帰り道を、ハルとアキは並んで歩いていた。時刻はだいぶ遅くなったとはいえ、あたりはまだ明るい光に満たされている。手をのばすと、ほんのわずかに濃度が薄れていることに気づく、そんな光だった。

 あのあと、あかりとひかりの二人は、ぎこちなく手を結びあって仲直りをした。二人がこれからどうなるかは、わからなかった。けれどおそらく、もう一度ぬいぐみが隠されるようなことはないだろう。

 二人の歩く通学路の脇を、時折車が走りぬけていく。世界には思い出したように音がよみがえり、それはいつの間にかまた静かなところへと消えてしまっていた。

「ねえ、ハル君」

 不意にアキが、その消えていった音の続きみたいにして口を開いている。

「魔法って、何なのかな?」

 ハルが横を見てみると、アキは少し考えるようにうつむきながら歩いていた。

「……人が言葉を得て忘れてしまった力。世界に揺らぎを与え、その揺らぎに形を与える力だよ」

「えと、そうじゃなくてさ」

 アキは自分でも、自分が何を言いたいのかうまく言葉にできないようだった。

「つまりね、魔法っていろんなことができるわけでしょ」

「うん、まあね」

「普通じゃできないこととか、普通じゃ諦めなきゃいけないこととか」

「うん……」

 その言葉に、ハルは小さくうなずく。

「でもさ、魔法には何ができるのかな? 魔法を使って、人は幸せになれるのかな?」

 ハルはアキの言葉を聞きながら、黙って歩いていく。

「ハル君は、魔法はあんまり使うべきじゃないって言う。でもあの子、ナツ君は魔法を使うのは全然平気みたいだった……どっちが正しいのか、わたしにはわからない。わたしは魔法使いじゃないから。でもね、あかりちゃんやひかりちゃんを、魔法で幸せにすることはできたのかな? 魔法で、助けてあげることはできたのかな?」

 二人の横を、車がまた一台通りすぎていった。その音がゆっくりと消えてから、アキは続ける。

「それとも、そういう魔法もやっぱりあるのかな? でもそれは、幸せになったことになるのかな? 魔法を使うことは、幸せなことなのかな?」

 アキはそう言って、じっとハルのことを見つめる。

「――ハル君は、そういうのってどう思う?」

 ハルはしばらく黙っていたが、

「ぼくには、わからないよ」

 小さく、何かを諦めるように言った。

「魔法を使えばある種の物事を変えることはできる。普通ならどうにもならないことも。でも、魔法を使わなくちゃいけない時点で、その人は幸せにはなれないのかもしれない。それは魔法を使ったって、結局は取り戻せないものなのかもしれない」

 アキは隣で、そんなハルの様子を不思議そうに眺めていた。

 やがて小さな橋にさしかかったところで、二人の足がとまった。そこで、帰り道が別れるのである。ハルは坂道をのぼって、アキはまっすぐに進む。陽が暮れはじめて、世界は永遠の茜色に染まっていた。子供たちは今頃、家路についていることだろう。

 橋の半ばあたりまで行ったところで、アキが振り返って言った。

「あのさハル君、もう一つ聞いてもいい?」

「何?」

「志条さんと、何かあった?」

「……?」

 ハルはちょっと、その言葉の意味がわからない。

「体育館の裏のところで、ハル君と志条さんのことを見たっていう子がいたんだ」

 確かに、優秀な情報収集家らしかった。

「何か普通の雰囲気じゃなかったって言ってたし、気になって」

「大丈夫だよ」

 ハルはごまかすように言った。

「別に何かやってたってわけじゃないんだ。ちょっと話をしてただけだよ」

「ふうん」

 と、アキはハルのことを見ている。それから、

「――わたしさ、志条さんのことほとんど知らないんだよね。何ていうか、ちょっと変わってるから、あの子。あんまりしゃべらないし、ほかの子と遊ばないし……どうなのかな? ハル君は、あの子のことどう思う?」

「悪い子じゃないと、思うよ」

「本当に?」

「たぶん、ね」

 実際のところどうなのかは、ハルにはまるでわからなかった。彼女がどんな秘密を抱えているのか、ハルは知らない。

 けれどアキは、

「それで安心した」

 と、笑っている。

「ハル君が言うなら、きっと悪い子じゃないよね、フユは」

「…………」

 それから、「じゃあまた明日、学校で」と言うと、アキはそのまま走っていってしまった。

 ハルはとっさに、返事を返すこともできないでいる。

 世界と同じように赤く染まった風が、ふわりとどこかから吹きすぎていった。


 翌日の放課後――

 教室は下校準備をする生徒たちで賑やかだった。いつもと同じ、何の変哲もない光景である。

 フユはいつも通りに、自分の席で帰り支度をしていた。アキがその前に立ったのは、そんな時のことである。

「わたし、水奈瀬陽っていうの。みんなからはアキって呼ばれてる」

 にこにこと笑顔を浮かべて、アキは言った。

 フユはどういう表情もない顔で、それを見ている。

「あのね、お願いがあるんだけど」

「何……?」

「志条さんのこと、って呼んでもいい?」

「…………」

「だめかな、フユって呼んじゃ?」

 フユは珍しい風景でも眺めるような目つきで、アキのことを見ていた。

 その前で、アキはごく明るい表情で笑顔を浮かべている。

「……別に、好きに呼べばいいわ」

 どうでもよさそうに、フユは言った。

「うん、ありがと」

 けれどアキは、本当に嬉しそうにしながら言っている。そういう表情ができる少女だった。

「じゃあ、また明日ね、フユ」

 アキは笑顔で言うと、手を振って行ってしまった。

「…………」

 フユは長いこと、そのままの姿勢でじっとしていた。何かの都合で、機械の一部がうまく動かなくなってしまった、というように。

 そして教室の中に誰もいなくなってしまった頃、フユはそっとつぶやいている。

「ばーか」

 その声が自分に届く前に、フユは立ちあがっていた。

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