7
帰り道を、ハルとアキは並んで歩いていた。時刻はだいぶ遅くなったとはいえ、あたりはまだ明るい光に満たされている。手をのばすと、ほんのわずかに濃度が薄れていることに気づく、そんな光だった。
あのあと、あかりとひかりの二人は、ぎこちなく手を結びあって仲直りをした。二人がこれからどうなるかは、わからなかった。けれどおそらく、もう一度ぬいぐみが隠されるようなことはないだろう。
二人の歩く通学路の脇を、時折車が走りぬけていく。世界には思い出したように音がよみがえり、それはいつの間にかまた静かなところへと消えてしまっていた。
「ねえ、ハル君」
不意にアキが、その消えていった音の続きみたいにして口を開いている。
「魔法って、何なのかな?」
ハルが横を見てみると、アキは少し考えるようにうつむきながら歩いていた。
「……人が言葉を得て忘れてしまった力。世界に揺らぎを与え、その揺らぎに形を与える力だよ」
「えと、そうじゃなくてさ」
アキは自分でも、自分が何を言いたいのかうまく言葉にできないようだった。
「つまりね、魔法っていろんなことができるわけでしょ」
「うん、まあね」
「普通じゃできないこととか、普通じゃ諦めなきゃいけないこととか」
「うん……」
その言葉に、ハルは小さくうなずく。
「でもさ、魔法には何ができるのかな? 魔法を使って、人は幸せになれるのかな?」
ハルはアキの言葉を聞きながら、黙って歩いていく。
「ハル君は、魔法はあんまり使うべきじゃないって言う。でもあの子、ナツ君は魔法を使うのは全然平気みたいだった……どっちが正しいのか、わたしにはわからない。わたしは魔法使いじゃないから。でもね、あかりちゃんやひかりちゃんを、魔法で幸せにすることはできたのかな? 魔法で、助けてあげることはできたのかな?」
二人の横を、車がまた一台通りすぎていった。その音がゆっくりと消えてから、アキは続ける。
「それとも、そういう魔法もやっぱりあるのかな? でもそれは、幸せになったことになるのかな? 魔法を使うことは、幸せなことなのかな?」
アキはそう言って、じっとハルのことを見つめる。
「――ハル君は、そういうのってどう思う?」
ハルはしばらく黙っていたが、
「ぼくには、わからないよ」
小さく、何かを諦めるように言った。
「魔法を使えばある種の物事を変えることはできる。普通ならどうにもならないことも。でも、魔法を使わなくちゃいけない時点で、その人は幸せにはなれないのかもしれない。それは魔法を使ったって、結局は取り戻せないものなのかもしれない」
アキは隣で、そんなハルの様子を不思議そうに眺めていた。
やがて小さな橋にさしかかったところで、二人の足がとまった。そこで、帰り道が別れるのである。ハルは坂道をのぼって、アキはまっすぐに進む。陽が暮れはじめて、世界は永遠の茜色に染まっていた。子供たちは今頃、家路についていることだろう。
橋の半ばあたりまで行ったところで、アキが振り返って言った。
「あのさハル君、もう一つ聞いてもいい?」
「何?」
「志条さんと、何かあった?」
「……?」
ハルはちょっと、その言葉の意味がわからない。
「体育館の裏のところで、ハル君と志条さんのことを見たっていう子がいたんだ」
確かに、優秀な情報収集家らしかった。
「何か普通の雰囲気じゃなかったって言ってたし、気になって」
「大丈夫だよ」
ハルはごまかすように言った。
「別に何かやってたってわけじゃないんだ。ちょっと話をしてただけだよ」
「ふうん」
と、アキはハルのことを見ている。それから、
「――わたしさ、志条さんのことほとんど知らないんだよね。何ていうか、ちょっと変わってるから、あの子。あんまりしゃべらないし、ほかの子と遊ばないし……どうなのかな? ハル君は、あの子のことどう思う?」
「悪い子じゃないと、思うよ」
「本当に?」
「たぶん、ね」
実際のところどうなのかは、ハルにはまるでわからなかった。彼女がどんな秘密を抱えているのか、ハルは知らない。
けれどアキは、
「それで安心した」
と、笑っている。
「ハル君が言うなら、きっと悪い子じゃないよね、フユは」
「…………」
それから、「じゃあまた明日、学校で」と言うと、アキはそのまま走っていってしまった。
ハルはとっさに、返事を返すこともできないでいる。
世界と同じように赤く染まった風が、ふわりとどこかから吹きすぎていった。
翌日の放課後――
教室は下校準備をする生徒たちで賑やかだった。いつもと同じ、何の変哲もない光景である。
フユはいつも通りに、自分の席で帰り支度をしていた。アキがその前に立ったのは、そんな時のことである。
「わたし、水奈瀬陽っていうの。みんなからはアキって呼ばれてる」
にこにこと笑顔を浮かべて、アキは言った。
フユはどういう表情もない顔で、それを見ている。
「あのね、お願いがあるんだけど」
「何……?」
「志条さんのこと、フユって呼んでもいい?」
「…………」
「だめかな、フユって呼んじゃ?」
フユは珍しい風景でも眺めるような目つきで、アキのことを見ていた。
その前で、アキはごく明るい表情で笑顔を浮かべている。
「……別に、好きに呼べばいいわ」
どうでもよさそうに、フユは言った。
「うん、ありがと」
けれどアキは、本当に嬉しそうにしながら言っている。そういう表情ができる少女だった。
「じゃあ、また明日ね、フユ」
アキは笑顔で言うと、手を振って行ってしまった。
「…………」
フユは長いこと、そのままの姿勢でじっとしていた。何かの都合で、機械の一部がうまく動かなくなってしまった、というように。
そして教室の中に誰もいなくなってしまった頃、フユはそっとつぶやいている。
「ばーか」
その声が自分に届く前に、フユは立ちあがっていた。
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