第五章 異邦の襲撃者

   一

 クロモ・ドカトという男がいた。

 第一次CALIBER要塞攻防戦において、要塞攻略に多大な貢献をした木星軍の撃墜王だ。

 だがその戦いで友軍機をかばって負傷し、最前線から後方基地の教導隊へと籍を移すこととなった。

 負傷によりFRE適性を失ったとはいえパイロットとして破格の技能を有し、その高い指導能力は数多くの優秀なパイロットを所属基地から輩出することとなる。

 彼の名を語る者は数多く。一線で戦う身となっても未だ、彼の弟子を名乗るパイロットは数多い。

 有名な思想家にして思想犯の烙印を押された父親と、伝説的な活躍をしたエースパイロットの息子。

 出来すぎたドラマ性は本人たちの意思をよそに幾度も下世話なゴシップ雑誌を賑わせ、誤った共感で彼らに等身大の己を許す事はなかった。

 フィクション、ノンフィクション問わず英雄譚として語られる男の姿に多くの少年たちは憧憬を抱き、生まれ育った世界を守ろうと戦線に身を投じる指標としていった。

 そんな数多い少年の一人として、ドナト・アルバは士官学校を目指した。

 英雄のファーストネームと似た響きを持つ名を誇り、小さな少年の時分には英雄となる未来を夢想することを日常とさえしていたこともある。

 だがいつの頃からか、成長するにつれてドナトは眩しい英雄の背中ではなく、闇へと葬られかけつつある賢者の言葉に心惹かれていったのだ。理由はわからない。きっかけも記憶には無い。英雄への憧憬を無くしたわけでもない。だが何故か、救国の英雄と称えられる息子とは対照的に、妄言の思想犯と貶められる父親の残した言葉をドナトは追いかけるようになっていたのだ。

 怖かったのかもしれない。自分を顧みて、そんな風に今は思う。

 成長するにつれて浮き彫りになる自身の非才と力不足が、いつか英雄になることを信じて疑わなかった少年の志を少しずつ磨耗させてゆく現実から目をそらしたかったのかもしれない。だから求めたのだろう。英雄の影として忘却されゆく父親に、有象無象の一人に過ぎない自分を重ね合わせることで、報われない夢との折り合いをつけようとしていたのだろう。

 だがその中でドナトは知ったのだ。ドナトが考えるよりもずっと多くの人間が、彼の言葉を胸に刻み、この戦争に疑念を抱いていた事を。

 自身にも理解できない衝動に突き動かされ、軍籍を得てからもドナトは彼を追い続けた。

 発禁指定を受けた彼が書いた書籍、彼の街頭演説や講演を録画・録音したデータファイル、アンダーグラウンドに流布する彼の痕跡を拾い集め、真偽を追い求めるようになって何年の時間を過ごしたことだろう。

 それは士官学校を卒業し、1年間の基礎訓練課程とパイロット適正検査を経ても変わらなかった。そうして配属された陽方第七基地でドナトは出会ったのだ。彼の息子―――英雄クロモ・ドカトに……。



  *   *   *   *   *



 ブラッディ・ティアーズの女性パイロットは木星軍全体の0.2%に過ぎない。骨格や筋肉量など、男性に比べて肉体的な強度に劣る女性では、重力下とは比較にならない高負荷がかかる無重力での宙間機動には耐えられなかったのだ。

 だが何事も例外はあるもので、中には先天的に男性と遜色ない肉体強度をもってパイロットとなる女性も少なからず存在する。しかしそれはあくまで特殊な事例であって通例ではない。その結果が、極端な男女比率を生み出しているのだった。

 ブラッディ・ティアーズとは、テレパシストの男性でなければ乗れない兵器である。

 それが木星圏において多くの人間たちが持つ共通認識だ。

 しかしたった一つだけ、そんな常識を覆し、特例として女性がパイロットとなれる手段があった。

 それが“ブーステッド”―――薬物投与による肉体強度の増強処置である。筋肉と骨密度を引き上げる処置をほどこすことにより、平均的な肉体しか持たない女性であってもブラッディ・ティアーズの操縦に耐えうる肉体強度を得ることができたのだ。

 しかし、そんな処置をしてまでパイロットになろうとする人間は非常に稀有だった。

 何故なら、その処置には生殖能力を減退させ不妊を引き起こす副作用があったからだ。発癌率も高く、それをパイロット登用条件に定めた軍ですら、施術前に3回の登用拒否と誓約書への署名を行うことが義務づけられている。

 3回の猶予と署名による、ある意味において先の人生を切り捨てる決意表明をしてまでもパイロットを目指す一握の女性たち。

 カーナ・ハモニーは、そんな少数の一人として軍籍を得たのだった。

 同世代の少女ではなく、少年たちが見るものと同じ夢を見て。

 戻ってこなかった父が散った戦場に、同じパイロットとして立つ事を願って。

 一字一句を暗記するほど読み込み、科白をそらんじられるほど映画で観た英雄の姿に憧れて。

 だが、現実は非情だ。

 基準に達するということと、人並み以上になるということには天と地ほどの隔たりがある。

 ましてや希少極まりない女性パイロットだ。心無い中傷や色眼鏡にさらされることも多く、体力を初めとした全てにおいて、軍生活は自身の凡庸さと女性を突きつけられる日々だった。不妊を免罪符に暴漢と化した同僚たちに襲われかけたことも一度や二度ではない。

 悔しかった。

 ただ男に生まれたというだけで自身を容易く越えてゆく者たちが憎かった。

 そして同時に、負けたくないとも思った。

 全てを捨てる覚悟で立った夢の袂から、負け犬として脱落などしたくは無かった。

 忸怩じくじたる思いに苛まれながらの士官学校生活―――それは1年間の基礎訓練課程とパイロット適正検査期間を経ても変わらなかった。なけなしのプライドはひび割れ、摩耗した心に後悔がチラつき始めた陽方第七基地への配属日にしかし、カーナは出会ったのだ。救国の英雄クロモ・ドカトという男に……。




   *   *   *   *   *



 衝撃音がハリケーンのコクピットを揺るがせた。

 その振動に刹那、意識を飛ばしていたカーナとドナトは我を取り戻す。

 反射的にカーナがフットペダルをいっぱいに踏み込んだ事により、機体が最大推力で後退をかけているのだ。乱暴な加速によって機体が暴れ、途上にある鋼材や隔壁に機体が衝突し、跳ねまわる衝撃でミキサーのようにコクピットが揺れている。

「この馬鹿! 少しは加減しろよ!! 首が折れるかと思ったじゃねぇか」

「うっさい! 逃げろって言ったのはアンタでしょ!?」

 毒づくドナトに怒鳴り返して、カーナがファンクションボードのキーを叩く。自動航法システムが起動するのと同時に機体がひるがえり、正面ディスプレイに進路が固定された。それによって障害物が自動的に回避され、荒れ狂う振動からコクピットが解放されてゆく。

「敵機は!?」

 前方を睨み、機体のステータスチェックを行う中でカーナが問う。

「すぐ後ろを追ってきている。距離、約120。速ぇ……みるみる距離を詰めてきてやがる。つか、何だこいつは!? “レーダーによる敵機の自動捕捉指定マーキング”ができない。こいつ……SSTシールドも展開していないのにレーダーに映ってねぇぞ!? センサーにも反応してねぇ。この至近距離で、どうなってんだ!?」

 後方監視モニターには、ハリケーンに追いすがる漆黒の機体が映っている。

 推進機が放つ推進炎によって構内は白く照らし出されているというのに、墨のようにシルエットを滲ませた敵機のシルエットは判然としない。

「目には見えているのに!?」

 シルエットから見てとれる機体サイズとハリケーンに匹敵する加速性能、更にはこの至近距離で砲撃をしてこない点を鑑みれば、軽量級の近接戦闘型ブラッディ・ティアーズであろうことは想像に難くない。

「とにかく外へ出るんだ。恐らく近接戦じゃ勝ち目はねぇぞ!?」

「やっているわよ! あんたのナビこそ間違ってないわよね!?」

「安心しろよ。道すがらオートマッピングはしてきている。航法システムの案内通りに行けば外へ出られるはずだ。急げ。カーナ。距離が90メートルにまで詰まってきている」

 後方モニターを睨みながら、使用可能な限りのセンサーを駆使して敵機の捕捉を試みるものの、どれも反応が無い。

「詰まってきているじゃないわよ! 機関砲でもミサイルでも何でもいいから、牽制ぐらいすればいいでしょ!」

「誰かさんが使い切っちまったせいで、もう残弾ねぇよ!!」

「誰かさんて誰よ!!」

「さぁ、誰なんでしょうねぇ!!」

 怒鳴り散らし合う中で、カーナが操縦桿をわずかに傾け、壁際に機体を寄せた。ファンクションボードによるキーコード入力と同時に操縦桿の頂部にあるボールを転がし、ハリケーンに高周波ブレードを振るわせる。狙いは違わず、張りだした鋼材の数本が切り飛ばされ、追いすがる敵機へと降り注いだ。

「あとどれくらいよ!?」

「もうちょい……そこの角を右へ曲がった先だ! 踏み込め!!」

 ドナトの言葉に、フットペダルを踏み込みながら操縦桿を傾ける。急転換にそなえて機体が右へかしぎ、左脚を伸ばしながら右足を折りたたむことで重心を旋回軸の内側へと押し込んでゆく。

「!?」

 後方モニターに広がる粉塵を睨みつけていたドナトが息を飲んだ。

 降り注ぐ鋼材を透過してきたかのように、いささかの減速も見せず敵機が粉塵を突き抜けてきたのだ。その後方で、飛び散る鋼材たちが見せる様相にドナトは気付く。そのどれもが、その一部を砂のように砕き散らしている事に。

(まさか……嘘だろう……ありえねぇぞ……)

 新たな戦慄がドナトの背筋を走り抜ける。

(シールドを持っていないんじゃない。こいつ……まさか全身の装甲全てが―――)

「ドナト。外に出るわよ!」

 急激な転進の慣性に歯を食いしばりながら躍り出たのは、損壊著しい戦闘機の発着場と滑走路だ。破壊され、開け放たれた射出口の先に宇宙の黒が見える。機体のセンサーが検出した出口までの距離はおおよそ200メートル。ハリケーンの推力なら5秒もかからない。

 慣性制御のため目まぐるしく姿勢を変える機体のコクピットで、歯を食いしばりながらカーナはファンクションボードでキーコードを打ち込み、両脚のフットペダルを踏み込んだ。もみくちゃに回転する機体が出口を向いた瞬間、背部2基の推進器が轟炎を吹き放つ。

 凄まじい加速力によって身体がシートにめり込み、ともすれば意識を失いそうなほどの酩酊感がカーナへ襲い掛かる。ブラックアウト―――重力加速度によって血管が圧迫され、血が背中側へ集まってしまうことにより軽い貧血症状を起こしたのだ。最悪の場合、意識の消失や一時的な失明症状すら引き起こす、戦闘機操縦におけるパイロットの天敵ともいえる危険状態だ。

 ヘッドアップディスプレイからビープ音が上がった。パイロットの生体情報を監視しているシステムが、搭乗者の血流異常を検知したのだ。

 パイロットスーツの脚部が内蔵式エアバッグによってわずかに膨らんでゆく。脚部を圧迫することで人体の2/3を占める脚部の血液を一時的に胴体へ回し、ブラックアウトからパイロットを保護するショックパンツ機構が働いたのだ。

 一直線に向かう出口の開口部が正面ディスプレイの中でみるみる拡大され、星々の散らばる宇宙へと視界が開けてゆく。

「やったわ。ドナト! 次は―――」

 どこへ向かえばいい? 喜色を上げて相棒へ問おうとした瞬間、カーナの意識は漆黒に塗りつぶされた。




   二

 ワン・ハンズ基地の至近で爆光が花ひらいた。

 基地の戦闘機発進口から脱出しようとしたハリケーンが、半壊したシャッターの隙間から飛び出したのと同時に撃破されたのだ。

 あがる爆煙を突き抜け、一体のブラッディ・ティアーズが全身のいたる場所から制動噴射の噴射炎を吐き出して自身をあらわにしてゆく。

 特異ではあるものの、非常に簡素なシルエットを持つブラッディ・ティアーズだった。

 燦然とサファイアブルーに輝き、燃え盛る炎を象った装飾を持つ装甲こそ華美ではあるものの、前面とは対照的に外装を持たずフレームの大部分を露出させた後背と、その外観は戦闘機としてはあまりに華奢でありすぎた。背部のアクティブ・スラスターも小羽に似た形状の小型が2基あるのみと、大出力化に伴う大型化が著しい昨今からすれば、まるで時代を逆行しているかのようにさえ見える。

 その両腕は更に特異だ。

 SSTシールドの存在により、左右で完全に役割分担をされているはずのブラッディ・ティアーズでありながら、通常機の左腕と同じく両腕が多関節化されているのだ。右下腕の先は五指を持つ人間と同様の掌だが、左下腕には身の丈ほどもある槍が下腕全体を覆う形のアタッチメントによって取り付けられている。

 たてがみをもつ馬にも似た面長の顔面では、両頬から双眸の位置へと駆け上がって中央で交わるセンサースリットが、アルファベットの“M”と“A”を重ね合わせた形を描いている。

 ダークネス。

 それが、このブラッディ・ティアーズに与えられた固有名称なのだった。



   *   *   *   *   *



「各部装甲のSST機能停止。ジェネレーター出力20%ダウン……オーシャンから離れすぎた影響か。ヴィクティムの活性も落ちてきている。長くは戦えないな……」

 ダークネスのコクピットでヘッドアップディスプレイに目を落としたオービットが呟く。

 見つめる画面には、非テレパシストであるパイロットの脳とリンクし、テレパシー能力を疑似的に付与するバイオコンピューター“ヴィクティム”の稼働状況が表示されている。

「おまけに、この四肢に絡みつく泥濘のような感覚……誰かに死角から自分の背を見つめ続けられているかのような感覚……話には聞いていたが、これが戦場でテレパシストが発揮する極限の思惟というヤツか」

 ヴィクティムを通じてオービットの神経を逆なでし続けるのは、遥かな宙に浮かぶテンザネス―――それを操る木星軍パイロットの精神感応波だ。

「そしてこちらからのテレパシーは完全にブロックされて通じない。なるほど。こんな有様では、通常機がマイセルフ型に勝てる道理は無い。なまじテレパシーが使える事が足枷となってしまうわけか」

 グローブの中の両手が汗ばんでいる。

 恐怖で肌は泡立ち、気を抜けば緊張と不快感で意識を失ってしまいそうだった。

「だが、退くわけにはいかない。あの愛しくも哀れな幼子を、二度と防疫ガラスの向こう側へなど

 やらせないために……そのために俺は、ロザリオを打ち捨てたのだから」

 顔を上げ、見やった正面ディスプレイではテンザネスが悠然とダークネスを見下ろしていた。

「エド! 無事か!?」

 ヘッドアップディスプレイのタッチパネルを操作し、通信周波数を合わせた無線で問いかける。

 急襲してきたテンザネスを止めるため、封印措置の解除も不完全なまま出撃したエドガーの乗機―――ペインは未だテンザネスの眼前に立ちはだかっている。だが酷いダメージだ。高周波ブレードによって各部の装甲は無残に切り裂かれ、各部からショートの火花を散らせている。不完全な機体では、圧倒的な敵機の攻撃をしのぐのが精一杯だったのだろう。

 それによりパイロットの体力も尽きたのか、十字型のSSTシールドは機能を停止し右腕の高周波ブレードは半ばから断ち折られてしまっている。

「……オービット…さ……ん?」

 折れた高周波ブレードを放り捨て、満身創痍となった機体で尚も戦わんと予備のサーベル型ブレードを手にしたペインが、顔面でΩ字を描くセンサースリットをまたたかせた。

「逃げてください。その機体じゃテンザネスには勝てません。マイセルフ型と戦えるのは、同じマイセルフ型だけです」

 言い放ち、切りかかったペインへテンザネスが左腕を振るう。

 いかなる差なのか。肉厚、長さともにペインのそれと変わらない刃だというのに、振るわれたテンザネスの高周波ブレードは容易くペインのそれを両断したのだ。

 だが、その結果は想定済みだったのだろう。接近したペインは高周波ブレードを振った勢いで半身になった瞬間、背部の推進器を轟かせた。

 加速するのと同時に四肢をたわめてロックし、左の盾を前面へかざす。シールドバッシュ―――盾を使った至近距離からの体当たり攻撃だ。

 人型の体裁をとってはいてもブラッディ・ティアーズは格闘用ロボットではない。あくまで宇宙空間でのドッグファイトを前提として設計された宇宙空間用の戦闘機である。当然、大質量物との衝突などは想定していないし、ましてや音速に近い速度機動による負荷が全方位ランダムにかかり続ける無重力状況下でのことである。仮に機体が無事でも、10トンを超える質量の衝撃になど人間が耐えられるものではない。

 故に、ブラッディ・ティアーズによる宙間戦闘の本領は銃砲撃戦であり、高周波ブレードはあくまで非常用の護身武器なのだ。

「よせ! エド!!」

 相打ち狙いの意図を悟り、反射的に右手を伸ばしたオービットの眼前で二機のシルエットが交差する。

 凄まじい輝度の閃光がほとばしった。

 接敵の瞬間に発動されたペインの十字型シールドと、応じて向けられたテンザネスの左腕へ装着された長盾が相互の空間破砕力場を衝突させたのだ。文字通り空を引き裂く衝撃と熱が真空の空間を漂うチリやガスを一瞬にして電離させ、真白い閃熱の火花を飛び散らせてゆく。

 刹那の均衡を見せた両機だが、あっけないほど簡単にペインが後方へと弾き飛ばされた。パイロットと機体双方の消耗が激しすぎて、力場の相互干渉により生まれた斥力をこらえきれなくなったのだ。

 全身の姿勢制御用推進機から青炎を噴かせて姿勢を取り戻し、100メートル強の距離を置いて静止するペインをしかし、テンザネスは追撃することなくたたずんでいる。そんなテンザネスへ再度、攻撃を仕掛けようとするものの背部のアクティブ・スラスターの動きが鈍い。駆動部のモーター不調か、稼働部のフレームに歪みが入ったのだろう。

 飛翔する力を失い虚空でもがくペインに正対していたテンザネスが、興味を無くしたかのようにダークネスへと振り返った。両翼を広げた鳥にも似たセンサースリットが内で稼働するセンサーの動作光でまたたき、巡るこうべをペインではなくダークネスへと振り向けてゆく。

「テンザネス……やはり、あなたは変わらないのですね。かつてレイジが予見していた通り、あなたは我々にとって恐るべき敵となってしまった」

 緊張で青ざめたオービットの顔が、複雑な感情で引き歪んでいる。

 機体が細かに震えていた。操縦桿を握る手の震えが、機体動作の思考補助システムを通じて機体へと伝わったのだろう。

 両肩の長盾裏の鞘へ高周波ブレードを収納したテンザネスが、左に刀と並列装備されていたアサルトライフルを取り出した。

 右手がそれを一振りし、銃口をダークネスへ向けるのと同時に銃身が伸長する。同時に銃身を螺旋状に包む金属プレートが赤熱してゆく。機体と直結されたギガワット級の電力が銃身を中心とした電磁場を形成しはじめたのだ。

「荷電粒子ライフルか」

 震えるダークネスが左腕の槍をテンザネスへと振り向ける。その背でアクティブ・スラスターが轟炎を噴き放ち、軽量の機体が凄まじい加速で前へと飛び出してゆく。同時にテンザネスの銃口が荷電粒子の閃光を吐きだした。

 凄まじい輝度の閃光が一直線にダークネスへと迫る。

 だがしかし、その光条がダークネスへと到達した瞬間、分水嶺に差し掛かった小川のように荷電粒子が枝分かれし、あらぬ方向へと荷電粒子が拡散していった。ダークネスのかざす槍先が赤熱し、周囲の景色を陽炎のように歪めている。強磁場を発生させることでビームを構成する荷電粒子に干渉し、その進路を捻じ曲げたのだ。

(たとえ読まれていても、この距離なら―――)

 刹那の銃撃をいなしたダークネスがテンザネスへと迫る。フットペダルをいっぱいに踏み込む中、正面ディスプレイの中を高速で拡大されてゆくテンザネスへ照準レティクルが重なった。パイロットの視線とS-LINKを介した自動捕捉システムが眼前の敵機を照準したのだ。

 全身の姿勢制御ノズルがそれぞれ細かに推進炎を噴き放ち、向けた穂先を照準した目標位置へと補正してゆく。

 迫る槍先を阻まんと、テンザネスが左腕の長盾を振りかざした。SSTが起動し、一瞬の陽炎を放つのと同時に虚無の黒が長盾の表面を覆い尽くす。それとほぼ同時に穂先が長盾へと食らいついた。

 凄まじい衝撃が両機を揺るがせる。

 長盾を覆う空間破砕力場は抵抗さえ許さず穂先を砕き散らしたが、高密度の大質量物が相手なだけに一瞬でとはいかなかったのだ。そのため生じた衝撃の圧力が、ガス化した粉砕片をプラズマ化させ、凄まじい輝度の爆圧となって両者の間で爆ぜたのだった。

 それはまさに、狭い倉庫での小麦粉や、炭鉱などの閉鎖空間に舞う粉塵への引火が引き起こす粉塵爆発にも似ている。

 衝突した振り子のように弾かれ合い、全身から制動噴射の炎を噴き放ちながら両機が宙へ静止する。

「これでどうだ」

 もうもうと広がる爆煙を挟み、顔面のセンサースリットを明滅させるダークネスのコクピットで、オービットが息も絶え絶えに呟く。

 凄まじい衝撃によって内臓を傷めたのだろう。咳き込む口はしから血が泡となって無重力の宙を浮き上がり、ヘルメット内の空気循環システムの吸気口へ吸い込まれていった。

『オービットさん。なんて無茶を……』

 エドガーの呆れた声音が通信機から響く。

 左を見れば、コクピットの左側ディスプレイが映す景色を遮るようにしてペインが滑りこんできていた。Ω字を描く顔面のセンサースリットが明滅し、中央に備えた単眼のカメラアイがダークネスへ向けてレンズを収縮させている。

「問題ない。このダークネスは、限りなくマイセルフに近い、いわばオーシャンの分身機だからな。機体強度は折り紙つきだ」

 ボロボロの機体でダークネスを庇い立とうとするペインを押しのけ、ダークネスが前へと進み出る。

 言葉の通り、左へ並んだペインと比べてダークネスの損傷度合いは軽微だ。搭乗するオービットの疲弊とは対照的に、本体装甲には軽い擦り傷程度の損傷しか認められない。

「おまえこそ早く後退しろ。そのダメージで、あんな化物とどう戦うつもりなんだ? 調整不全という以前に、その機体自体が仮組みの未完成品だという話は聞いている。マイセルフ型とはいえ、機能不全の機体を戦わせるくらいなら、このダークネスで戦った方が遥かにマシだ」

『でも……』

「聞き分けろ。エド。おまえにとって酷な決断かもしれないが、おまえの死に場所は、ここじゃないだろう?」

『オービットさん……でも、それはオービットさんだって同じじゃないですか』

「いいや。俺は違う」

 ダークネスの左腕で小さな爆煙が連続して上がった。作動した爆裂ボルトがはじけ飛び、左腕に連結されていたランサーユニットが切り離されたのだ。

「俺はオトの盾となって死ぬために、この宇宙へ来た。その“いつか”が今だというのなら、それでオトを守れるというのなら、ここで死ぬことに何の異論も無い」

 先程の攻防によって見る影もなく破損したユニットの下から、ダークネス本体の下腕があらわとなってゆく。甲部に拡張ユニット接続用のハードポイントを2基備え、ペンチのような鋏形の手首を持つ下腕だ。

「さぁ、行け! あいつは俺が何とかする。あいつがマイセルフ型で、すでに一度、エンパスシステムを発揮した後だというのなら残りの稼働時間はそう長くは無いはずだ」

 オービットの左手がファンクションボードでキーコードを打ち込む。ダークネスが左腕が打ち震え、手首の鋏の間から伸縮式の剣先が飛び出した。

「ここは俺が時間を稼ぐ。ここでペインまで鹵獲されるわけにはいかない」

 散りゆく白煙の向こう側から荷電粒子の閃光がほとばしった。ほぼ同時にダークネスとペインの背部アクティブ・スラスターが推進炎を吐き出し、弾かれたように両者を飛びすさらせる。

「さすがは原型機だ。ジェネレーター出力も戦艦並みか」

 回避した閃光が後退する戦艦の一つに命中し、爆散させる様を正面ディスプレイの端に開いた後方監視モニター画面で見届けたオービットが息を飲む。

 たゆたう残煙の狭間で、テンザネスが荷電粒子ライフルの銃口を下げ、再び長盾裏のマウントラックへと戻していた。テンザネスとはいえ、消耗著しい状態での連射には無理があるのだろう。直接戦闘を見込み、余剰エネルギーを回しているのみのためチャージに時間がかかるための収納動作と思われた。

「ならば―――」

 左右フットペダルをいっぱいに踏み込み、オービットはダークネスをテンザネスへと突進させた。

 左腕のブレードが高周波発振機能を起動させ、白い白熱光をまといだす。同時に右腕が腰裏のマウントから拳銃を引き抜いた。

 拳銃のグリップ部分と手のひらに備わったハードポイントが連結し、供給された電力によってわずかに銃身が延長、展開してゆく。拳銃が備えた電磁力による弾丸加速機能が起動したのだ。銃身が短いため有効射程は約50メートルと短いが、ブラッディ・ティアーズの大出力ジェネレーターの電力を利用したその貫通力は、至近距離なら厚さ500ミリの鋼板さえをも容易く撃ち抜く威力を持っている。

 両者の距離がまたたくまに詰まった。

 テンザネスの顔面でセンサースリットが輝く。

 接近する敵機が構える武装を解析したのだろう。左腕の長盾がSSTを起動させ、右手が左盾裏に装備されていた長剣の柄を掴む。同時に鞘が展開し、引き抜くことなく抜刀したテンザネスが、半身に左盾を構えて迎撃態勢をとった。

 射程距離が短く威力も低い拳銃弾を盾で防ぎ、敵よりもリーチのある長剣で切り伏せる。教科書通りとさえいえる対応にオービットは舌打ちした。

(まずいな。このパイロットは……手強い)

 強力無比な機体の特殊性に任せたパワーファイトではなく、通常機でのそれと同様の―――恐らくはパイロット自身が培ってきたスタイルを貫く姿勢は、そのままパイロットの質を示す。

 そして揺るぎのない基本をスタイルと示した眼前の敵パイロットの質は、堅実と冷静を意味していた。

 往々にして揶揄の対象となる“教科書通り”という言葉だが、それは言い換えれば“隙が無く、行動や結果にブレが無い”ということでもある。あらゆる物事においてそうであるように、基本とは長い研鑽によって極限まで効率化された物事の骨子であるからだ。

 だが人間は機械ではない。肉体的、精神的な個性や素養、性格や性質は千差万別であり、それが故、往々にして基本という型に納まるようには出来ていない。

 極論を言えば、基本を身につけるとは、合わない型に己を押しこみ、窮屈さに苦しみながら自身を変形させてゆく作業なのだ。だからこそ人は皆、型の中から自身とマッチする箇所だけを拾い出し、己だけの形へ“基本”をカスタマイズしてゆく。その結果としてそれがクセや個性といった持ち味へと昇華されてゆくものなのだ。

 だがしかし、このパイロットの操縦にはそういったクセが全く無い。

 戦術も、操縦も、どこまでも徹底して基本を実践していた。それでいて機械的に基本と言うプログラムを実行している風でもない。確たる意思によって、基本をこそ自身のスタイルとして消化しきっている。

 基本を当たり前にするという事は生半可なことではない。数えきれない反復と、その意味を理解し実践し続ける強靭な精神性が要求されるからだ。

 強大な性能を誇る幻想機を駆りながら、驕ることなく頼ることなく見極め、選択し行動する敵パイロット。これを圧倒的に性能の劣る機体で退けることは容易なことではない。

「まったく。兄弟そろって面倒な奴らだな!」

 高速で接近する最中、ダークネスがテンザネスへと拳銃を撃ち放った。引き金を引く刹那に銃身が強電磁場の紫電を散らせ、加速された350ミリの弾丸がテンザネスへと走る。

 一発、二発、機構の性質により連射は出来ないが、高威力の銃弾が命中するたびに反動でシールドの力場が乱れ、反動でテンザネスの身がわずかにかしぐ。

 相対距離が30メートルを割り込んだ。

 もはや肉薄と言ってもいい距離にまで接近し、コンマ数秒後には互いの剣が届く距離だ。

(これならどうだ)

 オービットの左親指がファンクションボードのコマンド実行キーを打った。設定されていた独自の動作プログラムが実行され、ダークネスの客部関節機構がロックされる。同時に背部右側のアクティブ・スラスターが右真横へと向き直り、脚部の姿勢制御ノズルと同時に最大出力の推進炎を噴き放った。

 機体姿勢が切り揉むように一転しつつ反転し、突きだした左腕先で高周波ブレードが輝く。

 正対から瞬時に半身となることで剣のリーチに肩の長さを加え、剣先の速度と到達距離を伸ばしたのだ。正対時のリーチを目算している相手にとっては意表を突くのと同時に、剣先が伸びたかのような錯覚さえ起こす、日本剣道における片手突きの技法だ。

 だがテレパシーによる思考サーチでオービットの意図を読んでいたのだろう。

 顔面を狙って放たれたそれをテンザネスの高周波ブレードが下からカチ上げる形で跳ね上げた。ぶつかり合う高周波と散った金属片の火花が弾け、ダークネスの刃が半ばから折れ飛ぶ。

 その瞬間、ダークネスの右手で銃火が連続した。

 電磁加速機能を解除した炸薬による通常の銃撃だ。超至近距離で放たれたそれはしかし、油断なく構えられたままの長盾によって受け止められる。

 連撃をことごとくしのがれ、ほぼ零距離にまで迫った中でSST機能を展開したシールドがダークネスへ迫る。先程ペインが見せたものと同じ、SSTシールドによるシールドバッシュだ。

 超空間振動子による空間破砕力場は何物の抵抗をも許さず破砕する。受ければ一撃粉砕は免れない。

 ダークネスの右脚部が推進炎を噴き放った。

 わずかに側転が加速されるとともに機体が左へと流れ、遅れて左側背部推進機が全開噴射の轟炎を轟かせる。

 わずか数センチの相対距離を滑るようにすり抜け、両機がすれ違っていった。

 慣性のまま回る機体が背後を剥いたのと同時にダークネスの全身から制動噴射の炎が放たれる。

 複雑極まる慣性を切り揉みながら制動する中、狙いもそこそこにダークネスが拳銃弾を打ち放った。オートマチックによる自動連続射撃だ。マガジン内の残弾23発がわずか2.3秒で撃ち尽くされ、加熱した銃身が冷却のため放熱板を露出させる。

 完全に虚を突き、狙いも定かではなかったとはいえ数発の弾丸がテンザネスの背へと牙を剥く。仮にオービットの思考を読み反応していたとしても、機体にかかる慣性が回避を許さない。

 だが次の瞬間、その機体が打ち震えるような挙動を示すのと同時に変形し、圧倒的な推力によって弾丸たちを上昇回避していった。長い機首と広い羽先を持つ鶴にも似た戦闘機へと姿を変えたテンザネスが、青い白い推進炎を羽のように散らせながら虚空を舞い上がってゆく。

「!?」

 凄まじい慣性に内蔵を引っかき回され、苦しみに歯を食いしばりながら一部始終を見届けたオービットを驚愕が貫いていた。驚愕がS-LINKを介して機体にまで伝わり、自動照準で敵機を追わせていた右腕の動きが止まる。

 全長15メートルを超える鉄の塊が見せた驚くべき変形速度もさることながら、鶴を思わせる優美なデザインラインをオービットは知っていたのだ。

「馬鹿な! あれがテンザネスだと!? どういうことだ。何故“あれ”が、そんな形でここに在る!?」

 驚きがオービットの思考を停止させ、脳裏で過去の回想が像を結びかける。だがそんなオービットを嘲笑うかのように、彼方を高速で旋回し、ダークネスへと機首を振り向けたテンザネスから機関砲の弾列が伸びた。

 反射がオービットを硬直から引き戻し、フットペダルを踏み込ませる。

 ダークネスの背部推進器が火を噴き、回避した弾列に遅れてテンザネスの巨体がかすめ過ぎていった。

 かぶりを振って動揺を振り払い、ファンクションボードでキーコードを打ち込む。左腕先で折れた剣先が根元から切り離され、入れ替わりに鋏型の爪が高周波振動で白く輝きを始める。同時に左腕の肘を除いてロックされていた多関節が解除され、鞭か触手のようにシルエットを崩した。

「……関係ない。そうだ。過去など、今は関係ない」

 かぶりを振って思い起こすのは、自身の手で守るべき少女たちと、果たさねばならぬ約束だった。それこそが全て。それこそが使命と自身の迷いを塗り潰す。

「今の俺には……俺には、戦わねばならない理由がある。俺の前に立ちふさがるというのなら、どんな敵も打ち倒す。たとえそれが、分かちがたい絆の形代かたしろであろうとも」

 振り返った先でテンザネスが形を崩し、人型を取り戻した。同時に取った構えの手には、チャージが終了した荷電粒子ライフルが握られている。大出力と直進性故にダークネスの機動力をもってすれば回避は容易な砲撃だ。だがしかし、回避にフットペダルを踏みかけた足が止まる。いつの間にか基地を背にしている事に気づいたのだ。

 先程の機関砲は攻撃ではなく、ダークネスの位置を誘導するための牽制だったことに気づいたオービットの背筋が凍りつく。

 オービットの想像に答えるかのように、思考補助システムと連動した機体のコンピューターが瞬時にテンザネスの射線を割り出した。ヘッドアップディスプレイに表示された射線が狙う先はダークネスでも戦艦ジャスティス・コードでもない。オーシャンが眠る基地格納庫エリアだ。

「貴様!?」

 思うよりも早く両脚がフットペダルを踏み込んでいた。

 推力のリミッターを解除されたダークネスの背部推進器が展開し、ノズル周りを焼き焦がすほどの爆炎を吹き放つ。限界を超えた推力による加速がオービットの身体をシートにめり込ませ、阻害された血流によるブラックアウトを引き起こしかける。ショックパンツ機構による血流補助すら気休めにしか体感できないほどの加速力だった。

 膨れ上がる敵機荷電粒子ライフルのエネルギー数値と、銃口を飾る紫電だけを見据え、オービットはファンクションボードのキーを一つ、打った。

 S-LINKによる思考補助制御によって採択されていた特殊動作プログラムが実行され、加速する最中でダークネスが左腕を振り上げる。

「奴を打ち倒せ! ダークネス!!」

 咆哮するオービットに応えるかのように顔面のセンサースリットを輝かせたダークネスが左腕を振るった。多関節のロックを解除され、通常時の倍近い長さを得た左腕が一直線にテンザネスへと迫る。その先端では、超高周波をまとった爪先が白い輝きとともに打ち震えていた。

 だがしかし、それがテンザネスの銃口へ到達する寸前―――恐らくはテンザネスのパイロットすら予想だにしなかったであろう速度で迫るダークネスの爪先が2メートルを割り込みかけた瞬間、放たれた荷電粒子の閃光がその全てを飲み込んだ。

 圧倒的な熱量がダークネスの左腕を一瞬にして蒸発させ、オービットの視界を真っ白に塗りつぶしていった。




   三

 無音の世界に紡は居た。

 操縦者の体躯に合わせて自動調整がかかるシートに深く身を沈め、焦燥でわずかに乱れた呼吸を浅く繰り返している。

 奇妙なコクピットだった。

 前後左右のどこにも外部モニターとなるディスプレイの姿が無く、変わりに球状のコクピットブロックを取り囲む形で配されたリング状のパーツが5つ、回転しながら不規則に回転軸に対して縦方向に回り続けているのだ。

 奇妙なのは外観だけではない。操縦機器も通常のそれとは大きく異なっている。

 紡の前半径50センチほどを半円型にピアノの鍵盤が取り巻いているのだ。その淵に上下二段で備わったレールを走る形で箱型の操作機器―――ファンクショントリガーが取り付けられている。紡の両手を飲み込んでいるその内側には、五指を嵌めるリング型のスイッチ機構が内臓されており、先に伸びた各五本のフレキシブルアームが鍵盤を叩く仕組みだ。

 目が見えない紡と、特殊で複雑な操作が要求されるオーシャンのために考案されたシステム―――“ファンクション・キーボード”だ。

 それに応じてなのか、足先のフットペダルも二つではない。常時操作する二基の間に小ペダルが、両脇に三次元式の小ペダルが一つずつ配されている。機体の推力制御とは別に、操縦桿などアナログ的な実操作をするためのものだ。

(いつも静かね……ここは……)

 厚い装甲と隔絶処理によって外部から完全に切り離されたコクピットの中は静寂そのものだ。

 起動しているとはいえ、待機モードの際は省エネルギーのため振動や騒音といった外部情報の伝達システムも停止しているため、アイドリング状態のエンジン音すら聞こえない。

 わずかな空調のファンが回る音と、小さな電子機器の作動音がかすかに聞こえるばかりだ。

(オービットさん……)

 うつむいた顔の唇が震える。

 切実な思いに胸を締め付けられながら、紡はオービットの無事を祈り続けていた。


 と―――。


「*********」

 誰かに呼ばれたような気がして、紡は顔を上げた。

 通信が入ったのかと、耳を澄ますもののコール音は聞こえない。

「**********」

 再び何かが聞こえた。

 今度は聞き違えではない。すぐ後ろから、小さな音が連続している。

「オトちゃん?」

 ファンクショントリガーから両手を引き抜き、紡は後ろを振り返った。

 そこには、直径が紡の身長ほどもあるガラス球が鎮座している。オトのために設計されたコクピットユニット―――“エンゼル・オーブ”だ。

 まだ幼く、戦闘機の高速機動に耐えうる肉体強度を持たないオトの身体を衝撃から守るため、内部にはフルオロカーボンを基にした特殊溶液が満たされ、液中呼吸が可能となっている。同時に小さなコクピットシートが設けられ、オトの身体を固定するのと同時に、バイタルサインなどの生体情報をモニターする仕組みとなっていた。

「どうしたの? オトちゃん」

 厚さ10センチものガラス壁なだけに内外の音は通りにくい。連絡は通信機で行えるが、失語症の少女と盲目の紡との間では無意味な代物と、いつものクセで切ってしまっていた事を思い出す。

 慌てて通信機を入れてみるものの、雑音が酷かった。

 口中の異物や、通話への影響をかんがみて搭乗中はフィルター付きのマスクをしているはずだったが、恐らくは自分で外してしまったのだろう。

「***********」

 戸惑いながら、右手をガラス球にあててみる。するとかすかな振動が感じられた。恐らくは内側からオトが、懸命にガラスを叩いているのだ。幼いとはいえオトは利発な少女だ。無意味にこんなことをする少女ではない。

「わからない……わからないよ……オトちゃん……」

 止むことの無い叩き音と、その間隔から必死に何かを訴えていることはわかる。だがしかし、目が見えない紡には、それを悟る術が無かった。

「オービットさん……やっぱり駄目だよ……オービットさんがいなきゃ私……何も出来ないよ……あなたがいなきゃ、私はオトちゃんの事さえわからない……」

 常ならば仲立ちをいてくれているはずのオービットはいない。彼は今、二人を守るために外で戦っているはずだった。

「まさか……」

 そこまで考えたところで、紡は恐ろしい想像に凍りついた。

「オトちゃん!?」

 雑音ばかりの通信機を再び入れて何度も叫ぶ。声の限りに、ヘルメットの口元を指差しながら。

 その意図を察し、マスクを着けてくれたのだろう。叩く振動が止まり、雑音が荒い息遣いと、しゃくりあげる泣き声に変わった。その様子が確信となって紡を震えさせる。

「オトちゃん。よく聞いて。イエスなら1回、ノーなら2回、ガラスを叩くの。わかる?」

 ガラスに当てた右手に、向こう側からの振動が一つ、伝わった。

「オービットさんが危ないのね? ピンチなのね?」

 叩き音は一つ。同時にしゃくりあげる声音が大きくなる。半狂乱の泣き声に変わり出す。

「泣いちゃ駄目!」

 鋭い叱責に、しゃくり声が止まった。紡がオトを叱る事は初めてではなかったが、その声が帯びる緊迫した気配に思わず息を呑んだのだ。

「オトちゃん。いい? よく聞いてね?」

 双眸からこぼれる涙もそのままに、必死に叫びだしたい気持ちを押し殺しながら、紡は静かな声音で語りかけた。

「すぐにオーシャンを目覚めさせるの。やり方はわかるわよね?」

 一つ、叩く音に首肯して、微笑みかける。

「二人で一緒にオービットさんを助けに行こう? オービットさんは怒るかもしれないけれど、やっぱり三人一緒がいいもの。ね?」

 泣き笑う中で、きっとオトも自分と同じ顔をしているのだろうことを察して、紡は身を翻した。

 パイロットスーツの背部ユニットをシートへと再び連結し、両手をファンクショントリガーへと差し入れる。

「機体の拘束解除要請シグナルと周辺施設への退避勧告発信! セーフモード解除。第1から第3エンジン加圧開始、第4から第6エンジン設定はクォータードライブを継続。コントロール主導権を“戦艦ジャスティス・コード”からチーム“オラトリオ”の“御者”へ。“I have Control“……」

 コクピット内の照明が点灯し、騒音と律動が響き出す。外部情報の伝達システムが起動し、フィルタリングされた外部騒音や振動を拾い込み始めたのだ。天井の一部がポップアップし、空間投影式のヘッドアップディスプレイが鍵盤の上付近の空間へ出現する。

 機体ステータス表示の中でエンジン出力のゲージが上がってゆく様は紡には見えない。だがそれを体感で把握できるように搭載された機構が、シートへ伝わる律動として紡にその様を把握させてゆく。

『“You have control”。機体の拘束解除コード発信、管制システム自動シーケンス、スタート』

 機体の起動操作を続ける中、戦艦ジャスティス・コードの管制官からの返信が響いた。

「こちらオーシャン。拘束解除コード受信を確認。管制システムとの同期を開始します」

 あっさりと発振許可が降りたことに拍子抜けしながら返事を返す。オーシャンの拘束解除には、エストック中将の肉声による音声認証が必要だからだ。押し問答の一つや二つする覚悟で脅し文句を考えてた矢先なことだけに、思わず安堵の吐息が口をつく。

 テンザネスの襲撃時に発されたカノンの言葉を管制官が受けていたためなのだが、紡には知る由もなかった。

 拘束解除コード受信からすぐ後に、通信機の向こう側で何やら言い争う声音が聞こえ始めていたものの、紡は無視して忙しなく手足を動かしてゆく。すでにコントロールの主導権は全てオーシャンの側へ移っている。もはや何者であろうとも、紡たちを止められはしない。

「オービットさん。いま行きます……」

 緩やかな機体の目覚めをもどかしく思いながら、紡はヘルメットのバイザーを降ろすのだった。




   四

 衝撃がダークネスのコクピットを揺さぶり、前のめりに投げ出されかかった身体がエアバッグに受け止められた。反動を吸収したシートの拘束具によって引き戻される視界の中で、収縮しながらエアバッグがヘッドアップディスプレイの袂へ引き込まれてゆく。

 ヘッドアップディスプレイを初めとした計器類は無数の警報、警告表示を山と羅列しつづけ、点灯したエラー表示灯の赤い明りでコクピット内を照らし上げている。外部モニターのディスプレイは全て黒く消灯しており、中央に“輝度超過Brightness Over”とのエラーメッセージが表示されていた。

 荷電粒子による圧倒的な閃光からパイロットの眼と外部モニターカメラの映像素子を守るため、頭部センサースリットのシャッターが降りたのだろう。

 別の外部環境監視装置による周囲の光量が適正値以下に戻り次第、自動でシャッターが開くはずだったが、多重の警報による負荷でコンピューターのシステムがダウンしていた。

 慌ててヘッドアップディスプレイへ手を伸ばし、すぐにシステムの再起動をかける。

 焦燥が胸を焦がす。

 冗談ではなかった。いまこの瞬間にも敵機の攻撃がコクピットを直撃するかもしれないのだ。

 生きた心地がしない5秒弱を過ごし、再開し開かれたセンサースリットからの外部モニター画像がディスプレイへ表示される。

「うを!?」

 くぐもった叫びを喉に詰まらせながら、オービットは右手に握った操縦桿を左へ倒し、右足のフットペダルを蹴りつけた。

 正面ディスプレイに大写しになったテンザネスが、こちらへ向けて高周波ブレードを振りおろそうとしていたのだ。

 凄まじい横殴りの慣性に歯を食いしばりながら操縦桿とフットペダルを駆使し、どうにか体勢を整える。半ば反射的に左手がファンクションボードのキーを打ち込み、ヘッドアップディスプレイに機体のダメージ状況を表示させた。

「どうにか一瞬だけSST装甲を起動できたみたいだが、やはり相当にやられたか」

 左腕は全壊、荷電粒子の閃熱にさらされた全身の様々な箇所で動作不良が起こっていた。特に構造上どうしても露出しがちな関節部分の損傷がひどい。背部のアクティブ・スラスターが無事なおかげで、とっさの回避には成功したが、操縦桿やフットペダル操作への挙動に違和感がある。見かけや自己診断だけでは把握しきれない細かな損傷が累積しているのは明らかだった。

 自己診断プログラムは即時撤退を勧告し続けている。

「ダークネス。撤退なんて言ってくれるな。今の俺たちに、そんな選択肢は無い。そうだろう?」

 呟き、ファンクションボードでキーコードを打ち込む。

「倒せなくてもいい。せめてダメージを与えて撤退へ追い込めれば、それでいい」

 ヘッドアップディスプレイに警告表示が浮かび上がった。先程までの機体ステータスからくる警告ではない。呼び起されたシステム起動に対する注意勧告だ。

「まったく。イビルバットどもじゃぁないが、こんな前哨戦で自爆特攻カミカゼをするハメになるとはな」

 なけなしの推進剤をはたきながら、追いすがるテンザネスとの一定距離を保って旋回を続ける。

 先程の交錯でテンザネスも機体になんらかのダメージを負ったのだろう。推力と挙動の精彩に、わずかながら翳りが見受けられる。右の長盾裏のマウント部へ戻した荷電粒子ライフルを使う気配も無いことから、そちらも先程の交錯で機能不全を起こしているのかもしれない。

「まぁ、どうせこちらの思考は読まれているんだろうが……」

 それを幸いと、右に左に機体をさばきながらファンクションボードで自爆装置の動作条件を設定していく。

「さぁ、そろそろ終わらせようか。子供に夜更かしをさせたくはないからな」

 ヘッドアップディスプレイの片隅にある時刻表示は19時2分―――地球を基準に、周囲天体の動きから割り出されたワン・ハンズ基地の標準時間では、宵に差し掛かる時間帯だ。オトは寝つきの良い子供だが、地球と違って宇宙では時間の概念が曖昧な分、ライフサイクルが狂いやすい。

 健康管理の一環としてオービットはオトの就寝時間を20時と決めており、これを破らせた事は一度として無かった。

(馬鹿な事を言うようになったな。俺も……)

 われ知らず、口元が緩んでいる。この期に及んでまで、そんなことを考えてしまう自分がおかしくてたまらかった。

「紡。オトを頼んだぞ。そしてオーシャンよ。どうか二人を守ってやってくれ。信じているぞ」

 意を決し、両足のフットペダルを踏み込んでゆく。

 ダークネスの背部でアクティブ・スラスターが轟炎を轟かせ、猛然とテンザンセスへ飛びださせていった。

 近接し、組み付こうとする意図は承知とばかりにテンザネスがアクティブスラスターを展開して後退してゆく。同時に両腕を胸の前で交差させると、両肩の装甲が展開して機関砲をポップアップさせた。間髪いれず2基の機関砲が銃火を放ち、口径40ミリの銃身三連装から吐き出された秒間20発の弾列がダークネスへと襲いかかる。

 加速による相対速度を鑑みれば一瞬のそれにダークネスは右腕を伸ばすと肘を折り、機体の正面へかざした。縦にした下腕の肘で腹部を、そこから拳の甲部で正中線と顔面を隠す形だ。

 オービットの左手がファンクションボードでコマンドを打ち込むと、右腕の上腕装甲がスライドして下腕装甲と連結した。同時に装甲全体がせり上がり、裏側へたたみ込まれていた装甲を展開してゆく。そうして一枚の小盾が形成された瞬間、虚無そのものを思わせる暗黒へと姿を変えた。

 右腕装甲として偽装されていたSSTシールドが、その機能を発揮したのだ。

「オートガード。機体コントロールをセミオートに」

 機体進路を敵機へ自動追尾させ、その挙動と連動する形で機関砲への防御も機体に任せる。敵機がこちらの思考を読んでいる以上、先読みから逃れるためには策を講じる必要があった。

 ファンクションボードでキーコマンドを打つのと同時に右手でヘッドアップディスプレイのタッチパネルを操作してゆく。

「特殊動作プログラム実行。ランダムセレクト」

 オービットが実行したのは機体の自律行動プログラムだった。学習型コンピューターでもある機体のシステムには疑似量子コンピューター機能が組み込まれており、設定した目標に対するアプローチを機体側で柔軟に判断し実行する事ができるのだ。

 勿論、そのための判断材料や行動規範となる膨大な情報入力については2年以上もの時間をかけてオービット自身が行ってきている。いわばパイロットに依らない、機体をオービット自身の映し身に変える機能なのだ。

「CPU負荷率75%……もってくれよ」

 一見して破格ともいえる機能だが完全ではない。

 システムによる高速演算回路への負荷は未使用時とは比較にならず、かつ稼働時間にも限りがある。長時間の使用は機体コンピューターのメモリーを飽和させ、過負荷による動作機能停止―――ハングアップを誘発させてしまう諸刃の剣でもあった。

 弾丸を盾で防ぎ、いなし、身をひるがえし、迫るダークネスにテンザネスの挙動が鈍る。

「85%……」

 パイロットの思考と噛み合いきらない機体の動きに戸惑っているのだろう。なまじ高い感知能力が故に、それを乱された際に生まれる隙がオービットの勝機だった。

「92%……」

 距離を詰めてくるダークネスから逃れようとテンザネスが両腕を引き下ろし、変形の兆しを見せた。だが間髪いれずに走った銃弾がテンザネスの両盾で弾けた。ダークネスがシールドのSSTを解除し、腰裏のホルスターから拳銃を抜き撃ったのだ。

 変形モーションへ入りかけた際にとった、とっさの自動防御行動によりテンザネスの姿勢が崩れ、動きがわずかに停滞する。その瞬間、ダークネスが背部推進機のリミッターを取り払った。

 展開した推進ノズルの一部を焼き飛ばしながら、さらなる加速でダークネスが距離を詰める。すでに相対距離は10メートルを割り込み、伸ばした右手はテンザネスへ触れんばかりだ。

「もらったぞ!」

 自爆装置の有効圏内へテンザネスが入り込むのと同時にオービットの左親指が自爆装置の実行キーへと伸びる。

「!?」

 突如、横殴りの衝撃がダークネスを吹き飛ばした。

 予期せぬ方向からの攻撃になすすべもなく、コクピットの内壁に幾度となく衝突したヘルメットのバイザーが砕け散る。

 高負荷にコンピューターがハングアップし、システムダウンの影響で姿勢制御も出来ぬまま飛ばされた機体を再びの衝撃が襲った。至近を漂う艦艇の残骸へ激突したのだ。砕けた装甲材の隙間に機体が挟み込まれ、身動きがとれない。

「な……何が起こっ…た……?」

 脳震盪で意識が朦朧とする中で、血まみれの顔を上げたオービットを驚愕が貫いた。

 彼方でたたずむテンザネスの右に、新たな青い機体が加わっていたのだ。

 テンザネスより頭半分ほど低い小柄な機体だが、全身を包む青い装甲は厚く、四肢が見せる太いフレームラインも相まって高い剛性が見てとれる。精緻な右腕にSSTシールドを備えた多関節の左腕と、機体構成こそベーシックなものだが、背負った3基の大型アクティブ・スラスターの威容と積層型の菱形盾ダイアモンドシールドが見せるシルエットは規格外の一言だった。

 武者兜を思わせる頭部の顔面で、Y字に刻まれたセンサースリットが内なる機器の動作光で輝いている。

「フューリー……マサト…なのか?」

 マイセルフ11号機“フューリー”。

 新たなる幻想機の姿に目をみはるオービットの眼前で、テンザネスが前へと進み出た。

 通信か。それともテレパシーか。互いに意思を交わし合いでもしたのだろう。進み出るテンザネスに背を向けたフューリーが背部推進機を展開させる。

 その大柄な威容に相応しい加速力でワン・ハンズ基地へとフューリーが駆け出した。

「ま、まて!?」

 基地への襲撃をするつもりなのかと身を固くするオービットをよそに、微塵も攻撃姿勢を見せぬままフューリーが飛翔してゆく。そうして基地近傍の空間をかすめるようにして身を翻すと、一直線に彼方へと飛び去って行った。

「マサト……」

 ただただ、その姿に困惑するオービットの意識を敵意が引き戻した。

 ダークネスのヴィクティムを介して感じるテンザネスの思惟が、初めて明確な殺意を見せていたのだ。怜悧だが、どこか悲しみと迷いを匂わせる思惟だった。

 ゆっくりと、テンザネスの左手が右長盾裏にマウントされている長銃を取り出してゆく。荷電粒子ライフルでは無い。それと並列に装備されていた中距離射撃用のアサルトライフルだ。

「ここまで、か」

 手ごたえのない操縦桿を軽く振り、フットペダルを数度、適当に踏み叩く。システムダウンしたヘッドアップディスプレイは沈黙し、制御を失った機体は完全に沈黙していた。操縦とは独立した機構であるエンジンとジェネレーターは未だ稼働を続けているため、生命維持を初めとした自律系システムは動いているものの、遠からずの停止は必至だろう。

「すまない。オト……紡……どうやら俺は、ここまでだ」

 胸中に広がってゆく諦観を苦く噛みしめながら、オービットは守護を誓った二人の少女を思った。

 自分無しで、紡はきちんと食事を摂れるだろうか。オトはちゃんと、自分で好き嫌いを克服していってくれるだろうか。

 差し迫る死を前に、浮かんだのはそんな奇妙な心配事だった。

「だが時間は十二分に稼げた。おまえたちの顔が見られなくなるのは無念だが、これで良い。例えそれが避けられないのだとしても、せめて少しでも、おまえたちが戦場に立つ日を先に延ばすことができるのなら……できたのなら……」

 左手首の携帯端末を見やると、出撃前に設定したタイマーがちょうどゼロになるところだった。後退中の部隊が戦線を離脱しきるまでの予想時間設定だ。射線を遮る味方が退避した以上、まもなく戦艦ジャシティス・コードを初めとした艦艇たちからの一斉砲撃が始まるはずだった。

「任務完了。死にたくなければ、おまえもさっさと逃げるがいい。戦いには負けたが、勝負は俺の勝ちだ」

 薄い笑みを浮かべ、顎下へ右手をはわせる。チンガードのロックが解除され、割れたバイザーが頭上へ跳ね上がるのと同時にチンガードが左右へ展開した。

 開放感に息をつき、襟元のファスナーも開けてゆく。

「まいったな。死ぬ間際には、格好良く辞世の句の一つでも詠んでいくつもりだったのに、いざとなると何も思い浮かばないものなんだな。やり残したことだけは山ほど浮かんでくるっていうのに……」

 すでに覚悟は出来ている。

 希望的観測など、とうに諦め、差し迫った死の抱擁に応える未来も受け入れている。

 だというのに手足は震え、歯は鳴り、青ざめた顔は引きつって少しも強張りが治まらないままだった。

「格好悪い最後で心底情けないが……いよいよか。さようならだ。オト。紡……」

 テンザネスの右人差し指が引き金を引き絞ってゆく。

 1秒にも満たない一瞬の一動作を、ひどく緩慢なものに感じながらオービットは見つめていた。

 銃火が閃く。

 弾列が白い閃光となって正面ディスプレイを埋め尽くしてゆく。

 死への恐怖に震えながら、しかしオービットは自身を葬った敵から最後の一瞬まで目をそらすまいと必死に目を剥き続けた。恐怖に抗い、闇に沈もうとする心の手を必死に伸ばし続けた。



 と―――。



 突如、正面ディスプレイが暗闇で閉ざされた。

 いや、そうではない。眼前へと伸ばされたダークネスの右腕が先程と同じく下腕を縦に銃撃を受け止めたのだ。

「な!?」

 動かないはずの機体が見せた挙動に目をみはるオービットの眼前で、ダークネスの右腕が銃弾を弾き飛ばしてゆく。正確には、腕にまとった炎によって銃弾全てを蒸発させてゆく。

 凄まじい輝度と閃熱をはらんだ炎だった。

 緑がかった青い色のそれは、腐敗した死体が放つ燐の炎の色にも似ている。

 太陽や焚き火のそれとは違う。圧倒的なエネルギーを内包した炎でありながら、生ではなく、聖でもなく、正ですらない。死を内包した鬼火の色―――そんな蒼炎がダークネスの右腕を包み込んでいるのだ。

「これはまさか……」

 恐怖ではない確信が、オービットの顔から血の気を奪い去った。

 心の奥で誰かが、そんなオービットをせせら笑う。何を驚く? おまえは知っていたはずだ。あの少女たちならば、きっとこうすると。こうなるだろうことを、おまえは予見できていたはずだ、と。

「やめろ! オト!! 紡!!!!」

 それを裏付けるかのように、システムダウンしていたはずのヘッドアップディスプレイが一つのメッセージを表示した。


 エンパス・システム、と。

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