第2話 自然な文章

 いくらでも自然に書ける文体と、自然には書けない文体がある。

 それは訓練の賜物か、それとも生来のものか、人によって文章のスタイルは違う。

 呼吸をするように書ける書き方と、窮屈な書き方、両方で書いてみるとおもしろい。

 僕や私、俺といった一人称は書きやすい気がする。


 世界への呪詛を一日中囁いていたが、今日も一日平和だった。世界という抽象概念に対しての口撃だったのがいけないのだろうか。僕は反省して、学校の崩落を願った。ともかく、学校に行きたくないのだ。

 いや、別に行かなきゃいいじゃん。という意見もわかる。しかしだ、僕は大義名分が無いと動けない人間なのだ。あまり悪目立ちもしたくない。いままでなんとか仮面優等生をやってきた。なんとか普通に溶け込めている。そんな気がする。

 なので世界の終わりを願っていた。

 学校に行きたくない→世界よ終われ。飛躍しすぎだろうか。

 しかし、思考が飛躍できるうちが花ではないか。飛べなくなった思考など、現実的な常識と、科学に支配され、この世界に取り込まれてしまったも同然である。

 僕は学校に行くよりも家でアニメを見ていたり本を読んでいる方が楽しいのだ。学校で勉強するならば、音楽を聴きながら勉強をさせてくれ。勉強要素のあるものすごいゲームでも発明してくれ。

 コミュニケーションはいらない。

 この孤独を耐え忍んでいる僕、というシチュエーションがいいんじゃないか。

 そもそも人はわかりあえない。



 人が一人でだらだら語るような語り口であればいくらでも書ける気がする。そこになんの面白さも求めなければ、の話だが。

 語りの人物が変われば語りも変わる。いかに恥ずかしさを捨てられるかが問題になってくる。なりきりだ! 三人称の場合全く違う気がする。

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