バスの中にはわりあいと人出があって、席はほとんど埋まっていた。

 ナツとソラは後ろのほうのシートに、二人で座っている。ソラは窓の外を熱心に眺めていた。そうすれば少しでも早く目的地に着ける、というように。車内には似たような子供とその親たちが、何人か乗車していた。

 その隣でナツは、特に何をするでもなくぼんやりとシートに座っていた。

「ナツは――」

 と、不意にソラは口を開いている。

「遊園地に行ったことがあるのか?」

「あるよ、けっこう前だけどな」

「楽しかったか?」

「いや――」

 何故か渋面でも浮かべそうな様子で、ナツは言った。ソラは訊く。

「どうしてだ?」

「……意味がないから、かな」

 少しだけ考えて、ナツは答えた。

「どうせ同じところをぐるぐる回っているだけで、どこにも行かないし、何も変わらないんだ。そんなことに何の意味がある?」

「嫌いなのか、そういうのが?」

「好きでも嫌いでもない……んだろうな」

 言いながら、ナツは自分でも少し馬鹿らしかった。

「別に何を感じるわけでもないんだ。ただ、どう楽しんでいいのかわからないだけなんだよ。ルールのわからないゲームみたいに。どうしてこんなものがあるんだろう、としか思わない」

「変なやつだ」

 ソラはもっともなことを言った。

「――お前は、行ったことあるのか?」

 面倒くさそうにナツが訊くと、

「ある」

 と、ソラはひどく短く答えた。遠くで聞こえる、かすかな物音に耳を澄ますみたいに。

「へえ、どうだった?」

 ナツは儀礼的に質問した。

「あまり覚えてないが、両親といっしょだった。ずっと小さいときのことだ。私は二人に手を引かれて、歩いてたんだ。はじめは何だか、怖かった。いつもとは全然違う場所だったし、遊園地というのがどういう場所なのかもわかってなかった」

「…………」

「でもしばらくしたら、私はそこが好きになっていた。夢の一部を取りだしたみたいなものだと思ったんだ。それだったら、どう楽しめばいいのかわかっていた。世界にはそんな場所もあるんだ、と思った。いくつも違うものが、世界には含まれてる。良いことも悪いことも、世界はたくさんのものでできている」

 そっと表情を和ませて、

「――そう、思ったんだ」

 ソラはそう言って、何か大切なものでもあるかのように窓の外に視線をやった。そんな何でもない風景も、遊園地の一部であるのかのように。

「…………」

 同じように、ナツもそんな風景を眺めてみる。

 それは少しだけ、さっきまでとは違っているように見えた。


 遊園地『ポラリスランド』は地方によくある、玩具のような遊園地だった。

 たいして目を引くようなアトラクションもなければ、独創的なコンセプトをしているわけでもない。誰かが何かの思いつきで作って、その思いつきが今も続いている、という感じだった。時間の流れに従いも逆らいもせずに、同じ場所で昨日と今日を送っている。

 バス停で降りて、二人は敷地の塀にそって歩いていった。やがて入口にたどり着くと、入場門の前には天球儀を模したオブジェが飾られている。中心点から二十三・四度傾いた先にあるのが〝ポラリス〟――北極星だった。

 宇宙船の形をした入場門をくぐると、中はそれなりの人出で賑わっていた。近隣の住民がやって来るのだろう。親子連れの姿が多かった。

「早く行こう、ナツ」

 と、ソラはひどくはしゃいだ様子でナツの手を引っぱっている。

 それを押しとどめながら、ナツはとりあえず園内のパンフレットを取り、乗物券を購入した。母親に追加で資金をもらっているので、交通費や食費を含めても十分にお釣りは出る。

「それじゃ、行くか」

 ナツが言うと、ソラは一目散に走っていった。どうやら、すでに乗り物の品定めは終わっていたらしい。

「まずはこれに乗るぞ」

 と指さしたのは、定番のコーヒーカップだった。柵の向こうでは、巨大なコーヒーカップが複雑な回転軌道を描きながら回っている。奇妙な乗り物だった。

 しばらくしてそれが停まると、降りる人と入れ違いになって二人はカップに座った。ほどなくして床全体が回りはじめると、その中の小さな床も回る。そしてカップ自体も、くるくる回った。

「――ははは、すごいな、ナツ」

 何がすごいのかはわからなかったが、ナツは真ん中のテーブルを持ってカップを回した。回転速度があがると、ソラはますます笑う。それがおかしくて、ナツもつい笑ってしまった。

 コーヒーカップを手はじめに、二人は遊園地のアトラクションをいくつかまわった。ボール投げや、空中ブランコや、メリーゴーランド――

 ナツにとってそれは、やはり意味のないものだった。それらは結局、同じところに戻ってくるだけのものだった。何かを得るわけでも、どこかに到達するわけでもない。何の意味も持たないもの。

 けれどソラは、一瞬の夢にしかすぎないようなそんなもののことを、心の底から楽しんでいるようだった。

 たぶん、この少女は知っているのだろう。

 それが壊れやすい、けれどしっかり守られた夢だということを――

 だからソラは、そんな一瞬の夢を楽しむことができる。彼女は戻るべき場所を、知っているから。その夢が、戻るべきその場所のために作られたものだと知っているから。

 この少女にとって、世界は不完全であっても、どれだけ悲しくて辛い場所だったとしても――愛しいものなのかもしれない。

(もしかしたら……)

 とナツはそんな少女のことを見ながら、思っていた。

 もしかしたら世界は、本当にそんな場所なのかもしれない。

 一瞬の夢みたいにすべては輝いていて――

 この少女のように、すべてのものは愛しいのかもしれない――

 例え世界が、不完全だったとしても。

「……どうかしたのか?」

 歩いている途中で、ソラはふとそんなナツに気づいたように声をかけた。

「いや、何でもない」

 もちろんナツは、ついさっきまで考えていたことなど口にせず、そう言ってごまかしている。

 昼の時間が迫ってきたので、屋台でホットドッグを買って食べた。そうして昼食を終えてしまうと、二人はしばらく休憩していた。夏の陽射しはかすかな音を立てて地上に注ぎ、時々思い出したように風が吹いては消える。

「次はどれにするんだ?」

 と、ナツはちょっと疲れた声で訊いた。歩いてばかりいたので、少し足が痛い。

 けれどソラはひどく元気そうな様子で、

「あれがいい」

 と遠くのほうを指さした。

 ナツがその方向を見ると、そこには何かを採掘するための特殊な機械みたいなものがあった。巨大なホイールに、いくつもの籠がぶらさがっている。その単純な形状には、奇妙な威容感のようなものがあった。

 観覧車はひどくゆっくりと、古びた運命みたいに回っている。



 烏堂有也の魔法〈暗号関数〉は、〝ある行為による効果を、指定した条件下で発動させる〟というものだった。

 それは簡単に言うと、目覚まし時計のようなものだった。ベルという〝効果〟を、時間という〝指定した条件下〟で作動させることができる。ただしこの魔法の場合は、効果も条件も任意に選択することが可能だった。

 その烏堂は今、駅前で奇妙な杖のようなものを持って歩いている。

 杖と表現するには、それはやや特殊な形状をしていた。棒状の部分には象嵌で複雑な模様が刻まれ、上部には十字に交差した丸い輪があって、その中に鐘のようなものが吊り下げられている。ぱっと見には、何かの楽器というふうに見えなくもなかった。ただし、音を鳴らすための部品は見あたらない。

 烏堂は駅前の人ごみの中で、その杖を使って地面を叩いていた。目を閉じて、意識を集中させている。近くを通りかかる人々が、一様に奇異の視線を投げかけていた。

(――間抜けた図だ)

 と、雨賀は傍らでそれを見ながら思っていた。もっとも、間抜けですめばそれでいいが、下手をすれば不審者扱いされかねない。

 そのあいだも、烏堂は真剣な面持ちで同じ作業を続けていた。

 奇妙なその杖で地面が突かれるたび、世界にはかすかな揺らぎが生じていた。普通の人間には見ることも感じることもできないが、世界をわずかに作り変えてしまうような揺らぎが。

 〝探索魔法トレーサー〟と、それは呼ばれるものだった。この魔法は、〝存在の痕跡〟を調べることができる。それによって一日くらいのあいだでなら、どんな人間がその場所にいたかを特定することが可能だった。

 ただし、〝存在の痕跡〟といってもそれは非常に曖昧なもので、せいぜいがその人物の影か足跡のようなものに過ぎない。しかも不特定多数の人間が存在する場所では、当然その識別は困難を極めた。目的の足跡が残っていたとしても、その上を踏み荒らされていれば元も子もない。

 けれどそこに、烏堂有也の〈暗号関数〉が加われば話は別だった。

 烏堂の指定した条件に従って必要な痕跡だけをふるいにかければ、目的の人物の存在証明を行うことができる。そこに痕跡さえ残っていれば、どれだけ複雑に錯綜していたとしても問題はない。どんな難解な数式であっても、正しい解に導くことができるように――

「どうだ、見つかりそうか?」

 雨賀は怪しい儀式を行っているようにも見える烏堂に、そう声をかけた。

「……いえ」

 地面を叩きながら、烏堂は答える。

 二人は駅の改札付近からはじめて、バスターミナルのほうまでやって来ていた。幸い、そのあいだに駅員に通報されるような事態は起こっていない。〝探索魔法〟に〈暗号関数〉を併用しながら、烏堂は捜索を続けていく。

 ――と、停留所の近くで、烏堂は足をとめた。

 そうして何度か確認するように、杖を突いている。

 烏堂はゆっくり目を開いて、それから雨賀のほうを見た。ようやく証明のための突破口を見つけた、というふうに。

「ありましたよ、雨賀さん」

「本当か?」

 雨賀は意外そうに言った。苦肉の策だったが、意外なことに運命には見捨てられていなかったらしい。

「間違いないです。少なくとも今日中に、彼女はここにいたようです」

「よし――」

 と雨賀は一瞬で頭を切りかえた。これでようやく、〝お姫様〟を発見できるかもしれない。

「場所からいって、バスを利用したんだろう。経路を確認したら、車で追うぞ。経由地を一つ一つ調べていかなきゃならん」

「わかりました」

 烏堂はこくりとうなずいている。

 けれど――

(どうも、一人じゃないみたいな気がするんだけどな)

 ということは、雨賀には言わなかった。ただの偶然なのかどうか、判別しきれなかったからである。

(しかしこの感じ、どこかで覚えがあるような……?)

 烏堂は駐車場に向かって歩きだした雨賀のあとを追いながら、小さく首をひねっていた。もちろん、それが以前に公園で出会ったあの奇妙な少年のものだとは、烏堂は気づいていない。

 故障中の貼り紙をされて止まったままの大時計は、ちょうど現在時刻とほぼ同じ時間を表示していた。

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