5
「はぁ、はぁ――」
ナツは息を切らしながら、それでも走り続けていた。その手の先にはしっかりと、ソラの手が握られている。
ちらりと振り返るが、烏堂の追ってくる気配はなかった。スーパーボールに〝煙〟を描きこんだ、即席の煙幕弾が功を奏したらしい。
(……どういうことだ?)
走りながら、ナツは考えている。烏堂有也はどうやってこちらの居場所を見つけたのだろう。それにあの言葉の意味は――
(もう逃げられないのか?)
そういうことのような気もした。どういう魔法なのかは知らないが、ただの冗談やブラフであんなことを言ったわけではないだろう。だとすれば、こんなふうに逃げ続けたとしても――
転びそうになったのか、ソラがナツの手を強くつかんだ。ナツは反射的に、その体を支えてやっている。ソラは何とか姿勢を直しながら、けれど決してその手を離そうとはしなかった。
まるで――
その手をつかんでいれば、すべてはうまくいくのだと信じているように。
「…………」
ナツは黙ったままその手を握りなおして、また同じように走りはじめた。
迷路のような細い路地を、二人は駆けていく。工事中のフェンスや、ビルの壁、住宅地の塀といったあいだを、まっすぐ通りぬけて行く。まるで見知らぬ世界に通じる、トンネルの中を走っているみたいだった。
ナツは時々あたりの様子をうかがってみるが、追っ手の近づく兆候は見られない。振りきったとも諦めたとも思えないが、思考時間を与えてもらえるのはありがたかった。とにかく、何か手はあるはずなのだ。
――それにしても、妙だった。
さっきからずっと、同じような道が続いている。曲がり角も、行きどまりもなく、まっすぐの道が延々とどこまでものび続けていた。
それにふと気づくと、見覚えのある景色を何度も通過している。細かい部分まではっきり確認したわけではないが、それでも似すぎていた。
まるで、同じ場所を何度も通りすぎているみたいに――
「――――」
そう思ったとき、ナツの中で何かがぐにゃりと歪んでいた。
鉄骨が法外な圧力を受けてねじまがるように、ナツの中の決定的な部分に、取りかえしのつかない湾曲が生じていた。疲労と焦りでずっと気づかなかったが、魔法の揺らぎが世界を変えてしまっている。
後にも先にも、そこにはまったく同じ光景が続いていた。道はある地点でループして、どこまでも繰り返されている。壊れたカセットテープが、同じフレーズを何度も再生し続けるみたいに。
――それは、永遠だった。
その永遠はどこにも行きつかず、ただ同じ場所に留まり続けていた。それは無限の広がりを持ちながら、同時に限りなくゼロに等しいものでしかなかった。
それは何かに守られるわけでもなく――
何かを目的とするわけでもなく――
ただ、繰り返すために繰り返す、そんな永遠だった。それは日常と同じでありながら、あまりにグロテスクで救いのない永遠だった。
ナツは体の一部が変に拡大したり、縮小したりするのを感じた。まるでおかしなキノコでも食べてしまったみたいに。平衡感覚が狂って、地面が柔らかく波打っていた。光の速度は変わり、空間は座標を失っていた。
これが現実的なものなのか、それとも幻覚にすぎないのかはわからない。
けれどそれが、ある種の救われなさを含んだゼロだということはわかる。すべてのバランスを崩す、この世界の不完全さそのもののような――
「ナツ……?」
隣で、ソラはナツの手をつかみながら不思議そうな顔をしている。この少女はナツと手をつなぐことに集中しているせいか、魔法のことには気づいていないようだった。
けれどそのおかげで、ナツは意識を立てなおすことができていた。少なくともここに、ナツは一人でいるわけではない。もしもこんな場所に一人でいれば、永遠の孤独の中で、魂は一瞬にして凍りついてしまうかもしれなかった。
「何でもない、大丈夫だ――」
ナツは何とかそう返事をして、また前と同じように走りはじめた。
この空間がどのくらい続いているのかは、予想もつかなかった。だがナツとソラの二人にできることは、走り続けることでしかない。永遠も、いつかは終わるのだと信じて。
そして走り続けていると――
不意に、目の前に空間が広がっている。長いトンネルを抜けるときのように、二人は光の薄いカーテンをくぐってその場所へと移った。
そこは、道路わきに広がる空き地のような場所だった。何かの建設予定地なのか、剥きだしの地面にいくつかの資材だけが置かれている。直角に曲がった道もさっきまでと同じような路地裏で、人の気配はない。そしてそこには――
空き地の真ん中に立つ、雨賀秀平の姿があった。
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