「…………」

 学校の体育館で、ハルは口数少なく動いている。今はちょうど、劇の予行演習の準備中だった。

 隣で、アキが不思議そうにそれを眺めている。

「どうかしたの、ハル君」

 机やイスといった小道具を舞台上に運びながら、アキは訊いてみた。

 ハルはちょっと憮然とした感じで、黙っている。

「調子でも悪いの? もしかしてお腹壊したとか。実りの秋だからって、何でも食べすぎてると……」

「違うよ」

 机を置いて、ハルは諦めて答えた。

「調子が悪いわけじゃないんだ」

「じゃあ、どうして?」

「配役だよ」

「配役?」

「この劇の配役のこと。この役は、ぼくには向かないよ」

「そうかな、わたしにはぴったりだと思うけど」

「だって……」

 ハルはうんざりした様子で言った。

使

「ぴったりでしょ」

 アキはにこにこしている。

「ハル君にやらせるための役としか思えないよね。葉山先生だって、迷わずハル君を選んでたし」

 そう、担任の葉山美守は、劇の配役についてはほとんど勝手に決めてしまっていたのである。そしてハルは、はれて魔法使いの役を与えられたわけだった。

「でもハル君はまだいいよね」

 アキはイスに座って肘をつきながら、

「わたしなんて、ただの村娘だもん。出番も最初にちょっとだけだし。おまけに目立たないし――」

 口をとがらせて、ぶつぶつと文句を言っている。この少女はこの少女で、ハルとは違った不満の抱きかたをしているようだった。

「ぼくならいつでも変わってあげるけど」

「いえいえ、ハル君はやっぱり魔法使いでしょ。わたしはいいと思うけど。でもさ、どうしてそんなに嫌なの?」

「…………」

 嫌というよりも、困るのだ。それも役ではなく、内容でのことだった。それは誰かがわざとやったとしか思えないほど、皮肉すぎる話に思えた。

『こら、そこ!』

 二人がそんなことをしゃべっていると、突然怒鳴り声が聞こえた。

 見ると、担任の葉山美守がメガホンを片手に叫んでいる。

『終わったら次の準備に移りなさーい。そろそろはじめるわよー』

 普段はどちらかといえばのんきだが、劇の話が決まってからの彼女はかなりはりきっていた。ちょっとした監督のつもりらしい。

「…………」

 二人は一度顔を見あわせてから、舞台の袖に引っこんだ。

 本番と違ってカーテンも閉められていない体育館は明るく、がらんとしていた。当日は児童と保護者の席が並べられるその場所も、今は葉山美守が一人でいるだけである。

 やがて舞台の準備が整うと、美守の声と共にリハーサルがはじまった。


 劇が一通り終わると、その場で片づけと反省会が行われている。美守が、舞台で気になったことなどを生徒たちに指摘していた。

 アキは早めに終わったので、片づけにまわっていた。机を持って、体育館をあとにする。舞台のすぐ下では、残った生徒たちが美守の話を聞いていた。美守はやけに真剣な口調でしゃべっていた。

 体育館を出ると、アキは鼻唄を歌いながら歩いていく。演技を誉められたおかげで、気分がよかった。

 学芸会用の舞台道具の置き場所は、各学年ごとに分けられていて、五年は二年と合同で家庭科室。三、四年は音楽室。一、六年は図書室だった。

 アキが家庭科室の扉を開けると、中にはすでに数人の生徒が集まっていた。アキと同じように、早めに片づけにまわった生徒たちである。

「アキも終わったの?」

 そのうちの一人が、アキに気づいて声をかけてきた。

「まあね」

 アキは上機嫌のまま、机を教室の隅っこに置いている。

「ほかのやつはまだっぽい?」

 大机の上に座っている男子が訊いた。

「わかんないけど、そうじゃないかな。全員終わるまでは、けっこうかかりそうだったけど」

「んじゃ、もうちょっとここにいてもいいな」

 教室の中には六人ほどの生徒がいて、先生がいないのをいいことに寛いでいた。電気がつけられていないせいで教室は薄暗く、ひっそりとした空気を漂わせている。光と闇の境界が曖昧で、全体に薄いヴェールがかかっているようだった。

「でもさ、ミモリン何かやる気だよね」

 女子の一人が口を開いた。ミモリンというのは、もちろん葉山美守のことである。

「あ、やっぱりそう思う?」

「うん、普段はどっちかっていうと、のほほんとしてるのにね。この前なんて、曜日間違えて授業の準備してきたし」

「でも劇がはじまってから、やたら気合い入ってるよな」

「そうだよね、何かあったのかな?」

「男とか」

「いや、意味わかんない」

「……でもこの劇、けっこう面白くないかな?」

 大人しめの男子が、遠慮がちに発言した。

「えー、そうかな。何かわかりづらいし、ちょっと暗くない?」

「わたしもわりと好きだけどな、この話」

 アキはぼんやりと言った。

「えー、そうかな。アキってこういうのが好みなの?」

「よくわかんないけど、何となく」

「あ、でもあの二人はけっこうよくないかな」

「誰だよ。俺か?」

「馬鹿、誰があんたなんか。〝ユリシス〟と〝アニエス〟よ」

「ああ、透哉と三香ね」

 藤間透哉ふじまとうや咲羽三香さきはみつか――

 透哉はクラスの委員長をやっていて、三香は副委員長をやっている。頭もいいし、運動神経もある二人だった。この二人が主役をやることは誰も文句をつけていない。

「普通にいいよね、あの二人」

「でも俺、あいつら喧嘩してたの見たことあるぞ」

「へえ、どこで? あんたのことだから見間違いじゃないの?」

「学校の裏の坂道だよ。つーか間違いじゃないっての。遠くだったから何話してるのかまでは聞こえなかったけど、何かあれは――」

 言おうとしたところで、教室の扉ががらがらと開いている。その向こうから、書割を持った男子生徒が姿を現した。

「お前ら何やってんだよ。片づけまだ終わってねえんだから、さっさと戻ってこいよな。遅いから、先生が呼んでこいって言ってたぞ」

 さっきまでおしゃべりしていた生徒たちは顔を見あわせて、ぞろぞろと動きはじめている。

 アキもイスを片づけ、ほかの女子といっしょに体育館へと戻った。

 教室の中の光と闇の境界は曖昧で、世界はいつまでもそんな曖昧さの中を漂っているような感じがした。少なくとも、アキにはそんな気がしていた。

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