第3話 わるあがきでも書いていく

 書けない書けないと思い悩むことがよくある。きっと誰でもある。なにも思いつかない。なぜ、俺はこんなんなんだろう。駄目すぎる。死のう! 生きている意味が無い……。

 こういうダウナー時はとりあえず適当になんでも書いていれば書ける。おもしろい面白くないは別として書ける。どんなときでも書ける。意味が無い文章は生成できる。ランダムタイプすればいい。

 文章に連続性がないよ、と嘆くかもしれないけれど、後でうまいこと編集して繋げよう。映画も大量に映像をとってそれを一時間半にまとめたりしてるんだからさ。ともかく大量の文章を魂込めて書こうぜ。自戒を込めて。

 だいたい自分が書いていることって、全部自分に向けて言っていることでもある。誰かに伝えたいことは自分に一番言い聞かせたいことかもしれない。

 だいそれた物語や体験を自分が持っているわけでもない。

 ただ文章は気軽に書けて、すぐに発表できて、何者かになれたような気になれる。そして、いままでおもしろいと思ってきたものに対する憧れが小説を書く動機だ。

 興奮して先を読みたくて、寝なきゃいけないのに読んでしまった。その小説の話がしたくて周りに無理矢理勧めまくったりした。そういう興奮をまた味わいたい。

 たくさん物語を読めば読むほど最初の感動には届かなくなる。映画やアニメも刺激慣れしてくるのか、パターンを頭は見極めなんとなく予測している。その予測の遙か上を越すものに出会いたい。想像を超えて欲しいと期待している。それはもはやジャンキーじみている。もっとすごいものを、もっともっと。読んでるだけじゃもう満足できないから、書いてるんだったっけ。

 いつも、殻みたいなものが自分を覆っていてそれが自分の限界を規定しているように思える。窮屈な殻なんてものは、最初から無いはずだけれど、自分で作り出してしまう。殻の中はきっと安全なんだろう。

 書けないたくさんの言い訳を思いつく。

 もっとうまくなってから。まだまだ自分はできないから仕方ないし。おもしろくない。時間が無い。楽しくない。もっと別のアイデアの方がいい。

 すべてを懸けて一つの作品に向かい合うことができていない。無理矢理にでも完成させることが小説の上達する近道だという。

 その完成度に納得できないから書けないという。それは眼が肥えすぎているんだ。その完成度が今の君の小説なんだよ。認めて受け入れて、諦めたいなら諦めろ。書きたいなら、書いてろ。

 なににも勝る喜びと快楽が身のうちで焼け焦げるほど燃え上がって、どういうようもなく、書くことをやめられない。

 自らの嫌な部分を暴き、自分を知り、限界を決めつけ、限界を破壊し、自由に飛び回っている振りをして、鎖につながれ、楽しいふりをしながら苦しんで、諦めたいのに、諦めきれない。

 そういう、わるあがきでも書いていく。

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