第105話 静殿5

 私は間違いなく泣いていた。

 どのくらい泣いていたかわからない。もしかするとかなりの時間泣いていたのかもしれない。

 お見合いの席でこのような失態をしてしまうとは情けないが、別に断るつもりだと思うとあまり後悔もない。

 ただ、いきなり初対面の相手の前で泣き出したこと、それも相手は自分をかってくれて、私を登用してくれるかどうかの権限を握っている人の前で、このような無様な姿をさらしたことが情けない。


 茜は「落ち着きましたか?」と冷静に私に聞いてきてくれたので、「お恥ずかしいところを・・・」と答えるのがやっとだった。

 すると「大丈夫ですよ。静殿の気持ちはわかっておりますから。」と続けてくれた。

 その言葉を聞いて、私はまた涙が止まらなくなってしまった。

 何故この人はこれほどまでに私のことをわかってくれるのか不思議だった。


 かろうじて涙を止めて、茜の話を聞く。

 茜は「では、私の正室になるという話はそちらから断って下さい。後は私の方で克二殿と話をつけますから。」と言ってきた。

 「はい。」と頷いてから考える。

 「簡単に返事はしたものの、『克二殿』とはもしかして領主様のことなのだろうか。私にとっては雲の上の人でもこの人なら直接話ができるのだろか。」などと考えていたが、やはりあまりにも想像できないことばかりで、ついていけない。


 そうしたことが顔にでているだろう。そのうえ、さっきまで泣いていたから、目は真っ赤だろうし、おしろいはとれてかなりひどいことになっているだろう。

 このまま、続けて話をしているとまた泣いてしまいそうだったのと、ひどい顔をこれ以上見せたくなかったので、早々に引き上げることにした。


 館の方に近づくと、父上と母上の姿が見えた。

 「見合いをこちらから断れ。」ということだったので、早速父上に向かって、「今回のお見合いはお断りします。」と宣言した。

 すると、怒られるかと思ったが、父上は茜を睨みつけ、母上は明らかに困惑した表情をしている。

 「あっ!」と思った瞬間、母上が「何故泣いているのです。何かされたのですか?」と私の肩を抱きしめ、いきなり聞いてきた。


 父上は父上で「あーかーねー。」とわけのわからない声を出している。

 茜はそれを見て、「やれやれ。」という表情を見せている。

 「このままでは、せっかくの仕官話がなくなりかねない。」そう思った私は、「誤解です。」と大声で叫んでいた。

 そして父上に向かって「私は水穂に行って武士になります。」と宣言していた。


 それを聞いて今まで怒っていた父上は明らかに「何がなんだかわからない。」という表情をしてきた。

 母上も明らかに困惑しきっている。

 そこで私は、とりあえず2人を部屋の中に座らせて、茜から提案のあったことをかいつまんで2人に説明した。

 母上は相変わらず狼狽したままだ。

 そして「領主の正妻の座を断るなど。」と同じことばかり繰り返している。 


 父上は話を聞いたきり、黙って何か考えている様だ。

 しばらくしてから、「おまえは武士になりたいのか?」と聞いてきた。

 私には何の迷いもなかった。しっかり父上の顔をみて「はい。」と自信をもって答えることができた。

 すると「そうか。」というとまた少し考え、「お前の好きにしなさい。」と言ってくれた。


 母上はそれを聞いて「あなた、何をおっしゃっているのですか。」と問いただしてきたが、父上はそれには応えなかった。

 かわりに独り言を言うように、「わしはあの兄弟で試合をさせた時以来、静には、ずっと我慢を強いてきた。もし静が進みたい道が見つかったのなら、今度はせめて邪魔をするようなことはしたくない。」とつぶやいた。


 私はそれを聞いて、また泣いてしまった。

 一日でこんなに何度も泣いたのは始めてだ。

 そして、こんなに泣いても涙が枯れないということは私は初めて知った。

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