第14話 断罪の刃3


 すぐ傍で起こった爆発を気にも留めず、バルバトスは工場内を嵐のように駆け抜けていった。

 その道すがらすれ違ったノーマルキャラクターを三人一気に斬り捨てる。

 だがそれと同時に三方向から迫る大量の火球。三人の魔法使いから同時に放たれた『ファイヤーボール』がバルバトスに迫る。極めて広範囲。物理的に回避不可能な攻撃だ。

 バルバトスは舌打ちを一つ飛ばすと、火球に向かって剣を振りぬく。

 その剣風だけで火球は瞬く間に火の粉を散らして消滅する。


 直後、背中に衝撃。遮蔽物のせいで見えなかったノーマルキャラクターの槍が左肩に突き刺さる。

「邪魔だ!」

 振り向きざまに一斬。切り捨てた相手をろくに確認せず、バルバトスは疾走を続けた。

 工場を抜けベランダに飛び出したバルバトスは大きく跳躍。一瞬にして屋根の上まで躍り出る。屋根の上には複数の遠距離キャラクターが陣取っていた。

「うわっ!」

「き、きた! 撃てぇ!」


 一斉に放たれる無数の矢。バルバトスは回避行動をとらずに最速で接敵を試みる。

 彼らには視認もできない程の速度。一人、二人と瞬く間に斬り払われ、着実に数を減らす創生旅団員たち。

 下層での戦闘とは違い、バルバトスはもうシンシアやラティを護る必要がない。そのためバルバトスはその持前の機動力で敵をかく乱し、一人ずつ確実に仕留めていくことができる。

 地を奔り、壁を蹴り上げ、宙を舞い、縦横無尽に工場地帯を駆け抜けるバルバトス。その戦闘能力は、単騎でなお圧倒的だった。

 だが下層の戦闘と違うのはそれだけではない。バルバトスはシンシアを失ったことでヒットポイントの最大値を半分以下にまで減らしている。

 また煙突の倒壊に巻き込まれたラティは未だ生死不明だ。もし生きていても戦闘に参加できる状態か、そもそも合流できるかすらも定かではない。

 ヒットポイントが低い状態で回復も期待できないまま、バルバトスはじりじり、じりじりとその身に攻撃を受け続けていた。


 既にヒットポイントは三割を切っている。

 微妙な数字だった。もう少しでバルバトスのスキルゲージが溜まり、エアロ・シュトロームを放つことができるのだが、あのスキルは発動までに時間がかかる。

 単純にスキル発動演出が長いのだ。しかもその間バルバトスは完全に静止状態になる。

 通常のダンジョン攻略ならば攻撃はターン制のためモンスターもその演出中に攻撃してくるようなことはないのだが、創生旅団は嬉々として全力攻撃を仕掛けてくるだろう。

 よってエアロ・シュトロームを放つためには数秒間、敵からの攻撃を無抵抗に受け続けなければならない。

 万全の状態ならばその程度なんともなかっただろうが、今のこのヒットポイントではかなり危うい。もし放てればこの場にいる全てのノーマルキャラクターを吹き飛ばせるが、それは危険な賭けだ。

 普段は運営に対する不満など持たないように心掛けているバルバトスだが、この時ばかりは無駄に長いスキル発動演出を作った者に嫌味事を言いたくなった。




「……すごい」

 工場の屋根からバルバトスの戦う様を目の当たりにして、リーブはそう言葉を漏らさずにはいられなかった。

 まさに戦神。紛れもなくこの世界最強のキャラクター。そう思わせるほどにバルバトスの動きは速く、荒々しい。

 繰り出される剣撃はたちまちノーマルキャラクターの命を刈り取り、壁を斬り裂き、建物の主柱を一刀両断していく。

 一○○人以上いたノーマルキャラクターは既に七割以上が戦闘不能に陥っていた。


「感心してないで攻撃続けて!」

「は、はいすみません!」

 マリーの叱責にリーブは慌てて火矢を放つ。その矢がバルバトスに命中。スキルゲージが上昇し、マリーが三度目のスキルを放つ。

「『ファイヤー・アロー』!」

 か細い炎の矢がマリーの杖から発生し、バルバトスを襲う。だがバルバトスは背後から迫ったファイヤー・アローを目視してから軽々と回避してみせた。

「もう! 私のスキル弱すぎでしょ!」


 悪態を吐くマリーは、しかし次の瞬間恐怖に息を呑んだ。

 バルバトスが周囲の敵を狩り尽くし、マリー達を見据えていた。間違いなく次の目標として認識されてしまった。

「やばい、逃げるよ!」

 急いで場所を移動しようとするのも束の間。バルバトスは悪夢のような速度で地を蹴り、ものの数秒でマリー達が占拠していた工場の屋根まで上ってきた。

「ちょ――」


 マリーとリーブにとって初めて間近から向けられるスーパーレアからの殺意。

 それがバルバトスのものともなると、うっかり失神してしまう程の威圧感だった。

「うおりゃああああああ!」

 そこへ、一人のキャラクターがバルバトスへと飛びかかった。マリーと同じパーティ、剣士ミルドだった。

「『フレイムソ――」

 バルバトスは目もくれずに、走るついでのように蹴りを放つ。その蹴りはミルドの腹に直撃し、ミルドはサッカーボールのように吹っ飛んでコンテナに激突した。

「リーブ、逃げて!」

 マリーはミルドが作った一瞬の隙にリーブを突き飛ばした。


 突然の衝撃にリーブは抵抗できないまま屋根の上から放り出された。地上数メートルから突き落とされたが、リーブはなんとか軽傷で済んだ。マリーなりにリーブを逃がしたつもりなのだろう。

 それとほぼ同時に上空から聞こえてくるマリーの悲鳴。リーブは悲痛な面持ちで必死に逃走しようと試みるも、恐怖で思うように足が動かなかった。

 それをバルバトスが見過ごすはずもなく、バルバトスは颯爽と屋根から飛び降り、リーブの目の前に着地した。

「あ……ぁ……」

 逃れようのない死の予感にリーブが肩を震わせたそのとき。

「――ッ!?」

 不意にバルバトスが背後を振り向く。何事かとつられてリーブもその方向を向く。


 そこには、バルバトスに向かって剣を振り下ろすカインの姿があった。






「カイン――創生旅団……なの?」

 ラティの問いに含まれる感情がいったい何なのか、察することすらカインには躊躇われた。

 失望。軽蔑。憐憫。……どれであってもカインには耐えられない。

「そうだ」

 だからカインは努めて感情を殺して、せめて自分の内に燻る醜い感情だけはラティに悟らせまいとした。

「どうして……」

「……ラティには分からないさ」

「だから訊いてるんでしょ!? どうしてカインがこんなバカなこと!」

 バカなこと。ラティにはカインの行動はそう映るのだろう。私欲に塗れ、革命戦争によって無理矢理に自身の価値をもぎ取ろうなど。


「強くなりたい。それだけだ」

「どうして」

「強くならなきゃ何も守れない。何も得られないんだ」

「こんな革命で得た力で何を守るっていうの? そんなの何の意味もないよ!」

「お前だって同じだろうが!」

 カインの怒声にビクリと身を震わせるラティ。


「お前だって結局、自分の地位を守るために戦ってるんだろ。同じだろ、創生旅団も、騎士団も。こんな世界……スペックだけが全てじゃねえか!」

 ――違う。こんな話がしたいんじゃない。

 ただラティが好きで……彼女に振り向いて欲しくて。空いてしまった溝を埋めたくて。

 カインの戦う理由なんてただそれだけだった。だがそれだけがどうしても伝えられない。

 バルバトスへの嫉妬に汚れた想いを。スーパーレアへの劣等感に歪んだ心を。ラティにだけは晒したくなかった。


「違う……私は、この世界の秩序を守るために」

「秩序? なんだそりゃ。『序列』の間違いだろ? 強いやつが弱いやつを虐げるのがお前の言う秩序か?」

 歯止めが利かなくなり加熱するカインの苛立ち。それをまるで憐れむかのように、哀しむかのように見つめるラティの視線が、何よりもカインを揺さぶった。


「どんなキャラクターにも、そのキャラクターにしかできないことがある。皆何か意味を……目的をもって作られたキャラクターだから……だから、その役割を果たさないといけない……」

「ハッ。誰かの受け売りか? バルバトスあたりの? ああ、あいつはいかにも言いそうだな」

 ラティの言葉をカインは嘲り笑った。

 まさに強者の言葉だった。弱者は弱者として、強者の踏み台としての一生を全うしろ、とラティは言っているのだ。

 それがもしバルバトスが発した言葉をそのまま使っているのだとしたら、尚更腹立たしい。

 ……だがラティはふるふると首を振って否定した。


「カインが……言ったんだよ?」

「……え?」

 思いもしなかった返答に戸惑うカイン。ラティはそのカインの反応を哀しむように続けた。

「忘れたのカイン? 昔、私が不人気キャラだったときに、カイン言ってくれたじゃない。自分のスペックを嘆いたって仕方ないって。私にしかできないことがあるって。私たちはゲームキャラクターだから、その役目を果たして、皆でこのゲームを盛り上げていこうって……」

「…………」


〝――俺たちがスーパーレアキャラクターの引き立て役だっていうなら、それはそれで俺たちにしかできないことだ〟


「……」


〝――皆、自分の役割があるんだ。俺たちは誰だって、何か意味を……目的を込めて作られたキャラクターなんだ。なら、俺たちは俺たちにできることを精一杯やって、そうやって皆でこのゲームを盛り上げていこうぜ〟


「……」

 それは今となっては思い出すことも難しいような、遠い記憶のように感じた。


 だが確かに……カインはラティにかつてそう言った。

 覚えている。それは二人が確かに交わした想いだったはずだ。その言葉で、二人は同じ想いを共有していたはずだ。

「……お、お前だって、いつか俺みたいに思うときがくる。綺麗事なんか意味ないって……高いスペックが欲しいって」

「そうかもしれない。でも、もしそうなっても私は絶対に創生旅団になんか入らない」

 苦し紛れに絞り出したカインの言葉など、ラティにはまるで通じない。

 確かな決意と共にラティは自らの信念を口にした。


「私だって分かってる。今のこのパワーバランスだっていつか崩れて、新しいスーパーレアが追加されて、私はいつか出撃できなくなる。私だけじゃなくて、きっとバルバトス様だってそう」

「それを……受け入れてるっていうのか?」

「そうだよ。私も。バルバトス様も」

「どうして……」

 まるで納得できないカインの問いに、ラティはひっそりと笑って答えた。


「――だって私、このゲーム大好きなんだもん」


 眩しいほどに微笑むラティに……カインは自身の根幹を揺るがすほどの絶望を感じた。

 その光に、自分の醜さを全て暴き出されていくような恐怖すらあった。

「もっと多くのプレイヤーの人に、この世界を楽しんでほしい。いろんな人が、一生懸命に私たちを作ってくれた。この世界を作ってくれた。その人たちの願いを守りたい。私たちの勝手な都合で、好き勝手に壊してほしくない。それが……」

 それが、秩序。

 この世界に生きる者としての務め。


 ――そうだ。自分もかつて、そう考えていたはずだ。それでいいと思っていたはずだ。それこそが自分の役目だと。それこそが自分がここにいる意味だと。

 その想いをラティと分かち合って、そして一緒に笑いあったはずだ。

 その日々に立ち戻りたいとずっと思っていた。また同じように笑い合いたいと願っていた。

 ラティはずっと、あの日と同じ想いを持ち続けていた。カインもそうであると信じてくれていた。


 なら、そこから遠ざかっていたのは誰なのか。空いてしまった溝は誰が掘ったものなのか。

 一人で勝手に全てを呪い、醜い嫉妬に狂い、何よりも大切な人との思い出まで汚そうとしたのは、


「――違うッ!」

 たまらず後ずさるカイン。これ以上ラティに見つめられることに耐えられなかった。

 わき目もふらずその場から逃げ出すカイン。背後からラティの呼び声が聞こえてきたが、カインは振り返らなかった。

 認めたくなかった。何が正しいのかも分からなかった。どうすればいいのか、誰かに教えてほしかった。


 革命などやめて改心するのが正解なのか? だがそれでは自分も……少なくとも多くのノーマルキャラクター達も救われない。

 では妄執のままに革命を成し遂げることが正解なのか? だがそれでは、この世界が存在する意味を……そしてかつて自分が志した全てを無に帰すことになる。

 正解など初めからないのだ。だから二つの組織は憎しみ合い、争い合い、殺し合うしかなくなった。

 カインはそのどちらにもなれないまま、ただ誘蛾灯に群がる羽虫のように、工場地帯を彷徨った。


 工場地帯では変わらず戦闘音が響き続けている。その方向へとふらふらと足を進めていると、

「――あ」

 そこにはバルバトスがいた。カインに背を向け、地面に倒れた誰かを攻撃しようとしていた。

「バルバトス……」

 つい十分程前まであれほど憎んでいた男の姿を見ても、もう何も感じない。

 ただカインの脳裏によぎるのは、ある種の期待。


 この世界のトップに君臨し続ける騎士団のリーダー。

 一方で、いずれ転落する自身の地位を受け入れ、一ゲームキャラクターとしてそれに殉じようとする男。

 相反する二つの側面の全てを許容するこの男ならば、自分に見いだせない答えへ導けるのだろうか。

 あるいは、その剣で裁かれてもいい。お前は悪だと、揺るぎない信念の下、その刃に断罪されるのならば……それもまた一つの答えなのかもしれない。


 ――教えてくれよ。なあ。


「――バルバトスッ!」


 カインの身体が発光する。マリー達の戦闘によって溜まっていたスキルゲージを解き放ち、ブラスト・ブレイドを発動する。

 直撃すれば、今のバルバトスならば確実に葬ることができる。だが逆に失敗すれば、反撃によって敗北するしか道はない。

 どちらでも構わない。どのような形でもいいからこの迷いに決着をつけたかった。

 この世界のシステムを受け入れ全てを諦めるか。それとも妄執に堕ちこの世界を穢すか。それをこの一撃にかける。


 背後からの不意打ちを察知し振り返るバルバトス。体力の著しい消耗の中にあってなお流石と感嘆するしかない反応速度。だがそれでもまだ五分。

 振り下ろされるカインの剣。それを防ごうと振り上げられるバルバトスの剣。

 二つの刃が交差する、その刹那の間。


「――バルバトス様!」


 カインの凶刃は間に割って入った何者かを斬り裂いていた。


 その瞬間、何もかもが停止した。

 時間も、心も、全てが動きを止めた。ただ視界を覆う赤色だけが見えた。

「ラ……ティ?」

 スーパーレアですら一撃で葬るカインのブラスト・ブレイドを、レアキャラクターのラティが受け切れるはずがない。

 弾け飛んだヒットポイントがゼロになるまで時間。ラティが弱々しく口を開いた。

「もう、やめて……カイン……こんなこと」


 ドサリ、と地面に倒れ伏し、それきりラティが動くことはなかった。

 呆然と立ちすくむカイン。

 停滞した時間を斬り裂いたのはバルバトスの剣撃だった。

 一切の躊躇なく反撃に転じるバルバトス。カインにそれに気づいてすらいない。


「カインさん!」

 そのとき、誰かがカインを突き飛ばした。それとほぼ同時に響き渡る小さな悲鳴。

 カインの傍へ倒れこんできたのはリーブだった。左肩から斜めに刻まれた斬撃の跡。それすら、今のカインにはほとんど見えていなかった。

 バルバトスの舌打ちの音が聞こえ、カインはそっとそちらを向いた。


「女に庇われ命を救われるなんて……情けないことだね、お互い」

 バルバトスのそれはカインにだけ向けられたものではなかった。

 侮ってはいけないと心得ておきながら、心のどこかで創生旅団を甘く見た。リリィに重要な作戦の多くを任せ、温い作戦を構築してしまい、ついにはレアキャラクターに窮地を救われるにまで至った自分をも責める言葉だった。

「カイン……ラティの馴染みか。あの日以来だね。相変わらずくだらない理由で剣を取っているようだけど」

「……お前に俺の何が分かる」

「分かるさ。君はラティが好きで、ラティは僕を慕っている。嫉妬した君は僕を超えるスペックを手に入れるために革命に参加した。それだけだ」

「……」


「それに、ラティからよく君の話は聞いていたよ。君は自分のレアリティのことなどよりも、この世界……この世界を遊ぶプレイヤーのことをいつも考えているとよく話していた。ラティやリリィ以外にもそんなことを考えられるレアキャラクターがいたのか、と僕は感心していたんだが……まあ、あの日君と会った時点で、全てはラティの勘違いだったと確信していたけどね」

 あの日、たった一刃だけ剣を交えたあの夜に、バルバトスはカインの心の本質を見抜いていた。そして落胆と共にカインへの興味も失せていた。


「お前は……納得できるのか? いつかお前よりも強いスーパーレアが追加されて、出撃できなくなって……誰からも必要とされなくなって……周りの見る目も変わってくる。落ちぶれた自分を嘲笑うように見てくる。お前はそれに耐えられるのか?」

「当然だ」

 バルバトスは即答した。

「ガチャには必ず外れが必要だ。当たりだけが出るガチャなど、それこそ運営にもプレイヤーにも害でしかない。そんなゲームは速やかにパワーインフレし、過疎化し、やがて終了する。少数の当たりと多数の外れ……その有り方自体を否定することはできない。その外れ役を僕にしろと言うのなら、僕は一向に構わない」

「……なんでだよ。なんでそう割り切れる」

「誰かがやらないといけないからだよ。それが僕たちの……この世界に生きる全てのキャラクターの責任なんだ。君たちは出撃したいわけでもプレイヤーに選ばれたいわけでもない。ただその責任から逃れ、外れ役を誰かに押し付けたがっているだけだ」

「……」


 外れを押し付けたがっているだけ。それはまさしくこの創生旅団という組織の本質を突いていた。

 誰がどれだけ強くなろうと、出撃できるのは四人だけ。その事実は変わらない。この組織は、その理念から既に矛盾していると言っても過言ではない。

 たとえ出撃できなくてもいいから、仮初でいいから、高いスペックが欲しい。見せかけの地位が欲しい。ここはそんな、どん詰まりに陥った願いで溢れた者たちの戦場だった。


 カインはそんなものを望んだわけじゃない。

 だがカインの望み……それ自体も欺瞞に過ぎなかった。カインの願いは、こんな革命で手に入るものではなかった。

「……じゃあ俺のやっていたことは……なんなんだ」

 もうカインの中には何も残っていなかった。

 目的を見失い、願いを汚し、大切な女性すらその手にかけたカインはただ項垂れたまま地面を見つめていた。


「――君はもはや創生旅団ではない」

 そんなカインを睥睨していたバルバトスは、そっと背を向け歩き出した。

「無論、騎士団でもない。何者でもない……ただの抜け殻だ。――失せろ。ここは君のような者がいるべき場所じゃない。少なくとも、信念を持って戦う者たちの戦場だ」

 手にかける価値すらない亡者。バルバトスはカインをそう評価した。

 今もこの場で自らの願いのために懸命に闘うノーマルキャラクター達にすら遥かに劣る脆弱な存在だと。


 バルバトスならば自分を答えに導くか、あるいは引導を渡してくれるのではと期待していた。だがバルバトスはそれすら叶えることはなく、ただ冷え切った視線でカインを突き放した。

 そうして戦場に舞い戻っていくバルバトスの背を、カインはぼんやりと見つめていた。

 やがて工場地帯からあらゆる音が消え去るまで、そうしていることしかできなかった。





「――――」

 ……どれくらいの時間そうして呆けていたのかカインにも分からない。随分と長い時間が経ったようにも感じたが、実際にはほんの数分だったのだろう。

 そのわずかな時間で、気が付いた時には工場地帯の戦闘は終結していた。


 度重なる戦闘と遠距離攻撃の雨によって残骸の山となった工場地帯は、ただ静寂によって支配されていた。

 もう攻撃を行う者など誰もいなかった。火の粉と粉塵、土煙がいつまでも舞い続け、地面に突き刺さった無数の剣がまるで墓標のように立ち並んでいた。


 そこはまさしく地獄だった。

 同じ世界……たった数百人しかいないキャラクター同士で、憎み合い、殺し合い、自分たちの世界をボロボロに破壊し尽くした果ての姿がこれだ。

 バルバトスはカインが放心している間も戦い続け、ついに工場地帯に配備されていた計一一七名の創生旅団員全てを道連れに倒れた。


 後に残ったのはカインだけだった。創生旅団でも騎士団でもない、ただの抜け殻と評された男が、たった一人。

 バルバトスの言っていたことは、きっと完全無欠な正論なのだろう。今となってはそれを認めざるを得ない。

 ではそれに立ち向かった、今この場に眠る多くのキャラクター達の願いは間違っているのだろうか。……カインは決してそうは思わない。

 以前、下層でミルドやマリーやリーブと語り合ったあの願いを間違いだなんて言わせたくない。


 間違いがあるとすれば……それはこの世界のシステムそのものではないのか。

 強者だけが華々しく活躍する中で、この世界のシステムは弱者を全く顧みようとしなかった。それこそがこの地獄を生んだ原因ではないのか。

 いつかミーリルは言った。この戦争はスーパーレアに挑むものではなく、世界のシステムそのものに挑む戦争だと。


 ……だが、実際はどうだ。自身のスペックを高め、地位を獲得することは、つまるところこの世界のシステムが用意した仕様の中で成り上がるというだけだ。結局システムに隷属していることに変わりはない。

「……それが間違いだったのか?」

 自分を救うために誰かを犠牲にする……そんな解決方法しか誰も思いつけなかったから、この世界は地獄になったのか。こんなにも空虚な戦争が起こったのか。


 騎士団も。創生旅団も。スーパーレアもレアキャラクターもノーマルキャラクターも。プレイヤーも運営も。この世界そのものも。

 全てを救うような手段でなければ、きっとこの戦争は何度でも起こる。

 どれほど騎士団が強大になり、創生旅団に勝ち目がなくなったとしても、創生旅団はメンテナンスの度に戦争をしかけ続けるだろう。

 誰かが挑まなくてはならない。この世界に。システムに。それにはきっと想像も及ばないような苦痛を伴うのだろう。


〝――その外れ役を僕にしろと言うのなら〟


「――ああ、構わない」

 それが自分にしかできないことなのだとしたら、やってやる。


 その時、近くの物陰で何かが倒れる音がした。

 破壊された瓦礫が崩れる音と、その付近で誰かが歩く音。

 目を凝らすと、そこには一人の少女がいた。闇のような黒装束に身を包んだ少女。フリージアのパーティメンバー、リリィだ。


 リリィは既に瀕死の状態なのか、よろよろと危なげな歩調で歩みを進め、やがて地面に倒れ伏したバルバトスの元までたどり着いた。

「……そんな」

 リリィは絶望に濁った声音でそう呟くと、がくんと膝をついた。

 カインはそこへゆっくりと歩み寄り、静かに声をかけた。


「どうかしたのか」

 不意にかけられた声に驚くリリィ。それがカインのものだと気付くと、わずかに警戒を見せた。

「あなたは……カインさん、ですか。バルバトスさんを……倒したんですね」

「俺は何もしてないけどな。バルバトスに何か用なのか?」

 その問いにリリィは答えるべきか一瞬悩み、だが既にもう希望は潰えたと理解したのか、ぽつぽつと語りだした。


「……フリージアさんが『歪み』を見つけました。止められる人は誰もいません」

「そうか。ちょうどいい、俺も『歪み』に用がある。『歪み』はどこだ?」

 リリィは皮肉交じりに笑った。

「無駄ですよ。フリージアさんは貴方たち創生旅団員のことなど眼中にありません。改竄するのは自分のスペックだけです。あなたたちは騙されて……」

「そんなことはどうでもいい。誰のステータスも改竄させない」


 リリィは呆気にとられたように目を丸くした。

「あなたは……創生旅団、なのでしょう?」

「違う。フリージアは止めるけど、旅団員の願いも潰えさせない。俺はもう創生旅団でも騎士団でもない。ただこの世界に……弱者に目を向けようとしないシステムに、もう一度、皆のことを思い出させてやる」

「何を……何を言ってるんですか? 『歪み』の中で何をするつもりなんですか?」


 カインは今度こそ、自らが辿り着いた答えを口にした。



「俺はこの世界を――創生する」

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