第三章 英雄の象形(カタチ)

   一

 何故―――飽きるほど繰り返した自問へ煩悶はんもんし、優人ゆうとは小さく身じろぎした。

 簡素で硬い寝台が軋み音を上げ、両手首を拘束した手錠の鎖がこすれ音を連続させる。

 それらの音は、閉鎖された室内では妙に大きく響き、反響してかすかなこだまを耳の奥へ残した。

 収まらない苛立ちのまま身を起こす。

 衣擦れの音とともに右へずり落ちた毛布を拾う気力すら湧かず、優人はぼんやりと己が諸手もろてへ視線を落とした。

「また手錠、か。縁があるね。どうにも……」

 強がりで苦笑し、諦め顔でため息をつく。

 かつてされていたものとは比べるべくもない簡素で頑強なだけの手錠だが、人間の力で容易く壊せる代物ではないという点において、その差に意味は無い。

「いったい何をしているんだろう。僕は……」

 見回した薄闇の室内に在るのは、むき出しのトイレに手洗い用のシンクだけだった。

 広さは5平方メートル程度で窓は無く、外から電子錠で施錠された鉄格子つきのドア以外に出入り口は無い。

 天井と足元に設けられた小さな換気口を除けば、完全に外から隔絶された場所に優人は居た。

「ヴァルカン大尉……」

 激しい憤怒を見せながらも隠しきれない彼の、懐かしい者を見るような眼差しを思い出す。あの老兵は優人に何を、誰を重ねていたのだろうか。

「ドカト教官……」

 かつての部下か。その一人である優人の師か。若い優人とは比べ物にならないほどの艱難辛苦を乗り越えてきた老兵の胸中は計り知れない。

「―――ッ」

 腫れて熱をもった左頬が痛んだ。

 噛み締めると数本の奥歯にうずきを覚える。殴打の衝撃で瞬間的に顎枠が歪み、咬み合わせにわずかなズレが出ているのだ。

 歯の根や顎の骨が折れたわけではないため時間経過で元へと戻ってゆくはずだが、数週間は違和感に耐える必要があることだろう。

「この程度で済んだっていうことは、一応の手加減はしてくれていたのか」

 左手で頬を抑え、疼痛とうつうに顔をしかめる。

「平手で殴られてこれじゃあ、本気の拳だったら死んでいたかもしれないな」

 士官学校で一通りの武道と白兵戦訓練を積み、成績も上位が常だった。

 身体を動かすことは不得意ではない。むしろ人並み以上との自負をもっていたはずだったのだが、歴戦の兵士として積んだ経験値の前においては、ゲームのスコアに等しいものだったらしい。

 不意打ちとはいえ、ろくな対処もできぬまま一撃を許し、気づけば営倉に放り込まれていたのだ。

「身ぐるみ剥がされなかったのは、せめてもの情けってところ、か」

 本来は軍の規律を乱した下士官への制裁措置であるため、自殺や脱走防止のため入室者は衣服から貴金属やベルトといったものを没収される。唯一の例外はシール・ギアだが、操作や音声入力を無効にするため特殊カバーによるシーリング措置をされるのが常だった。

「僕は……間違っていたの…かな」

 忸怩じくじとした思いに胸を焦がす。

「僕は……」

 虚空を見つめて思いはせる耳に足音が届いた。一人ではない。耳を澄ませば、話し声の気配も聞き取れる。

 廊下を歩む足音は次第に近づいてきており、やがて優人がいる部屋の前で止まった。

 電子錠の開錠音が響き渡り、勢いよく開け放たれた扉に続いて小柄な人影が飛び込んでくる。

南風はえ隊長! ご無事で!?」

 慌てた声音で飛び込んできたのは、軍服姿のエレベートだった。

「いけません。坊ちゃま。こんな不潔な場所に入られては――――」

「ごめんなさい。僕が余計な事をお話したばかりに……」

「坊ちゃま!? いけません! そんなっ。坊ちゃまともあろうお方がそんな簡単に―――」

 くしゃりと顔を歪め、土下座でもしかねない勢いで深々と頭を下げたエレベートの後ろで、狼狽したマークが色を無くしている。

「うるさい! 何回も言わせるな。今の僕は、ただの兵士だ! この人の部下だ!」

「エ、エレベート? 大丈夫。僕は大丈夫だから。君が頭を下げる必要なんてない」

 頭を下げたままの言葉に絶句するマークを気まずげに一瞥し、優人はエレベートへと小さく頭を下げた。

「僕こそ……すまなかった。こんな勝手な行動……僕こそ兵士失格だ」

「隊長……」

 顔を上げたエレベートに小さく首肯して肩をすくめる。

「それにしても何故、君たちがここに? 営倉の管理権限はこのセクションの防衛部隊隊長が握っているはずだけれど」

「それは……」

「先だって基地を出立される際に、ヴァルカン大尉からグローリー・シリウスへ御連絡があったのです。夜間時帯が明けたら大馬鹿者を引き取りに来い。話は通しておく、とね」

 言いよどむエレベートの後ろで、マークが慇懃な一礼とともに口はしを吊り上げる。

「いやはや。とんでもないことをされましたね。隊長。よもやアロンダイト権限で要塞司令部の許可も取り付けずに要塞へ乗り込んでいかれるとは……」

「よせ。マーク!」

「いいえ。黙りません。隊長は、首都防衛近衛大隊アロンダイトという名の重さをまるでわかっておられないご様子。よろしいですか? アロンダイトの名に傷をつけるということ―――それは後見であるピエガ家の家名を傷つけるということに他なりません。今頃イクシス艦長も要塞司令部へ招聘されているはず。軍規に縛られない立場だからこそ、我々は誰よりも軍規を重んじねばならないのです。先達達がそれを貫き続けていたからこそ、現在の我々が在るのだということを―――」

「僕は、やめろと言ったんだぞ。マーク」

「ぼ、坊ちゃま……?」

 低く押し殺した声音が、高まる回転とともに嘲りを含み始めたマークの言葉を両断した。

 普段のエレベートからは想像もできない鋭利さをもった声音だった。心なしか目じりも鋭さを増し、双眸には他者を威圧する怜悧な気配が宿っている。制止の声をかけようとして、重なる面影に優人は息を飲んだ。たしかなピエガ家血統の気配をあらわに、エレベートがマークを睨みつける。

「全部ミリーから聞いたぞ。おまえこそ、アロンダイトの名前を使って要塞司令部にグローリー・シリウスを後方へ下げさせたんだってな。どういうつもりだ?」

「ミ、ミリー!?」

「へ~い。呼んだ?」

 引きつった顔で後ろを見やったマークの先で、開け放たれた扉の影からミリーが顔を出す。

「なんで坊ちゃまに!?」

「……聞かれたから?」

「みりぃぃぃぃぃ!?」

 なかば悲鳴となった声を上げるマークから、両耳をふさいだミリーが仏頂面でそっぽを向く。

「あたしのせいじゃないもん。だいたい、撤退路の[[rb:確保任務 > キープ]]なんて兄貴がやりすぎなんだよ。直営艦隊の後方配置ぐらいにしときゃよかったものを、極端なことするから整備長が問い合わせちゃったんだよぅ。実戦を前提にしている艦載機の試験項目の大部分が実施できなくなっちまうけれど、かまわないのか。ってさ。むしろ、あたしに謝ってよね。大隊長に真っ先に怒られたの、あたしなんだからさ」

 「バカジャネーノ。クソ兄貴」小声で吐き捨てられた言葉まで耳に入ったのか入らなかったのか。先ほどまでとは別の意味でマークの顔色が変わる。

「だ、大隊長? まさか……シルウィット大佐…です?」

「そだよ。なんでか、お忍びでここに来てたんだってさ。おまけに整備長と顔なじみらしいよ」

 「首都の防衛隊長が最前線にきてんじゃねーよ」そんな呟き混じりで渋面を作るミリーと、顔面蒼白になって絶句するマーク。

「まったく。なんてこと……」

 そんな二人を交互に見回し、肩を落としてエレベートが嘆息する。

「エレベート。ひょっとしてシルウィット大佐って……あの?」

「えぇ。御想像の通り、アロンダイト大隊隊長のシルウィット大佐です。これが大変に気難しい方でして……」

「あれは気難しいんじゃなくて、ただの石頭」

 「何が男女平等だよ。女の頭に拳骨落としてんじゃねーよ」渋面のままミリーがぼやく。

「とにかく艦へ戻りましょう。急な配置転換と作戦指示変更への対応で今、艦内は大騒ぎなんです」

 



   二

 グローリー・シリウス第七ユニットの最後部には一部の限られた人間を除いて、士官さえも立ち入りを禁止された区画が在る。

 機密秘守のため艦内ネットワークから切り離され、更には独自のジェネレーターによる電力供給を受けて稼動している完全独立区画だ。

 幻想機テンザネスをようするためだけに作られ、その存在によってのみ稼動するスペースは不気味なまでに静まり返っていた。

 無音というわけではない。空調を初めとした重々しい設備の稼動音が反響の重なり合いによって騒音と呼んで差し支えないレベルで響き続けてはいる。だがそれでも、場に立ち込めた静謐せいひつな気配とでも呼ぶべき重苦しさが、居合わせた人間に静寂を感じさせてやまないのだった。

 フラットに組まれた鋼板の床と壁、そして天井へ幾何学模様を描いて配されたレールたちのたもとで自走式の整備ロボットたちが待機姿勢のまま停止している。

 クレーン、溶接、多種多様な機能を備えたロボットたちは皆、ブラッディ・ティアーズと変わらぬ全高を持っているはずであったが、駐機姿勢のためか、一様の静けさのためか、まるで王にかしずく臣下達のような趣きがあった。

 そんな光景の中心に、それは座していた。

 文字通りの意味だ。

 鋼材で組み上げられた巨大な玉座に、まるで人間の王のごとく一機のブラッディ・ティアーズが座しているのだ。

 奇妙なまでに装飾的な意匠の機体だった。

 燦然さんぜんと輝く青い装甲には唐草模様の装飾が施され、自在かつ広範にSSTシールドを振るうため延長と多関節化されているはずの左腕は、五指を備えた右腕と同じく人のそれを模した形に造作されている。

 西洋甲冑を思わせる頭部の面貌には、羽ばたく鳥を思わせる形状のセンサースリットが刻まれていた。だがそのセンサースリットにはシャッターが下りて空隙を閉ざしており、稼動効率を落とした低いエンジン音も相まって、この機体が浅い眠りについていることを如実に表している。

 そんな機体の整備ユニットも兼ねているのだろう。

 椅子の左右から伸びた支持機構が、本来は両腕に装備されているはずの盾を外して両脇に懸架していた。背もたれも同様で、背もたれ板のない両の支柱から伸びた懸架機構が垂直尾翼にも似た一対一体型のアクティブ・スラスターユニットを抜き外して背後の整備ユニットへと降ろしており、同時に複数の固定アームが機体を椅子へと固定している。

「これが幻想機“テンザネス”ですか……」

 そんな機体を見上げ、ルークと居並ぶ軍装の男がやぶ睨みの双眸を細めた。

 純銀製の優人たちとは違う純金製のアロンダイト徽章を右襟元へ飾り、対となる側に大佐の階級章、左肩には円形盾に女神の横顔を重ねたエンブレムがあしらわれている。首都防衛部隊の上級仕官のみに与えられるエンブレムには横に3本、中央を縦に一本の銀鎖が飾られていた。

 痩身で上背もルークとさほど変わらぬ短躯だが、鍛え込まれた身体は厚くあご周りの発達ぶりも顕著だ。浅黒く彫りの深いアラブ系の顔立ちの中で、大きく力強い双眸が短躯を感じさせぬ風格を男に与えている。

 ジョセフ・シルウィット。それが男の名だ。

 43歳という若さにして首都防衛を担う精鋭部隊―――アロンダイト大隊隊長にまで上り詰めた男は現在、自身の使命であるはずの首都防衛任務を部下へ預け、人知れず最前線CALIBER要塞へと足を踏み入れている。

「なるほど。たしかにこれは、我々が知るブラッディ・ティアーズとは一線を画している。この雰囲気……威容、とでも言ったものでしょうか。恐らくこれは、ブラッディ・ティアーズか否かという以前に、そもそも兵器として作られたものではないのではありませんか? 私は技術屋ではありませんが、その私をして、これを戦術兵器とみなすことに奇妙な違和感を覚えます」

 銀鎖が示すパイロットとしての私見を口にし、左横のルークへと目を向ける。多分に戸惑いが入り混じった眼差しを苦々しく一瞥し、ルークはテンザネスへと目を戻した。

「一目でそれを感じ取るセンスは、さすがじゃの。ワシも同意見じゃ。機体は違うが、別の幻想機を目にしたドカト大尉も似たような事を言っておったよ。同じ前大戦のエースたちだけに、感じ方も似ているのかもしれんな」

「……中佐ですよ。今、彼は……」

「……そうじゃったの」

 任務中の死亡により二階級特進となった知己へ、それぞれ二者二様のため息が口をつく。

「話を戻そう。知っての通り、このユニットは軍部がトリニティ・ウィーセルから供与されたテンザネスの整備ユニットに、追加で寄越された設計資料分を足し合わせて作ったものじゃ。製造がてら解析した限り、トロイの木馬といった要素はなさそうじゃが奇妙な点が多々ある」

「それが、私をここへ呼び出した理由ですか」

「そうじゃ。10年以上も昔の話をネタに恩着せがましい奴と、軽蔑してくれてかまわん。じゃが、他に頼れる人間がおらんくてな」

「何をおっしゃいます。あなたがいなければ、あの損耗著しい戦場で我々の部隊は戦い抜けなかったでしょう。世間は我々パイロットばかりを英雄などと持ち上げるが、我々にとってはあなたたちも等しく英雄です。その恩義を返せるともなれば我々、元第六特務機動中隊の人間で労を惜しむ者など一人としておりませんよ」

 常に性能の限界を求められる戦場において、パイロットと機体の損耗は過酷だ。

 どれほど優秀な操縦技術があろうとも、まともに機体が動かないのでは意味が無い。パイロットたちにとり、優秀な整備士という存在は命綱に等しい価値を持つ。

「それに、幻想機については私も無関係ではないのです。アロンダイトに彼を迎えている事から整備長もお察しのこととは思いますが」

「優人か……」

「はい。議長とジ・エッジは、彼の英雄譚を足がかりに木星圏を掌握する腹づもりの様子です。その自信がどこから出てくるものなのかはわかりません。ですが、彼らの言動の端々に感じ取れる核心の根拠こそが、この幻想機に隠された何かなのではないでしょうか」

「ワシらが提出した報告書には?」

「全て目を通させていただきました。率直に言って集団幻覚を疑いたくなる内容ではありましたが……報告者の中に整備長の名がなかったならば、いくら私でも一笑に付していたかもしれません。ですが実際、この機体を目の当たりにした今となっては、そんな気持ちも揺らぎます」

「おまえさんほどの立場の人間が、これまでトリニティ・ウィーセルの連中と接触しておらんかったというのは意外じゃな」

「有用な駒ではあっても信用されてはいないのですよ。愚直しか能のない私が、役者不足にも程がある役職を押し付けられたのも、老いて益々盛んな元当主と、それを疎ましく思う現当主、火花を散らす両者の仲立ちをさせるためですからな。あのカタブツなら易々と懐柔されることはあるまい。前議長からの御指名をいただいた折には、そんな評議会議員どもの声が聞こえた気さえしましたよ」

 ルークの問いに、どこか自虐的な笑みを浮かべてジョセフは肩をすくめてみせる。

「相も変わらず面倒臭いのう。政治というやつは」

「木星圏における兵力の約60%をCALIBER要塞へ割いている現状において、アロンダイト大隊は木星圏内における唯一の師団です。戦況が悪化して例の作戦が決行される事にでもなれば、結果として我々の存在は政局の鍵そのものと言っても過言ではなくなる。そのとき、アロンダイト大隊がピエガ家の私兵では困るのです。だからこそ、誰もが我々とピエガ家を切り離そうとする」

「そうか。そのためのエレベート。そのための、優人……か」

「そうです。どのような形であれ、エレベートがアロンダイト大隊に在る事実はピエガ家にとっても、ジ・エッジにとっても追い風となる。それでもあえて彼を受け入れたのは、彼こそがこの先にあるかもしれない議長派の専横に待ったをかける一手となるかもしれないと踏んだからです」

「なら何故、エレベートをここへ? いくら才覚があるとはいっても、初陣の死傷率はおまえさんも知っておろうに」 

「……それは―――」

 二人の後方で自動扉が小さな開錠音を立てた。

 パスコードと網膜認証、更には所有シール・ギアのパーソナルナンバーからなる三重のロックを抜けて姿を現したのはマークだった。

「マーク・ブラッシャー中尉。お呼びにより馳せ参じました」

 歩み寄り数歩手前で足を止めたマークが直立とともに敬礼する。

「ご苦労」

 低く鷹揚な声音で応じたジョセフが返礼を返す。右手を挙げて姿勢を崩させたジョセフの顔からは、先ほどまでの緩やかな気配が消えていた。決して険しくは無いが、鋼を連想させる硬質で厳格な上位者の顔となっていたのだ。

「報告は聞いている。全て予定通りだ。貴官には汚れ役を担わせてしまったな」

「お気づかいありがとうございます。ですが、これは全て私自身が買って出た役割です」

 かぶりを振り、小さくマークが微笑む。穏やかさの仮面の隙間から、隠しきれない寂しさと申し訳なさを感じさせる、そんな微笑みだった。

「大旦那様と旦那様の確執に、これ以上、お若い坊ちゃまを巻き込ませるわけには参りません。ただ一人の嫡男として、あんな醜い政争の板挟みに会えば、せっかく天より授かった坊ちゃまの輝きはくすみましょう。ならば政争の場から遠ざけ、今の坊ちゃまが最も才を発揮できる場所への路を作って差し上げるのが私の務め」

「それが死地であっても、か?」

「私は信じております。坊ちゃまの才と運気を。だからこそ、こんな道化を演じたのです。大隊長への露見が故とのことであれば、旦那様も納得せざるをえないでしょう。ましてや、全木星圏の期待を一身に背負うザ・ラスト・サンズの近侍という立ち位置ならば、これ以上の干渉は難しいはず」

「嘆かわしいな。己の非才を認められず、息子の才気に父親が嫉妬するなど……」

「旦那様も苦しんでおられるのです。あの方が非才なのではありません。大旦那様と坊ちゃまの輝きが強すぎるのです。だからこそ濃くなってしまう。御自身の影が、そして闇が……」

 沈鬱な声音をもらすマークの両手が震えている。硬く握り締められた指先は白く血の気を失い、爪は今にも手のひらの皮膚を破らんばかりに食い込んでいた。

「本当は、お優しい方なのです。テレパシー・シンドロームで両親を失い、路頭を彷徨っていた私たち兄妹をお救いくださったのは旦那様なのですから」

「だからこその最前線、か」

「その通りです。坊ちゃまには、この戦いで英雄となっていただきます。ザ・ラスト・サンズとともに中央を撃退し、生還した功績さえ打ち立てられれば、さすがの旦那様も坊ちゃまをお認めになられるはず。翻意ほんいさえかなえば、きっと家督を坊ちゃまへお譲りになさる引き際と、昔の旦那様へお戻りになられることさえあるかもしれません」

「都合の良い未来予想図だ。だが、それが貴官の希望、か」

「大恩ある方々へ報いる唯一の方法と信じております」

 降りた沈黙の中で視線が交錯する。

 それぞれが抱える鉄の意志を確かめ合うかのように視線を交わし、どちらからともなく首肯する。

「いいだろう。ピエガ議員とピエガ家へは私の方から話を通しておく。おまえは引き続き、南風中尉の監視を続けろ。差配は任せる。裏を知らせる必要はないが、ミリー准尉にも手ぬかるなと伝えておけ。こちら側へ転用可能なテクノロジーの一つでも手に入れられれば儲けものだが、そうでなくとも幻想機のデータは戦後、議長派への有用な武器となりうる」

「試作機の名目で搬入した最新鋭機たちの調整は、ほぼ完了しております。テストパイロットたちについても、元々は関係各所からアロンダイトへの推薦を受けていた逸材たちです。数度、実戦闘を経験すればモノになりましょう。彼らの取りまとめと教育役には先日、ヴァルカン大尉から推薦を受けた古参パイロットをCALIBER要塞より招聘しております。南風隊長と坊ちゃまのサポート役には十分かと」

「ここまでは計画通りか。だが、ここから先は、良くも悪くも貴様たちの働き次第となる。振られた賽の目がどうでるかは神のみぞ知るところだが……生き残れよ。エレベートには、まだまだおまえが必要だ」

「心得ております。この生涯を賭して坊ちゃまを、お守りし続ける事が我が身に課した誓いでございますれば」



   *   *   *   *   *

 


 一礼とともに、マークの背が自動扉の先へと消えてゆく。

 その姿を、ジョセフは物憂げに見送り続けていた。

「忠義の士、か。時代錯誤にもほどがある。どんな魔窟で育てば、あんな歳若い青年が大恩などと大仰な科白を吐く輩に育つというのか……つくづく業深いな。テレパシー・シンドロームの悪夢と、政治世界の底なし沼は」

 マークが見せた真摯な眼差しに、かつて肩を並べた少年兵たちの顔が重なってやまない。

「だが、最も業深いのは、そんな彼さえ利用する俺自身か。こんな立場となって、政治というものとの距離が近づくほど深まりますよ。腐敗し悪臭を放ちつつある己自身への嫌悪が」

「あまり自分を責めるな。ジョシィ」

 かつての愛称を口に、かぶりを振ったルークがテンザネスを振り仰ぐ。

「未来を作るのが若者ならば、過去の業を引き受け、世を去るのが老人の仕事じゃ。その意味では、誰よりもおまえは正しい。木星圏の未来を憂う、おまえさんの采配はきっと、あいつら若者が歩む道を照らしてくれることじゃろう。少なくともワシは、そう信じておるよ」

「整備長……」

「じゃから一目、会ってゆけ。おまえとヴォルフが育てた男の遺した最後の弟子に、な」

 再び自動扉の開錠音が響き渡る。

 ゆっくりと開いてゆく扉の向こうから姿を現した青年に、ジョセフは常と変わらぬ厳めしい表情を向けるのだった。

 この邂逅が最初で最後とならないことを祈りながら。




   三

 眼前でハッチが閉じてゆく。

 観音開きの左右が閉じ、上下それぞれからシャッターが下りる反対側では、最外装のハッチが上から置いてブラッディー・ティアーズの胸部を成しているのだろう。

 刹那、閉ざされた暗闇が計器の輝きで駆逐されてゆく。

 正面と左右から起き上がる形で組み上がったヘッドアップ・ディスプレイが起動し、宙空に無数の蛍光画面が浮かび上がった。ヘッドアップ・ディスプレイが備えた投影式の表示パネル群の先で、コクピットの内壁前面を半球状に取り囲んだ大型ディスプレイが外の景色を映し出す。

 鋼材やクレーンなどの重機械で埋め尽くされた格納庫の景色に明かりは少ないはずだが、まるで昼間のように明るい視界を見せている。機体頭部の外部カメラが捉えた画像を思考制御補助システム―――S-LINKを通じて搭乗者と同期した機体が、視覚コンディションに合わせる形で画像の色調とコントラストに補正をかけているのだ。

 着々と機体の起動手順を重ねゆく中で、ファンクショントリガーへ差し入れた五指へ軽く力をこめる。

 わずかな抵抗感と、スプリング機構の遊び調整は完璧に優人の嗜好と一致しており、それだけで高い整備者の技術力を感じさせられた。

(この応答性と感触……本当にミリーは良い仕事をしてくれるね)

 視線を降ろすと外部画像が下方へスライドし、機体の胸部正面へ渡された搭乗橋で肩膝をついているミリーが映し出された。いつもの作業ツナギではない。折り目正しい仕官服姿だ。戦地へ赴く知己へ向けた、彼女なりの手向けなのだろう。不器用な激励に、我知らず口元が緩む。

『ユウト……』

 通信と共に投影ウィンドゥの一つが黒く塗りつぶされ、次いでミリーが映し出される。

 バストショットの画像の中で整備用の小型端末を手にしているミリーの顔からは普段の斜に構えた雰囲気は無く、代わりに張り詰めた緊張感を漂わせていた。

『機体のチェックは完了しました。長距離航行用のアタッチメントとプロペラントタンク、推力補助用ブースターもまもなく準備が整うとのことです』

「ありがとう。余計な仕事を増やしてしまって、すまないね」

『……それが仕事ですので』

「それでも、さ」

 にべもない返事に苦笑して、優人は右方を見やる。右壁面の画面には、テンザネスの左肩とそこを拘束していた固定具が展開し、壁へと引き込まれてゆく様が映っていた。

 人型を模し、頭部に撮像システムを有している構造から自然、ブラッディ・ティアーズのコクピット内へ映し出される視界は頭部を基準としている。思考補助制御システムS-LINKを解して視覚や頭部の動きと連動した映像は、自身が機体そのものになったかのような同調感覚を助長してくれる。

 勿論、映し出される映像は無数の外部カメラが捉えたそれをコンピューター処理したものだ。

 そのためパイロットが望めば画像にはフィルタリングがかかり、自機の姿を消したり、ワイヤーフレーム化してその先の景色へ透過した形へ切り替えることもできた。360°の視界が必要となる宙間戦闘ともなれば、必要に応じて頻繁に視界を調整することとなってくる。

「良い仕事には感謝を。昔、教官にそう教わったから」

 小さな笑みを浮かべたまま軽く右方の景色を見回し、人気が無いことを確認するとファンクション・トリガーでキーコードを一つ、打つ。

 実行された一つの動作プログラムに従い、機体の右腕がゆっくりと動き始めた。

『なにを!?』

 驚いて身を硬くするミリーをよそに、肘から持ち上がった右腕が、右のこめかみ手前で五指を伸ばし揃えてゆく。

「ありがとう。ミリー。君のおかげで僕はこれまで以上に戦えそうだ」

 まるで人間のように滑らかな動きで敬礼を取ってみせた機体にミリーが目を丸くしている。その驚きに小さな満足感を覚えた耳に、ヘッドアップディスプレイからのビープ音が届いた。

 『You have Control』。管制室から届いた発進準備完了のメッセージだ。

「I have control。管制システムとの完全同期を確認。機体の拘束解除。BT発進シーケンス開始」

 無数の微震がコクピットへ響き渡る。機体を固定しているロボットアームが次々に玉座へと引き込まれ、左右や正面を取り囲んでいた整備用の連絡橋が艦内の壁へと引き戻されてゆく。

 遠ざかるミリーへテンザネスの顔を向けさせ、今一度の敬礼を優人は取らせた。

接合コネクション

 腰後ろの脊椎へ備わったジョイントへ先端を差し込む形で接続されたロボットアームが動作し、テンザネスを吊り上げた。脚を伸ばし、直立したテンザネスの背部へ、別のロボットアームがアクティブ・スラスターを接続してゆく。

 接続機構のロッキングとともに起動したアクティブ・スラスターが、動作の自己チェックにより微動した。

 小型推進器を備えた垂直尾翼を挟み込む形で一対の大型可動推進器を備えたアクティブ・スラスターが見せる、鳥の打ち震わせにも似たそれの完了と同時に、今度は左右から身の丈ほどもある長盾が上腕の懸架機構へ装着されてゆく。 

 そうして自己の姿を完成させた機体が、高らかな咆哮を放った。

 機体のエンジンが待機状態を抜け、完全起動を果たしたのだ。

 それは、現代の艦船や戦闘機が標準として備える核融合や水素によるエンジンとは明らかに違う音だった。

 まるで獅子の唸りにも似た重厚でクリアなエンジン音が、場内の空気を震わせてゆく。

「相克型空間駆動エンジンの加圧完了。モード設定、ハーフ・ドライブ。各部駆動系のキャリブレーション異常なし。変形開始」

 唸るエンジンの律動が跳ね上がる。全身くまなく行き渡りゆく圧倒的な電力の余波によって装甲表面へ紫電を弾けさせた機体が覚醒の喜びに打ち震えた。

 同時に機体が変形してゆく。

 駆動部の動作確認も兼ねているのか、機能上は数秒とかからぬはずの変形動作は非常にゆっくりとしたものだ。

 顔面のセンサースリットがシャッターで閉ざされ、両肩の付け根から背部にかけてアクティブ・スラスター基部と鎖骨フレームの補強保護装甲を成していたパーツがせり出した。肩口を中心に前方へと起き上がった装甲が左右から噛み合わさり、頭部を隠して機首を成す。

 同時にアクティブ・スラスターの大型可動推進器が可動アームによって左右へと広がり、外側から両腕と盾の間へ挟みこまれる形で組み合わさった。

 脚部が付け根から背部へと回り込み、折りたたまれた足先が、背部の垂直尾翼型スラスター左右に残されたジョイントと噛み合い、固定されてゆく。

 それらの動きに合わせて各部さまざまな箇所で装甲がスライドし、機構が動作し、鶴にも似た戦闘航宙機のフォルムを完成させていった。

「これがテンザネス……」

 整備場の壁面通路へと引き戻された整備連絡橋の上で、ミリーは息を呑んでその一部始終を見届けていた。

 優美な飛翔体としての姿へ変貌を遂げたテンザネスが、エンジンの咆哮を収めてゆく。

 それと引き換えに、背もたれの無い玉座が底部のモーターレールによって前進を始めた。同時に左右へと割れるように変形し、座面に一対の固定具を備えた台座へと姿を変える。ロボットアームが機体を下ろし、固定具が機体を固定するのと同時に脊椎―――変形した現在となっては後部上面からジョイントが引き抜かれた。

 接続部の先端が折りたたまれ、ロボットアームが台座へと引き込まれてゆく。

 整備場内に退避勧告の警報が響き渡った。

 同時に前方の壁際で台座が停止する。

 左右の壁面が展開し、テンザネスが載るそれと酷似した台座ユニットが姿を現した。レールではなく、キャタピラを備えた自走ユニットだ。

 計2両のユニットはそれぞれにパーツを載せていた。

 右から現れた1台がテンザネスの背後で足を止める。

 自走ユニットが背負うのは、縦2本が一対、長さ10メートルにも及ぶ直系3メートルの円筒4本だ。先端部を駆動機構と思しきユニットで一纏めにされたそれが、自走ユニット左右のロボットアームによって持ち上げられてゆく。

 自走ユニット前面上部でセンサーユニットがポップアップし、赤いレーザーポインターの光を投射し始める。その光を水準と目標のターゲッティングに使用しているのだろう。レーザー光がテンザネス上部で口をあけたままのジョイントで止まった。

 自走ユニットがフレキシブルなロボットアーム動作と小刻みな微速移動を繰り返しながらテンザネスへと接近し、円筒先端のユニット下面のジョイントとテンザネスのそれとを接合させてゆく。

 ユニット同士が噛み合い、ロックが完了すると、自走ユニットは動きを止めた。

 円筒ユニットが起動し、円筒ユニットそれぞれの後部で四基の推進ノズルが顔を出す。

 推力補助用として使用されるアタッチメント式の[[rb:増加推進器 > ブースター]]だ。燃料の増加槽も兼ねたそれは本来、航宙機の航続距離を延ばす目的で取り付けられるものだが、それをルークが改造し、ブラッディ・ティアーズの推進システムへ転用したものだった。

 合わせて、前側へ回り込んだもう1台も作業を完了していた。こちらはテンザネスの前方底部―――人型である際の胸郭部を覆う形で取り付けられた箱型のユニットが、鈍色を放っている。こちらは酸素などの生命維持システムを備えた長距離航行用の居住ユニットだ。

 前方の隔壁が重々しい響きを上げて左右に開き始めた。

 展開し、あらわとなったスペースへと連結されたレールを伝い、機体が再び前方へと運ばれてゆく。

 そうして開口部をくぐった先で、更に奥へと連なる隔壁たちが開いてゆく。同時に背後で隔壁が閉まり、暗闇の回廊の袂へと取り残された。

『優人。くれぐれも、無茶はするなよ』

 コクピットで静かに座す優人の正面右へ、通信用の小ウィンドゥが開いた。厳しい表情のルーク整備長へ、無言のまま首肯する。

『計算上、推力も燃料も十分に足りておるはずじゃが、何が起こるのかわからんのが世の常じゃ。特にブラッディ・ティアーズ単独で、これほどの高速長距離航行なんぞは過去にも例が無い。もし何かあったときは無理せずわしらの到着を待て。いいな』

「わかっています。居住ユニットも快適そうですし、良い旅を満喫してきますよ」

『らしくもない軽口はよせ。いいな。絶対に無茶はするなよ。ましてや戦闘なんぞ、もってのほかじゃ。ワシらの任務はあくまで、先遣隊の様子見と生存者の回収じゃ。何があっても、それだけは忘れてくれるな』

「整備長……」

『……ヴォルフたちを頼む。矛盾を承知で言うがの』

 無言のまま首肯し、画面の中へのルークへと敬礼する。苦々しいルークの眼差しが画面とともに消えると、入れ替わりに仏頂面のイクシスを映した小ウィンドゥが開かれた。

『このワシを無視して大隊長様から特務を請け負った上、顎先ひとつで敵陣の鼻先へ駆り出すとは……お偉いことだな。アロンダイトの仕官様は』

 不満をありありと浮かべ、艦長席のシートでふんぞりかえったイクシスの姿に、優人は胸中で深いため息をついた。

 不貞腐ふてくされたイクシスの謗りはこれで何度目のことだろうか。指折り数え、十を超えたあたりで馬鹿馬鹿しくなって考えるのをやめる。

『裏でシルウィット大佐に何を命じられたのかは知らんが。忘れるなよ。この艦で一番偉いのは! 貴様の直接の上司はこのワ―――』

『南風隊長』

 画面の向こう側で人差し指を突きつけ、言いかけたイクシスが消えた。新たな画面に上書きされ、開いたウィンドゥにマークが映る。背後の景色から察するに、第七ユニットの管制室なのだろう。オペレーターを初めとした他の士官たちの声が小さく聞こえてきている。

『作戦の最終確認をよろしいでしょうか』

「……あぁ。頼むよ」

『本作戦の主題は、ワン・ハンズ基地へ向かった先遣隊のサポート任務です。敵基地への強襲で得られた情報と、残存部隊隊員の回収が主な作戦目的となります』

 ヘッドアップ・ディスプレイの球体型三次元レーダーに簡易航路図と、移動経路などが表示されてゆく。

 CALIBER要塞から敵の前線基地であるワン・ハンズ基地まで、おおよそ5万キロといったところか。かなりの距離ではあるが、大気や重力といった遮蔽物のないクリアな宇宙空間での事である。高度なレーダー機能とコンピューターによる自動航行を駆使するなら、音速以上の平均速度で航行する航宙機にとってそれほどの長距離というほどではなかった。

『テンザネスは本艦に先行して現地へ向かい、途中航路の索敵と障害物の確認・排除をしていただくこととなります。後からクリアな進路を進む分、本艦とテンザネスの最終的な到達時間に差はほぼ無い計算ではありますが……何分、中央軍の目と鼻の先です。敵方の偵察部隊や索敵システム、機雷には十分に警戒なさってください。尚、非常事態を除いて原則として戦闘は禁止です。今回の先行は名目上、あくまで“ブラッディ・ティアーズの長距離航行試験”の一環として行っておりますことを、くれぐれもお忘れなきよう』

「了解。頭の痛い隊長で、すまない。この間の事も含めて、謝るよ」

『こちらこそ、御無礼をお許しください。私も前線の空気に当てられて余裕を無くしていたのかもしれません。初陣とはいえ、お恥ずかしい限りです』

「初陣? マークの年齢ならてっきり……」

『前大戦時、たしかに学徒動員で招集はかけられたのですが、戦線ではなく木星圏の治安部隊隊員としてアチコチを駆け回っておりました。あの頃は内乱の残り火もまだまだ各地に残っておりましたので、中央の侵攻に呼応したデモやテロも絶えず……』

 マークの顔に沈鬱な影がかすかによぎる。

 戦争の爪痕は戦場だけに残るものではないのだと。教科書や伝聞で知るそれとは違う現実の匂いに、優人は自身の失言を悟った。恐らくは、いや誰にとっても良い思い出などであるはずがないのだ。戦時の日々などは。

「すまない。嫌なことを思いださせてしまったね」

『お気になさらいでください。どこであろうと、誰であろうと、影は等しく降りかかるものです。私など、まだまだ幸せな部類に違いありません』

 笑うマークにつられて我知らず、優人も笑う。

 それと間を置かず、ヘッドアップ・ディスプレイの右端でメッセージ・ランプが赤から緑へ色を変えた。艦内および近辺の発進進路確認が完了し、発進許可が下りたのだ。

「無事に戻ってこられたなら、またこんな話をしよう。今度はエレベートとミリーも交えて」

『ええ。楽しみにさせていただきます』

 気づけば、手の汗ばみが消えている。

 イクシスを遮っての会話は、優人の緊張をほぐすための配慮だったのかもしれない。そんな事をふと思い右手を挙げる。

『御武運を』

 敬礼を返し、マークは通信を打ち切った。コクピット内に再び薄闇が降りる。計器たちが放つ色とりどりの蛍光で照らされ、静かにヘルメットのバイザーを閉じた優人の耳へ、管制官からの通信が入った。

『エアロックの減圧完了。最終隔壁を解放します』

 テンザネスの前方奥で3枚の隔壁が連続して開き、彼方の空隙から暗黒のしじまが顔を出す。

『発進進路クリア。リニアレール励起スタート。テンザネス、発進どうぞ』

「了解。テンザネス。発進します」

 ファンクション・トリガーでキーコードを一つ、打つ。

 機体からの応答を受けた艦の管制システムが機体の固定具のロックを解除してゆく。同時に台座直下のリニアレールが稼働し、ハンガーとレールをつなぐ車輪のリニアモーターが唸りを上げだした。凄まじい電磁気の斥力が台座ごと機体を前方へと弾き飛ばし、数十トンにもなる金属の塊を数瞬で三百キロ近くにまで加速させてゆく。

 終点出口は2秒とかからず訪れ、固定具解放と同時に機体から離れた台座が、射出口から第七ユニットの外縁に向かい下方へ減速しつつ逃げてゆく。同時に台座との間で火花を飛び散らせた機体が無色の空間へと撃ち出された。

 歯を食いしばって耐えていた加速の終わりとともに、優人を宇宙の黒と星々のきらめきが包み込んでゆく。

「行こう。テンザネス。僕たちの戦場へ」

 未だ遠い戦場を彼方に見据え、優人はスロットルペダルを踏み込むのだった。

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