第二次CALIBER要塞攻防戦(中)

序章 罪の枷

 笑顔をためらわぬアナタの無垢が、私にはたまらなく眩しかったのです。

 笑顔をためらう自分の濁りが、私にはたまらなく寂しかったのです。


 もしも私が、アナタほど真摯であれたのなら。

 もしも私が、アナタほど純粋であれたのなら。

 私はこれほどに穢れなかったのでしょうか。


 裏切りを重ねる日々に罪をおぼえる人間ではなかったはずなのに。 

 気づけば私は、アナタへ犯した裏切りへの罰を望まずにはいられないのです。


 私は、アナタが恐ろしい。

 私を、私の知らない私に変えてしまったアナタが恐ろしい。


 そして何より、アナタが私の真実に触れてしまったかもしれないことが恐ろしいのです。

 私の濁りが、澄んだアナタの眼差しに仄暗い影を差し入れてしまったかもしれないことが怖いのです。


 化け物と、私を産んだ母は私を捨てました。

 哀れな子と、私を育ててくれた養母は泣きました。


 けれど、それでも、だとしても私は――――。



   *   *   *   *   *

 

 

 揺れる手錠の鎖が、小さな金鳴りを立てている。

 目を落とした先の両手首にはめられているのは、鈍色の合金製リングだ。

 断面の直径3センチもあるリングとは対照的に、二つを結ぶ小指よりも細い鎖が身じろぎと合わせて揺れていた。

 リングに比べた鎖の頼りなさに小さな矛盾を感じるが無論、見た目通りの強度でなどないことは感触でわかる。

 その推察は正しく、内部を中空に鋳造された鎖には艦船を牽引するものと同素材のワイヤーが通されており、人間の力はおろか専用工具なしには切断も破断も不可能な代物だ。

 金属リングもまた同様に見た目以上の難物である。目をこらさなくては見えない微細なパターンから、これが一個の鋳造品ではなく幾つかのパーツが複雑に組み合わされたものであることが見て取れる。

 分子レベルで調整されたパーツの一つ一つには強力な電磁機構とICチップが鋳込まれており、専用の機器で暗号化された解除コードを打ち込まない限り分解できない構造となっていた。これをあえて無理やりに外すというのならば、手首から先を切り離すか、骨ごと潰すぐらいしか手段は無いことだろう。

 それだけではない。

 同時にリングには高出力の発信機と生体情報のモニタリング機能が備わっており、仮にこの場を脱したとしても木星圏に所属する設備に足を踏み入れれば即座に察知されてしまう代物なのだった。

 どんな罪人だとしても、一兵卒の拘束に用いられるようなものではない。これは国際的な要人や政治犯など、木星圏にとって見逃すことの出来ないを持ち合わせた人間のための拘束具なのだった。

(ついこの間までは、ただの未熟な新兵だったはずなのに……)

 自身の両手首を縛る手錠が持つ意味への皮肉が、冷え切った心中を呟きとなって吹き抜けてゆく。

(気づけば、国家機密に関わる重要参考人、か)

 口をついた溜息が重い。

 肺の中の空気に鉛でも混じってしまったかのように胸の奥は重く、胃の腑は神経性の痛みが針でつついたかのように疼き続けていた。

「こうして面会に応じてくれたということは、決心がついた、と考えて良いのかな?」

 太い声音に顔を上げると、切れ長の鋭い眼差しが一直線に突き刺さってきた。

 炯々とまたたく猛獣のそれを想起させる眼差しだ。“ジ・エッジ”そんな彼の二つ名が脳裏を過ぎるものの、それを口にするほどの胆力と迂闊を青年―――南風はえ優人ゆうとは持ち合わせていなかった。

 両腕を拘束されたまま立ち尽くす優人と対峙しているのは、190センチを越える身長と幅広いガッシリとした体躯を持つ老年の男だ。仕立ての良い背広姿を通してさえ、年齢とは不釣合いな膂力と精気を感じさせてやまない。直に会うのは初めてだが、その男の名と顔を優人は知っていた。否、木星軍に所属する人間で彼を知らない人間など皆無であることだろう。木星軍にとってのみならず、彼は現在の木星圏において最も注目を浴びる人間の一人であったのだ。

 男の名はクリフォード・ピエガ。木星圏において絶大な権勢を誇る軍閥政党の旗手にして、次期議長の呼び声も高い木星圏支配階層に棲む男だ。

「いや、こんな物言いは卑怯か。我々が君に突きつけているのは、いわば“選択肢の無い選択”だ。君にそれを拒否する権利は無く、一方的な要求への恭順を―――しかし君は君自身の意志として受け入れなければならない。君が君として、君が護るべきモノを守るために」

 淡々とした語りが響くたび、優人の背筋に寒気が満ちてゆく。気づけば手足は震え、自身をしてそれと分かるほど顔から血の気が引いていた。

 思わず目をそらし、おずおずと自身の現状を省みる。

 現在、優人が居るのは木星圏の首都コロニー“ネクス・セントラル”にある木星軍本部内の一室だ。

 およそ10メートル四方と広い部屋の両壁際には素人目にも由緒を感じさせる豪奢な調度が整然と並び、奥の壁には額縁に納められた絵画が飾られている。中央にある10人掛けの円卓は優人も初めて見る本物の木製であり、一目で年代物と知れる風格を漂わせていた。だがしかし、眼前の男がまとう権力者の威風にそれは奇妙なほど馴染みきっており、のしかかるような圧迫感で優人の緊張に拍車をかけ続けているのだった。

南風はえ……地球の極東地区で使われる古い言葉だそうだね。失礼だが、珍しい響きなので興味が湧いてね。調べさせてもらったよ。なんでも、作物を枯らす暖風にして、天候の変化を告げる凶兆という意味だそうだが……」

 いまこの場にはクリフォードと優人の二人きりだが、一つ壁を隔てた先では部下を従えた警備隊が神経を尖らせていることだろう。天井の四隅から、こちらを向いて動かない監視カメラの向こうで様子を伺っている者からの合図如何によっては、大量の兵士たちが部屋へなだれ込んでくるはずだ。

「……………」

 舌が口中に張り付いて声が出ない。冷たい汗で背筋は冷え切り、奥歯の奥に気持ちの悪い強張りがあった。優人にとり、これほどの緊張は2ヶ月前に初めての実戦を経験して以来のことだ。

 だが、この緊張はそれとは大きく内実を違えていた。

 生か死か。多様性はあっても、最後はシンプルなその2点へと収束してゆく命のやり取りとは違う。これは、人間社会における複雑怪奇な権謀術数への関わりが呼ぶ、生死に等しい未来への岐路に立たされたことからくる緊張なのだった。

「報告と同時に報道管制を敷いてはいたのだがね。やはり人の口に戸は立てられん。すでに英雄ドカトの訃報は木星圏中に拡散しつつある。“好事門を出でず悪事千里を行く”、太古の先人たちは上手い言葉を遺したものだとは思わないかね?」

 言葉とは裏腹に淡々とした声音が室内で反響する。

 そこに混じる一つの名が、優人の中にある感情の琴線を一つ、爪弾いていった。

「そして君たち3人は、こう呼ばれているそうだよ。英雄ドカトが遺した最後の弟子たち―――”ザ・ラスト・サンズ“と」

 我知らず、噛み締めた奥歯がかすかに軋む。

 揺れかけた感情の振り子を必死にとどめながら、優人はクリフォードへと目を戻した。

「憶測に憶測を重ねたトンデモな噂話ばかりだが、いまや君たちは有名人だ。どのワイドショー、ゴシップ誌も君たちの逸話で盛り上がり、広報部には君への取材を求める電話が殺到しているそうだよ。記者会見も開かせてはみたのだが話にならん。どいつもこいつも二言目には君はどこにいる、会わせろ、だからね」

 皮肉で口はしを歪めながら、ようやくまともにこちらを向いた優人へ肩をすくめてみせる。演技がかった所作だ。いかつい見た目とのギャップも相まって、奇妙なコミカルさがあった。

 気づけば緊張がわずかに緩和されている。全ては、緊張で凝り固まった優人への配慮から出た所作だったのだろう。小さな嫌悪感が心の隅へにじむのを優人は自覚した。その姿に、政治家らしい、他者を欺き慣れた人間の匂いを感じ取ったのだ。

「なにしろ、あまりにドラマティックすぎる逸話だ。未熟な弟子たちの盾となって死ぬ英雄、遺された弟子の一人は裏切り者として敵軍へ寝返り、仲間たちを守るためボロボロの機体で敵に立ち向かった果てに、一人は意識不明の重体へと陥る。窮地に立たされた最後の一人はしかし、忽然と現れた謎の機体を得たことで辛くも敵を退け、仲間たちを守りきることに成功する……出来すぎた逸話だ。まるでヒロイックサーガか童話の一節かとさえ思わされてしまう。戦況が膠着して久しい現在において、これほど大衆を沸かせる話題はあるまい」

 薄れゆく緊張と引き換えに、非当事者が語る他人事の言葉への小さな怒りが胸の奥を焦がす。


 あなたに俺たちの何がわかる。

 

 口を飛び出そうとする言葉を必死に飲み下しながら、優人は無力な我が身を呪わずにはいられなかった。

「……だから英雄になれと? 死んだ教官―――英雄クロモ・ドカトの代わりに?」

「その通り。君には、その資格が―――いや、義務があると知りたまえ」

 絞り出されたかすれ声にクリフォードが首肯する。

 表情は見えない。

 他者の心に鋭く切り込む眼差しでいながら、それでいて自身の内を微塵も見せぬ一方的な為政者のスタンスが、圧力となって優人の心を締め上げてきていた。

「そして、だからこそ私はここへ来たのだ。君ならば出来ると、出来るはずだと、そう見込んだからこそ私はここにいる。英雄の弟子だからではないぞ。君が、幻想機に選ばれたパイロットだから見込んだのだ。英雄ドカトの後継者が不服だというのならば、君自身が、その行動をもって師の伝説を塗り替えてしまえばいい。重ねて言うが、君には紛れもなく、その資格がある。幻想機のパイロットとなった君には、な」

「……あの機体は戦争の役になど立ちはしませんよ。あなたはアレを知らない。もう一度、私が乗ったところで、再起動するかどうかすらあやしい。アレには意思があるのです。人間の勝手に耳を貸すとは思えません。あれは―――」

「いいや。動くとも。他の誰でもない。他のどの機体でもない。“君が”乗る限り、“あの機体だけ”は、持てる力の全てを我々に捧げてくれるだろう。間違いなく、な」

 クリフォードを見返す優人は、無意識に一歩を引いていた。

 かぶりを振る優人の言葉を遮り、放たれた言葉に満ちた確信の気配が警戒心を呼び起こしたのだ。

「どういう…意味……ですか?」

 そんな優人を悠然と見つめ、クリフォードがわずかに口端を吊り上げる。無知への嘲りではない。かすかに曇った眉目が見せるそれは、明らかな憐れみの表情だった。

「それを知りたくば、あの幻想機に乗ることだ」

 クリフォードの右手が、懐から手のひらサイズの携帯端末を取り出す。

 液晶画面に指先を這わせて数度、文字を入力する気配を見せた直後に優人の両手首からビープ音が上がる。同時に拘束感が消失し、硬い金属音が足元で連続した。

 無線で解除コードを入力された手錠が電磁力を失い、無数の組み木に分解して落ちたのだ。

「それが君と、幻想機に関わる全ての人間を救う道にもつながる。この私も含めて、な。それだけの可能性が、君とあの幻想機にはあるのだ。だがそれも君次第。君の選択如何によっては、この木星圏どころか中央さえ滅びの道をたどることだろう」

 有無を言わさぬ真実の気配が、ともすれば一笑にふされてもおかしくはない大仰極まる物言いへの反論を許さなかった。

 沈黙が下りる。

 耳が痛いほどの静寂の中で、空調のファンが立てる小さな風切り音だけが響いている。

 静寂の中で、優人は自身の両手に目を落とした。

 枷の跡が赤く手首に残る手のひらは、1か月以上におよぶ拘留期間のためか少し痩せている。指先や付け根付近も厚かった皮が少し薄れてきており、操縦訓練に明け暮れる日々がすでに“”のものであることを嫌が応にも再認識させられた。

 もう、あの日々は戻らない。

 もう、あの日には戻れないのだ、と。

 すでに師は世を去り、裏切りの友は遥かな敵陣に。

 残された友は未だ死の淵をさまよい、仲間たちも、恋焦がれた女性さえも皆、自身と同様に拘束されて久しい。

 迷路に見せかけられた一本道へ放り込まれた優人にできることはせめて、後戻りのきかない道行きと引き換えに、かつての仲間たちをこの場から救うことぐらいか。

 だがそれも救いになるかどうかは疑わしい。仮に退役が許されたとしても、国家の機密に触れた者として監視と行動制限は免れ得ず、軍属を続けるのならば口封じついでに最前線送りは確実だろう。

「……わかりました。それで皆を解放していただけるのなら」

 血を吐く思いで開いた口から言葉がこぼれだす。だがそれでも、限られた選択肢しか無いのだとしても、せめて生き抜く場所を選ぶ自由だけは彼らに、と。

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