第15話 リビルド
神殿に辿り着いたフリージアを、ミーリルが正門の前で出迎えた。
「随分遅かったですね」
「悪いな、長話が過ぎた」
「……スキルゲージが上昇していましたが」
「ああ、少し予定が変わった。スペックを改竄するのは、私たち二人だけだ」
当初の予定ではディーンとリリィも改竄の恩恵に与れるはずだったが、ミーリルとしてはその数が減ること自体は何ら問題ないのか、特に詮索してくる事もなかった。
「『歪み』は既に発見できました。こちらです」
ミーリルがフリージアを先導して歩き出した。
そんなミーリルの姿に、フリージアは思わず頬を緩めた。
ミーリルとは同じパーティになることはほとんどなかった。が、フリージアが急速にその人気を失くし荒れていた時期に出会い、意気投合し、それからはしばしばディーンを交えて行動を共にしていた。
初めて『歪み』を発見したミーリルは、そのことをまずフリージアに報告した。それがどれほど驚くべき発見だったとしても、彼女はそれを独占しようとは思わなかった。
今もそうだ。いざ『歪み』を見つけ、自分だけを改竄することだってできたはずなのに、ミーリルはわざわざフリージアを待っていた。
――自分だけが強くなったって意味がない。
ディーンはそう言っていた。その気持ちも、フリージアは良く分かるつもりだった。
……だからこそ、革命は絶対に成功させなければならない。何百人の願いを踏みにじったとしても。
やがて二人は神殿の奥に到達した。
ガチャからキャラクターが召喚される際の祭壇。そこに、確かに奇妙な『歪み』があった。
一メートルほどもない、縦に割れた黒い亀裂が空間そのものに発生していた。
中を覗くと、夥しいほどの緑色のコードが所狭しと溢れ、蛇のように蠢いていた。
様々な感情がフリージアの胸中をうねる。
やはり最も大きかった感情は……ついにここまできた、という達成感だった。
「……ご苦労だった」
「それは全てが終わってからにしましょう。少しだけ中に入ってみましたが、改竄には思ったよりも時間がかかりそうです。メンテナンスが終わるまでに『歪み』から脱出しないと、そのままソースコードに呑み込まれかねません。準備はいいですか?」
「さっさと始めよう」
不敵に笑い、フリージアは『歪み』の中へと潜りこんだ。
それに続くミーリル。その瞬間、ドクン、と二人の身体に強い衝撃が走った。
まるで体が溶けるような感覚に思わず立ち止まるフリージア。だがその両肩をミーリルがそっと支えた。
「大丈夫です。私たちの中のプログラムコードがこの空間に反応しているだけです」
「実害はないのか?」
「実害……と言っていいかは分かりませんが、今の私たちではソースコードに干渉することはできません。一度この体をソースコードに変換する必要があります」
「どうやるんだ?」
「言葉で伝えるのは難しいですが……やってみればすぐできますよ」
そう言ってミーリルは、宙を泳ぐソースコードの一つにそっと手をかざした。
するとやがてミーリルの掌の表面にじわりと何か得体の知れないコードが浮かび上がり、そのコードは掌から徐々に胴へと這い上がっていく。
興味深そうに眺めるフリージア。これが存在そのものをソースコードへと変換するということなのだろう。試しにフリージアも適当なコードを右手で鷲掴んでみた。
その直後、まるで雷に打たれたように痙攣するフリージアの身体。
視覚を介さず直接脳内に映像が流れ込んでくる。
それは武器の情報だった。何の変哲もないノーマルレアリティの剣。その剣に関する情報が全てフリージアの脳内に流れ込んでくる。
次第に指先の感覚がなくなってきた。見ると、フリージアの右手はほとんどコードに分解され、先端からゆっくりと消滅していっていた。
慌てて掴んでいたソースコードを放り投げるフリージア。確認すると、消滅しかかっていた右手は元に戻っていた。
そのあまりの慌てぶりにくすくすと笑うミーリル。
「酷い不快感だ……よく平気な顔ができるな」
「私はもう三度目ですので。さっきなんて身体全てをソースコードに変換しましたよ。ちゃんと戻れましたし、支障はありません」
「……前から思ってたが、お前は見かけよりずっと肝が据わってる」
素直に感心するフリージアに、ミーリルはまたくすくすと笑みを漏らした。
「それより問題なのは、ソースコードがあまりにも膨大すぎることです」
フリージアは周囲を見回して頷いた。
どんな光も呑み込んでしまいそうな漆黒の闇に、無数のコードが漂っている。
まるで宇宙空間に放り出されたかのようだ。
この中から自分たちに関するソースコードだけを探し当てるのは簡単ではなさそうだ。しかも時間は限られている。メンテナンスが終わるまで、残り二○分程しかない。
「やはり一度存在を全てソースコードに変換して一気に潜るのが早いと思います。慣れない内は不気味かもしれませんが、我慢してください」
「泣き言を言ってる時間もないしな。始めるか」
二人は同時に近くのソースコードに手を伸ばした。
再びフリージアの脳内に流れ込んでくる膨大なイメージ。今度はダンジョンの情報だった。武器などよりも遥かに多い情報量に思わず目が眩む。
ふと隣を見ると、慣れたものなのかミーリルはフリージアよりもずっと早い速度で身体を分解させ、一○秒もしない内に消滅した。
本当に大丈夫なのかと訝しんでいると、どこからかミーリルの声が聞こえてきた。
《フリージアさん、私は先に深くまで潜ってみます》
「……任せた」
何とも頼もしい限りだ、とフリージアが苦笑したその時。
《――ッ! フリージアさん》
「…………ああ、分かってる」
背後に気配を感じ、フリージアはそっとソースコードから手を離した。
本来、音の発生源など一つもないはずのこの空間では、金属が小さく擦れる音すらよく聞き取れた。
剣の鞘とそれを支える留め具が擦れる音……疑いようもなく、第三者がこの『歪み』の中に入り込んでいる。
「ミーリル、お前は作業を続けろ。私は来客をもてなす」
《わかりました》
フリージアが振り返ると、そこには見知った顔があった。
「……こいつがこの世界のシステムですか」
「そうだ。凄いもんだろう。私も驚いたよ」
気さくに言葉を交わす両者。だがフリージアはそっと、左手で剣の鞘をさすった。
「それで、どうしてお前がここにいる、カイン?」
予期せぬ来訪者、カインに向けてフリージアが尋ねた。
「俺がここにきたら何か問題があるんですか?」
「いいや、問題はない。だがどうやってこの場所を特定したのかには興味がある。お前は工場地帯にいたはずだが」
「リリィに教えてもらいました」
「なるほど。なら場所だけでなく他にもいろいろ聞かされてそうだな」
「はい。あなたが旅団員全員を騙していたこととか」
「ああ、本当に申し訳ないがその通りだ。さて……で、その上でお前はどうしたい? 私たちだけが強くなるのはズルイから俺も強くしてくれ、と? いいとも。一人くらい追加で改竄したって何の問題もない。むしろソースコードを探索する人手が増えるから歓迎したいくらいだ」
無意味に戦うつもりも必要性もないことを主張するフリージア。
だがカインは首を縦には振らなかった。
「いいえ、そんなつもりはありません」
「おやおや。では何をしにこんなところまで?」
分かりきった問いを投げかけるフリージア。その茶番めいた問答に失笑が漏れる。
「あなたを止めに来ました。フリージアさん」
「だろうな。そんな顔をしている」
フリージアが記憶していたカインは、典型的な創生旅団のメンバーの顔をしていた。
我欲に塗れ、憎しみで心を満たし、野心で自我を保っているような……フリージアとよく似た顔を。
だが今のカインにはそれがない。どちらかと言えばディーンに似ている。自分以外の誰かのことを気に掛ける甘さがはっきりと窺える。
「誰のスペックも改竄させません。俺も、あなたも」
「つまり騎士団に寝返る、と?」
「違います」
首をかしげるフリージア。キャラクターの改竄を認めないのであれば、騎士団の思想に従うということだ。
だがカインはゆらりと周囲を……この世界を支配するシステムそのものを睨み付け言った。
「俺が改竄するのはキャラクターじゃありません。このゲームの仕様そのものです」
それは創生旅団とも騎士団とも違う、第三の答え。
唖然とするフリージア。姿の見えないミーリルも、カインの言葉に困惑していた。
《何を馬鹿な……正気じゃありませんね》
「仕様を変える……とは具体的に何をするつもりだ?」
一蹴するミーリルとは違い、フリージアはカインの考えそのものには多少興味を持った。
「『条件付きダンジョン』を作ります」
「……なんだそれは?」
「特定の条件を満たしたキャラクターで編成したパーティしか入れないダンジョンです。スペックが高いだけのキャラクターは、このダンジョンに入れない」
それがカインの出した解決策だった。
バルバトスのような当たりキャラクターは今までと変わらず第一線で活躍し続ける。だが彼らも、『レアキャラクター専用ダンジョン』には入れない。そしてレアキャラクターの中でも更に『火属性のキャラクターしか入れない』という風に、出撃するための条件を絞る。
外れキャラクターは外れキャラクターのまま……だが、きっと多くのプレイヤーが彼らにも目を向けることになる。スーパーレアとはまた別の需要を獲得できる。
外れを押し付け合うのではなく、当たりを分け合う。
それだけが、この憎しみの連鎖を断ち切る方法だった。
《不可能です。そんな大規模な改竄、メンテナンス中にできるはずがありません》
「できなくたっていい。俺はこのままソースコードに留まる」
息を呑むミーリル。
《……自分の言っていることの意味が分かっているのですか? 一度ソースコードに同化してそのままメンテナンスを終えたら、あなたの意識は二度と始まりの町へは戻れないんです》
「……」
「次のメンテナンスの際にも戻れないのか、ミーリル?」
《おそらく。というよりも……メンテナンスが終わった後も始まりの町にはカインさんはいるのでしょうが、それは今この場にいるカインさんではありません。それこそ運営が設定したプロフィールを張り付けただけのハリボテのカインさんです》
「なるほど。まあ、当然と言えば当然か」
カインがソースコードに消えたからと言って、ワンダー・ブレイドからカインが消えるわけにはいかない。始まりの町には今のカインではない別のカインが生き続けることになる。
そして別のカインが存在している以上、もう一人のカインが始まりの町に存在することはできない。いや、そもそもこのソースコードに意識を溶け込ませて、そこから一個の人格として新たにカインの姿を形成できるかすら怪しい。
紛れもない自殺行為。カインの語る内容は、この世界に生きる外れキャラクターを救うための礎として、その身を永久にこの暗黒の闇に葬るということだ。
「――それでも構わない」
だがカインの顔に浮かんでいたのは恐怖でも絶望でもなく、ただ諦観と決意の表情。
「俺はこの世界を創生する。こんな……キャラクター同士が憎しみ合い、殺し合うしかないような世界しか作れなかった運営やシステムに反逆する」
そう宣言するカインに向けて、フリージアはつまらなさそうに嘆息した。
「やる気満々のところ悪いが、結局お前の案では私もミーリルも不人気キャラのまま、お前の作るオマケダンジョンにしか出向けないということか?」
「はい」
「そうか。では却下だ」
鞘から剣を抜き放ち、フリージアはすっとカインに向けた。
「ここまできて、そんな気休めで妥協するつもりはない。私はソースコードを改竄し、この世界最強のスーパーレアになる」
「……させません」
カインもまた剣を抜き、フリージアと対峙する。
《フリージアさん》
「気にせず作業を続けろ。一分もあれば終わる」
ミーリルは了承し、それきりミーリルの声は聞こえなくなった。
「念のため訊いておくが……勝てると思ってるのか、カイン?」
フリージアはスーパーレアキャラクター。カインはレアキャラクター。レアリティの段階で既に勝敗は決しているようなものだ。
加えてカインは火属性、フリージアは水属性。属性的にも圧倒的にカインが不利。
カインのキャラクタースペックはディーンとほぼ同じで、そのディーンですらフリージアを相手に惨敗した。カインが勝てる道理など一つもない。
「――勝たなきゃいけないんです。これは……俺だけの戦いじゃない」
「そうか」
短い相槌。直後、
「――ッ!」
一瞬にして視界から消えるフリージア。気付いた時には眼前に迫っていた閃光のような斬撃を、ほとんど直感を頼りに防ぐカイン。
鈍い金属音。カインは数メートルも後方に吹き飛ばされるも、なんとか直撃を回避した。
『先制攻撃』スキルで一瞬の内に決着をつけようとしたフリージアは、不満げに舌打ちした。
「おいおい……このスキル、ガード可能だったのか。信じられん……どこまでクソスキルなんだ」
苛立たしげに剣を構えなおし仕切りなおすフリージア。
剣を握るカインの手に過剰なほど力がこもる。
今の一撃だけで両者の力量差ははっきりと分かった。
外れスキル。外れスーパーレア。……心のどこかでそんな風にフリージアを甘く見ていた自分を戒める。
フリージアは明らかに自分よりも格上だ。厳然としたレアリティの差がカインの前に立ち塞がる。
だが退くわけにはいかない。カインは立ち上がり、猛然とフリージアに突撃した。
剣閃が奔る。一息の内に三つの剣戟。その全てを弾かれ、続けて二つ。
その全てが全力の一撃だった。一斬たりとも甘えた攻めは行えない。そんな余裕が通じる相手ではない。
カインの攻撃を弾きつつ数歩後退するフリージア。
開いた距離を更に詰めるカイン。攻撃の手は決して緩めず、ただひたすらに攻勢を続ける。
フリージアが更に後退する。一瞬、自分の攻撃がフリージアを追い詰めているという錯覚を抱くが、そうではない。
フリージアは一見、不可解なほどに慎重な姿勢を貫いていた。
カインの大振りの攻撃を弾き、態勢を崩したカインに対してすら攻め気を見せようとしない。
そのフリージアの慎重さはカインにとって最も望んでいた形ではある。
が、それはカインの想像以上に厄介だった。
カインは決してスペックの低いキャラクターではない。むしろ以前大幅にアップグレードされ、レアキャラクターの中では頭一つ抜けたスペックを持っている。
そのカインの連撃を容易くいなし続けるフリージア。どれほど全力の一撃も、まるで効いている様子がない。
「……」
ついに初めての反撃を行うフリージア。カインの攻撃の隙を見事に突く一撃。
だがそれすらも決して全力では行わない。可能な限り短いアクションで、自身の隙を最大限作らない一撃。
そこからはカインを確実に仕留めようとする獰猛さは一切見られない。
「――ぐッ!」
だがその反撃すら、一撃でカインに膝をつかせる威力だった。
剣でのガードもほとんど意味をなさずよろめくカイン。
そこに更なる追撃。なんとか凌ぐがそれが限界だ。
先ほどまでの勢いが嘘のように防戦一方になるカイン。二度、三度とフリージアの攻撃を受ける度に、みるみる内にカインのヒットポイントが減少していく。
「ぐああッ!」
そこへ、今までで一番の威力の攻撃。
耐え切れず吹き飛ばされるカイン。上も下も分からないような漆黒の空間を転げ回る。
「もう終わりか? 存外あっけないな」
悠然とカインに歩み寄るフリージア。カインは軽く血を吐き捨て、よろける足を懸命に奮い立たせる。
「まだ、だ……!」
再び突進を仕掛けるカイン。それを涼しい顔で迎え撃つフリージア。
本来ならばほんの数十秒で決着がついてもおかしくない勝負。そうなっていないのは、カインの予想以上にフリージアが防御に徹しているからだ。
その理由はカインのスキルにあった。属性を無視して固定ダメージを叩きだすカインのスキルは、一撃でフリージアを戦闘不能にする威力がある。
カインはそこに一縷の望みを託し、そのことをフリージアも承知していた。
騎士団の伏兵を撃破する際にスキルゲージは一度使い切ったはずだが、その後カインのパーティメンバー達はバルバトスと戦闘を行ったはずだ。
その戦闘の経緯によっては、再びカインのスキルゲージが溜まっていても不思議ではない。
フリージアの懸念はそれだけだった。むしろ、当然カインはスキルゲージをフルに溜めた状態で挑んできているものと予想していた。
だからこそフリージアは積極的に攻撃を行わず、カインがスキルを放つ瞬間を見極めようとしていた。
カインのスキルは確かに強力だが、必中ではない。不用意に隙さえ見せなければ十分に回避できる。
スキルさえ不発に終わらせてしまえば、もう憂いは何もない。数秒とかからずカインは戦闘不能に陥るだろう。
「……」
カインの攻撃を受け流し続け、頃合いを見て隙の少ない反撃を繰り出す。それを繰り返す内に、フリージアにある疑念がよぎる。
「…………カイン、お前」
カインの腹を蹴り飛ばすフリージア。吹き飛ばされたカインは激痛にのたうち回りながら、息も絶え絶えに立ち上がる。
一目見て、もうヒットポイントも限界だ。だが一向にスキルを発動させる素振りを見せないカインに、フリージアの疑念は一層強まる。
「まさか、スキルゲージなんて溜まってないのか?」
返答しないカイン。だがその表情は、フリージアの疑念を裏付けるには十分すぎた。
カインにとって外せない一撃……チャンスを窺う必要があるのは分かるが、いくらなんでももったいぶり過ぎだ。
このままではスキルを発動することなく戦闘は終わる。そんな状況でカインが未だにスキルを発動しないのは、つまりスキルゲージなど溜まっていないということに他ならない。
そして、そのフリージアの疑念はズバリ的中していた。
カインは工場地帯でバルバトスを強襲した際にスキルを放ってしまっていた。
そこから戦闘などしていないため、フリージアと相対した時点ではカインのスキルゲージは完全に空だった。
「……呆れたな。じゃあお前……まるで無策で私に挑んだのか?」
むしろ動揺すら覚えるフリージア。
正確に言えば、カインにとっての勝機はそこにこそあった。
フリージアがカインのスキルを警戒し、反撃が手薄になることで、カインの攻撃回数が増え、それによって改めてスキルゲージを溜めなおす。それだけがカインに残された唯一の策だった。
だが、そんなカインの儚い期待を裏切るように、フリージアはあっという間にその策を看破してみせた。
カインは改めてフリージアに対する評価が甘かったことを痛感した。
騎士団、創生旅団、そのどちらをも欺く策を構築してみせたフリージアに、こんな子供だましの戦法が通用するなどと期待してはいけなかった。
既にカインのヒットポイントは半分を軽く下回っている。しかしスキルゲージはまだ三割も溜まっていない。もしここでフリージアに攻勢に転じられたら、もはや勝機などどこにもない。
「っ……うああああああああああああああ!!」
咆哮と共に駆け出す。策など何もない。ただフリージアに主導権を握られまいと、がむしゃらな攻めを繰り出すカイン。
それを失笑で応えるフリージア。
「もういい。終わりだ」
今までの様子見とは全く違う一撃。本気でカインを仕留めるつもりで放った剣撃は、防御などまるでないかのようにカインの身体を打ち据えた。
短い悲鳴と共に頽れるカイン。一瞬にして気絶しかける程の衝撃が全身を襲う。もはや立ち上がることも困難になり、朦朧とする意識と霞む視界の中で、必死に意識を手放さないようにすることで精一杯だった。
《フリージアさん》
万策尽きたカインにとどめを刺そうとフリージアが剣を振り上げたとき、不意にミーリルの声が響き渡った。
「どうした。見つけたか?」
《いえ、私たちのステータスは見つかりませんでした》
ミーリルはそこで言葉を区切り、
《ただ、カインさんのステータスを見つけました》
「ほう?」
面白そうに目を細めるフリージア。
「で?」
《いい機会です。少し実験しましょう。カインさんのステータスを全て1にしてみます。ついでにスキルゲージもリセットしておきましょう》
「な――」
「くっ……ぷ――ふ、はははははははっ」
血の気の失せるカインをよそに、フリージアは堪え切れずに腹を抱えて爆笑した。
「酷いやつだなお前は」
《……心外です。別に嫌がらせじゃありませんよ。キャラクターのスペックを書き換えられるのか一度実験しておこうと……》
「分かった分かった。構わん、やれ」
「ま、待て!」
制止しようと立ち上がるカイン。
だが肝心のミーリルの姿はどこにもない。既にソースコードと同化しているのだ。今のカインにミーリルを止める術はない。
――直後、カインの身体が激しく発光しだした。
全身が大量のコードに覆われる。それを必死に振り払おうと身をよじるカインだが、コードはカインに一体化したまま微塵も離れることはなかった。
わずか数秒の間にその発光は収まった。呆然と自分の身体を確認するカイン。
一見、見た目には何の変化もない。だが……異変にはすぐに気付いた。
カインのスキルゲージがゼロに戻っている。そして驚くほどに剣が重い。武器を装備するためのステータスをカインが満たしていないのだ。
「終わったか?」
《そのはずです。どうですかカインさん。何か変化を感じますか?》
嫌味も何もないバカ正直なミーリルの質問に、フリージアは再び噴き出した。
「嘘だ……そんなこと、あるわけ……」
力なく立ち上がるカイン。震える両手で剣を握りしめ、ギラリとフリージアを睨み付ける。
「うおあああああああッ!!」
全力を振り絞ったカインの攻撃。フリージアは避ける素振りすら見せなかった。
確かに直撃するカインの斬撃。だが、
「ぐっ!?」
刃がフリージアに当たると同時に、まるでチタンを叩いたような衝撃が両手に襲いかかり、気付いたときにはカインの剣は宙を舞って遥か後方まで弾き飛ばされていた。
「そん、な……」
「ふむ」
《どうですか、フリージアさん》
「確かにヒットポイントが1減ったな。上出来だミーリル。作業を続けろ」
ミーリルは了承し、再び静寂が戻る。あまりの事に焦点の定まらないまま視線を泳がせるカインの胸に、とん、と左手を当てるフリージア。
「分かっただろう、カイン? この世界ではな――どんなに猛々しく叫ぼうがダメージは増えないのさ」
そのまま、軽くカインの胸を押した。
掌打とも呼べないような軽い打撃。フリージアにとっては軽く小突く程度の、ノーマルキャラクターですら倒せないような一撃。
だがそれだけで、ヒットポイントが1しかないカインは戦闘不能に陥った。
仰向けに倒れこむカイン。急速に溶けていく意識の中、ただ無力感だけがカインを支配した。耐え難い悔しさが目頭から滲み出す。
「く、そ……くそぉ……!」
――このまま終わるのか。何も為せないまま。何も償えないまま。
結局、レアリティの壁は超えられないというのか。この世界が定めたシステムには抗えないというのか。
いやだ。それだけは、絶対に嫌だ。
意識が完全に落ちるまでの刹那の間、足掻くカインの右手がかすかに動く。
何の意味もない、ただの悪あがき。誰の目にも無様としか映らないようなその微動によって、
――さっ、と。指先が何かに触れた。
それは『歪み』の中を漂う無数のソースコードの内の一つだった。
キャラクターが接触することによって、そのコードの中に含まれる情報がキャラクターの中に流れ込む。本来はただそれだけのはずだった。
だが無限とも思えるほど大量のコードの中、ただ一つ……そのコードだけは別だった。
まるでカインに引き寄せられるように宙を泳いでいたそのコードは、カインの指先が触れた途端眩く発光し、同時にカイン自身も激しく発光しだした。
「なに?」
突然の光に眉を寄せるフリージア。その間にもカインの身体は発光し続け、やがてその全身をびっしりとコードが覆い出した。
それは先ほどの、キャラクターのステータスを書き換えた際に発生する現象と同じものだった。
「なんだ、何をやってるミーリル!」
《わ、私ではありません! いったい何が……》
カインのステータスはミーリルが掌握している。だというのに、ミーリルはこの異変を全く関知できていない。
だが間違いなく、カインのステータスが書き換わっている。
「……いや、違う」
フリージアが一つの異変に気付く。
書き換わっているのはカインのステータスではない。何故なら、カインはその容姿――〝デザイン〟が変質していっている。ステータスを変更しただけではこんなことは起こらない。
つまりカインとは全く異なったデータが、カインに上書きされていっているのだ。
「そんなこと、あり得るわけ……他のキャラクターとの互換性などあるはずが……」
狼狽するフリージアだが、そこで一つの可能性に行き着く。
もしカインが今まさに〝別のキャラクター〟に変貌しようとしているのだとしたら、可能性は一つしかない。
――カインでありながら、カインとは別のキャラクターとしてプログラム内に設定されているデータ。
そんなものはこのゲームの中に存在していなかった。いや、正確には〝まだ実装されていなかった〟。
だがメンテナンス終了と同時に反映される、『ここ』。
この『歪み』の中にのみ存在しているデータがあった。
「……まさか、800万ダウンロード記念のイベントに……このアップデートの中に……実装されていたのか」
――それはカインにとって二度目の……そして、一度目とは比較にもならない程に大規模な『アップグレード』。
やがて発光は止み、カインは生まれ変わったその姿をフリージアの前に晒した。
炎のように赤く逆立った頭髪。細部まで拘って描き込まれた煌びやかなマント。美しく輝く剣。そしてそんなカインを祝福するかのように周囲を浮遊する灼熱の炎たち。
――究極進化。
スーパーレア『紅蓮の剣士カイン』。
それがこの800万ダウンロード記念アップデートに実装されていた、カインの新たなる姿だった。
《だめですフリージアさん。あのキャラクターは『レアキャラクターのカイン』ではありません。こちらからステータスを操作できません!》
「……ふざけるな。なぜ、なぜお前が……!」
疾走するフリージア。白刃が奔る。だが、
「――おおッ!」
交差する刃。カインの放った一撃に弾かれるフリージア。
「な……!」
それは今までとは比較にもならない威力だった。
全力のフリージアの攻撃を以てしても怯まないカインを見て、もはや両者にステータスの差などないことをフリージアは悟る。
「ふざ――けるなッ!」
目にも留まらぬ連撃。だがその全てにカインは反応して見せた。
闇を斬り裂く二つの軌跡は、激突する度に激しい火花を散らす。
属性の有利があって尚、フリージアはカインを切り崩せずにいた。そしてカインもまた、フリージアを打倒するには一歩ステータスが足りなかった。
両者の剣撃は決め手を欠いたままひたすらに加速する。
その速度はもはやミーリルでは追いきれないほどだった。幾重にも折り重なる刃の煌きとぶつかり合う鉄が起こす火花が、漆黒の世界をジグザグに照らし出す。
永遠に続くと思わせる攻防に、しかしフリージアは敗北の予感を感じ取る。
このまま斬り合えば、やがて両者のスキルゲージは溜まりきってしまうだろう。だがフリージアにはカインを倒せるようなスキルはない。
しかしカインは違う。カインのスキルならば、フリージアを一撃で倒すことができる。このまま斬り合えば、敗れるのはフリージアだ。
焦燥感に身を焦がされ、フリージアは狂ったように剣を振るい続けた。
それに辛うじて食らいついていくカイン。
どんな想いも、叫びも、ステータスには影響しない……フリージアはそう言った。だがそうではないとカインはこのとき知った。
スーパーレアになったとはいえ、属性の不利を背負ったままフリージアの苛烈な攻勢を凌ぐことができているのは、きっとステータスを超える想いがカインの中にあるからだ。
創生旅団の者たち。世界に見捨てられ、存在を否定され、それでも仲間のことを想い、恐ろしいスーパーレア達に果敢に挑んだ彼らの顔が脳裏をよぎる度、カインの剣撃はフリージアの攻撃を弾き返した。
騎士団の者たち。この世界を愛し、この世界を守るために戦い続けた彼らの姿を思い出す度、カインの剣撃はフリージアを怯ませた。
その全てを想いを無駄にしないために、カインの剣はどこまでも加速し、どこまでも強靭にフリージアを追い詰める。
フリージアの咆哮。これ以上斬り合うのは危険と感じたフリージアの決死の一撃。一直線にカインの首を狙った大振りの斬撃に、カインは勝機を見出した。
ぐっと身をかがめるカイン。すぐ頭上から聞こえる擦過音を置き去りに、フリージアの胴体に向けて体当たりを仕掛ける。
「がっ……!」
衝撃に尻餅をついて倒れこむフリージア。それと同時に、ついにカインのスキルゲージが溜まりきった。
発光するカインの身体。スキルの発動を感じ取ったフリージアだが、倒れこんだ態勢では回避が間に合わない。咄嗟に剣で防御を試みる。
だがその瞬間、フリージアは敗北を悟った。
属性も防御も意味を為さない、固定ダメージスキル。それがカインのスキルだ。
「終わりだ!」
持てる力の全てを込めて、カインの剣が振り下ろされた。
「――『ブラスト・ブレイド』!」
鳴り響いていた激しい戦闘音が嘘のように静まり返ったソースコードの中で、カインの荒々しい息遣いだけが響いていた。
戦いの熱が引いていくのを感じながら、カインは横たわったフリージアを見遣った。間違いなくフリージアは戦闘不能に陥っている。メンテナンスが明け、プログラムが復旧するまで目覚めることはないだろう。
そのとき、小さな光と共にソースコードが乱れた。光は一箇所に収束し、その光の中からキャラクターとしての姿を取り戻したミーリルが姿を現した。
「……なんだ、随分素直に出てきてくれたな」
「私では今のあなたには敵いませんから。それに……」
ミーリルはそっと視線をフリージアの方へ移した。
「フリージアさんをこのままにしておけません。ここであなたと争って時間を取られては、ソースコードに取り残されてしまいますからね」
それは事実上の敗北宣言だった。ミーリルはフリージアを担ぎ上げ、カインに背を向けて歩き出した。
「カインさん、本当にやるつもりですか?」
最後に一度だけ、ミーリルはカインに言葉を投げかけた。
「先ほども言った通り、ここに留まるということは、あなたの意識をソースコードと同化させるということです。……きっとその後もゲーム上ではカインさんのデータは残り続けますが、あなたという自我は、二度と始まりの町に戻ることはない。それでもいいんですか?」
ミーリルの問いにカインは一度だけ頷き、宙を泳ぐソースコードに手を伸ばす。
微かな光と共にカインの身体がゆっくりと消滅していく。ミーリルはそれをしばし見つめたあと、静かにカインの視界から去っていった。
戦闘によって敗北し意識を失うこと。それはこのゲームにおいて死を意味する。
だがそれはゲーム的な意味での死であって、その存在が消え去ることはないし、ダンジョンから帰還すれば蘇生する。
キャラクター同士の戦いであっても、それは確かにプログラムにとって予期せぬバグとして扱われるエラーだが、それでもプログラムが修正されれば元に戻る。
だが今からカインが行おうとしていることは、このワンダー・ブレイドという世界に存在するカインという意識を、ソースコードの中へ溶け込ませることだ。
始まりの町から更に一次元上の存在へと昇華し、二度と元に戻ることはない。それはこの世界における、本当の意味での死だ。
――だがそれでもいい、とカインは思った。
この世界が。そのシステムが。弱者を忘れ、その存在意義すら奪おうと言うのなら。
「――思い知らせてやる」
世界に抗う想いがあることを。運営が忘れ去ったキャラクター達が、それでもこの世界に生き続け、願い続けていることを。
もう二度とこんな戦争は起こさせない。もう誰にも、同じ過ちを繰り返させない。
その誓いを胸に、やがてカインの姿は光に溶け、幻のように消えた。
◇◆◇◆
メンテナンス終了のお知らせ
いつもワンダー・ブレイドを遊んでいただきありがとうございます。
以下の時刻をもちましてワンダー・ブレイドver4.0のメンテナンスが終了したことをお知らせ致します。
『20××年×月×日(日) 03:00 』
更に進化したワンダー・ブレイドの世界を存分にお楽しみください。
これからもワンダー・ブレイドをよろしくお願いいたします。
◇◆◇◆
緊急メンテナンスのお知らせ
いつもワンダー・ブレイドを遊んでいただきありがとうございます。
誠に申し訳ございませんが、下記の日時に緊急メンテナンスを実施させていただきます。
『20××年×月×日(日)07:00 ~未定』
お詫びとしてプレミアムチケットの配布をさせていただきます。
皆様にご迷惑をおかけいたしますが、ご理解とご協力をお願い申し上げます。
これからもワンダー・ブレイドをよろしくお願いいたします。
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