第13話 断罪の刃2


「ほう、これは好都合だ」

 倒壊した煙突を見遣ったフリージアは喜ばしそうに呟いた。

 巨大な煙突がラティとバルバトスを完全に分断していた。倒壊に巻き込まれた周囲の建物の残骸によって他の道も塞がれている。バルバトスとラティが合流するには少なくない時間がかかるだろう。


 迫る白刃。二本の刃が幾重も交差し、闇夜に銀の軌跡を刻む。

 バルバトスの攻撃は苛烈を極めた。一撃の重さは想像を遥かに超えており、フリージアは浴びせられる連撃をどうにかやり過ごすので手一杯だった。

「――リリィが騎士団のスパイだと気付いていたわけか」

 剣撃のさなか、バルバトスは鋭い眼光を光らせながら言った。

 一向に訪れない増援に、ある筈のないゲート付近の爆発。バルバトスは作戦が見抜かれていたことを理解した。


「ほう? リリィこそが創生旅団のスパイだった、とは考えないのか。余程信用しているようだな」

「僕の目はそこまで節穴じゃない」

 激しい金属音。ぐ、と呻きながらフリージアは勢いよく後方へと押し飛ばされる。

 追い立てようとするバルバトスへと、ノーマルキャラ達の援護射撃が降り注ぐ。

「ちっ、邪魔だ!」

 迫る攻撃を弾き飛ばす。その隙を見て大きく跳躍するフリージア。工場地帯を囲う壁の上へと登り立ち、剣を鞘に納めた。

 明らかに戦闘を放棄しようとしているフリージアにバルバトスが声を荒げる。


「逃げるのかフリージア!」

「当たり前だ。お前とまともに斬り合うなど冗談じゃない」

 侮蔑の念すら込めたバルバトスの声を事もなげにあしらうフリージア。

「安心しろ。お前の相手はそこら中にいるさ。お前なら造作もないだろう?」

 小馬鹿にするように軽く笑うと、フリージアはそのまま壁を下り姿を消した。


「……」

 そうして残されたのはバルバトスと……無数のノーマルキャラクター達。

 バルバトスの作戦は完全に失敗した。

 伏兵として用意したスーパーレアは信じがたいことに三人とも倒されたらしい。しかもシンシアを失ったことでそのアビリティスキルも無効化され、バルバトスのヒットポイントは著しく減少した。

 そして倒壊した煙突のせいでラティとは分断させられ、回復すらままならないという状況。周囲に溢れる数多の殺気に、バルバトスは一人その身を晒していた。


 撤退の選択肢が脳裏をよぎる。別のパーティと合流できればまだ活路が見いだせるかもしれない。

 だがそれは同時に、ここにいるノーマルキャラクター達を全て他の交戦地域に解き放つという意味だ。そうなればもう収集がつかなくなる。創生旅団に『歪み』を発見される可能性は極めて高い。

 さらにここでバルバトスが撤退すれば、残されたラティはまず生き残れない。騎士団の戦力は更に縮小することになる。


 勝機があるとすれば……ここで全てのノーマルキャラクターを倒すこと。

 バルバトス自身も無事では済まないだろうが、少なくとも一○○人もの人手を消し、創生旅団の探索力を大きく弱めることができる。依然フリージアは自由に動けるが、一人で探索できる範囲などたかが知れている。

 こうなってはもはや、他の交戦地帯で騎士団が善戦し、創生旅団に探索する余裕を与えず、フリージアも『歪み』を発見できないままメンテナンスが終わるのを期待する……それが最善の手だとバルバトスは判断した。

「……いいだろう」

 粉塵と火の粉の舞う工場地帯に翠緑の瞳が光る。迫りくるどの攻撃よりも尚速くバルバトスは疾走した。




 工場地帯から脱出したフリージアは、全ての作戦が上首尾に運んだ手応えを感じていた。

 バルバトスパーティはほぼ壊滅。伏兵も始末し、他の交戦地域の戦況も拮抗している。

 おそらくバルバトスならば単騎ですら工場地帯のノーマルキャラクターを道連れにできる可能性があるが、それはフリージアにとって何ら問題ではない。

 重要なのは、今や創世旅団、騎士団ともに全てのキャラクターが満足に動くこともできない状況にあるということだ。目の前の交戦以外に意識を向けることすらできない。……バルバトスですら。


 もう何者もフリージアを妨げる者はいない。


 そのとき、フリージアは自身へと接近してくる気配を感じ取った。黒いローブを纏った女性、ミーリルだった。

「戻りました。フリージアさん」

 メンテナンスからずっと姿を眩ませていたミーリルがようやくフリージアの下へ帰還した。

「『歪み』は見つかったか?」

「いいえ、ありませんでした」

 ミーリルの姿が見えないことを訝しんでいたリリィだったが、その実ミーリルが行っていたことは紛れもなく『歪み』の探索でしかなかった。リリィの懸念はある意味拍子抜けだったと言える。


 そしてそれも空振りに終わったという報告を受け――フリージアは満足げに頷いた。

「こちらにもなかった。ということは……」

「はい、決まりです」

 勝利のための最後のピースが埋まったことを確信するフリージア。

 そのとき、背後で小さな物音を感じて二人は同時に振り返った。


「フリージアさん!」

「……ん?」

 振り返ると、そこにはリリィに肩を貸しながら必死にフリージアの後を追ってきたディーンの姿があった。

 リリィはほとんど虫の息だったが、かろうじて意識はあるようだった。リリィ程度のレアキャラクターなら一撃で始末できると予想していたフリージアがわずかに驚いたように「ほう」と息を吐いた。


「なんだ、意外としぶといな。――いや……くく、なるほど。そうだった。『聖騎士の輝き』を使ったんだったな」

 自嘲するフリージア。

 パーティメンバーの防御力を一時的に上昇させるスキルだが、今回の作戦においては奇襲の際の合図としか捉えていなかった。

 ダンジョンへの出撃の際に使うことなどほとんどなかったため、彼女自身その効果をほとんど失念していたことに、何とも言えない複雑な笑みがこみ上げてきた。


「ミーリル、お前は先に行け。私はこいつを片付けてから行く」

「わかりました」

 音もなく去っていくミーリル。それには目もくれず、ディーンはただフリージアに向かって叫んだ。

「フリージアさん、どういうことだよこれ! なんでリリィを!」

 未だに現状を把握できていないディーンは動揺を隠しきれない様子で吠えかかる。

「なぜも何もない。そいつは騎士団のスパイだ」

「な……」

 ディーンは信じられない様子でリリィを見遣る。視線を逸らすリリィ。


「どけディーン。とどめを刺す」

「ま、待ってくださいよ! そんなこといきなり言われたって……」

「私がスパイだと……なぜ分かったのですか」

 リリィは息も絶え絶えに尋ねた。

 今バルバトスが陥っている窮地はリリィの責任と言っても過言ではない。なぜリリィの暗躍が暴かれたのか、そこだけが解せないようだった。

 その点ではリリィは決して間違っていない。フリージアは最後までリリィがスパイだという証拠を見つけることができなかった。リリィの暗躍はほぼ成功していたと言っていい。

 ただ、


「お前はあまりにも欲がなさすぎた。自分のスペックを上昇させることに対して無頓着……というか、そもそも創生旅団の考え方を毛嫌いしている雰囲気すらあった」

「そ、そんなこと……」

「ああ、言葉の上では我々に賛同していた。だからこそとりわけ内面とのギャップが浮き彫りになっていた。お前がもう少し野心的であればまた結果も変わったかもな」

 そこで初めて、リリィは創世旅団という組織を見誤っていたことに気づいた。


 創生旅団の者たちのスペックへの執着は、リリィの想像よりも遥かに強かった。いや、創生旅団、騎士団を問わず、自身のスペックはこの世界において何よりも重視すべきもの。創生旅団員ともなれば、皆表には出さずともどこかギラついた執念をふと垣間見せることがある。

 リリィにはそれがない、とフリージアが感じたのならば、それは決して弱い根拠ではない。

 スパイでありながらそんなことすら失念していた自分にリリィは悔しげに唇を噛む。だがその視線だけは厳としてフリージアを見据えていた。


「当たり前じゃないですか……」

「ん?」

「あなた達の革命になんて、賛同できるわけないじゃないですか……!」

 怒りを露わに叫ぶリリィ。

「私たちはゲームキャラクターなんです。この世界に生まれて、生きて、多くのプレイヤーの人にこのゲームを楽しんでもらうために存在してるんです! どんなキャラクターにだって意味があるんです。それを……自分たちの都合でゲームを崩壊させるなんて、許されるはずない!」

 真摯にそう訴えかけるリリィに、フリージアはぱちぱちと乾いた拍手を送った。


「ご高説賜ったよ。その素晴らしい演説にバルバトスも惚れ込んだんだろう。では今度は私の演説を聞いてもらおうか」

 フリージアはすっと息を吸い込むと、冷え切った眼差しで微かに空を仰いだ。

「私はこの世界が大嫌いだ。このシステム、運営、お前たちキャラクターのことも。全部大嫌いだ。こんな世界に私は何の遠慮もするつもりはない。いっそサービスが終了してしまえばいいとすら思ってるよ。誰も出撃しなくなればスペック格差も生まれないしな」

「……狂ってる」

「テロリストの主張などいつの時代もこんなものだ」

 もはや何を言っても無駄だと悟るリリィ。

 もう誰もフリージアを止めることはできない。どこの交戦地域も激戦だ。フリージアに対処できる者など誰もいない。


「……それでも、勝つのは私たちです」

「ほう?」

「バルバトスさんは一人でだって、きっと工場地帯のノーマルキャラを狩り尽くしてみせます。他の交戦地域のスーパーレアだって、きっとあなた達に遅れはとらない。あなた達に『歪み』を見つけ出すことなんて、できない!」

 血を吐くように叫ぶリリィに、フリージアは鼻を鳴らして失笑した。



「『歪み』の出現場所などとうに見当がついている。この戦争が始まる前からな」



「な……!」

 絶句したのはミーリルだけではない。ディーンにとっても初耳であり、この戦争の意義そのものを揺るがす大きな衝撃だった。

「ど、どういうことだよフリージアさん。『歪み』の場所を知ってるって?」

「……でまかせです」

 断固として信じようとしないリリィ。そんなことが有り得るはずがない。だとすればこの戦争はいったい何だというのか。何のために多くの者が血を流しているというのか。


「『歪み』が発見されたのは二回……中央ゲートの奥と、兵舎の裏です。そんな少ない情報でどうやって『歪み』の発生場所を割り出すっていうんですか」

「逆だ。〝情報が少ない〟……それこそが何よりも大きなヒントだったのさ」

 フリージアの言葉が全く理解できず、リリィの困惑は続く。

「もし『歪み』がメンテナンスの度に発生するのだとしたら、逆になぜ今まで〝二回しか『歪み』は発見されなかった〟? リリースから一年が経ち、その間何度もメンテナンスは行われたのに」

「……それは」

「始まりの町は広いようで狭い箱庭だ。数百人ものキャラクターがひしめく中、今までほとんど発見例がないというのは、偶然とは考えづらい。つまり、〝メンテナンス中はキャラクターが立ち寄らない場所〟に『歪み』が出現する、ということだ。では通常時とメンテナンス時の最も大きな違いはなんだ」


「――プレイヤーがいない」

 リリィの呟きに、あ、とディーンも声を漏らした。

「そういうことだ。つまり、『プレイヤーが操作しなければキャラクターが立ち寄らない場所』に『歪み』は発生する。さて、それはどこかというと」

 もったいぶるフリージアだが、リリィは既に真相に辿り着いていた。そしてたちどころにこの戦争の意味と、フリージアの本当の狙いに気付く。


「……メインメニュー画面」

「そうだ。ワンダー・ブレイドのメインメニュー画面からプレイヤーが移動できる場所の内のどれか。そこに『歪み』は発生すると私は踏んだ。まずは発見例のあった中央ゲートと兵舎。そして……」

 メインメニュー画面からプレイヤーが選択できる機能は五つ。

 出撃。パーティ編成。ガチャによるキャラクター召喚。武器精製。そしてコンフィグ。

 まずコンフィグはシステムの話なので、この町には関係がない。とすると候補は四箇所。


 『歪み』が発見された二箇所、中央ゲートと兵舎は、それぞれ出撃とパーティ編成の際に移動する場所であると同時に、プレイヤーが選択しなければキャラクターにとっては用のない場所だ。確かに辻褄は合っている。

 となると残る候補は二つ。召喚と武器精製……つまり、


「神殿と、工場地帯……!」

「そう。それら四つの内のどこかに『歪み』が発生する。だが神殿はお前たち騎士団が占拠してアジトにしているし、工場地帯は少数では探しきれないほどに広大すぎる。だからミーリルにはメンテナンス開始と同時に中央ゲートと兵舎を捜索させ、工場地帯は多数のノーマルキャラに探索させ、私がそれを見張った」

 もし工場地帯に『歪み』が発生した場合は多少厄介なことになっただろうが、ノーマルキャラクターはバルバトスパーティとの戦闘で手一杯になる。その隙にフリージアがソースコードを改竄する予定だった。


 だが実際にはその箇所のいずれにも『歪み』は発生していなかった。ということは、消去法で『歪み』の発生場所は既に特定されているも同然だ。

「『歪み』は……神殿に」

「ああ、今ミーリルが向かっている」

 メンテナンス終了までまだ三○分程も残っている。ここから神殿に向かいソースコードを改竄するには十分な時間だ。そして、それを止められる者は誰もいない。


 何から何まで、全てフリージアの掌の上で踊らされていたのだと理解し、リリィは歯を噛みしだく。だがフリージアはむしろ自嘲するように小さく笑った。

「とはいえ、自慢にはならんがな……。私も初めは町中を虱潰しに探すしか手はないと思っていた。もっと早くこのことに気づいていれば、創生旅団など立ち上げるまでもなかった。だがそうと気づいたときには既に騎士団が発足され、あろうことか神殿を占拠された……だから全面戦争を起こして、神殿から全てのスーパーレアを出払わせる必要があった」

 それこそがフリージアの最終的な狙いだった。


 フリージアは初めから探索も交戦も重視していなかった。フリージアにとって何よりも重要なことは、『歪み』の出現位置の候補である神殿からキャラクターを消すことと、その上で全ての交戦地を拮抗させ、誰も自由に動けないようにすること。ただそれだけだった。

 眉間に皺を寄せ険しい表情を見せるリリィとは違い、ディーンはやや戸惑いながらもフリージアの言葉を好意的に聞いていた。

 形はどうあれ、フリージアは完全に騎士団を出し抜いたことになる。それ自体は喜ぶべきことだ。


「じゃあ、この戦争は創生旅団の勝ち……ってことっすか?」

「そうだ。まあ、懸念材料はほとんどバルバトスだけだったがな。もし工場地帯に『歪み』が発生していたら、バルバトスを完全に倒す必要があるし、かといってノーマルキャラが多く残った状態で勝利することもできない。その匙加減には苦労させられた」

「…………? どうしてノーマルキャラが残った状態で勝っちゃいけないんすか?」

「何故って、『歪み』が見つかってノーマルキャラが殺到したら、そいつらのスペックも上げざるを得ないだろう」

「……え?」

「……」


 唖然とするディーンと、汚らわしいものを見るようにフリージアを睨み付けるリリィ。

「いや、だって……もともとそういう話だったじゃ……」

「ディーンさん。フリージアさんは初めからそんなつもりなかったんですよ。創生旅団のメンバー全員のスペックを上げるなんて嘘っぱちなんです」

「なっ……」

 愕然とするディーン。

「……俺たちを、騙してたのか?」


 だがフリージアはそんなディーンをこそ胡乱げに見返した。

「まさかとは思っていたが……お前たち、本当に何百人ものキャラクターを一斉に改竄するつもりだったのか? 私は『歪み』を見つけたキャラクターは大多数が抜け駆けを企んでいると思っていたが」

 だからこそ可能な限り旅団員が『歪み』に遭遇しないように交戦地帯を設定し、唯一可能性のあった工場地帯では多くのノーマルキャラクターを配備することで、互いを監視させた。

 一パーティを四人にしたのも、スパイへの抑止力、騎士団との交戦、という建前以上に、パーティメンバーが抜け駆けをしないように監視し合う意味合いもあった。

 もし抜け駆けをしようとする者がいても、あれだけ多くのキャラが密集していれば必ず発見され騒ぎとなる。あとはそれをフリージアが監視していればいい。


 だがディーンはそんなフリージアの打算こそあり得ないというように首を横に振った。

「違う……誰もそんなこと考えちゃいない。あいつらは……いや、俺だって。生まれたときから負け続けて、誰かの踏み台で、スーパーレアの引き立て役で……だから、だからこそ同じ境遇の奴の痛みが分かるんだ。だから皆必死だったんだ。自分だけじゃなくて、自分と同じ苦しみを味わってきた奴らも救われるって信じてたから……!」

「皆で救われる? どうやって? 出撃のパーティメンバーに入れるのは四人だけだ。全員で強くなろうが、その中でも格差は生まれる。スーパーレアにすら〝外れ〟がいるようにな」

 その言葉に関してだけはディーンは押し黙るしかなかった。フリージア以外の誰にも出せない重みがあった。


「私はそんな馴れ合いには全く興味ない。この戦争の勝者は、極少数であるべきだ」

「……」

「無駄話が過ぎだな。リリィをこっちに寄越せディーン」

 フリージアもまた譲る気はない。あとはこの場でリリィを排除し、神殿に向かうだけだ。

 ディーンは沈黙したままリリィをそっと地面に下ろす。リリィが諦めたように俯いたその時。


「――逃げろ、リリィ」


 鞘から剣を抜き、ディーンはフリージアに立ち塞がった。

「……え?」

「……ディーン」

 当惑するリリィと、双眸を細めるフリージア。

「逃げろ。逃げて、誰かに……そうだ、バルバトスにこのことを伝えるんだ! フリージアを止めるんだ!」

「ディーンさん……」

「ディーン、何か勘違いしてるようだが、私は何も私だけのスペックを上げるつもりはない。ミーリルも、お前も。もしスパイじゃなければリリィのスペックも上げるつもりだったんだぞ」

「あんたの言うことなんて信用できるかよ」

「ふ……まあそれもそうか」

「……行け、リリィ」

「でも……」

「行けッ!」


 叱咤するディーンに、リリィは瀕死の身体を懸命に鞭打ち立ち上がる。

 背を向け走り去ろうとしたそのとき、フリージアが旋風のように駆け出した。

 一息の内にリリィに肉薄し、次いで振り下ろされる剣。リリィにはほとんど残像しか見えない一撃を、即座に間に割って入ったディーンの剣が受け止める。

「ぐっ……!」

 レアキャラクターに過ぎないディーンには重すぎる一撃に、両足が耐えかねて震えだす。

 一瞬、ディーンに加勢すべきかという葛藤がリリィの中に生まれる。だが、

「っ……すみません、ディーンさん!」

 一度だけ詫びを残し、リリィは工場地帯に向かって走り出した。


 それを嘆息交じりに見送るフリージア。

「どうあっても退かないか」

 勝負になどなるはずもない。大した時間稼ぎにもならないことはディーンにも重々承知だ。だがそれでも、ディーンは一歩も退かなかった。

「あんただって同じだったはずだ……俺達と同じ気持ちだったはずだろ。だから皆あんたについてきたんだ。俺もそんなあんただったから……全員が救われるって聞いたから!」

「一度にそんな改竄を行ったらいくらなんでも運営に修正される。全てを救うどころか、全てが台無しになるだけだ」

「うるせえ!」

 ギン、とフリージアを剣ごと押し返すディーン。


「そんな理屈はどうでもいいんだよ! 俺はいま心の話をしてんだ! どうなんだよ、あんたなんとも思わねえのかよ。皆を騙して。俺のことも騙して。自分だけ強くなって満足なのかよ!」

「心?」

 フリージアは一瞬だけ動きを止めた。


「心の話をするなら……そうだな、お前のことは……まあ、気に入っていた」


 不意に、今となっては似つかわしくないとすら感じるほどにフリージアは優しい笑みを浮かべた。

「お前とは昔からよく同じパーティになったが、私がどんなに落ちぶれても、お前とミーリルは変わらず接してくれたしな。だからお前たちのこともちゃんと改竄するつもりだったんだがな。でなければ、同じパーティになどしないさ」

「俺は……自分だけ強くなったって嬉しくもなんともない。皆で強くなれなきゃ意味がないんだ」

「皆とは誰のことだ? 少なくとも騎士団は含まれていないだろう?」

 言葉を詰まらせるディーン。フリージアの言葉は紛れもなく図星だった。


「……騎士団は」

「敵だから、か? お前も結局は自分が認めた者たちのことしか考えていない。私と何も変わらんよ。私はただその範囲が狭いだけだ」

「……」

「それでも私に挑むというなら、かかってくるといい。その時にお前も分かる。どんな綺麗事も、圧倒的なスペック差の前では戯言でしかないと。そしてそのスペックは、全てシステムによって決められているという虚しさがな」

 だからこそ、どんな手段を使ってもそれを手に入れる、とフリージアの瞳は告げていた。

 もはや言葉は必要なかった。剣を振り上げ疾走するディーン。

 それを迎え撃つフリージアの剣撃が、静かに闇を切り裂いた。

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