魔法少女ネガティブフラワー

敗者T

1.ネガティブフラワーは明かしたくない

1

 華やかなライトアップに彩られた、駅前通りの交差点。

 常に賑わいに満ちたその場所は、しかし今夜はその喧騒の種類を、普段とは異なるものにしていた。


 木の幹ほどにも太い茨が、逃げ遅れたトラックに巻き付く。軽々と持ち上げられたその座席から、ドライバーが振り落とされ、地面に向けて落ちていく。

 別な茨の数本は、巨大な蛇のように商業ビルを締め上げ、不吉に軋む音を響かせている。倒壊に至るのは時間の問題だろう。

 あるいは、多数の人間をその棘に抱き込み、なおも新しい獲物を追う。既に捕らえられた者たちはみな意識がなく、血の気を失ってぐったりとしている。

 あるいは、支えもなしに天高く伸び、飛び交うヘリの一つを叩き落とす。煙の尾と共に墜落する質量が、さらに何人かを巻き添えにする。


 あるいは、

 あるいは、

 あるいは――。


 悲鳴が聴覚をろうし、鳴り響くクラクションがそれをも圧する。

 繁華街は混乱の極みにあった。恐慌に駆られた人々は互いに動きを妨げ合い、自らを怪物の餌場に縛り付けている。

 暴虐をなす茨の数は、数百にも届こうか。事態が起こったのはほんの十数分前。突如として出現したこれらによって、一帯は速やかに地獄へと変えられた。


「ふふふっ……まったく、脆いこと」


 その惨状の中心で、女は愉しげに一人ごちる。


 薔薇の花のごとき深紅の長髪。妖艶な微笑を湛えた美貌。剥き出しの両肩は滑らかな線を描き、真っ赤な唇を隠すように、右手の先を口元に添えている。

 身に纏うのは深緑のドレス――否、それは植物である。女の肉体の胸から下は、奇怪にも無数の蔦となってほどけ、根のように八方へ張り巡らされているのだ。

 それらは先に向かうにつれ、徐々に太さと剣呑な棘とを得、やがては暴れ狂う茨の群れへと繋がる。すなわち、この女こそが、恐るべき破壊者たちの主人であった。


「ねえ、あなたもそう思いませんか?」

「ぐ、あ……」


 蔦の一本が手近な人間を引きずり上げ、彼女の目の前に宙吊りにする。

 十代半ばほどの少年だった。黒い髪は土埃に汚れ、やや幼さを残す顔は血に塗れている。

 いかにも無残な姿だが、生きているのは偶然ではない。女はこの少年に目を留めて、ゆっくり嬲るためにあえて生かしておいた。特に気に入らなかった者たちは、既にみな押し潰すか血を吸い上げるかして殺している。


「……こ、のっ……」

「まあ」


 女を前にするや、彼は宙に浮いたままの右足を振り上げ、脱げかけた靴を女に投げ付けた。このような怪物を相手にしては、かすり傷にもなるはずがない。ただ無謀な衝動が、何もさせずにはおかなかった。

 女はただ笑った。飛んでいった靴は真っ直ぐ彼女の顔に向かい、当たり、そして何の抵抗もなく突き抜けた。霧の中に投げた石のように、それはいかなる影響も残さなかった。


「な……」

「可愛いこと。ヒトは無知であるくせをして、感情ばかりは豊かなのですから。そういうものに、自分が狩られる獲物でしかないと教えてあげた時の反応ほど、面白いことはありません」

「……ふざけるな。そんなんじゃ――」


 言葉を遮って、崩壊の音が轟いた。

 少年は弾かれたようにそちらへ目を向けた。先程から茨に巻き付かれていたビルが、とうとう破壊者に屈していた。蟻塚のごとく崩れ落ちる瓦礫の中には、多数の人間の姿があった。


「――ね?」

「……!」


 少年は俯き、歯を食い縛った。気が付けば悲鳴の類はほとんど聞こえなくなっている。軒並み殺されてしまったのだと、改めて周りを見なくても分かった。

 なるほど女の言う通り、彼は理解した。この怪物に対して人間ができることはなく、ただ屠られるのを待つしかないのだと。そして間もなく、自分の順番もまた訪れるのだと。


 その時。


 くすくすと笑う女の声が、切り落とされたかのごとく途絶えた。

 少年は顔を上げた。女は目を見開いて自分の胸元を見下ろしていた。視線の先、ちょうど鎖骨の中心辺りから、冷たい刃が飛び出していた。

 それはすぐに引き抜かれた。女が震えた。黒い穴じみた傷口から、銀色の霞が鮮血のごとく溢れ出した。


「なん、ですって……? 魔法少女。どこから……」


 少年は、自らを縛める蔦の力が、急速に弱まっていくのを感じた。

 女は振り返った。そこに何かがいるようには、少年には見えなかった。女にとってもそうだったのだろう。

 しかし、追撃はそこから繰り出された。刃は今度は女の首を穿った。短い悲鳴がその喉から漏れた。


 女がゆっくりその場に崩れ落ちる。蔦が完全に力を失い、少年は支えをなくして仰向けに倒れた。

 見れば、暴れていた茨もまた弱々しく地に伏せて、先端からとも根元からともなく、銀の霞に還っていく。

 やがて一瞬の輝きが起こり、怪物の全ては実体を失い、その痕跡から光の粒が舞い上がった。それもすぐに消えた。


 静寂だけが残った。

 何が起きたのか分からないまま、少年はしばらく呆然としていた。

 その耳に鳥の羽音が届いた。雪のように白いカラスが、彼の目の前に舞い降りた。羽も、嘴も、足も白く、ただ目だけが深い知性の光を宿して黒い。

 鳥は彼のことは意に介さず、先程まで女がいた場所を、より正確にはその背後だった地点を見た。そして言った。


「――ネガティブフラワー。バッドは完全に消滅しました。もう魔法を解いても問題ありません」


(喋った――)


 少年は驚きに胸を震わせた。傷の痛みも一時忘れるほど、その衝撃は大きかった。

 鴉の言葉は流暢で、声質は落ち着いた男のものを思わせる。普通は通信機の類を疑うべきなのかもしれない。しかし今の少年には、紛れもなく鴉自身が喋ったのだという奇妙な確信があった。

 

 だが、真に驚くべき事態は次に起こった。

 鴉が呼びかけた場所の空気が陽炎のように揺らいだかと思うと、まるで水中から浮かび上がるかのごとく、風変わりな少女の姿が現れたのだ。

 紫色のとんがり帽子をかぶり、同じく紫色の長衣を纏った格好。一言で表せば、おとぎ話に出てくる魔女に似ている。長衣の胴部分は革のコルセットで締められ、それら衣装のあちこちに、黒い花と蔓草の紋様が散りばめられていた。

 少女自身は、おそらく少年と同じくらいの年だろうか。黒髪を肩の上で切り揃え、大きな目を伏せ気味にしている。やや青ざめても見える白さの肌が、魔女のイメージを強めていた。

 右手には古風な剣が握られている。少年はゲームか何かでその形状を見た覚えがあった。たしか、レイピアと言うのだったか。細く平たいその刃が、女を倒した武器なのだろう。


「……それ、呼ぶのやめない?」

「申し訳ありませんが、既に魔法少女の名前として決定しておりますので」


 心臓が止まりそうな彼の前で、少女と鴉はそう言葉を交わす。見た目の印象通りと言うべきか、少女の声は低く抑えた調子で、もう少し離れていれば聞き取れなかったかもしれない。

 もっとも、聞き取れているからと言って、理解できるわけではない。魔法少女。バッド。喋る鴉。彼らは何者で、なんのためにここに来たのかは、まったく予想も付かなかった。

 

 確かなことは、ただ一つ。

 少年は、彼らによって助けられた。


「ともかく、間もなく修復が始まります。この場は早々に離れられるのがよろしいかと」

「……うん。行こう」

「待ってくれ!」


 背を向けかけた二者に対し、少年は声を振り絞った。少女が驚いたように、鴉が滑らかな動きで、振り向く。

 少年は感謝の言葉を続けようとした。だが痛む喉に声が詰まり、単に咳き込むだけに終わる。

 少女が歩み寄り、傍らにしゃがむ。少年の意図を取り違えたものか、その声音には不安げなものが滲んでいた。


「ごめんなさい。私たちは、今これ以上、あなたに何かすることはできない」


 そうじゃない。

 声はまだ出ない。少年は彼女の顔を見上げた。澄んだ、わずかに緑がかって見える瞳が、自分を覗き込んでいた。


「……大丈夫。もうすぐ、全部なかったことになるから」


 最後にそれだけ言って、少女は立ち上がった。

 そして帽子を目深にかぶり直すと、鴉と連れ立ってどこかへ去っていく。


 その後ろ姿も見えなくなると、少年は急に強い眠気を感じた。

 なかったことになる。

 それはどういう意味なのか。途絶え行く彼の意識へ最後に現れたのは、自分を見つめる少女の眼差しだった。

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