5
駅前のハンバーガーショップで、ナツはフロートドリンクを飲みながら少女が食事を終えるのを待っていた。
店内は昼時だけあって、それなりに混みあっている。二人は二階にある窓際の席に座っていた。ガラスの向こう側には車や人の群れが、奇妙に現実感を欠いた陽射しのもとで行きかっている。店内にはBGMとして、一月の誕生石が曲名になった歌がかけられていた。
「
と、あのあとで少女は自分の名前を名乗った。
「そら?」
ナツが訊きかえすと、
「〝そうきゅう〟の〝そら〟だ」
と返答する。蒼穹、のことらしい。けれど、ナツにはわからなかった。小学校で習うような漢字ではない。
「…………」
ナツはずず、と音を立ててドリンクを飲みながら、少女が食べ終わるのをぼんやりと待っていた。ナツ自身はすでに、完食している。
ハンバーガー二つに、フライドポテトとナゲットが一つずつ。お腹が空いていたというだけあって、少女はそれらを軽く口にした。
といって、少女が一文無しだったとか、そういうわけではない。ナツが清算をすませたあと、その分の代金を支払っている。そのくせこの少女は、丸一日近く何も食べていないということだった。理由を訊くと、思いつかなかったからだ、と言われた。何を思いつかなかったのかは、よくわからない。
(透村穹、ね……)
今のところわかっているのは、それだけだった。ナツはいろいろ推理してみようかと思ったが、やめておく。どうせろくな見当などつきそうもなかった。
やがてソラは、ようやく人心地ついたという感じで飲み物に手をつけている。トレイの上には汚れ一つなく、上品そうに片づけられていた。何となく、育ちのよさを感じさせるところではある。
窓の外では横断歩道の信号が変わって、何かの実験みたいに人の流れが動きはじめていた。
「――さて、話を聞かせてもらおうかな」
頃合いを見計らってから、ナツは言った。
「なかなか、おいしかったぞ」
「食事の感想は聞いていない」
「――そうだろうな」
ソラは澄ました顔で、飲み物をすすっている。
「……わかってくれて、ありがたいよ」
ナツは面白くもなさそうに言った。それから、
「どうして、僕のことが〝魔法使い〟だなんてわかったんだ?」
と、一番重要なことを質問した。
その言葉を口にするとき、ナツは特にまわりを気にしたりはしなかった。どうせ誰にもわかりはしないのだ。それが本当の話だなんていうことは――
「…………」
ソラはその質問にすぐには答えず、
「〈運命遊戯〉だ」
と、奇妙な単語を口にした。
「何……?」
「そういう魔法だ。未来を予言することができる。その魔法で、私はあそこでお前と――というより、魔法使いと会うことになっていたんだ」
「嘘臭いな」
ナツは胡乱な顔で首を振った。
「ほかに、私がお前のことを魔法使いだとわかった理由があるのか?」
「いくらでもあるだろう」
ナツは少しうんざりした調子で言った。
「例えば、あるのかどうかは知らないが、魔法使いかどうかを判別する魔法を使った、とか。あるいはそうでなくとも、はじめから僕のことを知っていた、とか」
「無意味な議論だな」
ソラはひどく簡単に言った。
「可能性の問題だよ」
言ってから、ナツはふと思いついたように、
「そうだ、その魔法〈運命遊戯〉か? それをここで使ってみればいい。そうすりゃ、嫌でも信じられる」
「……無理だ」
「そうだな、あそこの信号があとどのくらいで――何だって?」
「無理だ、と言ったんだ」
ソラはごくそっけない態度で言った。
「これはそういう魔法じゃない。ハサミが接着剤にならないようなものだ。それにさっきお前と会うことと同じように、もうこの先のことも予言されている。今ここで魔法を使うことはできないが、それだったら見せてやろう」
「見せる?」
どういうことだ、という顔をナツはした。
「〈運命遊戯〉は紙に文字として浮かびあがってくる。その文言を記してある紙が、ここにある」
「何が書いてあるんだ?」
ナツはそう言って、ソラがポケットから取りだした紙を受けとった。四つに折りたたまれた、A4サイズのごく普通のコピー用紙である。そこにはずいぶんきっちりとした書体で、文字が書かれていた。
「 舞台は旧い約束を示す町
盲目の王の前、半分の魔法使いに出会う
巻き忘れた時計の螺子
サンドリヨンの魔法が解けることはない
無言劇に興じる五人の道化師たち
照明は白くならず、背景は黒くならず
火のない煙にご用心!
鵞鳥が産んだ六つの花
開かない扉、閉じない密室
兎の穴はいつまでも続く
角のないユニコーンとライオンの争い
運命は影の中で眠る
時計の螺子は再び巻かれ
五人目がすべてを決定する
心臓には十字の杭が打ち立てられ
見えない血が世界を交わらせる 」
その紙からは、ナツにもかすかな〝揺らぎ〟を感じることができた。ただの気のせいかもしれなかったが、どうやらそれが魔法によるものだというのは本当らしい。
とはいえ、ナツは文章を読みながら眉をひそめていた。これでは、どんな意味にでも解釈できそうだった。自称予言者によくある常套手段だ。
けれど――
〝半分の魔法使い〟
その言葉を、ナツは無視することができなかった。訓練を受けていない半人前、半端者――解釈はいくらでもできる。
いや、本当はナツにはその言葉の意味はわかっていた。その〝半分〟が何を意味するのかを。
「わかったか、これが予言だということが」
「いや――」
ナツはその紙を返しながら、小さく首を振った。
「確証があるとはいえない。こんなもの、いくらでもでっちあげられるからな」
「〝旧い約束〟は虹のことだ」
ソラはすらすらと、淀みなく口にした。
「旧約聖書の大洪水後、神様はもう二度と同じことをしないと人間たちに告げ、その証として雨が降ったあとには虹を示すことにした。虹は天の橋、つまり天橋市のことだ。〝盲目の王〟はオイディプスを指している。最初に説明したとおりにな」
一応、筋は通っている。
ナツはうまい反論を思いつかなかったが、かといってソラの言葉をそのまま信じる気にはなれなかった。
「――すべてが運命だっていうなら、こんなやりとり自体に意味なんてないんじゃないのか? もう、すべては決められたことなんだろう」
それはほとんど、言いがかりに近い発言だった。ナツ自身、あまり熱心に口にしたわけではない。
けれど、透村穹という少女は、真剣に言った。
「――意味なら、ある」
「…………」
「意味がないなんてことは、絶対にない」
それは強くて、そのくせ簡単に壊れてしまいそうな、そんな口調だった。透明なガラスが、ちょっとしたことで簡単に砕けてしまうみたいに。はるか空の彼方から降ってくる氷の結晶が、手のひらで音もなく融けてしまうみたいに。
ナツは何も言えないまま、もうすっかり飲みほしてしまったドリンクのストローに口をつけた。
「ところで、お前に頼みたいことが一つある」
と、しばらくしてソラは言った。
「何だ?」
「私は昨日から、泊まるところがない」
「……?」
ドリンクから手を離した。
「だから、お前の家に泊めてほしい」
「……それは、何かの冗談なのか?」
「残念だが、そうじゃない」
ナツは首を振った。どうして首を振ったのかは、自分でもわからない。
「わからん。どうして僕が、今日出会ったばかりの、友達でも何でもない見ず知らずの女の子を家に泊めなくちゃならないんだ?」
「予言がここまで私を導いた以上は、そういうことだろう」
「やっぱりわからん」
「――なら、こうしよう」
仕方ない、というふうにソラは言った。
「今からコインを投げる。それでもし表が出たら、私をお前の家に泊めろ」
「だから、どうしてそうなるんだ?」
ナツはちょっとうんざりしている。
「自分の家に帰ればいいだろう。この予言なら、それくらいの都合はつけられるはずだ。そもそも、何だってまた……」
「私には、もう親も家族もいない」
「――――」
「だから、それくらい構わないだろう?」
何故だか、ナツは何も言えなかった。
それは透村穹というこの少女が、きれいなガラス玉みたいに、あんまりにも透明に笑ったせいかもしれない。
そのあいだにソラは財布から十円玉を取りだし、くっつけあわせた親指と人さし指の上に乗せていた。
――たぶんそれは、運命の分かれ道だった。
そんなふうに、運命がやってくることもある。まるで、ちょっとした遊戯のように。
ソラは硬貨を親指で弾いた。十円玉はぴん、という空気の割れるような音を立てて、宙をくるくると回った。少女はそれを右手でつかんでいる。
少し間をおいてから、ソラは握った右手を開いてみせた。窓の外ではまた信号が変わって、人が動きはじめている。
指先に乗った十円玉は、社会で習ったことのある「平等院鳳凰堂」を上にしていた。
「――表だ」
少女はごく短く、それだけを告げた。
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