「はぁ、はぁ――」

 ナツは息を切らしながら、それでも走り続けていた。その手の先にはしっかりと、ソラの手が握られている。

 ちらりと振り返るが、烏堂の追ってくる気配はなかった。スーパーボールに〝煙〟を描きこんだ、即席の煙幕弾が功を奏したらしい。

(……どういうことだ?)

 走りながら、ナツは考えている。烏堂有也はどうやってこちらの居場所を見つけたのだろう。それにあの言葉の意味は――

(もう逃げられないのか?)

 そういうことのような気もした。どういう魔法なのかは知らないが、ただの冗談やブラフであんなことを言ったわけではないだろう。だとすれば、こんなふうに逃げ続けたとしても――

 転びそうになったのか、ソラがナツの手を強くつかんだ。ナツは反射的に、その体を支えてやっている。ソラは何とか姿勢を直しながら、けれど決してその手を離そうとはしなかった。

 まるで――

 その手をつかんでいれば、すべてはうまくいくのだと信じているように。

「…………」

 ナツは黙ったままその手を握りなおして、また同じように走りはじめた。

 迷路のような細い路地を、二人は駆けていく。工事中のフェンスや、ビルの壁、住宅地の塀といったあいだを、まっすぐ通りぬけて行く。まるで見知らぬ世界に通じる、トンネルの中を走っているみたいだった。

 ナツは時々あたりの様子をうかがってみるが、追っ手の近づく兆候は見られない。振りきったとも諦めたとも思えないが、思考時間を与えてもらえるのはありがたかった。とにかく、何か手はあるはずなのだ。

 ――それにしても、妙だった。

 さっきからずっと、同じような道が続いている。曲がり角も、行きどまりもなく、まっすぐの道が延々とどこまでものび続けていた。

 それにふと気づくと、見覚えのある景色を何度も通過している。細かい部分まではっきり確認したわけではないが、それでも似すぎていた。

 まるで、同じ場所を何度も通りすぎているみたいに――

「――――」

 そう思ったとき、ナツの中で何かがぐにゃりと歪んでいた。

 鉄骨が法外な圧力を受けてねじまがるように、ナツの中の決定的な部分に、取りかえしのつかない湾曲が生じていた。疲労と焦りでずっと気づかなかったが、魔法の揺らぎが世界を変えてしまっている。

 後にも先にも、そこにはまったく同じ光景が続いていた。道はある地点でループして、どこまでも繰り返されている。壊れたカセットテープが、同じフレーズを何度も再生し続けるみたいに。

 ――それは、永遠だった。

 その永遠はどこにも行きつかず、ただ同じ場所に留まり続けていた。それは無限の広がりを持ちながら、同時に限りなくゼロに等しいものでしかなかった。

 それは何かに守られるわけでもなく――

 何かを目的とするわけでもなく――

 ただ、繰り返すために繰り返す、そんな永遠だった。それは日常と同じでありながら、あまりにグロテスクで救いのない永遠だった。

 ナツは体の一部が変に拡大したり、縮小したりするのを感じた。まるでおかしなキノコでも食べてしまったみたいに。平衡感覚が狂って、地面が柔らかく波打っていた。光の速度は変わり、空間は座標を失っていた。

 これが現実的なものなのか、それとも幻覚にすぎないのかはわからない。

 けれどそれが、ある種の救われなさを含んだゼロだということはわかる。すべてのバランスを崩す、この世界の不完全さそのもののような――

「ナツ……?」

 隣で、ソラはナツの手をつかみながら不思議そうな顔をしている。この少女はナツと手をつなぐことに集中しているせいか、魔法のことには気づいていないようだった。

 けれどそのおかげで、ナツは意識を立てなおすことができていた。少なくともここに、ナツは一人でいるわけではない。もしもこんな場所に一人でいれば、永遠の孤独の中で、魂は一瞬にして凍りついてしまうかもしれなかった。

「何でもない、大丈夫だ――」

 ナツは何とかそう返事をして、また前と同じように走りはじめた。

 この空間がどのくらい続いているのかは、予想もつかなかった。だがナツとソラの二人にできることは、走り続けることでしかない。永遠も、いつかは終わるのだと信じて。

 そして走り続けていると――

 不意に、目の前に空間が広がっている。長いトンネルを抜けるときのように、二人は光の薄いカーテンをくぐってその場所へと移った。

 そこは、道路わきに広がる空き地のような場所だった。何かの建設予定地なのか、剥きだしの地面にいくつかの資材だけが置かれている。直角に曲がった道もさっきまでと同じような路地裏で、人の気配はない。そしてそこには――

 空き地の真ん中に立つ、雨賀秀平の姿があった。

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