倉庫の中は外の部屋と同じく空っぽで、面積的にはそれなりの広さがあった。ただし窓も何もないせいでひどく圧迫感があり、見ためよりも窮屈である。気の利かなそうな光が、壁や天井で乱雑に反射していた。空調が機能しているらしく、幸いなことに暑さはそれほどでもない。

(――開かない、か)

 ナツはドアノブをがちゃがちゃ回してみるが、当然開くことはなかった。それにこのドアを開けたところで、向こうにいる二人に見つかるのだから意味はない。けれどそのドア以外に、この部屋から出入りできる場所はなかった。要するに、密室というやつである。

 そうやってナツが部屋の状態を調べていると、

「すまない――」

 と、ソラはつぶやくように言った。

 その言葉を聞きながら、ナツは部屋を調べるふりを続ける。ソラはドアの横にある壁にもたれながら、少しうつむいたままで言った。

「ナツを巻きこむようなつもりはなかったんだ。自分が追われていることも、私といるとお前が厄介な目に遭うこともわかっていた。それでもナツに迷惑をかけるつもりはなかったんだ」

 この少女はひどく無機質に、何の感情もこめずにそんな言葉を口にしている。まるでそうしなければ、もう一言もしゃべれなくなってしまうかのように。

「予言のこともあるから、大丈夫かもしれないと思っていた。きっと、みんなうまくいくだろう、と。でも、それはだめだったみたいだ。運命はそれほど私たちに優しくない」

 ソラはそれから、彼女が言うべき言葉を口にした。

 それは自分で自分をまた、一人ぼっちにしてしまうということでもあったけれど――

「だから、もういいんだ。もうこれでおしまいだ。私とお前は元々、何の関係もない。これ以上、お前が面倒に巻きこまれることはないんだ。これ以上は、もうどうしようもない――」

 そう言うと、ソラは暗い海の底にでも沈んでいくように口を閉ざした。

 ナツはもう動きをとめていたが、

「あいつらの言ってた、〝知っている〟ことって何なんだ? そんなに大事なことなのか?」

 と、訊いてみた。

「――悪いが、それは誰にも言えない。祖父との約束なんだ。誰にも教えちゃいけない、秘密だって」

「それをあいつらに言って、解放してもらうってわけにはいかないのか?」

 ソラは無言で、首を振った。

「なるほど、ね」

 ナツは部屋の右手にある壁を叩いたり、触ったりしながらうなずいている。そこには冷やりとした、固いコンクリートの壁があるだけだった。

「……八方塞だな。あいつらに秘密を教えるわけにはいかないし、誰かに助けを求めるわけにもいかない。魔法のことなんて説明できないし、そもそも僕たちはここから出られない」

「ナツ、私はもう……」

 そんなナツに向かって、ソラは首を振ろうとした。が、

「この世界に意味なんてない、そう思ってたんだ」

 と、ナツは急に、そんなことをしゃべりはじめた。

「……?」

「そんなふうに思う必要がないのはわかってた。でも、僕にはどうしようもないことだった。。比喩とか、レトリックとか、そういうんじゃない。実際に、僕は今も半分なんだよ」

 ナツは壁のほうに顔を向けたまま、淡々と続けた。ソラはただ黙って、それを聞いている。

「生まれるときの話だ。本当は、僕はもう一人いたんだ。双子だったんだよ。でも妊娠の仕方にちょっと問題があって、もう一人は生まれてこなかった」

「…………」

「ずっと、思ってたんだ。どうして僕だけが、生まれてきたんだろう、って。どうしてもう一人の僕は、生まれてこなかったんだろう。誰がそれを、選んだんだろう。僕の運命の半分は、もう死んでいた。僕にとって、世界は最初から損なわれていたんだ。それはどうしたって変えられないし、回復のしようもない」

 ナツは少しだけうんざりしたように言って、そうしてソラのほうを見た。この少女は透明な、真実だけを映す鏡みたいな瞳でナツのことを見ている。ナツは、言った。

「けど、それは違うんだ。ソラを見てて、そう思ったんだよ。意味はある。たぶん、意味はあるんだって。例え、この世界が不完全だったとしても……それが、もう少しでわかる気がするんだ」

「でも、私は――」

 ソラは何かを強く噛みしめるような顔をした。

「これ以上、お前に迷惑をかけるわけにはいかない。私は――」

 言おうとしたところで、ナツは軽く人さし指でソラの額を弾いている。ぺしっ、と間の抜けた音がした。

「何をする」

 ソラは額を押さえて、嫌な顔をした。

「いいんだよ、そんなの。迷惑とか、そんなふうに思ったことなんてないんだから。第一、予言はまだ続いているんだ。僕は

 そう言って、ナツは解説をはじめた。

「〝火のない煙〟ってのは、あの男の煙草か、〝潜行魔法〟のことだろう。もしくは両方。次の〝鵞鳥が産んだ六つの花〟は、あの事故のことだ。ここに来る途中、あっただろう? 羽毛が飛び散ってたやつ。〝六つの花〟は、六花、雪のことだ。羽毛といえば、〝鵞鳥〟のものだろうし」

「でも――」

 ソラが、それでも何かを言おうとすると、

「お前が答えるべきことは、二つしかないんだよ」

 と、ナツはちょっと笑って言った。

「僕といっしょにここから逃げだすか、そうでないか」

「…………」

「ソラは、どうしたい? 僕といっしょに

 しばらく黙っていたが、

「――うん」

 と、やがてソラは精一杯にうなずいている。手の甲で、ほんの少し目を拭って。

「でも、どうするんだ? 出ていくといったって、ここからは脱けだせない。その扉を開けたって、あの二人がいるだけだぞ」

 いつもの調子に戻って、ソラは訊いた。

「大丈夫だよ」

 言いながら、ナツはウエストバッグから一本の白いチョークを取りだしている。

「試したことはないけど、できると思うんだ。〝開かない扉と、閉じない密室〟――その予言に従えば、な」



「……ええ、捕まえました。大丈夫です、手荒なことはしていません……今は例のビルです。烏堂のやつもいっしょにいます……二時間後に引きとりに来る? ……ええ、わかりました……了解です。では、失礼します――」

 雨賀は携帯端末の通話を切ると、それをポケットにしまった。傍目にはわかりにくいが、それは一般には出まわっていない種類の機械だった。

「どう言ってるんですか、雇い主のほうは?」

 少ししてから、烏堂は訊いた。

「予定通りだ」

 雨賀は面白くもなさそうな顔をしている。

「別の、神坂かみさかっていうやつが迎えにくる。そいつがくれば、俺たちの仕事はおしまいだ。お前もご苦労だったな」

「いえいえ」

 烏堂はちょっと笑っている。

「僕はただの手伝いですからね。雨賀さんとは違います。それに十分な報酬は受けとってますし、アルバイトとしては割りのいい部類ですよ」

「まあ、そうだな。俺としてはお前の魔法が使いやすくて助かってるよ。お前の師匠にも礼を言っといてくれ」

鷺谷さぎたにさんは、言葉だけだと喜ばないと思いますけど――」

 烏堂はそれから、ふと気になった、というふうに言った。

「しかし、妙な話ですね。クラノナツ、でしたっけ? あの子供は結局、何だったんですか。あれも〈運命遊戯〉の魔法が関係してるんですか?」

「ああ、あの魔法はな――」

 と雨賀が口を開こうとしたとき、いきなり烏堂の携帯が鳴りだしている。

 コールは何故か、一回だけだった。

「……まさか!」

 烏堂は信じられない、という顔で自分の携帯を確認した。同時に、二人はフロアの奥、ナツとソラを閉じこめた部屋のほうに向かっている。

「鍵はかかっているな」

 ドアノブを回しながら、雨賀は言った。鍵を取りだして、扉を開ける。

 そこには、どこにもつながっていない空間があるだけだった。今開けた扉のほかには、窓も、隠し扉などというものもない。

 けれど――

 その部屋には、誰もいなかった。

「どうなってるんだ、これは?」

 雨賀はやや呆然としたように言った。一つしかない扉には鍵がかかっていて、おまけにその向こうには自分たち二人がいたのだ。

「……密室、ってやつですかね」

 その後ろからのぞきこみながら、烏堂は途方に暮れたような顔をする。

 雨賀は信じられないという気持ちで部屋の中を探索した。狭い室内に余計なスペースなど存在しない。魔法で隠れた、というわけでもないだろう。

「ん、いや――待てよ」

 不意に何かに気づいたように、雨賀は壁のほうに視線を向けた。

「……何だ、これは?」

 その壁面には、白いチョークで〝扉〟の絵とおぼしきものが描かれていた。

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