暗闇に、光の粒が浮かんでいる――

 イメージとしては、そんな感じだった。中心から離れると、光の粒は小さく多くなり、近づくと大きく少なくなる。

 ナツは魔法を微調整しながら、光の粒を調べていく。時々、ピントの調節に失敗したように、暗闇にさざ波が広がった。そうすると光がぼやけて、それを鎮めるためにはしばらく集中しなくてはならない。

 それでも、ナツはこの魔法の扱いに習熟しはじめていた。かなりの繊細さと集中力が必要だったが、できないことはない。

 けれどそれでも、ソラを見つけられるかどうかは不明だった。光の粒は膨大で、どれも形が似ている。その中から、たった一人の少女を見つけだす必要があった。来理の言ったように、可能性は本当に低い。

 魔法を操作して、ナツは暗闇をそっと動かしていく。コップの水に波が立たないように、慎重に。そしてどこかに見覚えのある少女の気配はないかと、神経を凝らしておく。

 例の魔法のことが、ふとナツの頭をよぎった。あの魔法が、運命について何か教えてくれれば。あの戯言みたいな言葉の中に、何かヒントのようなものがありさえすれば――

(くそっ――)

 一瞬、揺らぎがぶれて暗闇に波紋が生じた。ナツは心を落ちつかせて、もう一度魔法を安定させる。

 その時だった。

 ふと、かすかに覚えのある、そんな感覚に気づいた。はじめてみる景色を、いつか見たものと同じに思うような、そんな感覚――

 暗闇を乱さないようにそっと、ナツはその部分へと移動した。コンマ単位で望遠鏡の角度と距離を調節するように、位置と倍率をあわせていく。神経をぎりぎりまで絞りあげながら、意識を集中させた。細い糸をさらに細く裂くようにして、魔法の揺らぎをコントロールする。

(あと、少し――)

 手をのばすことを、ナツは少しもためらわなかった。

 けれど――

「その辺にしておいたほうがいいでしょう」

 という声が、不意に聞こえている。

 途端に、ナツの意識は集中が切れて、魔法が解けてしまっている。

 その最後の瞬間、ナツにわかったのはその誰かが天橋市のどこかにいるらしい、ということだけだった。場所の感じからすれば、ホテルのようなところかも知れない。だが、それ以上のことは現像に失敗した写真みたいに、はっきりとはしなかった。

 極度に集中していたせいで、ナツはなかなか現実に意識をあわせられなかった。声のほうを見ても、それが誰なのかがすぐには認識できない。

「……魔法の使いすぎです」

 と、その人物はどこか聞き覚えのある冷静な声で言った。

「それ以上の無理は、精神的に何らかの故障を引き起こしかねません」

「――千ヶ崎さん?」

 ナツはようやく、その人物が誰なのかを理解した。

「ええ、そうです」

 と朝美はうなずいた。その頃には部屋の電気がつけられ、来理が入口のところに姿を見せている。

「何で――?」

 ナツは立ちくらみに似た状態のまま、言った。

「佐乃世さんに呼ばれたのです。もっとも、あなたがいるとは聞かされていませんでしたが」

 そう言って、朝美はかすかに視線をそらせている。

「……あなたには本当に悪いことをしたと思っています。ですが委員会の判断は、仕方のないことだとも言えるのです。私にはどうすることもできません」

「大人の事情ってやつですか――」

 ナツはかすかによろめきながら、それでも立ちあがって言った。

「でも僕は、ソラを諦めるつもりなんてないんですよ。例え運命でそう決まっていたとしても。誰かが、あいつのためにそれくらいのことはしてやるべきなんです」

「けれど、あなたに何ができるというんですか?」

 朝美は言った。非難するでも、嘲笑するわけでもなく、ただ事務的に。

「――できるさ」

 けれどナツは、即座に答えている。

「魔法は、そのためにこそあるんだから」

 そう――

 ナツにとって、魔法というのはそういうものだった。

 それはかつての完全世界などとは、何の関係もないものだった。それはただの道具であり、方法の一つにすぎなかった。それをどう生かすかは、〝魔法〟ではなく〝魔法使い〟の問題なのだ。そしてこの不完全な世界で、それでも守るべきもののために、ナツはそれを必要としていた。

「…………」

 朝美は黙ったまま、この少年のことを見つめている。年端もいかず、ふらふらで、この世界に対してあまりにちっぽけな存在でしかない少年のことを。

 やがて、朝美は言った。

「あなたは委員会の人間ではありません」

「……?」

「だからあなたがどう行動しようと、委員会とはまったく関係のないことです。例えば、あなたが、透村穹の居場所を見つけたとしても」

「――――」

「これが、私にできる最大限の譲歩です」

 最後に少しだけ笑って、朝美は言った。

「あとはあなた次第です。もしもあなたが〝完全な魔法〟の使い手なら、この世界そのものさえ、どうにかできるのかもしれません」



 それから半日以上がたって、時刻は深夜になろうとしていた。

 天橋市内を、一台の車が移動している。時間が時間だけに、あたりはすっかり暗闇に閉ざされていた。道沿いの街灯やコンビニの明かりが、昼の落し物みたいに輝いている。人通りはなく、車もほとんど走ってはいなかった。

 車には、雨賀と烏堂、それにソラの三人が乗っている。

 ソラは後部座席で、ぼんやりと手元を見つめていた。その手には、何かが乗せられている。ただ車内は暗すぎて、それをはっきり見ることはできなかった。

「何を見てるんだ?」

 助手席で、烏堂がふと気づいたように訊ねた。雨賀は前方を向いたまま視線は動かさない。

 ソラはしばらく黙っていたが、

「……私の大切なものだ」

 とだけ、簡単に答えた。

 そうしてソラは、その蓋の裏側をそっと指でなぞる。

 暗くてろくに見えはしないが、そこには〝天使〟の絵が描かれているはずだった。使の絵が。例え実際に見ることができなくとも、ソラにはそれがわかっていた。

 そこには、優しい魔法があるのだと――

(私は、大丈夫だ)

 ソラはだから、そう思っていた。

 この魔法があるから、大丈夫。例え運命がどれだけ残酷な選択を迫ろうと、例えこの世界がどれだけ不完全な場所であろうと、大丈夫――

 ソラはもう、泣かなかった。

 泣く必要など、なかったのだ。

 ――透村穹は確かに、幸せだったのだから。

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