放課後、残った劇の準備やセリフのチェックで、生徒たちは教室に残っている。別に強制ではないので無理に残る必要はないのだが、どの生徒もわりと進んで居残りをやっていた。

「何だかんだいっても、みんなやる気だよね」

 アキは小道具の花を作りながら、つぶやくように言っている。

「そうみたいだね」

 向かいの机で同じように作業をしながら、ハルは答えた。舞台一面に咲かせる花は、まだ半分もできていない。

 二クラスの教室をそれぞれ分けて、舞台道具の製作と演技指導が行われていた。ハルとアキは出番が終わったので、道具を作る作業に移っている。

「学芸会って、ハル君のところはお父さんが来るの?」

 花びらを何枚もくっつけながら、アキは質問する。わりと大雑把な手つきだった。

「ううん、父さんは来れない。仕事があるから」

 ハルは言いながら、丁寧に作業を続けていた。

「代わりじゃないけど、おばあちゃんが見に来るよ」

 ハルは机の上に、いくつめかの花を置いた。どちらかというと、それはアキの作ったものよりよくできている。

「む……」

 アキは自分の作った花と見比べて、しばらく考えていた。それから、ハルの作り方を観察する。学ぶべきことはちゃんと学ぶ少女なのだ。

 二人は雑談をしながら、作業を進めていった。まわりの生徒たちも似たりよったりで、隣の教室からは舞台のセリフや美守の指示が聞こえたりしている。

 それから不意に、二人のそばで声がした。

「――アキちゃんは、宮藤くんと仲がいいんだね」

 顔をあげると、そこには咲羽三香の姿がある。

 きれいな髪をした、おっとりした感じの少女だった。今は髪を束ねていて、邪魔にならないようにしている。咲羽三香は何となく、〝いいお嫁さんになる〟というタイプの少女だった。険のない、けれど芯の強そうな雰囲気をしている。

「咲ちゃん、舞台のほうは?」

 と、アキは訊いた。三香は〝アニエス〟の役があるはずである。出番は最後のはずだが、舞台稽古はまだ終わっていない。

「途中のところで引っかかってて。しばらくはかかりそうだから、こっちを見に来たの」

 彼女はちょっと困ったような笑顔を浮かべた。

「透哉くんも大変だね」

 と、アキは〝ユリシス〟役の少年の名前を口にした。

「主役だからずっとあっちにいなきゃいけないし、覚えなきゃいけないセリフとかもすごく多いしさ」

「……藤間は何でも一生懸命にやるほうだから」

 三香はつぶやくように言いながら、音を立てずに座った。

「花、作るの私もやっていいかな?」

「どうぞ、どうぞ」

 断る理由なぞあるはずがない。

「ハル君うまいから、作り方教えてもらうといいよ」

「宮藤くん、いいかな?」

 言われて、ハルは花の作り方を一通り教えてやる。

 それから三人で花作りを再開すると、三香は最初のセリフをもう一度口にした。

「二人って、仲いいよね」

「えー、そうかな?」

 アキは何故か嬉しそうな顔をしている。

「咲ちゃんも、透哉くんとはけっこう仲良かったよね」

 少なくともアキの印象では、ユリシス役の藤間透哉と、アニエス役の咲羽三香は普段から仲がよかった。

「そう、かな」

 三香の返答は、けれど妙に歯切れが悪い。

「透哉も、そう思ってるかな……」

「……?」

「私ね、本当はこの役やりたくなかったんだ」

「この役って……アニエスのこと?」

「うん」

 意外だった。ということは、ハルと同じような人間が少なくとももう一人いたということになる。

「でも三香さんは、アニエス役にぴったりだと思うけど」

 自分のことは棚にあげつつ、ハルはそんなことを言った。

「そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど」

 三香は珍しく、気弱そうな笑顔を浮かべた。

「私は藤間の恋人じゃないから……」

「……でも、それは劇のことでしょ? 別に本当の恋人でなくたっていいんじゃない?」

「そうなんだけど」

 三香の表情は変わらなかった。

「藤間がどう思ってるかわからなくって……こういうの、迷惑じゃないかな、って」

「そうかなあ、劇だからいいんじゃない? わたしだって、本当は村娘じゃないし。ハル君だって……魔法使いじゃないしね。みんなそうでしょ?」

「でも透哉だって、本当はこの役をやりたくなかったかもしれない」

「…………」

「私は、透哉の邪魔にはなりたくないんだ」

 それからしばらく、三香は黙って花びらをくっつけていた。

「三香、いるー?」

 やがて教室の扉のほうから、そんな声が聞こえた。どうやら隣の教室で呼んでいるらしい。三香が気づいて、手をあげる。

「じゃあ私、行かないと」

 三香は立ちあがると、二人に手を振って行ってしまった。

 それは確かに、いつもの咲羽三香の表情である。

「…………」

 アキは三香の置いていった花を、手にとってみた。

 それは他愛もなく、ぼろぼろと崩れていく――

「どうしたのかな、三香?」

「さあ……」

 ハルはそれに対して、特に答えようとはしなかった。


 ようやく劇の練習も一通り終わり、帰り道を二人は並んで歩いていた。時刻は五時をすぎようとしていて、空には電池の切れかけたような太陽が浮かんでいる。

 時折吹く風は冷たく、少しずつ冬の気配を含みはじめていた。

「劇の準備、何とか終わりそうだね」

 アキは歩きながら、震えるようにして言った。この少女は寒がりなのか、身を縮めるような感じでしゃべっている。

「そうだね、あの花も一応量は十分だし」

 隣で歩くハルは、けれどあまり寒そうにはしていない。どちらかといえばハルのほうが薄着だった。

「本番、楽しみだよね」

 とアキがからかうように言うと、

「だといいんだけどね」

 ハルは相変わらず憂鬱そうに答えた。

 二人は学校の前の坂道を下りて、通学路を帰宅していた。帰る時間が遅いせいで、ほかの生徒の姿はない。車もなくて、あたりは静かだった。

「でもさ、本当に何かあったのかな?」

 歩きながら、アキが言った。

「ん……」

「咲ちゃん、様子がおかしかったから」、

 アキは浮かない顔をしている。あの時のやりとりの意味が、アキにはわからなかった。

「心配事でもあるのかな」

「どうかな……」

「それに、アニエスやりたくないって言ってたし」

「うん」

「ハル君もやりたくなって言ってたから、理由とかわかんないかな?」

 真剣な顔をして、アキはそんな無茶を言った。

「それはわからないよ」

 ハルは苦笑するように言う。

「うーん、でも心配だよね」

「ぼくらがどうこうするような問題じゃないかもしれないよ」

「そういえば、聞くの忘れてた」

「何を?」

「透哉くんのこと」

 アキはそう言って、二人の様子がおかしかったという話をした。家庭科室で聞いた話である。

「どうかな、二人で喧嘩でもしてたのかな?」

「さあ……」

「ハル君て、透哉くんのこと知ってる?」

「前にクラスがいっしょだったことあるし、知ってるよ」

「わたし、あんまりしゃべったことないけど、どんな感じかな?」

「うーん」

 少し考えるように黙ってから、

「とても、強い意志をしてるんだ」

 しばらくして、ハルははっきりとそう言った。

「意志?」

「なんていうか、〝正しさ〟に対して確信を持ってるっていうか、ちょっと違うんだけど。正義感が強いっていえばいいのかな」

「ふうん」

「四年の時のことだけど、いじめっ子っていうか、けっこう乱暴な男子がいたんだ。先生とかに注意されても無駄で、大人しい子なんかはわりとひどいことされてた」

「うん」

「そんなことが続いてると、みんなその子を避けるようになって。で、その子もますます乱暴になっていっちゃったんだ。悪循環てやつだね」

「そこで、透哉くん?」

「うん」

 ハルはうなずいて、

「藤間は最初っからその子と対立してて、誰も相手にしなくなってからは、その子は藤間にばっかり突っかかるようになってたんだ。そんなのが一週間くらいした頃、藤間はその子と決闘することになった」

「決闘?」

 何だか大時代的な話だった。

「それで二人は、校舎裏の人の来ないところを選んで放課後に決闘した」

「なんでハル君、そんなこと知ってるの?」

「藤間に立会人をやってくれって頼まれたから」

「…………」

 本当に大時代的だった。

「それで二人で喧嘩したんだ?」

「うん、一応素手で、どっちかが降参するまでね」

「透哉くんが勝ったの?」

「ううん」

 ハルは首を振った。

「引き分け」

「何で?」

「途中で二人ともやめちゃったから。どっちも本当の喧嘩なんて慣れてないし、馬鹿馬鹿しくなったんだと思う」

「ふうん」

「結局、その子もどうしていいかわかんなかったんじゃないかな。みんなとどうつきあっていいかわからなくて、乱暴をしたりしたんだ。そういうつきあいかたしか知らなかった、のかな……」

 ハルはつぶやくように言った。

「だから藤間は何とかそれに答えてやって、それじゃだめだってことを教えた。藤間はたぶん、最初からそのつもりだったんだと思う。そのことに気づいてて、誰もやらないなら自分がやるしかないと思ったんだ。藤間透哉は、そういうやつなんだよ」

「ふむ……」

 腕組みをして、アキは考えている。

「じゃあどう考えても、透哉くんが咲ちゃんと喧嘩するわけないよね」

「そうだろうね」

「じゃあ、どうしたんだろう? 喧嘩じゃなくても、何かあったりしたのかな」

「さあ」

 ハルは不得要領な感じに答えた。

「でも咲ちゃん、けっこう悩んでたみたいだし、このままじゃ劇で困ったことになったりしないかな?」

「大丈夫だと思うよ。あの二人は確か、幼なじみだって聞いたこともあるし」

「そうなの?」

 アキは意外そうな顔をする。

「うん、だからたぶん大丈夫だよ。心配しなくても、自然に仲直りするんじゃないかな」

 ハルはのんびりとした口調で、そう言った。

 もちろん本当に〝困ったこと〟になるなんて、この時のハルにはわかるはずもなかったのである。

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