〈第一幕〉


ナ(ナレーション) ここは古い時代の、ある小さな村です。谷あいのその美しい村には、澄んだ小川が流れ、水車がゆっくりと回っています。空はどこまでも広がり、明るい光がさんさんと注いでいました。


 ヨーロッパ中世風の建物と衣装。家の中には青年の男と女。男は沈鬱な表情でイスに座り、女が心配そうにそれをのぞきこんでいる。


(机に手をついて、勢いこむような調子で言う。)

村娘 A ユリシス、いつまでそうしているつもりなの?

ユリシス …………。

村娘 A あなたたちがどれくらい愛しあっていたかは、知っているわ。けどだからこそ、アニエスはあなたがこんなふうに悲しんでいるのを喜ばないと思う。

ユリシス …………。

村娘 A ねえユリシス、元気を出して。死んだ者はどうしたって生き返りはしないのよ。私たちにできるのは、彼らの死を生き続けるだけなの……。

ユリシス …………。

村娘 A 私、そろそろ行かないといけないわ。ユリシス、本当に元気を出してね。みんな、あなたのことを心配してるわ。

(悲しそうな諦めの表情を浮かべ、ユリシスの家をあとにする。舞台全体が暗くなり、家の外がスポットライトで照らされる。舞台袖から同じような四人の村娘が現れる。)

村娘 B どうだった、ユリシスの様子は?

(村娘A、首を振る。)

村娘 C アニエスが亡くなって、もう一年にもなろうとしているのに。ユリシスはいつまでああしているつもりなんだろう? あのままじゃ、ユリシスだっていつかどうにかなってしまう。

村娘 D でも、無理もないわ。あの二人は子供の頃からいっしょで、村でも一番の恋人同士だったんだから。それにあの事故のこと、ユリシスは悔やんでも悔やみきれないだろうし……。

村娘 E いいえ、あれは仕方なかったのよ。誰がいても、結果は変わらなかった。ユリシスがいつまで考えたって、どうにもならないことよ。アニエスだって、そんなこと望んじゃいないわ。

村娘 B どっちにしろ、私たちにはどうすることもできないわ。これはユリシス自身の問題なんだから。私たちには、どうすることもできない……。

(スポットライト、ユリシスの家に移る。)

ユリシス わかっている、わかっているんだ。アニエスはもう帰っては来ないし、彼女は僕がこんなふうに悲しむことを望んではいない。けれど彼女を失って、僕はどうして生きていけるんだろう? 川の水に手を入れたときの冷たさも、ふと吹く風に身を任す心地よさも、朝の光が世界を照らす美しさも、君がいなければ何の意味もありはしないのだ。君を失うくらいなら、僕は世界をこそ失いたかった……!

(舞台暗転。)


〈第二幕〉


 薄暗い野原、空からは流星が降り注いでいる。この世のどことも知れない場所。一人、その場所を歩いているユリシス。


ユリシス ここはいったい、どこなんだろう?

(地面に落ちた星の欠片を一つ拾う。手の中でそれは、ぼんやりと輝いている。)

ユリシス 小さく鼓動している。まるで、生きているみたいだ……。

(星を地面に置きなおし、あたりを見まわしながらゆっくりと歩いていく。舞台反対で、一人の人影に光があたる。ローブを身にまとい、杖を手にしている。)

ユリシス あなたは誰……?

魔法使い 我は魔法使い。すべての閉じたる可能性を統べるもの。

ユリシス ここはいったい、どこなんです?

魔法使い この不完全な世界の、その不完全さ故に生じた狭間の世界。すべての可能性が夢を見る場所。世界のどこからも閉ざされ、それゆえにすべての可能性が開かれた約束の地。

ユリシス 僕はどうしてここに……?

魔法使い 汝がそれを望んだからだ。閉じた世界の中でしか、汝の願いは叶わない。汝の想いが、この世界を作り出した。ここは、そういう場所だ。

ユリシス …………。

魔法使い さあ、これをやろう。

(杖を掲げ、星の一つを呼びよせる。魔法使いはそれをユリシスに渡す。不思議そうにそれを見つめるユリシス。星は力強く鼓動している。)

魔法使い 汝に授けたるは魔法の力。この不完全な世界に、完全を求めるために残されたもの。幾百もの星の中から、汝に選ばれた力。この力は汝の願いを叶え、汝の失ったものを取り戻すであろう。ただし願いを叶えられるのはただ一度。それでは汝、今はすみやかに行くべし。

(光が消え、姿を消す魔法使い。呆然と立ち尽くしたままのユリシス。その手の中では、小さな星が音を立てて鼓動を刻んでいる。舞台暗転。)

(自分の家で目を覚ますユリシス。ゆっくりと起きあがり、ぼんやりとしている。)

ユリシス 今のは夢だったのか……。

(立ちあがろうとして、ふと自分の手の中に何かがあることに気づく。見ると、それは夢の中で魔法使いに与えられた、星の欠片だった。)

ユリシス …………。

(何かを決意するような表情。星の欠片をポケットにしまい、ユリシスは急いで旅の仕度をはじめる。ゆっくりと舞台が暗くなっていく。)



 ハルが舞台脇の準備室に戻ると、アキがいきなり言った。

「大変だよ、ハル君」

 意外と大きな声だったので、ハルはまずその声が外に聞こえていないかどうかを心配した。が、どうやら大丈夫なようである。

「大きな声を出しちゃまずいよ」

 ハルは注意するように小声で言った。けれどアキはまるで頓着せず、

「大変、大変」

 と言い続けている。見ると、アキだけでなくほかの生徒や担任の葉山美守まで、同じように緊張した表情を浮かべていた。

「何かあったの?」

 ハルは落ちついて訊ねた。

「咲ちゃんがね」

 と、アキは言った。

「――咲ちゃんが



〈第三幕〉


ナ    魔法の力で恋人を甦らせる決意をしたユリシス。彼はすべてがまだ眠りにまどろむ夜明け前に、誰に告げることもなく村をあとにしました。彼は死んだ恋人を見つけだすために、行くあてもない旅に出たのです。


 どこかの戦場の風景。瓦礫や折れた剣、槍などが転がっている。左右の袖から、叫び声をあげた幾人もの兵士たちが現れる。激しい戦闘が行われ、何人かが倒れる。やがて喇叭の音が鳴り響き、負傷者を抱えて両軍とも退却していく。ユリシス登場。


(厳しい表情であたりを見まわすユリシス。)

ユリシス この国では戦争が行われているのか。風には鉄の臭いが混じり、大地は血で赤く汚れている。人々は逃げ惑い、街は崩れたままだ。

(大地の荒廃に心を痛めるように歩いていく。しばらくして、石塀に座る人物に気づく。)

ユリシス あれは誰だろう?

将  軍 …………。

ユリシス こんにちは。あなたはどなたでしょう? 何か悲しいことでもあったのですか?

将  軍 旅の者か。

ユリシス はい、私は遠く西の地より旅してきたもので、ユリシスといいます。

将  軍 私はこの国の将軍だ。兵士たちを指揮し、敵軍を討つのが私の使命。

ユリシス どうしてそんなに悲しそうな顔をしているのですか?

将  軍 ここでは今日も、激しい戦闘が行われた。多くのものが勇敢に戦い、多くのものが二度と目覚めぬ眠りについた。

ユリシス …………。

将  軍 私は戦争で人の敵を倒したが、戦争で人の仲間を失った。勝つにしろ負けるにしろ、こんな戦争は虚しいものだ。彼らはもう二度と、言葉を口にすることもできない。

ユリシス …………。

将  軍 旅人よ、今はもう行くがよい。ここには誰のためでもない悲しみがあるばかりだ。

(再びうなだれ、黙りこむ将軍。ユリシスは言う言葉もなく、去っていく。遠くの戦場で戦いの音が聞こえる。舞台暗転。)



 準備室の中には、確かに三香の姿がなかった。

「向こうの部屋はどうなの? ちょっと外に出てるだけとか」

 ハルがアキに訊こうとすると、

「ううん、どこにもいないの。反対の準備室にもいないし、みんなであたりを探したりもしたけど、どこにもいない」

 美守が、抑えた声で説明している。さすがに担任らしくみなを落ちつかせようとしているが、実のところ彼女の動揺がもっとも激しかった。このままでは劇が続けられない。

「でもね、おかしいのよ」

「何がですか?」

「だって、のよ。こっちにいなきゃ、おかしいはずなのに」

 ハル自身、確かに咲羽三香が準備室に入っているのを見ていた。

「今、みんなで手分けして探してもらってるから、宮藤くんも手伝ってくれる? 出番までには見つけないと」

 美守はそう言って、あたりの捜索に戻っていった。

「ハル君、どうなってるのかなこれって?」

 アキが不安そうに言った。

「…………」

「ハル君?」

「ちょっと待って」

 そう言ってハルはポケットの中から何かを取りだした。それはハルがいつも持ち歩いている、〝感知魔法〟のペンダントである。ハルはそれを手に巻いて、意識を集中させた。

「……もしかして、ハル君?」

 しばらくしてアキが訊くと、ハルは目を開けてうなずいている。

「うん、間違いない。魔法が使われたんだ」

「でもどうやって? まさか咲ちゃんも魔法使いだったの?」

「たぶん、そうじゃないよ」

「じゃあ……?」

「志条さん、どこにいるかわかる?」

「え、フユ?」

 アキはきょとんとしたように聞き返している。

「そう、志条芙夕さん……」

 ハルは小さく、つぶやくように言った。



〈第四幕〉


 草原に天幕が張られ、何人もの人間がその下で寝ている。一様に苦しそうな表情。中央では医者らしい人物がイスに座って患者を診ている。しばらくして患者は離れ、床の上に横になる。ユリシス登場。


(医者がユリシスに気づき、声をかける。)

医  者 あなたは旅の方ですか?

ユリシス ええ、そうです。私は遠く西の地より旅してきたもので、ユリシスといいます。

(あたりを見回しながら、ゆっくりと医者に近づいていく。)

ユリシス この人たちは?

医  者 彼らは病にかかった者たちです。私は医者です。彼らを診ている。

ユリシス みな、ひどく苦しそうです。いったい、どんな病気なのですか?

医  者 激しい高熱と全身の痛みがあります。体中に奇妙な赤黒い痣が現れ、血の色は黒く変色します。病者はみなひどい渇きを覚え、痛みのために眠ることさえできない。

ユリシス 治るのでしょうか?

医  者 わかりません。一ヶ月ほど前より悪い病気が流行りはじめました。病はあっというまに広まり、今ではこの有様です。

ユリシス …………。

医  者 私はこの病にかかった人の患者を治しましたが、同じ病にかかった人の患者は苦しみの中で息を引きとりました。私はあまりに無力であり、病はあまりに強大です。

ユリシス …………。

医  者 さあ、あなたはもう行ったほうがよい。ここには癒すことのできない苦しみがあるばかりです。

(患者の一人が立ちあがり、医者に診てもらう。ユリシスは言う言葉もなく、去っていく。医者が患者の具合を診ている。舞台暗転。)



「何か用かしら?」

 さっきとは反対の準備室で、ハルとアキはフユの前に立っていた。フユはシンプルな黒いドレスのようなものを着ている。彼女は死者の国の案内人の役だった。

「もしかしてこれから舞台にあがろうって人間に、プレッシャーでもかけに来たの?」

 フユはそう、二人のほう――特にアキのほう――を見ながら言った。かといってこの少女は皮肉を言っているわけではないし、プレッシャーを感じているようにも見えなかった。

「ううん、違うよ」

 アキは無邪気に首を振っている。この少女も、これでわざとやっているわけではない。

「フユに聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」

「三香さんのことは聞いてるよね?」

 ハルが代わって発言した。

「どこにいるか知らないかと思って」

「どうして、私が知ってると思うの?」

 フユは無表情だった。けれど、ハルは目をそらさずに言った。

「でも、君が魔法を使ったんじゃないのかな?」

 一瞬、アキは何か言いたそうな顔をしたが、黙っていた。

「どうして私が魔法を使ったなんて思うのかしら?」

 フユは平然と訊き返している。

「ここで魔法が使われたことはわかってる。そして魔術具は、魔法使いにしか使えない。それもごく近くにいなければ、使えないんだ。つまりそれは、使使使、ということだよ」

「…………」

「その条件に当てはまる人間が、君以外にいるとは思えないんだ、志条さん――」

 フユは黙っていた。舞台のほうからはセリフが聞こえている。『さあ、あなたはもう行ったほうがよい。ここには癒すことのできない苦しみがあるばかりです。』

 ふう、とフユはため息をついて、

「彼女に使ったのは〝隠形魔法コンシール〟よ」

 と、言った。

「紐の形をした魔術具で、円を作るとその中にいる人間はまわりからは見えなくなる。私が魔力をこめて、彼女に渡したわ」

「…………」

「ただし、彼女がそれをどう使ったのかは知らない。知ってるとは思うけど、姿

「…………」

「私が教えてあげられるのはここまでよ、宮藤晴くん」

 フユは相変わらずの無表情だった。

「あとは自分で何とかするのね」



〈第五幕〉


 古い石造りの町並みが広がっている。あたりを粗末な格好の人々が歩いたり、うずくまったりしている。みな顔色が悪く、暗い表情。重苦しい鐘の音が聞こえてくる。ユリシス登場。


(あたりを見まわすユリシス。)

ユリシス この街はどうしたというのだろう? 人々はやせ細り、身にまとうのは襤褸ばかり。倦み疲れた顔の人々が道を行き、立ちあがる力もない人が路傍にうずくまっている。

(人々の様子に、眉をひそめて歩いていく。しばらくして、噴水に腰かけている人物に気づく。)

ユリシス あの人なら、何か知っているかもしれない。

司  祭 …………。

ユリシス 失礼ですが、この街はどうなっているのですか?

司  祭 あなたは?

ユリシス 私はユリシスというもので、遠く西の地より旅してきました。

司  祭 そうですか。私はこの街の司祭。人々を教え諭し、導くのが私の役目。

ユリシス この街はどうしたのですか? それにあなたは、どうしてそんなにも疲れた顔をしているのです?

司  祭 この街はもっとも恐ろしい敵と戦っているのです。

ユリシス 敵?

司  祭 そうです、それはです。この街の人々は今日食べるものにも事欠き、着るものさえ満足にはありません。夜の闇を照らすための光もなく、寒さを防ぐための十分な備えもないのです。

ユリシス …………。

司  祭 私は人々に食べ物を施し、教会で眠る場所を提供しています。私はそうして人の貧しい人々を救いましたが、人の人々は飢えと寒さのために亡くなりました。私は結局、誰も救えてはいないのです。水瓶の中からは、汲んだ水と同じだけの水が失われています。

ユリシス …………。

司  祭 旅のおかた、今はもう行くがよいでしょう。ここには救うこともできない大きな虚しさがあるばかりです。

(力なく道を歩く人を見つけ、司祭は立ちあがって彼に肩を貸す。ユリシスは言う言葉もなく、去っていく。重い鐘の音が聞こえてくる。舞台暗転。)



 ハルとアキは学校の中を走っていた。全校生徒が体育館に集まっているために、人影はない。

「どこに向かってるの――?」

 アキはハルのあとについて走っている。アキも足の遅いほうではないが、ハルのほうが少し速かった。アキは疲れて息があがっている。

「音楽室」

 短く、ハルは答える。

「どうして――?」

「そこに三香がいるからだよ」

「……?」

 わからない。けれどこれ以上しゃべると息切れがひどいので、質問できそうもなかった。

 音楽室は同じ階の校舎端にあった。その前の廊下に来たところで、ハルはようやく足をとめる。アキはその隣で、体を屈ませながら息をついた。

「ねえ、ハル君、どうして、咲ちゃんが、音楽室に、いるわけ?」

 苦しそうに息を途切れさせながら、アキは訊く。

「ぼくらの前の劇のこと、覚えてる?」

 ハルは音楽室に向かって歩きながら言った。

「え、『親指姫』のこと?」

「そう。それから、舞台を交代するときの、準備室のこと」

 アキはハルの隣に並んで、歩きはじめる。

「〝隠形魔法〟はフユの言ったように、自分で移動することはできない。円が崩れちゃうからね。でも準備室に三香が残っていたとも考えにくい。あそこは狭いから、不自然なスペースが残されているような余裕はない」

「咲ちゃんはどうにかして、姿を隠したまま準備室を出たってこと?」

 うん、とハルはうなずいて、

「自分では移動できない。その場にとどまることもできない。とすれば、方法はたった一つしかないんだ」

?」

「そう、それで前の劇のことなんだ」

 アキは三年生のその劇を思い出してみたが、何も思いつかなかった。大体、『親指姫』と三香が消えたことに、どんな関係があるのだろう?

「よく思い出してみて」

 ハルはからかうように笑顔を浮かべてみせて、

「あの時、準備室でこんなことを言ってたはずだよ。『この台車重くないかな』って。親指姫が葉っぱに乗って流れていく場面で使われた、あの台車だよ」

「まさか」

 アキは驚いたように、口もきけない。

「そう、三香はその上に紐で輪を作って、身を隠したんだ。準備室はとてもごたごたしていたし、それを誰かに見とがめられるようなことはなかったと思う。そこからは、ただじっとしていれば三年生の舞台道具置き場にまで連れて行ってもらえるんだ。重いのは当然だよ。人が一人乗ってたんだからね」

 二人は音楽室の前に立った。

 アキが緊張して見つめる中で、ハルは無造作に扉を開けている。がらがらと音がして、扉は何の抵抗もなく開いた。

 そこに――

 咲羽三香の姿はなかった。



〈第六幕〉


ナ    東の地の果てに、ユリシスはたどり着きます。そこから先に広がるのは、空との境界すら失った荒寥とした海だけです。一艘の舟を使い、海へと漕ぎだすユリシス。いつしか霧が、あたりを覆いはじめていました。


 空には月と太陽が昇り、昼と夜が大地を包んでいる。白い静寂に満たされた世界。季節に関係なく、あらゆる花が咲き乱れている。白い服を着た人々が、座ったり寝そべったりして、穏やかに時を過ごしている。ある者は友人と語りあい、ある者はぼんやりと花を見つめ、ある者は静かに眠りについている。舞台端の部分に一艘の舟が漂着している。


(目が覚めたばかりのような様子で、舟から顔をあげ、あたりを見るユリシス。)

ユリシス ここは……?

(舟を下り、島に足を着ける。)

ユリシス 僕はいつの間に、こんな場所にたどり着いていたんだろう? それにここは、何て不思議な場所なんだろう。温かくも、冷たくもない。一日の時間は混ざりあい、すべての季節は同時に訪れている。いったい、ここはどこなんだろう……?

(舞台反対から、黒い服の少女が現れる。少女はユリシスに気づいて一瞬立ちどまり、それからゆっくりと歩いてくる。)

少  女 あなたは誰……?

ユリシス 僕はユリシス。西の地から旅をして、東の海を渡ってこの島にやって来たんだ。

少  女 あなたは生きているのね……。

ユリシス …………。

少  女 ここはすべてが眠りにつく島。すべての悲しみと、すべての苦しみと、すべての虚しさが終わりを迎える場所。

ユリシス ここは、死んだ人間の行き着く場所なのか?

少  女 あなたがそう呼びたいのなら、そう言ってもかまわない。

ユリシス 君もやはり、そうなのかい?

少  女 私は一番最初に失われてしまった存在。

ユリシス …………。

少  女 私ははじまりに、生まれることもなく死んでしまった存在。私は水に触れたことも、風を感じたことも、光を見たこともない。私を呼ぶための名前さえ、ありはしない。

ユリシス 君はここで、何をしているんだ?

少  女 私の役目は案内人。はじめてここにやってきた人たちを、正しい場所へ導くのが私の使命。

(詰めよるように少女に近づくユリシス。)

ユリシス だったらここに、アニエスという娘は来なかっただろうか? 僕は彼女を探して、ここまで旅をしてきたんだ。

(じっとユリシスを見つめる少女。)

少  女 あなたは私と少し似ている。生まれてもいないのにここに来た私と、死んでもいないのにここにたどり着いたあなた……いいでしょう。あなたを彼女のところまで案内してあげます。私について来て。

(歩きはじめる少女。彼女のあとを追うユリシス。舞台暗転。)



「どうしよう。どこにもいないよ、ハル君」

 アキはさすがに困惑していた。出番まで、もう時間がない。

「…………」

「もうここにはいないんじゃないかな? どこかほかの場所を探したほうがいいんじゃないの?」

「ううん、ここにいるはずだよ」

 何故か、ハルはそれを確信しているようだった。

「でも……」

「聞こえてるよね、三香さん」

 ハルはごく穏やかに、言った。

「もうすぐ舞台で出番がまわってくるよ。みんなのところに戻ろう」

 返事はない。

「ハル君、やっぱり違うんじゃ……」

 アキが不安そうに言うが、ハルはかまわず、

「まだ間にあうよ。君が戻ってこないと、みんなが困るんだ。特に、藤間のやつがね」

「…………」

「君は藤間のことで、こんなことをしたんだろう? 細かいことはよくわからないけど、君は藤間のことが好きなんだと思う。でも今、君と藤間は少し気まずい関係にある」

 どこかで、何かが動く気配がした。

「アニエスの役をやりたくなかったのは、そういうことなんじゃないかな。君は藤間の恋人の役をやることでにはなれないような気がした。君にはそれが耐えられなかった――」

 返事は、やはりない。

 けれど――

 気づいたとき、そこには咲羽三香の姿があった。まるで見えないカーテンを引いて現れたような、奇妙な出現の仕方だった。

 三香は台車の上に立って、ハルから目をそらすようにしている。

「どうして、そんなふうに思うの?」

 咲羽三香は嵐に飲まれかけた小舟のような、頼りない口調で言った。

「君と藤間のことはいろいろ聞いてたし、それに役をやりたくないっていうのはぼくと同じだったんだ。だからいろいろ、考えやすかった。役があまりに自分にぴったりすぎることとか、ね」

 自分で言って、ハルは少し苦笑する。

「でも、だったら」

 三香はうつむいた顔のまま、今にも泣きだしてしまいそうな声で言った。

「どうして私を探しに来たりしたの……?」

 ハルはしばらく黙っている。

「――君は、どうしたいんだい?」

「え……?」

「君は逃げ出したかったわけでも、劇をやるのが嫌だったわけでもない。君はどうしていいかわからなかったんだ。だから君はずっとこの場所にいた。ううん、動けなかったんだ。行こうと思えばどこにだって行けたはずなのに」

「…………」

「ここには閉じた可能性しか存在しない。……君はいったい、何を望んでいるの?」

「私は――」

 咲羽三香は、震えるように顔をあげた。

「――私は、透哉のことが好き」

 三香は音もなく、大粒の涙をぽろぽろと落とした。

「ずっと昔から、透哉のことが好きだった。私はいつもそのことを、透哉に伝えたいと思っていた。この想いが透哉に伝えられないのなら、私が生きてることなんて何の意味もないんだ、そう思ってた。でも透哉は、そのことに気づいていない。私は恐かった。透哉の返事を聞くことも、このままずっと同じでいることも」

 三香はぐっと、唇をかみしめた。

「――私には、どっちでいることも選べはしない」

 ハルは黙っている。けれど、

「一つ、いい方法があるんだ」

 と、この少年は言った。

「え?」

「大丈夫」

 と、ハル笑顔で言った。

「それできっと、うまく行くから」



〈第七幕〉


 前幕と同じ情景。ただし人影はなくなっている。相変わらず音が眠っているような静けさ。舞台中央に一人座っているアニエス。彼女は花を摘んでいる。走ってくるように登場するユリシス。アニエスの前で立ちどまる。


(アニエス、夢でも見るかのような表情で立ちあがる。)

アニエス ユリシス……?

ユリシス アニエス、会いたかった。

(信じられないような顔のアニエス。夢から覚めないように、というふうな慎重な足取りで一歩近づくユリシス。しばらく見つめあう二人。)

アニエス ユリシス、あなたは本当にユリシスなの?

ユリシス そうだよ、アニエス。僕はユリシスだ。

アニエス いったい、どうしてあなたがここに? まさか、あなたも命を落としてしまったというの?

ユリシス 違うんだ、アニエス。僕はまだ、確かに生きている。

アニエス でも、そんなはずはない。あの時、私は確かに死んでしまったのよ。あなたの目の前で、私は足を踏み外した。

ユリシス そうだよ。僕はそのことをずいぶん悔やんだんだ。あの時、僕がもっとしっかりしていれば。あの時、僕の手がもう少しのびていたら。

アニエス …………。

ユリシス 僕は自分を恨み、世界を恨んだ。その時、すべての意味は失われ、すべての可能性は閉ざされたんだ。

アニエス …………。

ユリシス 僕は夢を見た。すべての可能性が眠りにつく世界の夢を。そして僕は、魔法使いに会った。魔法使いは僕に、一つの魔法を与えた。すべての意味と、すべての可能性を取り戻すための魔法を。

アニエス …………。

ユリシス そして僕は、長い旅に出た。三つの国を通り抜け、東の海を渡り、この島にやってきた。君に、会うために。

(一歩、アニエスのほうに近づく。)

ユリシス さあ、いっしょに戻ろう、アニエス。完全世界を取り戻すため。この魔法なら、それができるんだ。

アニエス ……でも私は、魔法でなんて救われたくはない。

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