第9話 四天王ヒミコの下克上

そしてヒミコが、魔物の呼び笛を吹く。


彫られた骸骨が金切り声をあげたかのように、精神を震わす甲高い音が辺りに響いた。


まるで地獄の底から聞こえてくる亡者の叫びのようにおぞましい音とともに、辺りに黒い霧が立ちこめる。


不吉と不安を溶かし込んだかのような漆黒が辺りを包んだ。




やがて黒い霧が晴れていく。


その中心に、人影が見える。

ゆらりゆらりと揺れる影は、まるで手招きしているかのような不気味さを湛えていた。


「わらわの家来になる栄誉をやるから、そこの不細工なトロールをやってしまうのじゃ!」


ヒミコの命令にもかかわらず、影はただ揺らぐだけだった。


ゆらり


ゆらり。


「ええい。何者じゃ!貴様!」


しかし、影は答えない。


嘲笑うかのように、漆黒の霧海をたゆたうのみであった。


その様子に業を煮やしたのか、ヒミコが叫ぶ。


「魔王四天王が1人、オロチのヒミコが命ずる‼ 早くそこのトロールをぶちのめすのじゃあああああ!!!」


ヒミコの憤怒の叫びが山々に木霊する。


ピタリと影が動きを止める。

そしてついに、呼び掛けに答えた。


「ああん。なんじゃって?よう聞こえんかったわい!」


じじいだった。


完全に晴れた霧の向こうに居たのは、じじいだった。


真っ白な髭。禿げ上がった頭。

手にした杖に体を預けるその姿は、じじいを絵に描いたかのようなじじいだった。


「ただのじじいではないか!!」


「あれだけの登場演出しておきながら弱そうなじじいブヒッ。」


「いや、この笛で呼び出されたということは、魔王軍の一員のはずじゃ!そうなんじゃろう?」


「…zzz。」


じじいは、舟をこいでいた。

こっくりこっくりと頭部が揺れ動く。


ゆらりゆらり。


「寝るな!」


スパーン!!


ヒミコが頭を叩く。


「三途の川じゃ~。」


「そのやりとりは、何故かしんみりとした気分になるブヒよ……」


ブータンがとろんとした目で、じじいを見た。


じじいがやっと顔を上げる。


「聞こえんかったから、もう一度言ってくれんかのう?」


「じゃから、魔王軍なんじゃろう?」


「なんじゃって?」


「何者か聞いておるんじゃ!!」


 じじいは、長い長いあくびをした。


「うむ。わしはナジミンの塔の管理人じゃよ。塔の最上階で鍵の管理をするのが仕事じゃ。」


「なるほど。魔王軍の事務員が呼び出されたブヒね~。辺境の拠点で鍵の管理とか大層な出世頭ブヒ~。」


「なに!?こんなじじいが魔王軍!?魔王軍は魔物だけではないのか!?」


驚くヒミコ。


「当たり前ブヒッ。大きい組織なんだから、

専任の事務員もいるのは当然ブヒッ。」


「ぐぬぬ。下級の魔物が事務を兼任しているのかと……。」


「いまどきは、ホワイトカラーとブルーカラーは分けるのが普通ブヒよ~。」


「ぐぬぬ。でもよく考えれば、魔物は知能低いやつが多いし、魔物だけで事務はこなせんか……」


 ヒミコは腕を組んだ。


「くっ。こんなじじいでは、肉弾戦は期待できぬが……。そうじゃ!!何か得意な魔法とかはないのか!?」


ヒミコがじじいに詰め寄る。


「うむ。それならばとっておきの魔法があるぞ。有象無象を綺麗サッパリ消し飛ばす強力な魔法じゃ。」


「おお!あるではないか!腐ってもやはり魔王軍じゃな。早速やるのじゃ!」


ヒミコの眼が輝く。


「うむ。ところで飯はまだかのう。婆さんや。」


「誰が婆さんじゃ!」


「古くさい喋り方してるせいブヒッ。」


ブータンの、小馬鹿にしたような笑みは、

「じじいは、ボケまで入ってるブヒね~。」

と、言わんばかりであった。


「いいからさっさと魔法を使わんか!」


「聞こえんのう~。最近耳が遠くてのう~。」


「こやつ!!バカにしおって!!」


「もうすぐ、孫の誕生日でのう。誕生日プレゼントを買ってやりたいが、魔王軍の安月給ではのう……。」


遠くを見つめながら、ぼやくじじい。


「何の話じゃ!!」


苛立つヒミコ。


「因みに、ドラグーンクエストとか言うボードゲームをねだられておってのう……。」


チラッ。

横目でヒミコを見るじじい。


「どこかに、買ってくれる親切な人はおらんかのう。」


チラッ。チラッ。


「そんな親切な人にお願いされたら、魔法の一つくらいすぐに詠唱してやるんじゃが。」


チラッ。チラッ。チラッ。

「ぐぬぬ。足元見おって!!魔王軍経費で買ってやるからさっさとやるのじゃ!!」


ヒミコは、すばやくゴールド銀行の手形をきった。


「毎度あり!!」


さっと杖を構えるじじい。


老人とは思えない機敏な動き!!

これが、カネの力だ!!


「のんきに詠唱はさせないブヒッ!」


ブータンが阻止すべく、慌てて飛び出そうとするが、それより早くじじいは手にした杖を天に掲げた。


するとまばゆい光がブータンを包み込む。


「おお!魔法の杖じゃったか!やるではないか!」


迸る光の濁流に飲み込まれたブータンを見て、思わずガッツポーズを決めるヒミコ。


「やったぞ!奴は消し飛んだのじゃ!豚汁はつくれんが、これはこれでよかろう」


光が収束していく。


完全に光が消えたあと、


そこには何も残っていなかった。


生い茂っていた雑草も


落ちていた小枝も小石も


飛んでいた羽虫も。


何もかもが消し飛んでいた。


「…ブヒ?」


ブータンを除いて。


「はあああああああああああ!?

なんでじゃああああああああああああ!?」


発狂するヒミコ、魂の叫び。


「うむ。これぞ我が究極の掃除魔法ダイソーンじゃ。頑固なシミから、空気中のハウスダストまで綺麗サッパリじゃぞ!

もちろん人や魔物に無害の安心設定じゃ!」


ドヤ顔を決めるじじい。


「もおおおおおおおおおお!

違うのおおおおおおおおおおおお!

そういうのじゃないのおおおおおおおおおおおお」


地面に横になって、手足をバタバタさせるヒミコ。


「よしよし。じいじがなんでも買ってあげるから泣き止むんじゃよ」


「婆さん扱いの次は、孫扱いブヒ。」


 ダイソーンによって、無駄にきれいになったブータンが言った。


「グスッ。いいもん。他のやつ呼び出すもん。」


ヒミコは再び魔物呼びの笛を構えた。


息を大きく吸い込み、吹こうとした瞬間。


一陣の風が駆け抜ける。


スパーン。


小気味良い音を立て、笛が真っ二つに割れた。


「ひゅい!?」


変な声を出しながら尻餅をつくヒミコ。

ペタッ。


「全く。来るのが遅すぎるブヒよ。大神官殿。」


急に、なぐりつけるような突風が生じ、ヒミコは思わず目を閉じた。


 目を開けると、僧衣を着た一人の壮年の男がいた。金糸と銀糸の古代文字を縫い込んだ純白の僧衣には、しみ一つない。あふれ出る魔力のせいで、そのからだの周囲の空気がゆれているように見えた。


「すまぬ。ブータン殿。究極の魔方陣の構築が予想以上に難航しているのだ。あと3日はかかるだろう。」


 大神官は、ゆっくり重々しく言った。


「なんじゃ貴様!見るからに偉そうな神官がどうしてトロールの味方をしているのじゃ!」


「はっはっは。ブータン殿は同じ神を信仰する同士なのですよ。」


「か、神じゃと!?」


「そう、私達の神は間もなくこの世に降臨する!紛い物の偶像などでなく、血肉を伴う完全な生命として!!」


大神官はそう言って恍惚とした表情を浮かべた。


「それも、この玉座に蓄えられた魔力のおかげだ。」


そう言ってヒミコに向き直る。


「さて、ヒミコ殿。ブータン殿の『元』上司ということに免じて、逃げ出すなら命までは――」


「覚えておれ!」


ヒミコは、大神官が言い終わるより先に走り出していた。


ステーン。


でも転けた。


「お、覚えておれよ!!」


起き上がりながらもう一度言った。


目の端の涙がキラリと光る。


捨て台詞を吐きながら、パタパタと走り去るヒミコを大神官は首をふりながら見送った。


やれやれ。

大神官が首を振る。


じじいがそんな大神官を見て、口を開く。


「大きくなったのう。息子よ。背におぶっていた頃が懐かしいわい」


やれやれ、またボケが始まりましたか、とでも言いたげに、大神官が首をふる。


「私はあなたの息子ではないですよ。管理人殿……」


諭すような口調で大神官が言った。そのまま続ける。


「……ああ、そうだ。ナジミンの塔の最上階をお借りしております。あと3日は使わせて下さい」


「うむ。久しぶりに帰省してくれたんじゃ。ゆっくりしていってくれ、息子よ。」


「ええ。もうそれでいいです。お父さん」


やれやれと呟きながら大神官は歩き出した。

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