくせ者で、派遣元に密告された。それで派遣元から解雇され、未払い分を取り戻すため、ここに来たという。
「そういうことなら、探偵事務所じゃなくて、弁護士のところに行くんだな」
と言うべきかどうか俺は迷った。
「あの……勝手にまとめないで欲しいですし、まとめた内容も間違ってます。派遣社員というのは合ってますけど、仕事の話ではなく、プライベートの件です。名前が千佳だからデパ地下にするし。それにお客のこと、女って失礼じゃないですか」
と女は訂正を要求した。俺は表向きは、
「はい、すいません。お客様とお呼びします」と謝っておいた。
「表向きはって、どういうことです?」
女は見かけによらず、粘着質でしつこいタイプだ。
「しつこくて悪かったですね」
本気で怒っている。俺はこの場の雰囲気を変えようと、
「あっ、あんなところにアメリカアルマジロが」
と、窓の外を指さしたが、却って逆効果だったようだ。
「自分がやってもいないこと、平気で事実みたいに話すんですね。窓なんか指さしてないのに……ふ、ふふ」と女は笑った。
さっきは逆効果になると予測したが、実際は窓の外を指さしたことはそれなりにプラスに働いた。
「指さしてないのに、まだ指さしたことになってるんですか。それに私、フフフなんて気持ちの悪い笑い方しません」
俺は言い訳が出来ず、困り果てていた。
そのときアシスタントの響子が出勤してきた。勢いよくドアを開けると、「おっはよう」と大声を出すものだから依頼人は驚いて、視線を激しく左右に動かした。
「あっ、お客さんいたんだ」といって、響子は恐縮した。
「驚いてないですから、気にしないでください」といって、依頼人は気を遣った。
「コーヒー淹れますか?」
響子は俺に聞いたのに、依頼人は「いえ、いいです」と遠慮した。しかし、
「俺は欲しいから、彼女にも」と俺が響子に指示すると、
「私がお話し聞きましょうか」と、アシスタントの自分が話を聞くことを提案した。
「そうですね。お願いします。この方の相手は疲れます」と、くそ女は露骨に俺を拒否した。
「拒否までしてません。あなたは、もう少し慣れないとこっちが疲れるんです」
「そうよね。私がお話伺って、後で整理して報告します」と、響子はコートを脱ぎながら言った。
五フィート八インチの長身。丸顔のくせに、東南アジア的濃い顔立ち。二重の大きな瞳とうつろな表情で、近寄ってくる男を片っ端から誘う。肉付きのいいボディは公称百二十ポンド、実際は少なくとも三十ポンドは重い。歳は自称二十三歳。本当は三十近いと睨んでいるが証拠はない。
「お客さんの前で私のこと、おかしなふうに説明しないでください」
そう言って彼女は俺の左隣に座った。彼女の体重で長椅子のクッションが大きく沈む。
「さっきから人をデブ扱いして、私痩せてるでしょ」といって俺を睨んだあと、彼女は依頼人の女に愛想笑いを浮かべた。
「浮気素行調査担当の飯室響子といいます」
「あなたも探偵ですか?」
「私もじゃなくて、私が探偵です」
依頼人は、なるほどという表情でうなずいた。
響子は、右手の掌で俺の肩を押した。ここにいるなという合図だと判断した俺は立ち上がった。しかし、邪魔者扱いされてプライドが少し傷ついたので、「そうだ、コーヒーを飲む予定だった」といって、二人から離れようとした。
「それなら、ついでに」
響子は俺に脱いだコートを渡した。自分の代わりにロッカーに入れて欲しいということのようだ。
事務所の奥には、カーテンで仕切られた二畳ほどの別スペースがあり、そこにロッカーや流しセットが置かれている。俺は、彼女のロッカーを開けて、コートをハンガーにかけずに適当に放り込み、ロッカーを閉めた。
「ちゃんと、ハンガーにかけてよ」
聞こえたようだ。
それから俺は、流し台の横のテーブルにおいてあるコーヒーサイフォンの前に立った。
実は俺は、喫茶店で二年間ほど働いた経験がある。品質にこだわりすぎて、経営はうまくいかなかったものの、当時の常連客は、今でも俺に、
「なあ、マスター。マスターのコーヒー飲んでから他のコーヒーが飲めなくなって困ってるんだよ。金に糸目はつけないから、またあの奇跡の味を再現してくれよ」
と懇願してくる。珈琲道からきっぱりと足を洗った俺は、
「悪いけど、俺はもう一生珈琲は淹れない。その代わり、俺の愛弟子を紹介する」
と、その道の大家に成長した元従業人のところを案内するのだった。
「あれも作り話なの」「あのひと、病気ですか?」
と、響子と女が俺のことを冷やかしているのが耳に入った。
今でこそ明るい響子も、本当は不幸な身の上だ。幼い頃、飛行機事故で両親と飼い犬をなくした彼女は、親戚中をたらい回しにされた挙げ句、施設に引き取られた。二年後、六歳になった彼女は資産家の養女になった。しかし、育ての親は彼女のことを、使用人扱いし、それにいたたまれなくなった彼女は十五で家を出た。
それからは生きるため、お針子、覚醒剤の密売、屋台のうどん屋、オフィス管理、数学の講師などできることはなんでもやった。俺と出会った時はもうぼろぼろで、廃人寸前の状態だった。今でもそのときの、まるで救世主にでも出会ったかのように俺を見つめる彼女の瞳が忘れられない。
「ひゆらあちゃ~さん。聞こえてるよ」
手狭なオフィスでは、俺の声が彼女の耳に入ってしまう。
「わざと大きな声出してるくせに」
長らく使うことのなかったサイフォンは、近頃はやりの電動式ではなく、ランプを使う本格的なものだ。挽きたてのトアルコトラジャ豆を上段のロートに、下段のフラスコに水を入れる。アルコールランプの芯に点火し、フラスコの水が熱くなると上段にあがってくる。あがりきったところで火を消す。抽出液がフラスコに降りてくる。フラスコをはずし、二度と淹れないと常連客に誓った珈琲をイタリア製カップに注いだ。いい香りだ。純ひのきのトレイに乗せ、俺は慎重に二人のもとに運んだ。
俺はこぼさないように注意しながら、皿にのせたコーヒーカップを紫檀のテーブルに置くと、
「珈琲はブルーマウンテンに限る」と通にしかわからない専門用語を小声でつぶやいた。しかし、響子の耳はそんなかすかな囁きも逃さなかった。
「逃さなかったって。わざと聞かせてるくせに。いいわ、相手してあげる。百均の安物カップにインスタントコーヒーで、ポットのお湯注いだだけのくせに、本格的サイフォンとか、ひのきのトレイとか、ありもしない高級品を使ってるみたいに言わないでよね」
彼女は本物の価値がわかっていないようだ。俺は、
「素人が下手にサイフォンを使うと、却って味が悪くなるぜ」と忠告しておいた。
「あの、続きを」と依頼人は催促した。
「そうですね。今はこの人は相手にしないほうがいいですよね」
「今はというと、そのうち役に立つということですか?」
「人間ひとつくらい長所があるということです」
俺はひとつくらい短所があるの言い間違いではないかと思い、彼女に問いただした。
すると、
「もちろん、そっちに決まってるじゃないの。でも、比由さんに短所なんてあるのかしら」
と自信がなさそうなので、俺は、
「俺と一晩一緒に過ごせばひとつくらい見つかるかもな。ただし、一晩過ごした後は寂しくてつらいぜ」 と謙遜した。
「また創ってる」
「相手にするのやめません?」
依頼人もあきれている。
「そうね。らあちゃ~さん、あちらへどうぞ」といって、アシスタントは俺のデスクを指した。
俺はここで抗議しても時間の無駄だと判断し、すごすごと自分のデスクに引き下がった。そうしてまた夢の続きを見ることにした。
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