ナツはペダルをこぐのをやめて、ゆっくりとブレーキをかけた。公園に到着したのである。自宅のマンションからは、およそ二十分ほど。夏場になると、さすがに陽射しがきつかった。太陽は何かの理由で地球を恨んでいるのかもしれない。

 入口にある車止めを器用によけて、ナツは自転車に乗ったまま敷地内に入った。公園にはすでに何人かの子供たちがいて、夏の陽射しのもとで遊んでいる。蝉たちは飽きもせずに同じ声で鳴き続けていた。時間はいつもより、いくらか余裕をもって回っている。夏休みなのだ。

「――あ、ナツのお兄ちゃんです」

 子供たちの一人が気づいて、すぐさま近づいてきた。ほかの子たちも遊ぶのをやめて、ナツのところに集まってくる。何となく、池の鯉に餌撒きをするのに似ていた。子供たちの中には、最初の女の子とそっくりな子も混じっている。

 ナツと子供たちは当然、知りあいである。年齢はばらばらだったが、全員が星ヶ丘の生徒だった。ナツが魔法使いだということも、みな知っている。

 けれどそれは、手品師とか、奇術師とかいう認識に近い。子供たちは魔法を、不思議なものとしては理解していなかった。たぶんそれは、子供たちが魔法を必要としてはいないからだろう。彼らがこの世界の不完全さに気づくのは、もっとずっと先の話だった。

 いずれにせよ、ナツはただ子供たちを使って魔法の実験に協力してもらっているだけだった。自分の魔法にできることや、その可能性を――

「ナツのお兄ちゃん、今日はどうしたんですか?」

 と、最初の女の子が訊いてきた。

「ちょっと新しい魔法を試そうかと思ってな」

 そう、ナツが言うと、子供たちは興味津々といったふうに目を輝かせた。

 ナツの魔法――

 それは、〝描きこんだ記号の効果を現実化する〟というものだった。「形而上の象徴を、形而下の現実に置き換える」と表現されたこともある。

 この魔法ではナツが何らかのシンボルを描きこむと、その効果が発動した。例えば、紙ひこうきの翼に〝ジェットエンジン〟を描きこめば、魔法による推力を付与することができる。

 ナツ自身には知るよしもなかったが、それは特殊型ユニーク・タイプと呼ばれる種類の魔法だった。

 魔法とは、世界に対して〝揺らぎ〟を作りだし、それに〝形〟を与えてのことである。

 通常、魔法使いは作りだした〝揺らぎ〟に魔術具という鋳型を通して〝形〟を与える。〝発光魔法ライティング〟や〝開錠魔法アンロック〟といったこの手の魔法は、一般型アンティーク・タイプと呼ばれ、魔法使いなら訓練次第で誰でも使いこなすことができるようになった。

 それに対して特殊型は、いわば自分自身を魔術具として扱う種類の魔法だった。当然ながらそれは個人によって異なるし、必ずしもすべての魔法使いが使用可能になるというわけでもない。

 ナツは魔法についての知識も、魔法使いとしての訓練も受けたことはなかったが、その特殊型の魔法を使いこなすことができた。それは一種の才能といっていいのかもしれないが、この少年自身にとってはどうでもいいことだった。使えるから、使う。それだけの話で、それ以上でも以下でもない。もしもある朝目覚めて、魔法が使えなくなっていたとしても、たいして気にはしないだろう。

 久良野奈津というのは、そういう少年だった。

「とりあえず、今日はこいつをやってみよう」

 と言ってナツがウエストバッグから取りだしたのは、電車のおもちゃだった。電池を動力にした、プラスチック製の安価なものである。

「どうすんの、それ?」

 子供の一人が、疑り深そうに言った。

「こうするんだよ」

 ナツは木の枝を拾いあげると、それを使って地面に線を引きはじめた。競技場のトラックのような、潰れた楕円型をした二本の線である。その線のあいだに、いくつも横棒を足していく。電車の線路だった。

 それから電車のおもちゃに〝目〟を書きこんで、線路の上に乗せてスイッチを入れる。モーター以外には何もついていないはずのそのおもちゃは、即席のレールに従ってぐるぐると回りはじめた。

「すげえ」

 子供たちは感心して、自分たちでもレールを描きはじめた。電車は線路の続くかぎり、その上をどこまでも走り続けていく。魔法の効果か、電池が切れるまでは。

 ナツは木陰のベンチに座って、それを眺めていた。魔法を使ったあとの、軽い疲労感のようなものがある。それに太陽の陽射しがきつい中を、元気よく線路工事にとりかかる気にもなれなかった。

 そうやってナツが休憩していると、

「――ずいぶんと珍しいことをしているんだな」

 と、不意に声をかけられていた。

 ナツが振りむくと、そこには二人の男が立っていた。いつからそこにいたのかは、わからない。ずいぶん、ちぐはぐした印象の二人だった。

 声をかけてきたのは、三十代後半くらいの無精髭を生やした男だった。あまり身なりに気を使っている様子はなく、髪にはろくに櫛を入れられた形跡がない。もう一人のほうは大学生くらいの年齢で、雑誌で見かけそうなくらいのしゃれた格好をしていた。

「誰なんです、あんたたちは?」

 ナツは物怖じしない口調で言った。知らない大人に話しかけられたにしては、ひどく落ちついている。

「いや、ただの通りすがりだよ」

 男はナツの質問をはぐらかすように、小さく笑った。

 もう一人の若い男のほうは、広場で遊びまわる子供たちを興味深そうに眺めている。

 いや――

 正確には、子供たちが遊んでいるを、だった。

「あれをやったのは、君なんだろうな?」

 男は愛想よく笑ったまま、ナツに訊いた。その手には、何かペンダントのようなものが握られている。

「ちょっとしたおもちゃです。別に、珍しいものじゃない」

 ナツはごく平静な調子で言った。

「ほう、最近のおもちゃはよくできているらしいな。地面に描いたレールの上を走るだなんて」

 男はナツの言葉を信じているような、いないような、どこかとぼけた態度で言った。

「…………」

 ナツは返事をせずに、黙っている。何となく、嫌な感じがした。どうも、ナツの魔法のことについて気づいているようである。

 けれど男たちは、それ以上のことについて質問するつもりはないようだった。

「ところで、この辺で女の子を見かけなかったかな――?」

 と、男はことのついでといった感じで訊ねてきた。

「小学校四年生くらいの、可愛い女の子なんだけどね。俺たちはその子にちょっと用事があって探してるんだ。詳しい事情は教えられないけど、とても大事な用事でね」

「探偵、ってやつですか?」

 もう一人のほうを見ながら、ナツは訊いてみた。

「まあ、そのようなものだ。家出人の捜索をやっていると思ってもらってもいい」

 男は冗談めかした感じに笑ってみせる。

 ナツはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「……そういえば、見ましたよ」

「ほう、そいつは助かるな」

「それも、二人」

「……ん?」

「ほら、あそこにいるでしょ。小学校四年生くらいの、可愛い女の子。それもそっくり同じ子が二人も」

 ナツは笑いもせず、まっすぐ広場のほうを指さした。そこには子供たちに混じって、双子の女の子が仲よく遊んでいる。

「……なるほど、確かにそうだな」

 男はちょっと苦笑してみせただけだった。子供に怒るような大人げない性格はしていないらしい。それから、

「――烏堂うどう、行くぞ。ここに〝お姫様〟はいないらしい」

 と、広場のほうを眺めていた男に呼びかけた。烏堂と呼ばれた男は振りむいて、「了解です、雨賀あまがさん」と答えている。

 ナツのほうはそれでもう話はすんだというふうに、手許で何か作業をしていた。

「邪魔をして悪かったな。もしも今度この辺で見かけない女の子を見つけたら、俺に教えてくれ……あと、あの妙なおもちゃはどこで売ってるんだ?」

「たぶん玩具屋に行けば置いてありますよ、きっと」

 ナツは下を向いたまま、ごくまじめに答えた。

「なるほど、今度探してみるとするよ」

 男はそう言うと、後ろ手に手を振って行ってしまった。そのあとを、烏堂という男がついていく。

「あ、ちょっと待ってください」

 ナツはその烏堂という男に向かって、声をかけた。

「背中に何かくっついてますよ」

 ごく自然な動作で近づいて、ナツはその背中に右手をのばした。「――ほら、糸くずです」と、ナツはその証拠品を烏堂に示した。

「本当だ。わざわざ教えてくれて、ありがとな」

 烏堂は丁寧に礼を言って、感謝した。見ためより礼儀正しい青年だった。

「いえ、どういたしまして」

 ナツは糸くずをふっと吹き払って、にこりとした。青年は、「――遅いぞ、何をしてる」と雨賀に言われて、慌てたようにそちらに向かって走っていく。

 二人を見送るようにして、ナツはしばらくその行方を眺めていた。やがて二人は公園の外にあった車に乗ると、そのままどこかへ走り去っている。

 広場では、何事もなかったかのように子供たちが遊び続けていた。

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