四つめの予言
1
少女の両親は、彼女がちょうど小学校にあがるくらいの頃に亡くなった。よくある交通事故だった。
もしも、時間が少し違っていたら――
もしも、場所が少し別のところだったら――
運命がほんの少しずれていたら死なずにすんだかもしれない、そんな事故である。
両親のことを、少女は今ではもうあまり覚えていない。色調のはっきりしない絵や、うろ覚えの音楽と同じように、それは記憶の底で曖昧に混濁している。まるで、出口も入口もない迷路みたいに。
少女が思い出せるもっとも古い記憶の一つは、火葬場でのことだった。その変に四角く白い建物と、静かに雨が降るような深い沈黙――
そこに少女は黄色いクマのぬいぐるみを抱えて、一人で立っていた。まわりには、地面から立ちあがった濃い影みたいな大人たちが、無言のまま群れ集まっていた。彼女自身も着慣れない喪服をまとい、そんな光景を見つめている。その瞳は、すべてを理解するにはまだ幼すぎることをはっきりと示していた。
彼女にあるべきだったはずの時間が焼かれていくのを、少女はぼんやりと眺めていた。世界で一番、彼女を愛してくれるはずだったその二人は、そんなものの一切を抱えこんだまま、底のない闇の中へと消えてしまっている。
しばらくして不意に、その手が誰かにつかまれていた。温かくて、強くて、しっかりした手だった。
「――行こうか」
と、その老人は音も立てずに吹く風みたいな、静かな声で言った。
「うん――」
少女はうなずいている。そうして小さな手を引かれて、歩きだした。
両親を亡くしたその少女は、祖父といっしょに暮らしはじめた。元の住居は引き払って、田舎にある古くて大きな家に移った。遠くに大きな山が見えて、その裾野に濃い緑の森が広がっている。
少女の祖父は、気さくで明るい、面倒見のいい老人だった。どちからかといえば思索的、哲学的な性格だったが、かといって小難しい理屈をこねたり、愛情の出し惜しみをするような人物ではなかった。
そして老人は、魔法使いだった。
「まほうつかい?」
まだ幼かった少女は、不思議そうに訊ねた。
「ああ、そうだ。とてもとても古い力だ。人が言葉を覚える以前に持っていた、完全世界の力――」
「じゃあ、そのまほうを使っておとうさんやおかあさんを生きかえらせることはできる?」
少女は無邪気に訊ねた。
二人は部屋で、絵本を読んでいた。窓からは明るい光が射していて、木の床に四角く閉じこめられている。少女はその光の中に寝転んで、老人の読んでくれる絵本を前にしていた。
少女の問いかけに、老人はしばらく黙っていたが、
「……ああ、できるかもしれないね」
と、短く答えている。とても、悲しそうな笑顔を浮かべて――
老人は時々、そんな顔をした。少女はそんな祖父の姿を見るたびに、不思議な気持ちになった。まるで、重さのない鳥の羽が、そっと手のひらに置かれたみたいに。
長いあいだ、少女はその笑顔の意味がわからなかった。
少女は両親がいないことを寂しいと感じることはあったが、そのことで自分が不幸だとは思わなかった。彼女には優しくて頼りになる祖父がいたし、世界には理不尽で残酷なところも、奇跡的で美しいところもあった。
それで、少女には十分だった。
少女は世界で生きていくのに必要なことを老人から学び、ついでにその学究的なしゃべりかたの癖を、いつのまにか身につけてしまった。
そんな歳月を重ねていくうちに、老人は段々と例の笑顔を浮かべることが少なくなっていった。永遠のように見える山嶺も、いつかは朽ちてその姿を変えるように、老人の心から大きくて重い何かが消え去ろうとしていた。
まるで、運命を優しく諦めようとするように――
二人はたぶん、幸せだった。
失われたものの大切さを守るように。
あるいは――
そのことに、守られるように。
二人は穏やかな日々をすごしていった。手で量れるだけの重さを持った時間が、ゆっくりと優しく降り積もっていくような、そんな日々を。
そしてある晴れた日の朝――
老人は死んでいた。
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