第四章 異音の暗黒機

   一

 ワン・ハンズ基地の対空レーダー網が敵機を察知したのは、掃海艇を引き連れたライトニングの航宙重巡洋艦ソードフィッシュ出港から、およそ20時間後のことだった。

「やはりこのタイミングで来たか……」

 戦艦ジャスティス・コードの艦橋の艦長席と並んで配された指令席に座すカノン・エストックが苦々しく呟く。

「中将。よろしいですな?」

「任せる。お飾りはお飾りらしく、御輿で大人しくしているさ」

 艦長席からの問いかけに肩をすくめ、カノンは艦橋の外へとこうべを巡らせた。士官学校出身の幹部候補生とはいえ、実戦を知らないわけでは無い。カノンが所属する地球の南欧エリアは過去の遺恨や政治的理由から未だ、紛争地帯を多く抱える不穏地帯でもあるのだ。文官とはいえ、治安維持軍の兵卒として銃を撃ったこともあれば、テロ組織殲滅の指揮経験もある。

「私は宇宙の戦いは素人だからな。経験のある現場の人間に任せるし、それで仮に命を落としたとしても文句は言わんよ」

 だからこそ、カノンは自覚していた。戦場で輝きを放てるのは、経験に裏打ちされた“勘”を使いこなす才覚を持つ者なのだということを、だ。そしてそれを残念なことに自身は持ち合わせていないのだということも。

「基地指令部と連携して迎撃にあたってくれ。必要ならば各艦艇の待機命令を解除してくれてもかまわない」

「では、オーシャンも?」

「すまないが、あれだけは駄目だ。あれは使い方を誤れば、こちらを全滅させかねない諸刃の剣になりうる機体なのだ。詳しくは説明できないが、操縦そのものがパイロットに大きな負荷をかけてしまう問題もある。敵は少数の部隊なのだろう? いくらブラッディ・ティアーズとはいえ、基地戦力で対処できない相手ではあるまい。こんな前哨戦で、要塞攻略のスケジュールに直結する切り札までは切れんよ」

 そうではない。敵が少数だからこそ、最強の戦力で速やかに叩き潰すべきなのだ。多少の機密漏洩があったとしても、それが結果として軍の損耗を最も抑える結果となる。

 喉まで出かかった言葉をしかし艦長は飲み込んだ。

 艦長として機体名と概要こと伝えられているものの、その詳細は依然として明かされていない。幕僚の一人たる立場として、強硬にオーシャンの出撃を拒むカノンの意向には逆らえなかった。

“好奇心は猫をも殺す”。それは末席とはいえ中央の官僚機構に名を連ねる中で得た彼なりの真理でもあるのだった。

「了解いたしました」

 いささかも相好を崩さぬまま首肯し艦長―――この場に置いては自身の名すら置き去りとして役目に徹する男は、艦長席から立ち上がると管制官へと口を開いた。

「基地司令部との通信回線を開け。のんびりと戦況分析をしている暇は無い。本艦から直接指揮を執る。港湾内の各艦へ、リンケージを要請しろ! 合わせてソードフィッシュへ打電! ライトニングたちを呼び戻せ!!」 

 リンケージ。

 中央軍艦艇に標準装備された、艦長権限でのみ利用可能となる相互通信システムの略称だ。無数の艦艇それぞれが得た情報を瞬時に共有し、有利な戦術プランを即時提案・展開することを目的に構築された情報ネットワークへの参加要請を意味する。

 だがそれを使用するには、膨大な情報を処理する大規模なコンピューターと高速通信回線が必要となるため、撹乱電波などの外乱が多い戦場では機能しないことが多い。本来は停泊中など、一同に会すには多すぎる数の艦艇同士が港湾や基地のシステムを介して自身に関連する情報を更新するためのシステムツールなのだ。

「ソードフィッシュより返信。敵機の襲撃により交戦中、とのことです」

「やはり……挟撃は期待できない、か」

 通信士からの報告に苦々しく返し、ワン・ハンズ基地の係留設備を介して各所から集まる情報に目を走らせた。

「各部署へ、第一級戦闘配備デフコン1を通達。今から指示する艦艇は拘束解除。出港し敵機の到達予想地点へ急行させろ。発進後の連携と判断は各艦艦長に任せる。その他の艦艇は待機を継続。ただし対空監視を怠るな」

 指示を飛ばし、実指揮を副艦長に任せ戦術モニターを睨む。そこでは三次元で表示されたワン・ハンズ基地を中心に、各所から送られてくる情報を元に構築された敵機の動きがリアルタイムで展開していた。

「現在確認されているのは8機か。1部隊2機の小隊編成が4組……それが、ほぼ同一方向から接近してきている。別々の方位からそれぞれ単機で突入してきた前回とは違う、か」

 地球における航空戦術において、航空機の最小戦術単位は2機である。一機をリード、もう一機を僚機“ウイングマン”として扱い、前者の作戦行動の支援に徹する。だが、宇宙における航宙戦術書において最小戦術単位は3機に改められている。

 理由は幾つかあるが、最も大きい点は電磁波である。

 厚い大気や電離層によって太陽風を初めとした宇宙線が大きく減衰される地表とは違い、戦闘状況の宇宙ではレーザーやセンサーの有効範囲と精度が極端に落ちる。大気による熱伝導が無いため、弾丸を初めとした散乱する金属片が総じて高い熱を帯びたまま浮遊していることもあって、機械による識別にはどうしても限界が出てしまうのだ。

 そのため、戦域を目視で監視し、通信と哨戒を行う第3の僚機―――スカウターが必要となった。

 縦列陣形の最後方へ位置し、他部隊スカウターとの通信と戦闘情報の交換を介して戦闘状況管理を行い、かつ先行するリーダーとウイングマンへの情報供給と通信の中継器としての役割を担うのだ。

 勿論、電子機器を満載しているため戦闘能力は低いが戦闘機である以上、撃墜の可能性が高いリーダーおよびウイングマンの戦闘支援や撃墜時の脱出員回収も役割に数えられている。

「敵機が基地の迎撃システム射程圏内に到達し次第、砲撃を開始しろ。ぎりぎりまで艦載機は出すなよ。相手はブラッディ・ティアーズだ。逆効果になりかねん」

 だがしかし、ブラッディ・ティアーズの登場が時代を逆行させた。

 戦場においてブラッディ・ティアーズは、策敵と空間位置情報の把握に機械システムをほとんど必要としない。周囲に散在する他者の思惟を拾い込む事によって、パイロット自身がそれを成し、逆に思考による操縦補助システム―――“S-LINK”を介して情報を僚機へフィードバックするシステムが採用されているためだ。

 そのため中央軍機よりも少数かつ、圧倒的な速度と精度での航宙戦術を成立させていた。2機での編成、通信を必要としない連携、絶対的な防御能力、その全てが圧倒的すぎるほどのアドバンテージへと直結している。

 第一次CALIBER要塞攻防戦において、木星軍が3倍近い数的不利を覆せた理由の一つがここにある。

「接近速度が落ちません!? 当たっているはずなのに!!」

 悲鳴のような管制官の声音が艦橋に響き渡る。

「騒ぐな! SSTシールドがあるのだ。簡単には落ちるものか。砲撃を絶やすなと各所へ再通達しろ。焦って動くな、ともな」

 動揺する部下を怒鳴りつけ、指揮杖を振るって指示を飛ばす。

「SSTシールドの絶対性は無限には続かん! 被弾を蓄積させ、パイロットを疲弊させてさえしまえば無力化できるのだ。とにかく撃ち続けさせろ!!」

 敵機の接近は戦艦ジャスティス・コードから見て、ちょうど基地の反対側だ。進路予測から割り出された目標は基地のインフラ施設でほぼ確定しているが先日の例もある。

「油断するなよ。観測班は艦の全周警戒を緩めるな。大将首狙いの別働部隊がこちらを狙って来る可能性は大いにある」


 と―-――。


「1機撃墜!」

 緊張が張り詰めた艦橋に、管制官の声が響き渡った。同時に戦術モニターで表示されていた敵機を示す赤い光点群の中の一つが消失する。

「気を抜くな!」

 顔を見合わせ、ざわめき合う乗員たちへ艦長の叱責が飛んだ。

「たかだか1機を撃墜しただけだ。艦艇の展開を急がせろ! 防空圏が抜かれるのは時間の問題なのだぞ!!」

 基地の守備部隊はすでに展開を完了しているが、可能な限りの増援も合流させなければならない。中央軍の戦闘機とブラッディ・ティアーズとでは戦闘能力に開きがありすぎるからだ。中央軍の戦術マニュアルにおいても、ブラッディ・ティアーズの1機に対して、最低3機の戦闘機で当たれなければ即時撤退が推奨されている。

(特に今回の敵機は先日とは違い、編隊を組んでの連携行動を見せている。強襲用の特務仕様機とはいえ、これだけの砲火をかいくぐってみせる連中だ。相当に高錬度なパイロットたちであることは想像に難くない)

 襲撃に備えて幾つかの艦艇には出撃準備をさせていた事が功を奏し、敵機の到達予想地点には部隊が展開しつつある。

(敵は手ごわいが、所詮は中隊規模の戦力だ。数的有利の状況さえ作り出してしまえば―――)

「敵機! 基地迎撃システムの防空圏を突破!!」

 戦術モニターを睨む艦長の思索を、管制官の緊迫した声音が破った。

「何機抜けた!?」

「4機です! 2機撃墜。1機は中破と同時に自爆した模様!!」

「鹵獲され、捕虜の憂き目を見るくらいならば、か。特攻部隊らしい潔さではあるが……」

 苦々しく呟いた中で悟る。

「木星軍の指揮官は馬鹿なのか? それともクソ以下の無能者か愚か者か? 敗色濃厚な戦況末期ではあるまいし、こんな芸当をやってのける程の奴らでカミカゼ戦術だと? 宝石よりも貴重な熟練パイロットたちを開戦前から使い捨てにするとは何を考えているのだ奴らは」

 縦横に戦場を飛び回り、凄まじい勢いで中央軍の艦載機を叩き落してゆく戦闘能力に畏怖を禁じえない。

 いずれは数が形勢を制してゆくだろうことは想像に難くなかったが、指揮杖を担う者として思わずにはいられなかった。これほどの錬度と覚悟を持つパイロットと機体が自分の手元にあったなら、と。

 逐次、報告される味方の被害状況と敵機の損耗状況がジワジワと逆転し始めてきている。敵ながら見事な奮戦ぶりではあるが、弾薬もエネルギーも、ましてや生きている人間の体力は限られている。いずれか一つが尽きた者から脱落してゆくのだろう。

「馬鹿な連中だ。こうして失うのだ。何一つとして得るものの無い、無駄な戦いの中で―――」

 口中で陰鬱に呟きかけた艦長の表情が凍りついた。

(得るものが無い…だ……と?)

 相手の油断や背後をつかない奇襲など奇襲ではない。意味が無いのだ。戦力差を鑑みれば、襲撃を待ち構えられてしまえば最早、少数部隊が基地施設に到達できる道理は無い。多少の戦力を削れるかもしれないが、所詮は多量にある艦載戦力の一部にすぎない。それならば戦術に基づいた通常の部隊運用で進軍途中を迎え撃った方が余程、大きな戦果を挙げられることだろう。

(何かを狙っている? 我々の眼を引き付けての陽動?)

 目的の無い作戦など、ありえない。

 犠牲を覚悟して展開するからには必ず、それに見合った戦果を見込んでいるはずだった。

「第二、第三艦橋と連絡を取れ。基地司令部と本艦周囲の索敵レベルを限界まで引き上げろと伝えろ。近づくモノは、たとえ岩塊の一かけらであろうと見逃すな、とな」

 基地および戦艦ジャスティス・コード周辺を哨戒させている部隊から敵機の報告は無い。

 SSTシールドに隠れて慣性航行するブラッディ・ティアーズは基本的にレーダーでは探知できない。シールドの帯びるフィールドがレーダー波の反射を許さず、同様に機体の発する熱をも遮ってしまうからだ。

 だが無重力の宇宙を進むためには、機体各所の姿勢制御用推進器を定期的に吹かし、機体の姿勢と進路を調整しなければならない。重力や大気の抵抗が無いため、わずかな接触や姿勢変化がそのまま大きなバランス変動につながってしまうからだ。

「艦長。やはり陽動か。あれは」

 緊張を深める艦長の様子からカノンも察したのだろう。椅子から腰を浮かせ、落ちつかなげに周囲を見回している。

「おそらくは。戦力差と戦略的に、この襲撃で設定可能な攻撃目標は一つしかありません。すなわち、遠征軍の旗艦にして中枢を担う本艦―――戦艦ジャスティス・コードです」

「基地のインフラ設備や基地司令部という可能性は?」

「我々の虚を突いた初手ならばともかく、これだけ襲撃を警戒している現状で少数部隊が基地の警戒網を抜けることは不可能です。それがたとえブラッディ・ティアーズであろうとも、戦争において数というものが、どれほど絶対的な優位につながるものなのか。それは中将も、よく御存知でしょう」

「我々の損耗や、損害を度外視した狂気の特攻ということは無いのかね」

「カミカゼ戦術というものは局地戦―――とりわけ敗色濃厚かつ死地へ追い詰められた者が執るヤケクソの威嚇戦術なのですよ。それをするしかない。他に選択肢が無いからこその戦術なのです。何故なら、作戦の成否に関わらず、それを実行するということは死ぬことと同義なのですから。カミカゼ戦術は、実行者の未来から生還という道を切り捨てることでのみ成立する、道連れの心中行為なのです。そんな作戦を、勝敗どころか開戦もしていない段階で実行する者などいませんよ。仮に上官がやれと命令したとしても拒否するでしょう」

 艦橋の乗組員たちからの報告に耳を澄ませ、基地の港湾で待機している全艦に厳戒態勢と艦載機の発進準備を進めさせる。

「だとするのならば必ず居るはずなのです。この警戒網を潜り抜けていることからみて単機か。せいぜい2機程度の本命が。対艦ミサイルを抱え、SSTシールドで身を隠しながら接近してきているはずなのです」

 艦長の言葉に艦橋の空気が張り詰めてゆく。

 逐次あがる報告、めまぐるしく戦況を伝える戦術モニター画面、止むことない機器の動作音と、うるさいほどの騒音で満ち満ちているというのに、空気だけが凍りついたかのようだった。

 誰もが耳をそばだて、死への恐怖に肌をあわ立たせながら、自身の役目へ没頭するべく必死に動き続けている。

(どこだ……どこから来る……)

 戦術モニター画面の戦況と、各員各所からの報告にめまぐるしく脳を回転させながら無意識に周囲を見やる。

 だがしかし、画面の中の敵機が一つ、二つと減りゆき、最後の一機にまで減じても、予測していた敵機の襲来は一向として訪れなかった。

(どういうことだ……何故あらわれない!?)

 理解不能の恐怖が艦長の胸裏を侵食してゆく。

 かつて、第一次CALIBER要塞攻防戦に参加した際の記憶が脳裏をよぎる。将来を嘱望された将官の一人として参戦した際の記憶だ。まだ30代半ばと若く、旗艦直属の護衛艦の副艦長だった。階級は中尉。若さゆえか。自身の優秀さに根拠の無い自身を持ち、いま思えば見当違いも甚だしい意見をしては艦長に睨まれていた。

(そうだ。あのときもそうだった)

 ぼやけた記憶が胸裏を流れてゆく。

(あのとき艦長は、何と言っていた……?)

 ブラッディ・ティアーズという見たこともない圧倒的な敵戦力を前にして浮き足立ち、乱れてゆく戦列の中で混乱し、慌てふためく自身を一喝した言葉はしかし、ぼやけていて思い出せない。

 何か、今の自身にも通じる大切な言葉だった気がするのだが。


 と―――。


 たぐる記憶が明瞭さを取り戻しかけ、最後の敵機が力尽き、動きを止めかけた瞬間のことだった。

 彼方に臨む戦場へ、遥かな虚空から一直線に赤い輝きが走ったのだ。

 爆華が咲き乱れる暗黒の世界を刹那、両断した赤き閃光の残像が消えた直後、戦術モニターから味方艦と艦載機の反応がことごとく消失してゆく。同時に無数の爆光が彼方で花開き、その異常の現実を中央軍の人間たち全てに知らしめてゆく。

「なんだそれは!? なんの冗談だ!?」

 思わず口をついた罵倒と同時に艦長は思い出していた。

(そうだ。あのとき艦長は、こういったのだ)


『この馬鹿者が。ちっぽけな個人の常識や経験で物事を計ってばかりいるから、いざというとき何もできなくなるのだ。動揺など必要ない。ただひたすら冷静に目を開け。仲間の声に耳を傾けろ。理不尽を当然と割り切れ。さもなくば誤るぞ。現実とは常に、人間の知と理を凌駕してくるものなのだから』




   二

 無数に花開いた爆光たちが燃え尽き、次々に無残な鉄屑の残骸と化してゆく。

 かつては艦であったもの。

 かつては戦闘機であったもの。

 その宙に在った全ては今、抱えていた無数の命とともに爆散し、黒く煤けた塵芥へと成り果てたのだ。

 音も無く。匂いも無く。風も無い虚空の中で、たたずむ一体のブラッディ・ティアーズが小さく身じろぎした。

 奇異な外観の機体だった。

 怪物的なハリケーンとは違う、兵器としてはあまりに装飾的過ぎる外観をしていたのだ。

 だが、はたしてそれは本当にブラッディ・ティアーズなのだろうか。

 厚みのある垂直尾翼にも似た背部2基の可動式推進器と、脚部へ姿勢制御用バーニアを集中させるバランサーのレイアウトこそブラッディ・ティアーズの特徴を色濃く現している。だがしかし、通常の機体とは一線を画した特長をその機体は持っていた。

 その機体は左手を持っていたのだ。盾を振りかざすための機構としてではない、右腕と同じく人間のそれを模した精緻な左腕を、その機体は備えていた。

 それだけではない。SST起動に必要な脳波容量の制限から1枚が限度であるはずの盾を2枚、その両腕に装備しているのだ。大小様々なパーツが複雑に積層し、噛み合って構成された身長ほどもある長盾は、そのパネルラインも相まって鳥の翼を連想させる。その盾と、大型の背部推進器の描くシルエットが細身の機体をより大きく見せていた。

 西洋甲冑の兜を思わせる頭部の顔面で、翼を広げた鳥を象ったセンサースリットが内なるセンサーの輝きで明滅している。その後頭部からは、バランス補正用のスタビライザーと思しき蛇腹状のパーツが揺れていた。

 黄金色の唐草模様で装飾された装甲が輝いている。燦然としたエメラルドブルーの輝きは塗装ではありえない。装甲材に使用された青い金属そのものが、わずかな星明りを受けてサファイアのような輝きを放っているのだ。

「マイセルフ……それも“テンザネス”だ……と?」

 戦艦ジャスティス・コードの望遠カメラが捉えた敵機の姿に、色を無くしたカノンが声を震わせる。同時に戦術モニター画面に映る敵機のステータス表示が赤く色を変えた。敵機が放つ敵味方識別信号は木星軍―――戦艦ジャスティス・コードのIFFはこの機体を敵機と認識したのだ。

「どういうことだ。レイジ・トライエフは死んだはずだ! 何故、あの機体が動いている!? いや、そもそも何故、幻想機が木星軍の手に落ちているのだ!?」

 混乱し、シートのアームレストに打ち付けられた両拳が白くなるほど握りしめられていた。その隣で困惑の表情を浮かべる艦長を他所に、フューリーの背後から1体のブラッディ・ティアーズが飛び出す。襲撃部隊の生き残り最後の一機だ。

 満身創痍ではあるものの、それを感じさせぬ軽やかな飛翔で一直線に基地施設へと突入してゆく。

 先程の爆発により守備隊はほぼ壊滅状態であり、生き残ったわずかな艦艇も深刻なダメージを受けて動けない状況だ。

 常軌を逸した出来事に我を忘れていたクルーたちが慌てて動き出す。

 中央軍の艦載機は全て宙間戦闘用の飛行機であり、あくまで遠征のための中継基地であるワン・ハンズ基地に陸上戦闘用の設備や機体は何も無い。施設内へ入り込まれてしまえばもう、なすすべが無いのだ。

 基地側からの通信も、動揺し色を無くした悲鳴混じりの声が数多く混じり出している。

「中将。もはや手段を選んでいる場合ではありません」

 艦長の言葉に、呆然と戦術モニターに見入っていたカノンは我を取り戻した。右を見やれば、厳しい面持ちの艦長が軍帽を脱ぎ外してカノンを見つめている。

「オーシャンの出撃命令を」

 有無を言わせぬ必死の眼差しがカノンの躊躇を否定している。カノン自身も理解はしているのだ。今ここで最強のカードを切らなければ、作戦の遂行どころか遠征軍そのものに深刻な損害を受けかねないということを。だがしかし、ここでオーシャンを出撃させるということは、カノン自身が立案し進めていた戦略と戦術プランの根底が覆されることを意味した。それは同時に、この作戦の行方がカノンの手を離れる事を意味する。

「何をためらっておられるのですか。今あの脅威を取り除けるのは、オーシャン以外には無いのですぞ?」

「わかっている。だが、あれは……オーシャンを出すことだけは出来ん。出来んのだ……」

「中将!」

 失望を浮かべる艦長から顔をそむけ、戦術モニターに目を戻す。無数の残骸とガス化したプラズマの残り火がたゆたうノイズ混じりの画面では、撃墜を免れた中央軍艦艇へ向けてテンザネスが右手に携えた身の丈ほどもあるライフルをかまえていた。

 銃口が電荷の火花を散らせている。

 銃身の半ばから機体へと伸びたケーブルから察するに実体弾ではなく、直結したジェネレーターの電力を利用した荷電粒子砲なのだろう。

 狂い出す運命の歯車が軋む音をカノンは感じていた。

「……チーム“オラトリオ”に出撃命令を出せ」

 苦りきった声音を搾り出し、カノンが艦長へと向き直る。

「中将……」

「さっさと出せと言っているのだ!」

 艦長を怒鳴りつけ、カノンは司令官席へ腰を下ろした。

「くそっ。こんなはずでは……」

 小さく吐き捨て、再び戦術モニターを睨む。


 と―――。


 砲撃体勢のテンザネスが突如として身をひるがえした。

 数瞬前までいた宙を荷電粒子の閃光が突き抜けてゆく。

「艦長! ライエル特尉から入電です!!」

 同時に通信官が艦長へと叫んだ。

「青の敵機は請け負った。本隊は基地に侵入した敵機の排除に専念されたし。以上です」

 荷電粒子の閃光に続いて一体のブラッディ・ティアーズが虚空を走った。敵機と同様―――いや、それ以上の特異さを持ったブラッディ・ティアーズだ。

 右と対象の精緻な左手を持つ輪郭は一見テンザネスと酷似している。だが、幅広い中折れ式のブレードを装備した右腕や、数々の武装を内包していることがうかがえる左腕の十字型シールド、そして武者鎧を彷彿とさせる積層型の装甲を持つボディの頭部ででまたたくΩ字型のセンサースリットと、プレーンな敵機とは違う多様な武装が機体の持つ高い汎用性をあらわしていた。更にはセンサースリットの中央で異彩を放つ長距離照準用スコープが、異形ぞろいのマイセルフにあって尚、この機体を特異に見せている。

「マイセルフ“ペイン”……ははは。そうか。ライトニングが置いていった、あの小僧か」

 掃海任務への出港前、ライトニングが部隊員の一部と数基の揚陸艇、そしてブラスト・コフィンを1基、ソードフィッシュから降ろしていったことは報告を受けている。そのメンバーの中にマイセルフのパイロットであるエドガーがいることも、だ。

「少佐は、この戦況を予見して戦力を残していったということなのでしょうか……気に入りませんな。最初からそれを伝えていてくれたならば、これほどの被害を出すことも……」

「ふん。あの男の考えていることなど知ったことか。まぁ、いい。結果としてテンザネスが手に入るかもしれぬのだからな」

「いささか早計では? 敵機がまた先程のような凄まじい威力をくり出してくれば、ライエル特尉が勝てる保証はありますまい」

「いや、それは恐らく無い。あのシステムは、そういうものでは無いのだ」

 確信に満ちたカノンの言葉を裏付けるかのように、あっさりとペインの接近を許したテンザネスが両腕のシールド前面に振り向けた。SSTシールドが起動し、虚無のような暗闇と化した盾が、ペインの撃ち放つ銃弾たちを飲み込んでゆく。

 次々に破砕し、火花となって散る銃弾たちに無駄を悟ったのか、ペインが右腕に装備されている中折れ式のブレードを展開させた。

 幅広の刀身が下腕のレールに沿って手首へとスライドし、中折れの基点が手首の連結機構と接続したのと同時に刃が起き上がり、トンファーにも似たシルエットを形成してゆく。同時に刀身が白い輝きで包まれた。

 超高周波振動によって合金製の装甲材すら容易く両断するブラッディ・ティアーズの近接専用武装“高周波ブレード”だ。

 さすがに起動中のSSTシールドには銃弾と同様に無力だが、盾以外の部位に命中すればただでは済まない。

 それを前にテンザネスも剣を抜き放った。

 盾の裏へ格納されていた二振りの長刀だ。細身だが、緩やかに湾曲したシルエットの刀身は厚く、高い剛性を感じさせる。その二刀が起動し、ペインのそれと同様に高周波ブレードとなって白熱光を放ちだした。

 左の腰だめから横なぎに振るわれた一撃を、並びそろえた二刀が受け止める。

 高周波振動が作り出す衝撃波がぶつかり合い、凄まじい輝度の閃光がほとばしった。




   三

 静かな屋内に、遠く小さな爆音が響いていた。

「テンザネス……」

 戦艦ジャスティス・コードが隣接する基地施設の一室で、戦況を監視していたオービットが沈鬱に呟く。

「無事に再会できたのですね。あなたの探していた“ユウト”に……」

 こらえきれぬ感情が、うつむいたオービットの両肩をわずかに震わせている。胸裏で渦巻く懐かしくも忌まわしい記憶に、オービットは悲しい因縁を感じずにはいられなかった。

「オービットさん。お待たせしました」

 背部の自動扉が開き、女性仕官に手を引かれた紡が姿を現した。中央軍の特務部隊仕様の白いパイロットスーツ姿だ。ヘルメットをかぶってはいるものの、左右へ展開したチンガードと上に跳ね上げられたバイザーのため顔は露出しており、窮屈な様子は微塵も無い。

「この新型スーツ良いですね。実戦用と訓練用でこんなに動きやすさが違うだなんて、びっくりですよ」

 フィット感を確かめるように伸びをした紡が、軽く一転してオービットへ笑いかけた。

 艦外作業用とは違い、操縦への支障を避けるためなのかボディラインが判別できるほど薄く、フィットする特殊素材で作られている。両肩や肘など要所を覆う硬質プラスティックの防護部には、スーツの温度調整を初めとした生命維持システムが組み込まれており、機体コクピットとの連結コネクターも兼ねた背部ラックには、非常用として20時間分の空気タンクと応急処置キットが詰め込まれていた。

「オトはまだなのか? パイロットスーツを嫌がって、また追いかけっこの最中だったりしないだろうな」

 立ち上がり、振り返ったオービットも紡と同じくパイロットスーツ姿だ。性別のためか。体格のためか。同じ意匠のスーツでありながら、どこか戦闘的なたたずまいを感じさせている。

「あぁ、ありえますね。むしろ、そうなのかも。ちょっと待ってくださいね。確認してみます」

 介助役の女性士官を会釈で下がらせた紡が、ヘルメットの右脇へ手を伸ばす。タッチ式のキーパネルが仕込まれたヘルメットの通信機能を通してオトの着替えを頼んだ女性士官に連絡を取ったのだ。

「え? 本当ですか!? 嘘……」

 骨振動式のインカムを通しているためオービットに通話音声は聞こえないが、驚いた紡の声音から察するに何かやらかしたのかもしれない。

「オービットさん……私、またまたびっくりです」

 焦点を結ばない虚ろな義眼とは対照的に感情豊かな声音で、通信を切った紡がオービットを振り返った。

「オトちゃん。もうオーシャンのところに着いちゃっているそうです」



   *   *   *   *   *



 うっすらとした暗がりの空間を、スポットライトの光条が切り裂いている。

 闇を突きぬいた3本の光が照らし上げるのは、鋼鉄で出来た巨大な卵の姿だった。

 シルエットこそ卵だが、全高30メートルにもおよぶ巨大な卵の表面は、無数の金属部品が折り重なって出来た鋼の檻なのだ。

 まるで岩壁のような檻の前で一人たたずみ、オトはそれを見上げ続けていた。

 ヘルメットを被るためなのだろう。腰元まである銀髪はアップに結い上げられ、紡のそれと同じデザインのヘルメットを装着している。チンガードとバイザーは展開しており、無垢な眼差しと柔らかな頬を露出させていた。

 首から下は、前をピッタリと合わせた足元まであるローブをまとっており、チェスの駒にも似た影法師が長く後方へ伸びている。

「………」

 無言のまま見つめるオトの表情は硬く、何かを必死にこらえている風にも見えた。

「オト!」

 そんなオトの後方から光が差し込んだ。格納区画の扉が開け放たれ、ヘルメットを小脇に抱えたオービットと、その手に引かれた紡が立ち入ってきたのだ。

 振り返り、二人の姿を認めたオトの表情から強張りがほどけてゆく。

 7歳という年齢相応の顔を取り戻し、小走りに二人へと駆け寄ってゆく。そんなオトにオービットは片膝を落として両手を広げ、飛び込んでくる小さな身体を受け止めた。

「よしよし。こんな暗い場所に一人で怖かったよな」

 子犬のように甘えてくる少女の身体が震えている。華奢な少女を優しく抱きしめ、落ち着かせようと背をなでる中でオービットは、オトのまなじりへ滲んだ涙の粒に気づいた。

「あいつらめ。こんな場所に子供を置き去りにしやがって……紡! ジャスティス・コードに非常通信回線をつなげ。あの中将に文句の一つも言ってやらなければ気がすまん」

「馬鹿ですか。あなたは」

 憤懣やるかたない様子で振り向いたオービットの頭を、紡の右手が軽くはたく。

「ここはどこで、そこのそれはなんです? こんな場所も何も、ここは私たち以外は立ち入り禁止でしょ。置き去りとかじゃなくて、オトちゃんの方が勝手に潜り込んでいっちゃったんです。他の人たちは入るに入れなかったんです」

 溜息混じりに肩を落としながら膝を落とし、オービットの左に並んで両手を伸ばす。

「オトちゃん。ちゃんと大人の言うことは聞きなさい。一人で勝手に行動しちゃ駄目って、いつも言っているでしょう?」

 手さぐりでオトの頬を探り当て、両手で軽く挟み込みながら「めっ」と軽く睨んでみせる。

「やめろ。紡。オトが怖がっているじゃないか」

 ぎゅっと、すがりついた手が震えるのを察したオービットがオトを抱きかかえて立ち上がり、紡から、かばうようにオトを引き離す。

「オトだって何か理由があったかもしれないだろう? 問答無用で叱りつけるんじゃない」

「もう! どうしてオトちゃんにだけ、そんな甘々なんですか!?」

 業を煮やして立ち上がった紡がオービットを睨みつけた。先程の演技がかったものではない。苛立ちをあらわにした本気の怒り顔だ。

「いいですか? 子供が悪い事をしたときには、ちゃんと叱ってあげないと駄目なんです。そして叱るときは、すぐで即でしっかりとが鉄則なんですって前にも言いませんでしたか? 子供には、それが悪い事なんだって、問答無用で怒られちゃう事なんだって教えてあげないと駄目なんです。それに情状酌量とかを付けちゃ駄目なんです。じゃないと、っていう変なクセが付いちゃうの! 知識も経験も少ない子供は、感情でしか物事を判断できないんだから、やっちゃいけない事が許されるなんてことは絶対に教えちゃ駄目なんです。それがってことなんです。なんで、そんな簡単な事がわからないんですか。馬鹿なんですか? まさか実は本当にロリコンだったりするんじゃないでしょうね!!」

「勢いに任せて俺を貶めるんじゃない。時に叱ることが大切だというのには同意するが、その前に怒られる理由をしっかりと説明するべきだ。オトはまだ小さな子供なんだぞ?」

「やっぱり、わかっていないです。小さな子供はね。一度に一つのことしか覚えていられないんです。長々と説明なんてしていたら、悪い事をしたときの気持ちが上書きされて忘れちゃうんです。忘れちゃうから、結局また繰り返しちゃうんです」

「それはおかしい。オトは頭の良い子だ。話せば、ちゃんとわかってくれる」

「違うの。そうじゃないの。頭がいいとか悪いとかっていう話じゃないの。話してわからせた頃にはもう、子供の中でそれは別の出来事になっちゃっているの。反省して、本当のごめんなさいが出来なくなっちゃうの。なんでわからないんですか。オービットさんの馬鹿! 親馬鹿! ロリコン!」

「すまない。紡。俺には、おまえが何を言っているのかわからない。というか、こっちこそ何度も言わせるな。そういう言葉をオトの前で使うんじゃない。教育に悪いだろうが」

「オービットさんの甘やかしの方が、よっぽど悪いですよ。オトちゃんが我儘な子に育っちゃったらオービットさんのせいですからね」

「ふざけるなよ。紡。目上に対するおまえの態度こそ再教育されるべきだ」

「ちょっと! 今の聞き捨てならないんですけれど!?」

 睨み合い、白熱してゆく二人の間で顔を右往左往するオトの顔が悲しみで歪んでゆく。大好きな二人が喧々と口論している姿に怯え、ポロポロと涙をこぼしてゆく。

 空調の風にあおられ、無重力の宙を舞う雫たちが眼前を横切ったところでオービットが、小さくしゃくりあげる声に気付いた紡が、我に返ってオトを振り返る。

「オト……」

「オトちゃん……」

 泣きながら二人を見上げ、オトが必死に首を横に振り続けていた。

 そんなオトを前に二人は小さなため息を一つ吐くと、ばつの悪い面持ちで顔を見合わせた。

「熱々のチーズをかけたミートポテトパイをホールで。それで手を打ちます」

「ハイコストすぎる。せめてチーズ抜きのハーフ」

「ならチーズ無しのホールで。お肉とサイズだけは譲れません」

「……いいだろう。とっておきの薫製肉をくれてやる」

 交渉成立。どちらからともなく差し出された左手でしっかと握手を交わし、二人はその手をオトへと大げさに振ってみせた。

「怖がらせちゃってごめんな。オト。もう大丈夫だからな」

「ごねんね。オトちゃん。もう私たち仲直りしたから泣かないで」

 再び片膝をついて腕の中のオトを降ろし、ハンカチで優しくオービットが目元の涙をぬぐう。落ち着きを取り戻したオトを紡は抱き寄せ、頬を寄せて笑いかけた。

 まるで親子のようにシルエットを重ね、笑い合う三人の足元へ微振が響く。耳を澄ませば爆発音も次第に大きくなってきているように感じられた。基地内に侵入した敵機が、基地施設を破壊しながら暴れまわっているのだ。

 誰からともなく笑顔が消えてゆく。

 おりた沈黙が重く、静かに三人を飲み込んでゆく。

「………」

 何かを言おうとして、開いたオトの口から言葉にならない呻きが漏れる。

 伝えたい事があるのに。

 話したい言葉があるのに。

 呼びたい名前があるのに。

 切なく潤んだ左眼から、閉じられたままの右瞼から、先ほどとは違う悔しみから出た涙があふれて止まらなかった。

「オトちゃん……」

「わかっている。わかっているから……」

 震える失語症の少女を抱いて泣く紡ごと二人を抱きしめ、オービットは沈鬱に語りかけるのだった。

 だが、そんな三人をあざ笑うかのように、ひときわ大きな衝撃音が響き渡った。

 相当に近い距離を感じさせる爆発音だ。振動により格納庫全体が大きく揺れ、軋む構造材の隙間から粉塵が吐き出されて煙のように立ち込め出す。

「……オト。オーシャンを起動させてくれ」

 抱き合う紡とオトにうなずきかけ、オービットが立ちあがった。

「オービットさん……まさか……」

「そうだ―――」

 紡の言葉にかぶりを振ると、オービットはオーシャンが眠る鋼の卵を振り返った。

「出撃するのは俺一人だ。オーシャンを起動させたら二人はコクピットへ退避していろ。敵機は、俺が“ダークネス”で迎え撃つ」

「オービットさん!?」

「基地ごと葬るならともかく、こんな閉鎖環境では、どのみちオーシャンは使えない。そんな顔をするな。久々に、コードネーム“騎士”の本領を見せてくるだけさ」




   四

 頭の芯が痺れている。

 たび重なる高負荷によって熱をおびた脳が沸騰しそうだった。

 荒い呼吸を繰り返したためか、刺すような痛みを肺に感じる。唸り、叫び続けた喉は焼け、酷使し続けた四肢の腱と骨が炎症を起こして発熱していた。

 だが止まるわけにはいかない。操縦桿を握りしめた右手を緩めるわけにはいかない。

 ここは敵地なのだ。

 そして今、自身はそのはらわたを食い破ってやるために牙を剥いているのだから。

 フットペダルを踏み込む。

 加速とともに迫り、左右を流れてゆく景色たちに向けて操縦桿のトラックボールを親指で転がす。

 視界を踊る照準を追いかけるように、鈍色の右腕が剣を振るった。超高周波で振動する長剣はバターでも切るかのようにあったりと施設の鋼材を両断してゆく。

 すでにミサイルも、弾丸も撃ち尽くした。

 残るのは右腕が握る高周波ブレードと、その予備2本のみ。

「……い……」

 遠くから声が響いている。

 自身を包む込んだ痛いほどの騒音にあってさえ届く声は、すぐ後ろからだ。

「おい! カーナ!? しっかりしろ!!」

 叫ぶ相棒の声音が、どこか遠い。

 まるで自身を思い出すことを拒むかのようにカーナは吠えていた。

 そんなパイロットの思惟を体現しようとするかのごとく、ハリケーンが蝙蝠のような両翼を打ち鳴らす。

 目に付いたものを手当たり次第に切り刻みながら、目指すのはワン・ハンズ基地の奥だ。基地に潜伏しているスパイからの情報で位置は掴んでいる。

「隊長の仇……教官の仇……みんなの…仇……」

 復讐心に取り憑かれ、疲労と脳神経負荷の熱にうかされながら進むカーナの思考は、それとは裏腹にクリアだ。FREによる感情制御が働き、完全に思考と感情が切り離されているのだ。

「この馬鹿野郎! 目を覚ませ!!」

 カーナの後部座席からドナトが必死に呼びかけるものの反応が無い。

「前から単細胞とは思っていたが、こんなときに、こんな形で思考純化を起こしやがって……」

 思考純化。それは感情抑制システムであるFREによって極稀に引き起こされる特異現象だ。

 精神の表裏を成す意思と感情は一体である。どちらかのみでは成り立たず、どちらが弱まれば残された片方も弱まる。感情の消失は意思の消失を意味し、意思の消失は感情の消失を意味する。

 だが、ここにFREという要素が加わる事によって稀に精神がその法則を超越する現象を引き起こすことがあるのだ。

 その正確な原因は不明だが、死への恐怖や特定対象への殺意など、瞬間的に高まった意思と感情のベクトルが完全に同期し、かつ飽和レベルへ達した瞬間とFREによる大幅な感情抑制が同時にかかった場合に発生すると言われている。

 瞬間的に感情のみが切り離されることで純度の高い意思のみが取り残され、ただ一つの行動のみをどこまでも追い求める自動人形と化してしまうのだ。

「カーナ! これだけやれば、もう十分だ。隊長たちの仇はもう十分にとった! 任務完了だ。俺たちは目的を果たしたんだ!!」

 再び怒鳴り、カーナの肩を揺すろうと手を伸ばす。だが手は届かず、戦闘中のためシートの固定具もロックがかかったまま外れなかった。

「カーナ!」

 思考純化を起こした人間が正気に戻る方法は二つしかない。

 一つは体力が尽きて昏倒するまで暴れさせる事。もう一つはFREを停止させることである。

 だが未だ敵基地の最中である。カーナの体力が尽きるのを待っている暇などないし、仮にそうなったとしても今度は脱出の問題が出てきてしまう。

「駄目か。ちきしょう」

 手元のコンソールを操作し、FREの強制停止を試みるものの反応が無い。強制的に高レベルの感情抑制をかけている状態のため、急激な開放による精神崩壊への安全措置が働いてFREの動作にロックがかかってしまっているのだ。

(こんな死に方、洒落にならねぇぞ)

 焦燥が、ドナトの胸中を焼き焦がしてゆく。

 兵士となることを選んだ日から覚悟はしていた。だがそれは、兵士として戦って迎える死への覚悟なのであって、こんな無理心中のような死に方に対してでは無い。

「見つけ…た……」

 カーナを正気に戻すため、再度FREへのアクセスを試みようとしたドナトの耳にカーナの声音が届いた。インカムを通した荒い呼吸混じりの声音に驚いて顔を上げれば、道行く先に格納庫区画とおぼしき分厚い鉄扉が見える。

 作戦開始前に入手していた地図によれば、そこにヴォルフ隊長を屠った異形の敵機が格納されているはずだった。

(とうとうこんな奥まで来ちまったのかよ……)

 もともと戦艦ジャスティス・コード直下のこの区画を最終目標と定めてはいたが、たどりつけるなどとは微塵も思っていなかった。

 いかにブラッディ・ティアーズと通常戦闘機の戦闘能力に大きな開きがあろうとも、所詮は人が作った戦闘兵器である。防衛部隊を適当に蹴散らしたら、頃合いをみてカーナから操縦権限を取り上げて早々に離脱する腹づもりだったのだ。

(くそっ。あいつのせいで逃げるタイミングを失っちまった……)

 チャンスは幾度かあったのだ。

 だが、特攻部隊隊員たちへの気休めと思っていた来るかどうかも怪しい援軍―――テンザネスの登場とカーナの暴走がドナトの計算を狂わせてしまった。

「こんな死に方……俺は認めねぇぞ」

 二度、三度、高周波ブレードが打ち込まれるたび鉄扉が切り刻まれてゆく。

 デタラメな軌跡によって刻まれてゆく鉄扉が砕き散らされ、ハリケーンが通れるサイズの穴が開くのに時間はかからなかった。

「見つけた……見つけたぞ……」

 機械的なカーナの呟きの遥か先に巨影があった。

「なんだ。ありゃ? 卵……か?」

 ハリケーンに乗ったドナトたちをして巨大と言わしめる全高30メートルにもおよぶ金属製の卵がそこに坐していたのだ。

「あれは……」

 その袂に立つ人影に、ドナトは目を疑った。

「女……それに……子供……? ま、待て! カーナ!!」

 一目でパイロットスーツと判るいでたちの二人だ。場所を鑑みれば敵兵は違いない。だが反射的にドナトはカーナを制止していた。それは兵士としての判断ではなく、思いもよらない女子供の姿への戸惑いが吐かせた言葉だった。

 だが制止も空しく、猛然と飛び出したハリケーンは高周波ブレードを振りかざし、眼前の卵へとそれを叩きつけてゆく。

 衝撃音が空を引き裂いた。

 超高周波振動が大気を振るわせ、激突の衝撃と超高周波振動が産む熱が卵の外郭を接触点からジワジワと溶解させてゆく。凄まじい強度と耐熱性だった。ブラッディ・ティアーズが扱うブレードは、その高いジェネレーター出力も相まって厚さ50cmを越える鋼材すらバターのように切り裂くが、この外郭は材質強度のみならず、その複雑な積層構造によって熱や振動を分散させてしまっているのだろう。

 だが、その抵抗も十数秒ともたずに破られ、赤熱してうがたれた外郭の穴からうっすらと内側が覗き出す。その瞬間、凄まじい衝撃がハリケーンを揺さぶった。機体が後方へ吹き飛ばされ、自動姿勢制御により各部の推進機が細かに断続的な火を噴き放つ。

 急激な慣性にコクピット内のカーナとドナトの身体が毬のように前後し、ヘルメットごしに打ち付けた額と後頭部を衝撃が突きぬける。脳震盪で意識が朦朧とする中で、姿勢を取り戻した機体が着地する振動が重く響いた。

「…あ……れ……わた…し?」

 食い込んだベルトにより左鎖骨が折れたか、ヒビでも入ったのだろう。鈍い痛みと灼熱感に呻くドナトの前席で、カーナが戸惑いの声を上げていた。ヘッドアップディスプレイを見やればFREの感情抑制レベルが通常値に戻っている。脳震盪によって意識の混濁を引き起こしたことで、意識がロック状態を脱したのだろう。

「やっと正気に戻りやがったな。この馬鹿女」

「うっさいハゲ……あれ? え? ドナト? わたし何やって……」

「あとで説明してやるから急げ! 撤退だ!!」

 正気を取り戻し、振り向いたカーナへドナトが叫ぶ。その緊迫した様子から非常事態を察し、慌てて正面に顔を振り戻したカーナはしかし、絶句し動きを止めた。

「あれは……」

 戦慄が凍気となってカーナを凍りつかせてゆく。

 正面モニターに映り込む巨大な卵が割れていた。ヒビ割れたのではない。幾枚もの装甲材で出来た積層の外郭を花開くように展開していたのだ。その中央で巨影がたたずんでいる。無数の懸架機構に全身を拘束された、鮫や鯱を連想させるシルエットが、全身を成す装甲をサファイアのような輝きで青くまたたかせていた。

 だがカーナの視線は、その巨躯を映してはいない。

 大きく見開かれた双眸が映すのは、まるでその怪物を守護せんと立ちふさがる一体のブラッディ・ティアーズだった。

「なんだよ。こいつ……」

 ドナトの声に混じる畏怖が、カーナに震えを喚起させてゆく。ヘッドアップディスプレイが警告音を上げた。高まる恐怖を検知したシステムが、FREの感情抑制レベルを上昇させたのだ。だが、限界近くまで感情抑制レベルが引き上がっているというのに恐怖が治まらない。手の震えが止まらない。

「なんなの? この音は……」

 奇妙な音が空気を震わせている。

 ジェネレーターか、それともエンジンなのか。眼前の機体から、獣の唸り声にも似た拍動音が放たれているのだ。不気味な音だった。身の丈を越す圧倒的な膂力をもった猛獣を前にしたかのような、圧倒的な威圧と恐怖を聞く者に喚起させずにはいられない、そんな底なしの攻撃性を感じさせる音なのだ。

「悪魔……」

 庫内に立ち込めた闇と同化し、おぼろげなシルエットの身を震わせる漆黒の機体が顔面のセンサースリットを黄金色に輝かせた。

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