三つめの予言
1
晴れた空からは、大粒の雨が音を立てて降りそそいでいた。陽光に照らされて、雨滴は銀の糸のように輝いている。雲の断片がそのまま落下してきたような、にわか雨だった。
「……ひどい降りかたですね」
烏堂はフロントガラスのほうに身を乗りだして、空を見あげながら言った。ワイパーはボールを投げられた犬みたいに、喜び勇んで仕事に励んでいる。
「夏の通り雨だ。すぐにやむさ」
その横で車の運転をしながら、雨賀は面白くもなさそうに言った。
信号が赤になって、車が停止した。幹線道路を走る車は、どれもタイヤから派手に水飛沫をあげている。
車の後部座席には、ナツとソラの二人が座っていた。
遊園地で捕まって以来、ソラはほとんど身動きもせずにじっとしていた。膝の上でじっと握り拳を固めたその格好は、バランス悪く積みあげられた石みたいにも見える。ちょっと触れただけで、簡単に崩れてしまいそうだった。
その隣でナツは、窓の外や車内の様子をさりげなく観察していた。この少年は表面的には大人しくしていたが、それほど素直に従うつもりはない。
とはいえ、さしあたって有効な逃走手段は見つかりそうになかった。自分だけならともかく、ソラをいっしょに逃がさなくてはならない。そのソラは、いつもと違ってひどく従順な態度を示していた。今のところは、このまま状況の推移を待つしかない。
窓の外に見える標識や街の景色からいって、どうやら車は市の中心部のほうに戻っているようだった。
信号が変わって再び走りはじめた車の中で、雨賀は言った。
「しかし、意外だったな」
それが自分に向けられた言葉だと気づくのに、ナツは少しだけ時間がかかっている。
「――何が?」
礼儀正しいとはいえない口調で、ナツは訊きかえした。
「〝お姫様〟のことだよ」
雨賀はバックミラー越しに後部座席のほうをうかがいながら、言った。ソラは同じ姿勢のまま、身動き一つしていない。
「小学生の女の子が、いったいどうやって知らない町で生活しているのかと思っていたが、まさか赤の他人の家で寝泊りしてたとはな。おまけに仲よく遊園地にお出かけとは」
「…………」
「〈運命遊戯〉のこともあるんだろうが、しかし奇特なやつもいたもんだ。しかもそいつと俺たちは顔見知りっていうんだから、これはもうできすぎている」
「僕たちをどうする気なんです?」
と、ナツはできるだけ慎重に言葉を挟んだ。が、
「お前のほうはどうでもいい」
雨賀はぴしゃりとはねつける。
「俺たちに用があるのは、透村穹だけだ。勘違いしてもらっちゃ困るが、お前はただのおまけだ。そもそも、お前はここにいるほうがおかしいんだよ。この件に関して、お前はまったくの無関係なんだからな。つまりお前の運命は、ここで正しく途切れるわけだ」
「…………」
「まあ心配しなくても手荒なことはしない。取って食うわけでも、身代金を要求しようってわけでもない。むしろ俺たちには、その子を保護する目的もあるんだからな」
「あんたたちは――」
「ん?」
「あんたたちは、いったい何なんだ?」
ナツはかすかに苛立つようにして言った。確かに、ナツがここにいるのはただの偶然みたいなものにすぎない。このことに関して、ナツはどんな関係性も持たなかった。けれど今は――
「ソラをどうする気なんだ。何の目的があって、あんたたちはこんなことをする」
自分でも気づかないうちに、ナツはわずかに語気を強めていた。
そんな様子をバックミラーで一瞥してから、
「――俺たちが知りたいのは、その子の祖父、透村
と、雨賀は言った。
「祖父……?」
「ああ、だがその透村操は最近死んじまってな」
言いながら、雨賀は軽く肩をすくめるような動作をしてみせた。
「透村操はあることを調べていた。そいつは九分九厘てとこまでは調べ終わってたんだが、肝心の最後の部分がわかっていない。だが俺たちは、どうしてもその最後の部分を知らなくちゃならなくてな」
「…………」
「老人は死んじまったが、その唯一の係累である孫娘は残っている。もしかしたら、そいつが何か知っているかもしれない――というわけで、俺が派遣されたわけだ。ところが、家を訪ねてみると誰もいない。もぬけの殻だ。どうも、俺みたいのが来るのを見越して逃げだしちまったらしい。それは同時に、そいつは何かを知っている、ということだ。そしてそれを、俺たちに教える気はないらしい、ということでもある」
バックミラー越しに、雨賀はちらりとソラの様子をうかがった。今の話を聞いていたのか、いないのか、この少女は何の反応もしない。
「……まあ、そういうわけだ」
と雨賀は車の運転に意識を戻しながら言った。
「これでわかっただろう。お前は無関係なんだ。用が済んだら、いつでも家に帰してやるよ。元の日常に戻る、お前にとってはそれだけのことさ」
ナツはそれに対しては何も答えず、ただ視線を窓の外に向けていた。
夏の夕立は世界を雨音で壊そうとでもするかのように、激しく降り続いている。
にわか雨が終わると、何事もなかったように青空が姿を見せた。雨の気配は急速に薄れ、あたりはいつもと同じ景色に戻りつつある。出番を失ったワイパーは、しょんぼりとした様子で大人しく定位置へと引きさがった。
車はナツの思ったとおり、市街地へと向かっていた。次第に交通量が増えはじめ、町の喧騒が濃くなっていく。
「事故みたいですね」
と、幹線道路から外れる直前、烏堂は言った。
スリップしたらしく、対向車線でトラックが一台横転している。荷台のロックが外れたのか、そこから積荷が飛びだしていた。布団か何かに使う、羽毛のようである。それは季節外れの雪そっくりの格好で、あたりを覆っていた。
市街地の道路に入ると、車はしばらくして細い道へと入った。何度か角を曲がると、やがてうらぶれた路地にあるビルの前で停車する。
「降りろ」
と、雨賀は二人に向かって言った。
言われて、ナツはドアを開けて大人しく外に出る。反対から、ソラも同じように降車した。雨賀がナツの、烏堂がソラの腕をとると、四人は正面にあったビルの玄関に向かった。ビルの谷間で影になっていたが、あたりにはむっとするような雨のにおいが漂っていた。
玄関の自動ドアのところまで来ると、
「――烏堂」
と言って、雨賀が何故か立ちどまっている。烏堂はうなずいて、携帯を取りだした。何か操作するが、特に変化はない。それだけで、携帯もさっさと戻してしまっている。
けれどそのそばで、ナツはかすかな魔法の揺らぎを感じていた。遠くでドアが閉じる音のような、注意してようやく気づく程度の気配である。
(魔法――でも、何でだ?)
ナツは考えてみるが、わかるはずもなかった。烏堂有也にどんな魔法が使えるのか、ナツには見当もつかないのだから。
四人は雨賀を先頭にして、ビルの中へと入った。階段の脇にあるエレベーターに乗って、五階のフロアに向かう。そのあいだ、ほかの人間に出くわすようなことはなかった。
品のいい音を立ててエレベーターの扉が開くと、四人は廊下に移った。そして一番奥にあった部屋に向かうと、鍵を使ってそのドアを開ける。
室内には何の設備も装飾もなく、ただがらんとした景色が広がるだけだった。ソファらしきものと毛布が置いてあるほかには、剥きだしの空白が露出している。その光景は現実感を欠いていて、窓から射す光もどことなく作り物めいて見えた。
「とりあえず、お前たちにはここでしばらく待っていてもらおう」
と雨賀は言って、二人を部屋の奥にある扉のところへ連れていった。開くと、中は小さな倉庫のような造りになっている。
「それほど時間はかからないと思うから心配はするな。二、三時間もすれば迎えの連中がやって来るだろう。そうすれば、すべてが終わる」
その隣では、烏堂がビルの入口でやったのと同じことをしていた。似たようなかすかな揺らぎを、ナツは感じる。
「――一つ聞いてもいいですか?」
扉が閉められる前に、ナツは雨賀に向かって質問した。
「何だ?」
「どうやって僕たちを見つけたのか、教えて欲しいんですけど」
雨賀はふっと、少しだけ愉快そうに笑った。
「教えると思うか?」
ナツは無言のまま、肩をすくめてみせる。
そのまま扉は閉められて、鍵をかける音がこれみよがしに響いた。二人の足音が遠ざかると、地下深くの牢獄にでも閉じこめられたような、そんな沈黙があたりを覆っている。
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