テーブルには三人が座っていた。千ヶ崎朝美と、その向かいにナツと桐子――

 朝美がドアの前に立っていたとき、ナツにはそれがソラに関することだとすぐにわかった。そして、魔法に関わることだとも。だからナツは、千ヶ崎朝美と外で話そうと思った。母親には魔法も魔法使いのことも、知らせる必要はない。

 けれど玄関先で朝美が訪問の目的を告げたとき、それを桐子も聞いてしまっている。そしてそこに「透村穹」の名前を聞いた以上、桐子もこの件に関して無関係でいられなくなるのは当然だった。

 三人はテーブルに座って、しばらく無言のままでいた。来客者には飲み物も用意していなかったが、事態はそんな雰囲気ではない。

「――とりあえず、お聞きしたいんですが」

 と、重い鉄の扉でも開くようにして、桐子は訊いた。

「あなたはいったい、どういうかたなんですか?」

 正直なところ、彼女にはまるで状況の見極めがついていなかった。目の前で背筋をまっすぐにして座る女性が怪しい人物には見えなかったが、かといってナツやソラとこの女性に、いったいどんな関係があるというのか。

 朝美は一瞬、目だけでナツのほうをうかがった。ナツは小さく、首を振る。桐子は何も知らないのだ。それを見て、「そうですか……」と朝美はつぶやいてから、

「今からお話しすることは、少し突拍子もないものに思えるかも知れません」

 と、まずは前置きした。

「ですが、私は冗談を言っているわけでも、話をごまかそうとしているわけでもありません。その点については、ご理解いただけますか?」

 理解も何も、千ヶ崎朝美がいったい何を言おうとしているのか、桐子には見当もつかなかった。だから彼女にできることといえば、うなずくことくらいしかない。

「――これは、魔法に関することです」

 と、朝美はにこりともせずに言った。

 それから彼女は、魔法のことや、魔法使いのこと、魔法委員会について説明した。自分がその組織の執行者と呼ばれる存在であることや、この町で調査に当たっていること。

 桐子はちょっと混乱するように首を振っていたが、

「それは、?」

 と、ようやくそれだけを確認した。

「ええ――」

 朝美はうなずいてから、少しためらうようにして告げる。

「実を言えばあなたの息子さん、久良野奈津くんも魔法使いです」

「……ナツが?」

 戸惑うような、けれどどこか思いあたるような顔で、桐子はナツのことを見る。

「それって本当なの、ナツ?」

「――ああ」

 ナツは簡潔に、ただうなずいてみせた。

「わざと黙っているようなつもりじゃなかったんだ。けど、説明しなくちゃならないようなことじゃなかったし、今までのところはその必要もなかった」

 桐子は一度ため息をついて、けれどそれだけで、まずはこの現実らしくない現実を受けいれることにしたようだった。

「魔法のことは、とりあえず信じます。でもそれとソラちゃんに、どんな関係があるっていうんです。それにあの子は今、どこにいるんですか?」

 朝美は一瞬、反射的に浮かびあがった言葉を飲みくだすような、そんな沈黙を唇の上に乗せた。けれど――

です」

 と、結局は可能なかぎり直截的に、そのことを告げた。どんな言葉も言い訳にしか聞こえないことは、理解していた。

「詳しいことはお話できませんが、委員会ではここ最近、不穏な動きを見せるグループを追っています。魔法を不正に利用する集団ですが、その内実は我々にはわかっていませんでした。今回、その彼らから取り引きの申し出がありました。透村穹を渡すかわりに、組織に関するいくつかの情報を教える、というものです。もちろん、彼女に手荒なことはしないと約束させてあります。必要なことが終われば、すぐに解放することも……」

 そう言ってから、朝美は自分でも気づかないうちにほんの少し目をそらしていた。子供が、下手な言い訳でもするかのように。

「……魔法には世界を変えるだけの力と可能性があります。その力は、決して野放しにされていいものではありません。それは世界を、まったく別のものに変えてしまう可能性さえあるのです。我々はそのような事態を招くことを、未然に防がなければならない」

 その言葉が終わると、すっと空気が抜けて真空が広がるような、そんな沈黙があたりを覆っている。どんな言葉でも飲みこんでしまいそうな、そんな沈黙が。

「――手荒なことをしなくたって、人を傷つけることはできます」

 と、桐子は首を振りながら、幾分混乱した口調で言った。とりあえず手近なところにあったものを放り投げてみた、というふうに。

「そうかもしれません」

 朝美は逆らわない。

「それは――」

 と言ってから、桐子はその言葉を口にするのをためらった。蜘蛛の糸に似たその危うさに、一瞬躊躇する。けれど結局は、そのことを訊いた。

?」

 朝美は努めて無慈悲に、告げた。

「――そうです」

 それを聞いて、桐子は何も言えなくなってしまっている。それは、彼女が朝美の言うことを理解してしまっているせいでもあった。百人を助けるために一人を犠牲にする、そんな単純で明確な理由――

 テーブルのまわりを、再び沈黙が覆っていた。言葉はどこにも行きつけないまま、その場に留まり続けている。

「――ソラは、自分からここを出て行ったんだ」

 と、不意にナツは言った。まるで独り言でもつぶやくみたいに。

「ソラが自分でそう望んだのなら――僕たちにできることは何もないよ」

 時計の針だけが、あたりの沈黙にも気づかずかすかな音を立てていた。

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