市街地の道路は変に入り組んでいて、ごちゃごちゃとしていた。駅前の商業区は十数年前から姿を変化させておらず、その光景は写真から再現されたものと同様でしかない。

 そんな旧態依然とした駅前に並ぶ建築群の一つに、北銀百貨店はあった。いわゆる老舗のデパートで、赤いレンガ造りのモダンで瀟洒な建物は、市の名所としても案内されている。

 ナツはその日、このデパートにやって来ていた。

 目的は、店舗に入っている雑貨屋などをまわることである。輸入品などのわりと珍しい品が陳列されていて、魔法のヒントになるようなものに出会うこともあった。一種の気ばらしと実益をかねた暇つぶしである。

 正午近くという時間帯のせいか、夏休みのわりに人の姿はほとんどない。ナツはエスカレーターに乗って、上のフロアに移動した。まばらな人ごみには、高所の低気圧めいた空虚感があった。

 別に何を探すわけでもなく、ナツは雑貨屋や文房具屋といった店を巡回する。スコップの形をしたスプーンや、リンゴ型の鉛筆削りや、小さなイスを積みあげていくゲームなどが並んでいた。

 十二時もまわって一通りのものを見終わると、ナツはこれからどうするかを考えた。用事というほどのものはないし、そろそろ昼食のことも考えるべきかもしれない。

 けれどナツは建物から出るようなことはせずに、もう一階上に昇ってみることにした。七階のそのフロアでは、催事場で展覧会のようなものが開かれていたのである。

 ――それは本当に、何気ない決断だった。何が特別なわけでも、重大なわけでもない。

 けれど世界が〈運命遊戯ドゥーム・ダイス〉の影響下にあるその時、それは単なる思いつきの行為としては終わらなかったのである。

 久良野奈津と、もう一人の少女。

 本来ならまるで無関係だったはずの二人の運命は、その時交わろうとしていた。それはただすれ違って、通りすぎていくだけの、そんな運命のはずだった。にあって、絶対に交差することのない線と線のように。

 けれど、そこにがかかったとき、ねじれは奇妙な歪みを見せて、幾何学的法則を超えて二本の線を重なりあわせていた。

 俗っぽい言いかたをするなら――

 その時、のだ。


 七階の催事場で行われていたのは、ある作家の個展兼即売会のようなものだった。入口の案内表示には『Shijo Yuuki ガラスアート展 ~物語シリーズ~』と書かれている。

 本屋やCDショップといった店に囲まれて、その会場はあった。入場料などは取らない。受付けに案内係が一人いるだけで、あとは自由に閲覧していいようだった。

 ナツは会場に入って、適当に作品を見はじめた。ほかのフロアと同じで、この展覧会にも人はほとんどいない。主婦らしい二人連れの客がいなくなると、会場にはもう誰もいなくなっていた。

 ガラスアート展というだけあって、作品はすべてガラス製である。花瓶やコップといった日用品ではなく、どれも自由造形的な装飾品だった。展示された作品はどれも、鑑賞者がいなくてもたいして気にはしていないように見える。

 特にガラス芸術に詳しいわけでもないので、ナツはこの展覧会の作者のことも知らなかった。とはいえ、小さなキャプションにつけられた題名と値段を見るかぎりでは、ゼロの数がいささか多すぎるようでもある。

 何を期待するわけでもなく、作品の一つ一つを見ていく。その途中、ナツはあるものの前でふと足をとめた。

 その作品は、ぱっと見にはよくわからない代物だった。人のようなものが、屈んでいる。その人は泣いてでもいるのか、両手で目を押さえていた。透明なガラスで作られているはずなのに、その内部にはどこか光を拒んでいるような印象さえあった。

 奇妙な形をしたその作品には、『オイディプス』と題名が表示されている。

 それは、どこかで聞いたことのある名前だった。確かギリシャ神話か何かの登場人物のはずだ。心理学で、コンプレックスの一つを表現するのにも使われていた気がする。

 ナツはずいぶん長いこと、その作品を眺めていた。

 だからこの少年は、自分のすぐ横に一人の女の子が並んでいることになかなか気がつかなかった。

「――予言によって父を殺し、母を妻としたテーバイの王は、結局そのことを知って絶望してしまい、自らその両目をえぐり、呪われた身となって大地を流浪する」

 少女は静かな声で、そう言った。

「?」

 そこでようやく、ナツは少女のことに気づいている。声のしたほうを向くと、すぐ隣に小さな女の子が立っていた。

 どうにも、見覚えのない少女である。

 年齢は十歳かそこらで、ひどく小柄な体型をしていた。澄んだ夜の三日月みたいにきれいな眉をして、髪はポニーテールにしてくくっている。シックな、ほとんど古風とさえいっていい佇まいをしていた。どこか、高山植物のような凛とした雰囲気のある少女だった。

 少女はナツと同じように、じっと作品をのぞきこんでいる。まるでそこに、大切な何かが隠されている、とでもいうふうに。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

「誰だ、お前――?」

 ナツは詰問するような口調で、鋭く言った。

 けれど少女は、まるで無反応である。何かを考えこむようにその『オイディプス』を眺めるばかりで、返事をしようともしない。

「〝旧い約束を示す町〟〝盲目の王の前〟……」

 少女はそんなことをつぶやくばかりだった。

「おい、聞いてるのか?」

 いきなり人の隣にやってきて、聞きもしない神話の解説をするなんて、こいつはどうかしているんじゃないか――

 ナツはそんなことを思っていたが、それも次の瞬間に少女がこんな言葉を口にするまでだった。

「……お前が〝半分の魔法使い〟か?」

 少女はそう、ナツに向かって言った。その瞳は対象をまっすぐに射抜く矢のように、相手のことを見つめている。

「――――」

 ナツはとっさに、返事ができなかった。言葉につまって、けれどそれがほとんど質問の答えになってしまっている。

 いったいどうして、自分のことを魔法使いだなんていうのか――

 それも何故、〝半分〟だなどと――

 ナツはわけがわからないまま、警戒を強めた。この少女はいったい、何者なのか。

 けれどその時、

「くぅ――」

 という、妙に間の抜けた音が聞こえている。

 どうやらそれは、少女の腹の虫が立てた音のようだった。

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