6
バスの中にはわりあいと人出があって、席はほとんど埋まっていた。
ナツとソラは後ろのほうのシートに、二人で座っている。ソラは窓の外を熱心に眺めていた。そうすれば少しでも早く目的地に着ける、というように。車内には似たような子供とその親たちが、何人か乗車していた。
その隣でナツは、特に何をするでもなくぼんやりとシートに座っていた。
「ナツは――」
と、不意にソラは口を開いている。
「遊園地に行ったことがあるのか?」
「あるよ、けっこう前だけどな」
「楽しかったか?」
「いや――」
何故か渋面でも浮かべそうな様子で、ナツは言った。ソラは訊く。
「どうしてだ?」
「……意味がないから、かな」
少しだけ考えて、ナツは答えた。
「どうせ同じところをぐるぐる回っているだけで、どこにも行かないし、何も変わらないんだ。そんなことに何の意味がある?」
「嫌いなのか、そういうのが?」
「好きでも嫌いでもない……んだろうな」
言いながら、ナツは自分でも少し馬鹿らしかった。
「別に何を感じるわけでもないんだ。ただ、どう楽しんでいいのかわからないだけなんだよ。ルールのわからないゲームみたいに。どうしてこんなものがあるんだろう、としか思わない」
「変なやつだ」
ソラはもっともなことを言った。
「――お前は、行ったことあるのか?」
面倒くさそうにナツが訊くと、
「ある」
と、ソラはひどく短く答えた。遠くで聞こえる、かすかな物音に耳を澄ますみたいに。
「へえ、どうだった?」
ナツは儀礼的に質問した。
「あまり覚えてないが、両親といっしょだった。ずっと小さいときのことだ。私は二人に手を引かれて、歩いてたんだ。はじめは何だか、怖かった。いつもとは全然違う場所だったし、遊園地というのがどういう場所なのかもわかってなかった」
「…………」
「でもしばらくしたら、私はそこが好きになっていた。夢の一部を取りだしたみたいなものだと思ったんだ。それだったら、どう楽しめばいいのかわかっていた。世界にはそんな場所もあるんだ、と思った。いくつも違うものが、世界には含まれてる。良いことも悪いことも、世界はたくさんのものでできている」
そっと表情を和ませて、
「――そう、思ったんだ」
ソラはそう言って、何か大切なものでもあるかのように窓の外に視線をやった。そんな何でもない風景も、遊園地の一部であるのかのように。
「…………」
同じように、ナツもそんな風景を眺めてみる。
それは少しだけ、さっきまでとは違っているように見えた。
遊園地『ポラリスランド』は地方によくある、玩具のような遊園地だった。
たいして目を引くようなアトラクションもなければ、独創的なコンセプトをしているわけでもない。誰かが何かの思いつきで作って、その思いつきが今も続いている、という感じだった。時間の流れに従いも逆らいもせずに、同じ場所で昨日と今日を送っている。
バス停で降りて、二人は敷地の塀にそって歩いていった。やがて入口にたどり着くと、入場門の前には天球儀を模したオブジェが飾られている。中心点から二十三・四度傾いた先にあるのが〝ポラリス〟――北極星だった。
宇宙船の形をした入場門をくぐると、中はそれなりの人出で賑わっていた。近隣の住民がやって来るのだろう。親子連れの姿が多かった。
「早く行こう、ナツ」
と、ソラはひどくはしゃいだ様子でナツの手を引っぱっている。
それを押しとどめながら、ナツはとりあえず園内のパンフレットを取り、乗物券を購入した。母親に追加で資金をもらっているので、交通費や食費を含めても十分にお釣りは出る。
「それじゃ、行くか」
ナツが言うと、ソラは一目散に走っていった。どうやら、すでに乗り物の品定めは終わっていたらしい。
「まずはこれに乗るぞ」
と指さしたのは、定番のコーヒーカップだった。柵の向こうでは、巨大なコーヒーカップが複雑な回転軌道を描きながら回っている。奇妙な乗り物だった。
しばらくしてそれが停まると、降りる人と入れ違いになって二人はカップに座った。ほどなくして床全体が回りはじめると、その中の小さな床も回る。そしてカップ自体も、くるくる回った。
「――ははは、すごいな、ナツ」
何がすごいのかはわからなかったが、ナツは真ん中のテーブルを持ってカップを回した。回転速度があがると、ソラはますます笑う。それがおかしくて、ナツもつい笑ってしまった。
コーヒーカップを手はじめに、二人は遊園地のアトラクションをいくつかまわった。ボール投げや、空中ブランコや、メリーゴーランド――
ナツにとってそれは、やはり意味のないものだった。それらは結局、同じところに戻ってくるだけのものだった。何かを得るわけでも、どこかに到達するわけでもない。何の意味も持たないもの。
けれどソラは、一瞬の夢にしかすぎないようなそんなもののことを、心の底から楽しんでいるようだった。
たぶん、この少女は知っているのだろう。
それが壊れやすい、けれどしっかり守られた夢だということを――
だからソラは、そんな一瞬の夢を楽しむことができる。彼女は戻るべき場所を、知っているから。その夢が、戻るべきその場所のために作られたものだと知っているから。
この少女にとって、世界は不完全であっても、どれだけ悲しくて辛い場所だったとしても――愛しいものなのかもしれない。
(もしかしたら……)
とナツはそんな少女のことを見ながら、思っていた。
もしかしたら世界は、本当にそんな場所なのかもしれない。
一瞬の夢みたいにすべては輝いていて――
この少女のように、すべてのものは愛しいのかもしれない――
例え世界が、不完全だったとしても。
「……どうかしたのか?」
歩いている途中で、ソラはふとそんなナツに気づいたように声をかけた。
「いや、何でもない」
もちろんナツは、ついさっきまで考えていたことなど口にせず、そう言ってごまかしている。
昼の時間が迫ってきたので、屋台でホットドッグを買って食べた。そうして昼食を終えてしまうと、二人はしばらく休憩していた。夏の陽射しはかすかな音を立てて地上に注ぎ、時々思い出したように風が吹いては消える。
「次はどれにするんだ?」
と、ナツはちょっと疲れた声で訊いた。歩いてばかりいたので、少し足が痛い。
けれどソラはひどく元気そうな様子で、
「あれがいい」
と遠くのほうを指さした。
ナツがその方向を見ると、そこには何かを採掘するための特殊な機械みたいなものがあった。巨大なホイールに、いくつもの籠がぶらさがっている。その単純な形状には、奇妙な威容感のようなものがあった。
観覧車はひどくゆっくりと、古びた運命みたいに回っている。
※
烏堂有也の魔法〈暗号関数〉は、〝ある行為による効果を、指定した条件下で発動させる〟というものだった。
それは簡単に言うと、目覚まし時計のようなものだった。ベルという〝効果〟を、時間という〝指定した条件下〟で作動させることができる。ただしこの魔法の場合は、効果も条件も任意に選択することが可能だった。
その烏堂は今、駅前で奇妙な杖のようなものを持って歩いている。
杖と表現するには、それはやや特殊な形状をしていた。棒状の部分には象嵌で複雑な模様が刻まれ、上部には十字に交差した丸い輪があって、その中に鐘のようなものが吊り下げられている。ぱっと見には、何かの楽器というふうに見えなくもなかった。ただし、音を鳴らすための部品は見あたらない。
烏堂は駅前の人ごみの中で、その杖を使って地面を叩いていた。目を閉じて、意識を集中させている。近くを通りかかる人々が、一様に奇異の視線を投げかけていた。
(――間抜けた図だ)
と、雨賀は傍らでそれを見ながら思っていた。もっとも、間抜けですめばそれでいいが、下手をすれば不審者扱いされかねない。
そのあいだも、烏堂は真剣な面持ちで同じ作業を続けていた。
奇妙なその杖で地面が突かれるたび、世界にはかすかな揺らぎが生じていた。普通の人間には見ることも感じることもできないが、世界をわずかに作り変えてしまうような揺らぎが。
〝
ただし、〝存在の痕跡〟といってもそれは非常に曖昧なもので、せいぜいがその人物の影か足跡のようなものに過ぎない。しかも不特定多数の人間が存在する場所では、当然その識別は困難を極めた。目的の足跡が残っていたとしても、その上を踏み荒らされていれば元も子もない。
けれどそこに、烏堂有也の〈暗号関数〉が加われば話は別だった。
烏堂の指定した条件に従って必要な痕跡だけをふるいにかければ、目的の人物の存在証明を行うことができる。そこに痕跡さえ残っていれば、どれだけ複雑に錯綜していたとしても問題はない。どんな難解な数式であっても、正しい解に導くことができるように――
「どうだ、見つかりそうか?」
雨賀は怪しい儀式を行っているようにも見える烏堂に、そう声をかけた。
「……いえ」
地面を叩きながら、烏堂は答える。
二人は駅の改札付近からはじめて、バスターミナルのほうまでやって来ていた。幸い、そのあいだに駅員に通報されるような事態は起こっていない。〝探索魔法〟に〈暗号関数〉を併用しながら、烏堂は捜索を続けていく。
――と、停留所の近くで、烏堂は足をとめた。
そうして何度か確認するように、杖を突いている。
烏堂はゆっくり目を開いて、それから雨賀のほうを見た。ようやく証明のための突破口を見つけた、というふうに。
「ありましたよ、雨賀さん」
「本当か?」
雨賀は意外そうに言った。苦肉の策だったが、意外なことに運命には見捨てられていなかったらしい。
「間違いないです。少なくとも今日中に、彼女はここにいたようです」
「よし――」
と雨賀は一瞬で頭を切りかえた。これでようやく、〝お姫様〟を発見できるかもしれない。
「場所からいって、バスを利用したんだろう。経路を確認したら、車で追うぞ。経由地を一つ一つ調べていかなきゃならん」
「わかりました」
烏堂はこくりとうなずいている。
けれど――
(どうも、一人じゃないみたいな気がするんだけどな)
ということは、雨賀には言わなかった。ただの偶然なのかどうか、判別しきれなかったからである。
(しかしこの感じ、どこかで覚えがあるような……?)
烏堂は駐車場に向かって歩きだした雨賀のあとを追いながら、小さく首をひねっていた。もちろん、それが以前に公園で出会ったあの奇妙な少年のものだとは、烏堂は気づいていない。
故障中の貼り紙をされて止まったままの大時計は、ちょうど現在時刻とほぼ同じ時間を表示していた。
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