3
「……お前だろう」
小野俊樹が詰めよってくるのを、ハルは不思議そうに眺めていた。ハルは次の時間の、国語の準備をはじめている。
「何のこと?」
ハルは尋ねかえした。どういうわけか教室中がしんとして、こちらを注目していた。何のことだろう?
「俺のカード盗んだろ」
俊樹の表情は剣呑だ。
「カード……?」
言ってから、ハルは集会前に俊樹が自慢していた〝何か〟について思い出していた。確か、あれが何かのカードだったろう。
そのカードが、盗まれた?
「何のことかわかんないけど……」
戸惑うように言った。あのカードが盗まれたとしても、どうして自分が疑われているのかわからない。
「だって、お前しかいないじゃんかよ」
「どうして?」
「ほかにいないんだよ」
「だって、ぼくはずっと保健室で寝てたんだよ」
「だからだろ。カードがなくなったのは、そのあいだのことなんだからな。盗めるとしたら、お前しかいないじゃないかよ」
ここに来て、ハルはどうして自分が疑われているのかを理解した。いわゆる〝アリバイ〟がないという状態らしい。
「ぼくじゃないよ」
と、言ってみるが、ハルにはそれで俊樹が納得するとは思えなかった。案の定、俊樹は完全にハルのことを疑っている。おまけにクラスの全員が固唾をのんで行方を見守っていた。
(困ったな……)
思ったが、身に覚えのない以上どうすることもできない。俊樹はそれでも、一歩もあとには引かないといった表情でハルのことをにらんでいた。
けれどその時、チャイムが鳴って担任の葉山美守がやって来ている。生徒たちは全員、急に時間が動き出したみたいにして自分の席に戻っていった。
「ん、どうかしたの?」
葉山は不審がるが、誰も口をつぐんで答えようとはしない。
授業のあいだ、俊樹が前の席から時々、にらむようにして視線を送ってきた。
やれやれ、とハルは少しだけため息をついた。
次の休み時間になると、予想通り俊樹はハルのほうにやって来た。
「おい返せよ、ドロボウ」
この少年の中ではすでに、極悪人のような犯人像ができあがっているらしい。
「あれ手に入れるの、すっげえ苦労したんだぞ」
そんなことを言われても、ハルにはどうしようもない。ハルは曖昧に、微苦笑のようなものを浮かべるしかなかった。第一、ハルはそのカードがどんなものかすら覚えてはいないのだ。
「悪いけど、本当にぼくじゃないよ」
「嘘つけ。お前以外、誰がいるんだよ」
「違うものは違うよ」
ハルはそう言うしかなかった。まわりではすでにこの件に関しての話題性は失ってしまったようで、誰も関心を持とうとはしない。
「弁償しろよな、ベンショー」
困ったな、ともう一度ハルが思いはじめたとき、突然横から別の声が割ってはいった。
「どうして宮藤くんが盗ったってわかるのよ」
ハルの机に手をついて、彼女は俊樹にくってかかるように言う。
水奈瀬陽だった。
「なんか証拠でもあるわけ?」
「いや、そうじゃねえけど……」
俊樹はいきなりすごい剣幕でやってきたアキに対して、怯んだようにもごもごと口を動かしている。
「じゃあそんなふうに宮藤くんを疑うなんて、卑怯じゃない」
「でもほかにいねえんだから、こいつがやったに決まってんだろ」
俊樹はようやくといった感じで言いかえした。
「宮藤くんはあの時貧血で倒れてたんだから、そんなことできるわけないでしょ」
本当は貧血じゃないけど、と思ったが、もちろんハルはそのことを口にはしない。
「わかんねえじゃねえか。すぐに治って教室に戻ってきたかも知れねえし、最初からわざと病気のふりをしてただけかもしれないだろ」
「んなことあるわけないでしょ」
馬鹿馬鹿しい、というふうにアキは一笑した。
「そんなの、お前にわかんのかよ」
「わかるわよ」
二人は何だか、口喧嘩をはじめているみたいだった。ハルは座ったまま、目の前で罵りあう二人をどうすることもできずに眺めている。何となく、この先どうなるかが読めた気がしていた。
「じゃあわかった、こうしましょう」
アキは急に、もう仕方がない、というふうに言った。
「わたしたちが真犯人を見つけてきてあげるわよ」
「真犯人?」
「そうよ」
アキはうんうん、と自分でうなずいている。
「宮藤くんが犯人なわけないんだから、本物の犯人がいるはずでしょ。そいつにあんたのカードを返させれば、それで文句ないでしょ」
俊樹は考えたが、もちろんそれならそれで問題はない。
「言ったからな、お前ら絶対カード見つけてくるんだからな」
「当たり前でしょ」
「それで見つからなかったら、お前らベンショーしろよ」
「お安い御用よ」
アキは自信満々といった感じでうなずいた。俊樹は憤然とした表情で立ち去ってく。それからアキは、くるりとハルのほうに振り返った。
「というわけで、よろしくね宮藤くん」
彼女はにこりとして言った。
やれやれ、とハルはもう一度だけため息をついた。予想通りだった。
三時間目の休み時間、ハルとアキは隣りあって座った。ハルの隣の子供はどこかに遊びにいってしまっていて、そこにアキが座っている。
教室の中にいるのは、全体の五分の一という程度の人数だった。休み時間になると、どこか教室まで休憩しているような感じがする。
「プロファイリングするのよ」
アキはいきなり難しいことを言った。
水奈瀬陽は髪を短く切った、どちらかというと男の子っぽい女の子だった。くりっとした、ちょっと好奇心をのぞかせる丸い瞳をしていて、小動物っぽいところがある。星ヶ丘小学校は自由服なので、彼女はフリースの服にパンツスタイルという、ごく動きやすそうな格好をしていた。
「プロファイリング……?」
「そう、それで犯人の年齢だとか、性格だとかを推理するの。昨日のドラマでやってた」
「……それはいいかもしれないけど」
ハルは控えめに意見した。
「そんなことできるの?」
「え……」
「ぼくはできないよ。やったこともないし、どうやってやるのかも知らない」
「……わたしも」
「でしょ」
少し笑った。
「でも、犯人を捜すことはできるよ。普通に考えると、怪しい人ってそんなにいないんだ。まず条件としては、盗んだ人は俊樹がカードを持っているのを知っていた。それと、そのカードが欲しくてたまらなかった」
「なるほど」
「もしくは、何か恨みがあって、別に何でもよかった、っていうのもある。どっちにしろ、この二つの動機は目立ちそうだね。もちろん、全然別の可能性もあるけど」
「てことは、小野くんのまわりに誰か怪しい人物がいないかどうか調べればいいわけね……カードのことを知ってたのって、やっぱりうちのクラスかな」
「さあね。その辺は本人に聞くしかないよ」
「宮藤くんって、もしかして賢かったりする?」
「どうかな」
ハルは曖昧に首を振った。
「それより、カードが盗まれたときの話っていうのを聞かせて欲しいんだけど。とりあえず、それくらいは知っておきたいから」
「そういえば、宮藤くんいなかったんだっけ」
「だから疑われてるんだよ」
アキは苦労して思い出すようにしながら、その時の状況を説明した。
その説明によると、全校集会が終了したあと、クラスの全員はいっしょに教室に戻ってきたらしい。その時いなかったのは、保健室で休んでいたハルだけ。時間は一時間目の休み時間に入る頃のことだった。
俊樹は自分の机に座って、すぐにカードがないことに気づいたらしい。まだ教室に全員が残っている状態で、大声で騒ぎはじめた。教室中がちょっと気まずい空気に包まれて、誰が盗んだのかという話になった。
そこに、ハルが帰ってきたのである。
集会のあいだにいなかったのは、ハル一人だった。
「なるほどね」
ハルはため息をついた。確かにそれなら、自分が疑われるしかない。何しろ、犯人がカードを盗めたのは集会のあいだだけなのだ。ほかの全員が、アリバイを持っている。
「誰かほかの人が集会のあいだか、みんながクラスに戻ってくる前に忍びこんだっていう可能性はないかな?」
「たぶん、ないんじゃないかな」
アキは首をかしげてみせた。
「ちょっと考えにくいし、そんな変な行動してる人がいればすぐに気づくと思うよ。集会のときに出てった人もいないし……わたしたちより先に戻ってくるなんてあるかな?」
「だろうね」
ハルはもう一度ため息をついた。
「……そういえば、箱には鍵がかかってたはずだけど」
「箱?」
「俊樹がカードを入れてた箱のことだよ。確か、鍵をかけてた」
「知らないけど、そうなの? でもそれだとどうやって盗んだのかな、かけ忘れたとか?」
「…………」
けれどハルは確かに、俊樹がカードを箱に入れて、鍵をかけるところを見ていたのである。集会のあいだ、鍵はかかったままのはずだった。犯人はどうやって集会のあいだに教室に戻り、鍵を外してカードを盗んだのだろう?
ハルが考えこんでいると、
「とにかく、犯人を捕まえないとね。そうしないことには疑いも晴れないし」
とアキは明るく、前向きに言った。けれど、ハルは軽く首を振っている。
「正直に言うと、ぼくが犯人じゃないのを証明するのは簡単なんだ」
「どうやって?」
アキは意外そうな顔をした。
「保健の先生に証言してもらえばいいんだ」
それはそうだった。
「集会のあいだ、ぼくは保健室で寝てたし、それは先生も知ってるんだよ。だからぼくにも〝アリバイ〟はきちんとあるんだ」
「そっか……」
「でも、あまり意味はないかもしれないけどね」
「は――?」
言ったそばから、この少年はそんなことを言っている。
「そんな証言をしてもらっても、俊樹はたぶん納得しないよ。それで納得するくらいなら、最初からぼくを疑ったりなんてしない。俊樹は、盗んだのが誰かなんて本当はどうでもいいんだ。ただ自分が、はっきり被害者だってわかればいいんだよ。そうすれば、とにかく安心できるんだ。何が起こったのか理解できるから」
ハルはひどく冷静にしゃべっていて、自分が犯人扱いされていることに対して何も感じていないようだった。アキはうまく口を動かすことができず、黙ってしまう。
それからハルは、こんなことを言った。
「それに犯人なんて見つけなくても、たぶん勝手に解決するしね」
「え――?」
どういうことだろう、とアキは思ったが、ハルは半分くらいどうでもよさそうな感じで、それ以上しゃべろうとはしない。
アキは何だか、自分がすっかり余計なことをしたような気がしてきた。この少年はアキがかばったりしなくても、もっと簡単に事態をどうにかできたのかもしれない。アキはまるで、事をややこしくしているだけのようだった。不思議の国のアリスの、お茶会みたいに。
そう思うと、アキはちょっと落ちこんでしまう。犯人探しなんて、テレビのドラマみたいで面白そうだと思っていたのに。どうやらそれは、自分だけのようだった。
「でも、でもさ、俊樹にはもうカードを取りかえしてくるって言っちゃったし、それにあんなふうに疑われっぱなしなのは嫌でしょ?」
焦るようにして、アキは言った。このまま話が終わってしまうのは、アキには何故か嫌な気がした。それがどうしてなのか、自分では気づいていなかったけれど。
「……うん、まあそうだね」
ハルも気は進まないようにして、うなずく。
何のかんの言ったところで、確かに今の状況が変わることはなかった。それに、本当に盗まれたとしたら、誰がやったのかは気になるところではある。
「とにかく、いろいろ話を聞いてみるのがいいかもしれない。それで何かわかるかもしれないし」
「そう、そうだよね」
アキはそう言って、ほっとしたように胸をなでおろした。
けれどこの時――
ハルはもうこの事件から、後戻りできないような位置に足を踏みいれてしまったのである。宮藤晴はこの事件をきっかけに、あることを知ることになる。それはもっと大きな事件の、始まりでもあるのだった。
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