第二章 異形の幻想機

   一

 偉大な発明は革命に通ずる。

 悠久の歴史の中、多くの偉人たちによって成し遂げられてきた英知と研鑽の成果は、結実とともに幾度もの革命を人類へもたらしてきた。

 最たる物の一つが、武器の発明であったことだろう。

 知と血の継承を宿命づけられた地球生命の中で、全てのモノは例外なく進化を使命としてきた。閉鎖的な環境に息づくことにより退行進化や進化自体を停滞させる種も少なからず存在するが、大多数は種として選択した方向に則った能力―――すなわち“武器”を研ぎ澄ませ、発展させることにより過酷な生存競争を勝ち抜いてきたからなのだろう。

 そうした中で人類が選んだ武器こそが大脳の発達による“知恵”と、肉体の強度と引き換えにエネルギーの消耗を最小限としたことによる“持久力”なのだ。

 原始の狩猟方法が、投石を繰り返しながら延々と獲物を追いかけ続けて弱らせ殺すといったものだったように本来、人間に最も適した戦い方とは直接戦闘ではなく間接的な持久戦なのである。

 だが、人間に起こった一つの革命がその定義を破壊した。

“武器”という概念の発明によって、である。

 勿論、人類が猿であった時代から存在はしていた。足元の石は拾って投げれば反撃を許さぬ一方的なアドバンテージを得られたし、木や石の棒を手にして殴れば拳によるそれの何倍ものダメージが期待できることも知られてはいた。

 しかし“武器”は違う。

 戦うために器物を創造するということ。戦うための器物を上手く扱う術を磨くということ。それは自身の肉体を用いるがため優れるほど応用力に乏しく、威力にも肉体強度という限界がある生物のジレンマから人間を解放する糸口となったのだ。

 牙なき身でありながら、何者よりも硬く鋭い“剣”という名の牙を得た人間は地上から数多くのライバルたちを駆逐し、大地すらも切り開いて得た豊かさによって更に多くの革命を手にしてきた。

 翼なき身でありながら空を、神ならざる身でありながら宇宙へまでも駆け上がった人類。

 だがしかし、その最果てたる木星圏で繰り広げられている戦争において“武器”は、かつての歴史とは異なる異形と化して顕現している。

 空間用人型機動兵器ブラッディ・ティアーズ。

 この戦争の象徴ともいえる兵器の存在こそ、ありうべからざる現実の象徴と言えるのだろう。

 人間の無能を補い、生物としての限界を超えるための手段―――“牙なき者”が“牙ある者”と並ぶための手段であったはずの“武器”が、有史以来、初めてその意味を違えた事の証明そのものなのだから。

 今更語るまでもない。ブラッディ・ティアーズとは、テレパシスト搭乗を前提に開発されたテレパシスト専用の戦闘兵器だ。

 テレパシー能力という地球生命の何者も持つ事がかなわなかった異能者のための兵器なのだから当然、普通の人間には扱えない。“無能を補うため”ではなく“能力を活用するため”に創造された武器であるが故に。

 相容れぬ価値観が故の衝突対立ではなく、未知を手にした者への恐怖によって仕掛けられた戦争に咲いた鮮血の仇花は人類に何をもたらそうとしているのだろうか。

 少なくとも、それは勝利ではあるまい。

 木星圏の勝利―――絶対防衛圏であるCALIBER要塞を死守し、中央と並ぶ新たな生活圏だと認知させ自治権を勝ち取る。国交という形での連絡を不朽とし、全ての木星圏人が青き地球の姿を自身で目撃できる未来を勝ち取る。

 木星圏の為政者たちが声高に語り続ける未来予想図は、冷たい虚空の世界で生きる木星圏の人間たちにとって余りにも甘い夢だ。豊かな資源、安定した食料供給、技術発展により居住性を増しゆくコロニー、それらを得てさえ未だ、我々は遠き故郷のぬくもりに焦がれ続けている。

 まるでそれは母の背から降ろされ、父の手に引かれて歩くことを学び始めた幼子が、尚も父母の抱擁を求めて泣く姿を見ているかのようだ。

 もう戻れないのだ。否、戻ってはいけないのだ。何故、誰もそれがわからないのか。わかろうとしないのか。

 成長し、父母の背を降りた子は自身の足で立ち、先行く義務があるのだ。それが“生きる”ということ、“継ぎゆく”ということ、“未来を切り開く”ということなのだ。

 父母を捨てろと言っているのではない。

 自身の足で立ちゆく力を持ちながら、未だ父母の背へ戻る道を模索するのはあまりにも幼すぎるのではないかと、私は言っているのである。

 この戦争は、まさにそれなのだ。

 自身よりも大きくなった我が子を背負える父母など存在しない。父母より大きくなった子には、老いた父母を支え、未知の世界を切り開く義務がある。成長の過程で様々なことがあるだろう。時には父母を憎み、憎まれる事さえあるかもしれない。だが、それを過去と許し、糧と噛み砕いて人間は成長し進んでゆくもののはずだ。そうやって、遥かな祖先たちは私たちを現在へと送り届けてくれたのだ。

 その最前線たる木星圏にいながら、虚空を棲み処と出来るほどの力を持ちながら、あまつさえテレパシー能力という異能までをも手にしながら何故、後ろを振り返る必要があるのだ。何故、中央と戦争などをしなければならないのだ。

 散ってしまうのだぞ。

 150年もかけ、この木星圏で育んだ命の末裔すえが一つ、また一つと途絶えてしまうのだぞ。

 それは悪ではないのか? 罪ではないのか?

 そんな未来を父祖たちが見たとしたならば、どれほど悲しむことだろう。

 勝利でもなければ敗北などでもないのだ。この戦争の果てに待つものは。

 待つのはただ、罰だ。

 犯した罪に下される因果の結末なのだ。

 あなたたちは本当にそれで良いのか?

 本当にそれが正義だと信じているというのか?

 そんなもの私は―――



   *   *   *   *   *



「またこんなものを聞いて! この間みたいに思想犯と疑われて独房に入れられても知らないからね」

 憤慨した声音と同時に後ろからヘッドフォンが抜き取られた。

 携帯オーディオのノイズキャンセラー機能による静寂が破られ、重々しい機械音混じりの騒音が痛いほどに耳朶を叩く。その痛みと音量に耳がなじむまでの数秒を、眉間を軽くつまんでこらえた青年が煩わしげに顔を上げた。

 精悍な顔つきの青年だ。

 細身ではあるものの、しなやかに鍛え込まれた五体と褐色の肌、ブラウンの髪と瞳、砂漠を居としていた祖先の血を色濃く残す彫りの深い顔立ちをしている。大人びた容貌だが、その顔に浮かべた表情は若く、見た目とは裏腹に直情的な青年の性格を如実にあらわしていた。

「休憩時間をどう過ごそうが俺の勝手だ。いつもいつも貴重な思索の時間を邪魔しやがって。俺は、おまえと違って考えてんだよ。色々とな」

 毒づき、振り返ったパイロットスーツの襟元にはデジタル式の徽章が取り付けられている。木星軍のマークとともに所属と階級を表示するそれは、刻印や縫い込みではない。シート型の液晶が、青年の持つ携帯端末からのデータを読み取って表示しているのだ。

「なにが色々よ。軍人なら、どうやって敵を倒すかどうかを考えなさいよ」

 青年の視線の先で腕組みするのは、スレンダーな一人の女性士官だ。青年と同様のパイロットスーツ姿だが、こちらは隙なく襟元までファスナーが閉じられている。

 灰色のパイロット用スーツは操縦性を優先したデザインのため、最低限の気密機能とエアコンディショナーを備えただけの簡素なものだ。エアタンクを初めとした背部コンテナは外され、艦内用の簡易セルが取りつけられている。基本的にパイロットは搭乗機体とセットで単位計算されているため、簡易セルのエア容量は2時間程度のものだ。機体に搭乗した際には、シート背もたれのコネクションを通じて生命維持がはかられるシステムとなっている。

「この馬鹿ちん」

 たおやかな指先を持つ右手が伸ばされ、青年の額を人差し指で軽くこづく。

 勝気を絵にかいたような生気あふれる女性だった。不機嫌さを隠そうともせずに柳眉を逆立て、ともすれば愛らしさにも変わるつぶらな眼差しを青年に向けてきている。ヘルメットを被る際に邪魔となるからだろう。肩口の長さで切りそろえられた金髪は無造作に輪ゴムで束ねられ、銀の髪留めが留まる少し伸び気味の前髪が無重力の中で小さく揺れていた。

「さっきだって、そうやってボケーっとしているから撃ち漏らすんじゃない。今回の戦いは、ドカト教官の弔い合戦でもあるんだからね。しっかりしなさいよ」

「別に外してなんかいねぇよ。俺たちが担当した目標施設は全部破壊しているんだ。単におまえが色気を出しただけの話だろう。そんな無駄弾、撃っていられるか」

 白皙の美貌に浮かぶ青い瞳が、同様に不機嫌顔の青年を映している。

 磨き込まれた宝玉のような瞳だなと、場違いな感想を思い浮かべながら青年は女性の手からヘッドフォンをひったくった。

「おかげで俺までいい迷惑だ。おまえこそ命令は忠実に遂行しろよ。基地施設のインフラ破壊と時間稼ぎが俺たちの任務じゃないのかよ。余計な色気で艦艇にまで手を出しやがって。隊長のフォローと指揮がなかったら、揃って撃墜されるところだったんだぞ?」

 ドナト・アルバ。それが青年の名だ。

「うっさいわね。口答えせずにアンタがさっさと撃ってさえいれば、反撃なんてさせる間もなく倒せていたわよ」

 カーナ・ハモニー。それが女性の名であった。

「ふざけんな。副座機の相方が暴走癖とか本気で勘弁しろよ。おまえが死ぬのは勝手だが、俺を巻き込むんじゃねぇ」

「なによ! 地獄まで相乗りしてくれるのが相棒ってヤツじゃないの!?」

「重ねて、ふざけんな。ってか、地獄落ち前提かよ!?」

「なによなによ! あんたが天国なんかに行けるはずないでしょ!?」

「少なくとも、おまえよりは天国に近い場所に行けるだろうよ」

「男らしくないわね! 男なら、か弱い女性のために死ぬのが本望ってもんでしょ! 何が不満なのよ!!」

「益々、ふざけんな。全宇宙の、か弱い女性たちに謝れや!」

「なんですって~!!」

 睨む合う二人が居るのは、一辺5メートルの壁で囲まれた立方体の部屋内だ。

 色調によるストレス軽減効果が図られているのだろう。壁は全て薄い紫色で塗られ、二人が居る壁面に備え付けられたソファやテーブルはグリーンで統一されている。四方の壁と頭上の壁には2メートル四方の扉が据え付けられており、開閉パネルの“Close”表示を明滅させていた。

 明りは部屋の角に据え付けられた柱状の照明器具から発せられており、オレンジがかった白の暖色光で屋内を照らし上げている。

「いいかげんにしないか。二人とも」

 壁面の扉の一つが滑るような駆動音とともに開いた。

 その奥から現れたのは、ガッシリとした肉厚な巨躯にパイロットスーツをまとった男だ。大小の皺と傷にまみれた壮年の男だが、その体運びにはいささかの衰えも感じさせない。脱ぎ外したヘルメットをソファへ放り、白髪混じりの頭をかきながら二人の傍へと降り立つ。

「寄ると触ると喧嘩しやがって。幼稚園児か。おまえらは」

 白髪混じりの頭をガリガリと掻きながら、心底呆れた様子でため息をつく。

「もうすぐ作戦時間だ。少しは頭も冷えたかと思えば、まったく……こんな状況でなかったら営倉にでも放り込んでいるところだ。この問題児どもめ」

 部下二人の頭をワシ掴み、見た目そのままの圧倒的な握力で締めあげてゆく。

「あだだだ! ストップ! ストップ! たいちょぉぉぉぉぉ!!!!」

「痛い! 痛いってば! 痛いって言ってんでしょ! このゴリラ野郎!!」

 叫ぶ二人の頭がぶつけ合わされ、痛みと脳震盪で目を回した二人がよろめいた。頭を抑えてうずくまった二人を睨みつけながら隊長―――ヴォルフ・ヴァルカンは眼下で仲良く並んだ二つの頭を軽くはたく。

「馬鹿どもが。少しは命令遵守という言葉を覚えろ。なんのためのツーマンセルだ。貴重な複座機は、おまえたちを心中させるためのものではないのだぞ」

 涙目で睨み合う二人に嘆息し、ヴォルフは踵を返した。

 スーツの襟元や袖口を緩めながらソファへと歩み寄り、無重力の宙で漂うヘルメットへ手を伸ばす。

「再襲撃は6時間後だ。ハモニー少尉はジェイク少尉と見張りを交代。アルバ少尉は機体の再チェックをしておけ。手を抜くなよ。次に艦と合流するまでは無補給なんだ。わずかな燃料漏れ、調整ずれが命取りになる」

「了解! ほら、行くぞ」

 背中越しの命令に敬礼を返し、ドナトはうずくまったままのカーナに右手を差し出した。

「わかったわよ。整備、手ぇ抜くんじゃないわよ」

「おまえこそ。石ころ一つ見逃すんじゃねぇぞ」

 小声で憎まれ口をたたき合い、軽く拳を打ち合わせる。正面で小突き合った後に手のひら、手の甲を打ち合わせ、最後に握り合う。近年の新兵間で流行っている別れ際のタッチジェスチャーだ。

 床を蹴ったカーナが天井の扉の奥へ消えていく気配を背中で感じながら、ドナトは右手の壁にある扉の開閉パネルへ手を伸ばした。開閉パネルの“OPEN”表示が点滅し、小さな風鳴りが扉から響く。気圧調整機構によって、扉が隔てる先と室内の気圧調整と確認が取られているのだ。5秒ほどで気圧確認が終わると扉が開き、わずかな気圧差による微風がドナトへ吹きつける。

「さて、と」

 扉の向こう側に現れたのは、蛇腹状の耐真空素材と軽金属で作られた伸縮式チューブの回廊だった。

 全長5メートル程度の長さの突き当りには、開け放たれた観音開きの金属パネルが見える。その開口の奥からは縦並び二連装のコクピットシートがせり出していた。

「あんな馬鹿女とコンビとか、本当に勘弁して欲しいぜ」

 毒づきながら、背後で閉まった扉を軽く蹴り込む。蹴りだしの反力によって無重力の宙をまっすぐに泳ぎ進み、コクピットシートへ達する直前で足元をもう一蹴りして身を翻す。

 慣れた調子で反転した背中がコクピットシートに受け止められた。

 パイロットスーツの背中の接続口とシートのコネクターが接続され、パイロット認証と同時に読み込んだ身体情報によってシートがわずかに伸縮する。そうしてシートサイズの最適化が完了すると、シート右脇で小さなパネルが点滅を始めた。

 指先がパネルを軽く叩いたのと同時にパイロットシートが後方へ引き込まれてゆく。そうして最奥まで到達し、シート駆動部のロック機構が作動すると、眼前のパネルがゆっくりと閉じ始めた。

 一瞬だけ落ちた闇が、青い光で払われる。

 パイロットシートを中心として球状に設けられた外部カメラのディスプレイが起動したのだ。全周囲ではない。シートを中心として270°ほどの扇型に設けられた広視野の外部情報ディスプレイだ。後方やシート下などの死角に関しては、任意に設定した小画面ウィンドゥで表示される。小画面ウィンドゥはヘルメットを通じて接続された思考操縦補助システム―――“S-LINK”と連動しており、常にパイロットにとって視界の両端となる位置へ表示が移動する仕組みだ。勿論、視線入力によって画面の拡大や情報表示なども可能となっている。

「さぁ、準備体操だ。相棒。痛いところがあったら言ってくれよ」

 股下と両脇からパイロットを囲い込むようにしてせり出し、ドナトの眼前で組み合って機体の集中制御システム―――ヘッドアップディスプレイが形成されてゆく。同時に右脇では操縦桿が、左脇の手元からはキーコード入力用の簡易キーボードである“ファンクションボード”が飛び出して、それぞれの機能をアクティブに切り替えていった。

 左で指先がひらめく。ファンクションボードによって実行された機体の自己診断プログラムの進捗状況が表示されたヘッドアップディスプレイを見つめながら、ドナトは右へこうべを巡らせた。

 その所作に追従して画面の中で緑色の照準が右へ流れる。

 操縦者の視線を忠実に捉え、注視した先の物体情報や相対距離を自動計算するシステムが、その先にあるモノを捉える。

「追従誤差、反応速度ともに問題なし」

 ディスプレイに映るのは、五角錐形の艦艇に係留された一機の人型機動兵器―――ブラッディ・ティアーズの姿だった。

 近接する艦艇の一面各所からは、展開した装甲の下から伸びた機械アームが飛び出し、機体の両脚と胸部をくわえ込んで固定している。その胸部にあるコクピットハッチへは、先ほどドナトが通ってきたものと同じ伸縮式の接続ポートが伸びており、先端の展開式機構がコクピット周辺へ覆い被さっていた。

「綺麗なもんだ。シールドにすら被弾跡の一つも無いとか……腕の差ってより、運の差かね」

 相対距離とともに表示されるデータには、敵味方識別システムIFFにより味方判定を受けた僚機であること。部隊内コードは“レイヴン-Ⅰ”―――すなわち隊長であるヴォルフの乗機であることが知れる。

 木星軍特型ブラッディ・ティアーズ“ハリケーン”。人的資源に乏しい木星軍が、単機での戦闘能力と帰還率向上を目的に試作した複座仕様機だ。機体操作と索敵および火器管制を分担することにより、通常機を凌駕する戦闘能力と戦闘継続時間を誇る。

 パーツの基本構成は通常機と大差ないものの、試作機に相応しい異形とも言える外観の機体だ。

 機体シルエットが人体に近いほどテレパシー能力発現効率が良くなるというテレパシストの特徴を踏まえ、人体に準拠したサイズ比の四肢を持つ通常機とは大きく異なる。

 全高12メートルと、ブラッディ・ティアーズの平均全高15メートルよりも低く設計されているものの、胴体の全長は7メートルとむしろ大きい。また、複座のため胸部の前後長が長くとられており、索敵能力を上げるため大型の哨戒機構を搭載された頭部も同様だ。後頭部の展開式レドームによって大きく肥大し、視野拡大のため側頭部から顔面部へ施された頭部装甲のスリット幅は広く、センサーやカメラアイの感度向上を優先した設計となっていた。隠密行動のため施されたダークグレーの塗装と前後長の大きい見た目は、“渡りカラスレイヴン”というコードの由来ともなっている。

「奇襲の第一陣は成功。あと一撃くらわせたら、後退して後続の部隊へバトンタッチ……か」

 小さな振動がコクピットを揺るがせる。

 自己診断プログラムによって機体各部の駆動部が一箇所ずつ微動させられ、動作による応答から故障状態を確認しているのだ。

「死にたくねぇ……な」

 陰鬱な呟きとともに、ヘッドアップディスプレイのステータスパネルに映る乗機のシルエットへ目を落とす。隊長機と同形同型のシルエット表示にエラーの色は見当たらない。その様子に安堵しながら再び隊長機へと目を戻した。

 何度見ても薄気味悪いデザインの機体だ。初めて機体を目の当たりにした際と変わらない感想が胸裏をよぎる。機体の異形は複座機構による胴体部の肥大だけではなかった。

 人間のそれを模した精巧な右腕は、肩から上腕までが胴回りに近いほど太く、肘から下には二つの下腕がぶら下がっている。

 左腕は通常の多関節式ではあるものの、装備された盾は多重の複合装甲で覆われていた。パイロットの負荷を軽減し、戦闘可能時間を少しでも延ばすための措置だ。SSTシールドは、パイロットの脳波を空間破砕振として表面に展開することで絶対の防壁を作り出す。だが絶大な防御力を持つ反面、被弾による力場への干渉はパイロットの脳へ多大な負荷をもかけるのだ。

 小型ミサイルの一つや二つ被弾した程度ではどうということもないが、艦砲や数十発単位での被弾蓄積は、無視できないダメージともなる。事実、過大な脳への負荷により廃人や障害を負うこととなったパイロットの事例は枚挙にいとまが無いのだ。

「こっちはシールドの複合装甲4割喪失、本体に損傷軽微な被弾が3箇所か。当たり所だらけなブラッディ・ティアーズで3発も被弾していながら、かすり傷で済んだっていうのは運がいいのか悪いのか」

 自己診断プログラムによる機体チェックで特にエラーは出ていない。機体係留後に外から一通りの目視確認をして回った限りでは、右肩と両脚の装甲表面を軽く削られた小傷しか見当たらなかった。

「脚部駆動系で警告イエロー?」

 ヘッドアップディスプレイからビープ音が上がった。

 警告内容は、脚部のチェックで機体の姿勢制御を担うオートバランサーにわずかな精度低下がみられるとのことだった。

「被弾でシールドの装甲をゴッソリ削られた影響か? 姿勢制御のオーバーシュートが少し大きいな。オーケイ。自動キャリブレーション実行許可、と」

 ファンクショントリガーによるコード入力で実行されたプログラムがヘッドアップディスプレイ上で展開してゆく。同時にステータスパネルの機体画像が切り替わった。ワイヤーフレームで描かれた簡易的な機体の画像が、正面からの二次元的なものから奥ゆきのある三次元的なものへと変化したのだ。

 ファンクショントリガーを操作して絵図を調整し、脚部を俯瞰した拡大画像へと設定する。

 シート下から伝わる緩やかな振動と同期して、絵図の脚部がゆっくりと動作を始めていた。鳥のそれを模したかのような鉤爪の足先を持つ脚部が変形してゆく。まっすぐな人型であったシルエットが崩れ、文字通りの鳥類を思わせる逆関節の膝を持つ脚部へと変形したのだ。

 奇異な構造だ。構造上、大重量を支えるのには向かない逆関節構造を補強するためなのだろう。 脚の付け根からは、ブレード状ガイドレールが足先を貫いて伸びており、脚部が描く“く”の字に縦を加えた三角形を形成しているのだ。機構部との噛み合わせのためガイドレールが備えるノコギリのような歯も相まって、さながら糸鋸を彷彿とさせる脚部だった。

 同時に機体の背部で可動式推進器―――アクティブスラスターが脚部姿勢制御機構とのバランス取り調整のため展開してゆく。

 可動肢を備え、推力噴射方向を能動的に変化させることで効率的かつ高水準の宙間機動を可能とさせるブラッディ・ティアーズの生命線だ。推進機能の80%を担うに相応しい大型の背部推進器形状と性能は、そのブラッディ・ティアーズの全てを物語るといっても過言ではない。

 ハリケーンは複座機であるのと同時に目標基地への強襲を目的として建造された機体である。ステルス戦闘機における強襲とは、敵に捕捉される前に接敵し、致命の一撃を放っての急速離脱―――文字通りの一撃離脱を指す。

 失敗は許されぬ国運を背負った強襲だ。求められる極限の加速力と旋回力を実現するため、ハリケーンには最新型の試作技術が惜しみなく投入されている。

「アクティブ・スラスター“ティエン”。展開完了。各部オートバランサーとの同期再設定開始」

 背部に折りたたまれていた多関節式の可動肢を備えた二基の推進機構が展開してゆく。

 ブロック型の可動肢を間に挟みながら歪な平板型の噴射口4基を並列接続したスラスターユニットたちだ。左右へ大きく広がる幅広のそれは、まるでコウモリの皮膜にも見まがう有機的なシルエットを形成している。

「やっぱ、どうみても悪者側のデザインだよな。これ。天使の翼にしろとまでは言わんけど、もうちょっと頑張れなかったもんかね。今頃、中央の奴らに“木星軍のコウモリ”とか呼ばれているのが容易に想像つくんだが……」

 本体の異形とも相まって、ハリケーンのデザインは実に悪魔的だ。

 アクティブスラスターと脚部の逆関節機構を展開した姿は、異形のコウモリ―――否、コウモリの異様を備えた悪魔といった様相なのだ。初めてこの機体を目の当たりにした際に、カーナが漏らした“化物”という感想にはドナトも同意する。

 敵への威圧を目的として故意にそうしたのかと問うてもみたのだが、開発者たちにその意図はなかったようだ。単純に複座という特性に合わせて抜本的な再設計をするついでに、開発関係者たちがそれぞれのアイデアを競って盛り込んだ結果との回答だった。

「性能は折り紙つきだし、多機能なのは認めるけれど、なんか乗り心地悪いんだよな。こいつ」

 長時間の作戦行動を前提にしているため、CALIBER要塞に配備されている通常の機体とは比べ物にならないコクピットの広さと居住性を与えられているものの、奇妙な居心地の悪さをドナトは覚えずにいられない。

 通常機へ搭乗している際に感じる機体との一体感がハリケーンには希薄なのだ。それが人体とかけ離れたシルエットを持つからなのか。はたまた複座という自分以外の乗り手が同乗するためなのかまではドナトにはわからない。

「頼むから、地獄なのは顔だけにしといてくれよ。まだ俺は、読み残した本も、やり残した事も数え切れないくらいあるんだからさ」

 地獄からの使者。死を告げる凶鳥。乗機に重なる不吉な予感を振り払いながら、呟く手元で自動調整完了を告げるビープ音が一つ、上がるのだった。




   二

「正式なコードは後日裁定されるが、当面はこの敵機を“イビルバット”のコードネームで呼称する」

 指揮棒を振るうライトニングの言葉に、居合わせた仕官たちの間を緊張が走る。

「16時間前の襲撃による被害は、一部の艦艇を除いて全て基地のインフラ施設だ。このことから敵の目的は時間稼ぎにあると思われる」

 手狭なブリーフィングルームに集められたのはワン・ハンズ小惑星基地の防衛任務についている機動部隊の仕官たちだ。実働中の8小隊を除いた12小隊それぞれの隊を預かる隊長と副隊長、総勢24名にライトニング部下13名を加えた総勢37名にもなる大人数である。

「一つは、CALIBER要塞攻略作戦の実行遅延による敵側の防衛体制強化。もう一つは長期化によって補給線を疲弊させ、我々を駐留限界へ追い込むことだと思われる」

 背部の大型モニターに表示させた資料写真には、前回の襲撃の折に基地の防衛システムが捉えた敵機の静止映像が表示されている。

 禍々しい姿だ。

 圧倒的な運動性能と攻撃力で、またたくまに基地を蹂躙していった敵機への畏怖からだろう。基地内では敵機を本物の悪魔なのだと思い込み、木星圏は悪魔の巣窟と化しているに違いないなどと吹聴して回る者さえ出始めているという。

「本基地の索敵システムによる周囲半径50Km圏内に不審な艦艇や熱源は発見されていない。また、襲撃直前に基地の防宙圏をかすめるようにして侵入し、敵機を放った敵艦が索敵圏外へ急速離脱していったことも確認されている。このことから、敵は小隊規模の少数で近傍にひそみ、再襲撃の機会をうかがっているものと思われる」

 大型モニターの画面が切り替わり、敵機の侵入航路と襲撃ポイント、撤退コースから割り出した襲撃部隊の潜伏エリアだ。

「人海戦術で推定エリアを捜索する手もあるが、それは敵も織り込み済みだろう。この距離で索敵システムを振り切るほどのステルス性能機だ。下手に出て行けば、各個撃破の憂き目を見るだけの結果ともなりかねん。機体性能もさることながら、あの鮮やかな手並みは間違いなくエース級のパイロットたちで構成された精鋭部隊だ。たった5機とはいえ油断するなよ」

 重い沈黙が場を支配する。

 3年をかけた基地の建造期間中、木星軍は厳重な警戒態勢で備えていたが一度として襲撃どころか索敵圏内に哨戒機の一つ現れることは無かったのだ。だから基地の人間は皆、基地への襲撃は無いと思い込んでいる部分があったのだろう。

 基地の司令部からも、CALIBER要塞攻略作戦へ基地の防衛部隊の半数以上を参加させる指令さえ出ていたのだ。

 だがその油断は最悪のタイミングで牙を向き、泡を食った司令部は未だ右往左往している。

「今は待ちの一手だ。数時間……だが最長でも40時間以内には再襲撃があるだろう。そこを迎え撃つ」

 立ち込めた沈黙をライトニングの一言が破った。

「何故そんなことが? 敵の目的が時間稼ぎなら可能な限り襲撃を控えて、痺れを切らせた我々が出港準備に入る時を狙うのでは?」

「それは無い」

 居並ぶ仕官の一人があげる疑問の声を切り捨て、ライトニングは大型モニターの画面を指揮棒で軽く叩いた。

 画面が切り替わり、表示されたのは過去の戦闘で鹵獲した敵機の解析データだ。

「ここが地球だったのならば、その可能性もあるだろう。だが、ここは真空の宇宙だ。艦艇ならばともかく、悪燃費な戦闘機単体で補給も無いまま持久戦が出来るとは思えん。勿論、補給ユニットの数機くらいは同伴してきているだろうが、基地の索敵に引っかからないところをみるに相当な小型―――使い捨てユニットが数機といったところだろう。そんなもので5機もの機体への補給など1度で精一杯だろうよ。それでなくとも戦闘による損耗は過酷だ。常に限界以上の酷使を要求される機体も、勿論パイロットも、そんな状況に長く耐えられるものではない。奴らも肉体的には“人間”である以上は、な」

 画像解析で得られたデータから、積載可能な燃料タンクおよび酸素供給システムのサイズが予想され、そこから割り出した稼働時間や航続距離などのおおよそが大型モニターへ羅列されてゆく。

「特に酸素は深刻な問題だろう。ここ10年、空気循環システムの性能が飛躍的に上がったおかげで機体の稼動時間も大幅に伸びてはいる。とはいえ、戦闘機単体ではせいぜい三日がいいところだろう。実戦での酸素消費量は平時の2~3倍に増えるという統計からすれば、おのずと敵の来襲時期も読めてくる」

 各種データに、記録にある敵機の被弾および射撃による弾丸消費をはじめとした損耗度合いが加味され、補給とパイロットの回復に要する予測期間が足し引きされてゆく。

「以上のデータと敵の目的に照らし合わせ、再襲撃は現在時刻より30~40時間後と予測される。肝心な攻撃目標だが、艦艇の発着ポートからほぼ基地の真裏となるため警備が手薄になりがちな第三発電施設と、その近傍に位置する第一浄水施設、穀物栽培プラント、この三箇所とみてほぼ間違いないだろう。それぞれに戦力を編成し、襲撃に備える形となる。だが相手はイビルバットだ。あえて言うが、貴官ら防衛隊の戦闘機では束になっても勝負にさえならない」

 断言に、居並ぶ士官たちからどよめきが上がり、反発の視線がライトニングへ集中してゆく。

「故に、イビルバットの対応は我ら特務隊のブラッディ・ティアーズに任せてもらう。貴官ら守備隊は、可能な限り通常通りの警備を継続して欲しい。だが勘違いするなよ。これは何もするなと言っているのではない。敵側の油断を誘い、行き当たりで攻撃目標の予定を変更されないためには、貴官ら守備隊の定常が必要不可欠なのだというだけの話にすぎない。いわば適材適所というやつだ。要塞攻略作戦も控えている以上、あんなコウモリどものために、いちいち貴重な戦力を費やしてはおれん。新参の我々に対して思うところもあるだろうが、露払いは我々に任せて欲しい」

 作戦概要の説明を終え、数歩を引いたライトニングと入れ替わりにローレルが進み出る。大型モニターを使い、事務的な口調で各員の配置と警備のシフトなどといった実務についての質疑応答を重ねる副官をよそに、ライトニングは胸中で密かな思索を重ねていた。

(差配はこんなものか。あとは、あちらの指揮官が無能者でないことを祈るばかりだが)

「迎撃作戦の配置開始時刻は16時間後、完了目標は誤差を見込んで24時間後とします。各自、端末へ指示した巡回経路とタイムスケジュールを遵守してください。敵の襲撃までには充分な時間があると思われますが―――」



   *   *   *   *   *



「―――と、考えてくれる凡庸な指揮官ならば、こちらとしてもありがたいのだがな」

 ブラッディ・ティアーズのコクピットに身を納め、ヴォルフ・ヴァルカンは不敵に口端を吊り上げた。

 ヴォルフたちが居るのはワン・ハンズ基地の近傍を漂う直径20メートル程度の岩塊だ。元々は更に離れた位置にあった岩塊であったが、それを基地に向けて押し出し、裏に機体を張り付かせることにより慣性でここまで辿り着いたのだ。

 鳥の鉤爪を思わせる足先のランディングギアで岸壁にしがみついた後は動力を落とし、内蔵バッテリーのみとすることで熱感知を初めとした基地のセンサー網を擦り抜けている。

 機体の外部カメラを通して映し出された正面ディスプレイには、小型のスパイロボットを飛ばして得たワン・ハンズ基地の姿が、重ねて開いた小画面に映し出されている。

 基地までの直線距離はたったの50km。音速を優に超えるブラッディ・ティアーズであれば数秒の距離だ。

 ハリケーンの後頭部が展開している。

 索敵のために備えた円盤型の小型レドームをポップアップさせているのだ。敵に探知される恐れがあるためレーダーは使用できないが、その下部に備えた光学走査システムのカメラが、基地の各所へ向けてレンズ機構を前後させている。

「どうだ? アンナ」

 警戒のため周囲のディスプレイに目を走らせながら、後席へ問いかける。従来の戦闘機と同様にハリケーンもまた前席が機体操縦全般、後席が火器管制や索敵といった役割分担になっている。

「熱源分布がだいぶ裏側に偏りだしているわね。あたしたちの期待通り、頭はいいが凡庸な指揮官ってことならラッキーなのだけれど」

 忙しくキーボードを操作しながら答えるのは壮年の女性士官だ。名はアンナ・ヴァルカン―――ヴォルフの連れ合いにして10年以上の長きに渡って彼が背中を預けてきた戦友でもある。ヘルメットを脱ぎ外し、ソバージュかかったセミロングの髪が無重力の宙で揺れていた。

「防衛部隊の配置はどうだ?」

 問いかけに、豹を思わせる引き締まった顔立ちの瞳が画面の情報を俯瞰する。

「ここ3時間で監視した範囲だと巡回コースは変わっていないわ。巡回間隔や編隊の増員も無し。あたしたちの襲撃目標を基地のインフラ施設と読んではいるけれど、他所や艦艇への警戒も怠っていない―――いや、怠るわけにはいかない、かな。堅実な配置だと思う。数と地の利を生かした教科書通りの配置って感じ。でも何かね。うまく言えないけれど、妙な胸騒ぎを感じるのよ。ヴォルフはどう思う?」

 猫のような眼差しを向けてくるアンナに首肯し、ヴォルフはアンナから送られてきた調査データに目を走らせた。

「俺も同感だ。予期せぬ奇襲を受けた直後にしては混乱が少なすぎる。ほぼ全ての艦艇が出港準備体勢を維持したままというのも不可解だ。艦載機を出すどころか、独断で発着ポートを展開している艦艇の一つも無い。この無警戒ぶり……徹底した命令系統があるな。相当に信頼されているか、権力のある指揮官の差配とみて間違いないだろう。恐らく基地施設への部隊配置はフェイクだ。我々の狙いを読み、あえて誘い出そうとする意図を感じる」

「気持ち悪いわねぇ。正面きってこない奴は男も女も、あたしは嫌いだよ」

 声音から容易に想像がつくアンナの渋面に苦笑し、ヴォルフは敵基地の画像へと目を戻す。

「姿が見えない敵への対応としては常套手段ではあるさ。ボクシングで言うところのノーガード戦法という奴だ。どうやら敵は、自信家のカウンターパンチャーらしい。人海戦術で我々をあぶり出しに出てくるか、全艦の出港準備をキャンセルして総員の警戒配置を敷いてくれるような無能者を期待していたのだが。やはり、そう甘くはないか」

 言葉とは裏腹に愉快げなヴォルフの声音を察したアンナの口元がほころぶ。

「楽しそうね。手ごわい敵を見つけたときのあなたは本当に楽しそう」

「楽しいさ。文字通りの命がけで自身の全てを使い切る快感は、俺たち兵士の特権だ」

「変態ね」

「褒め言葉と受け取っておくよ。愛しき同類」

 せわしなく手元を動かしながら軽口をたたき合い、笑い合う。

 戦地で出会い、戦場を居と定めた夫婦の日常に強敵は極上のスパイスだ。

「どうする? ギリギリまで粘ってこっそり撤退がセオリーだと思うけれど」

「いや、ここはあえて攻める」

 あからさまとも言える待ち伏せを前に、時間稼ぎという目的にも合致する提案を、しかしヴォルフは却下した。

「これがポーカーなら降りることも一つの選択だがな。嫌な予感がする。ここで敵の手の内を見逃せば、木星軍にとって致命的な事態へつながる気がしてならない。何かが潜んでいる。そう俺の勘が―――絶対に引くな。引けば負けるぞ、と警鐘を鳴らしているんだ」

「あなたのそんな顔、久しぶりに見るわ。彼と―――ドカト中尉とエース争いをしていた頃みたい」

 ディスプレイに映る夫の顔に笑いかけ、アンナは宙を仰いだ。遠い眼差しが映すのは、過去の情景か、追憶の残滓か。

「クロモか。あの馬鹿。最も安全なはずの後方基地で命を落とすとは、運が無いにもほどがある」

「ポーカーの戦績も、勝ち逃げされちゃったわね」

「ふん。決着が先延ばしになっただけだ。いずれ必ず勝ち越してやるさ。あの世でな。老後ならぬ死後の楽しみというやつだ」

「なにそれ」

「笑うなよ。男はな。どんな勝負も最後に自分が一発いれて終わらなければ気が済まない生き物なんだよ」

 含み笑いをもらすアンナに肩をすくめてヴァルカンは通信システムを起動させた。無線による通信ではない。機体同士をつなぐ通信ケーブルによる有線通信だ。

「ショータイムだ。各機。作戦プランは“C”。バックアップは“レイヴンーⅤ”に任せる。手ぬかるなよ」

 ヴォルフが乗る部隊内コード“レイヴン-Ⅰ”機の右側に2機、左側に3機並んだ機体の中で、左端の機体―――部隊内コード“レイヴン-Ⅴ”に搭乗しているカーナから通信が入った。応答すると、ヘルメットのスモークバイザーごしでもそうとわかる紅潮した顔が怒気を放っている。

「隊長! なんで私たちが援護なんですか!? 私たちの機体はまだまだやれます」

「お、おい。カーナ。よせって!」

「うっさい! 腰抜け!!」

 ドナトの制止も怒り心頭のカーナには通じない。

「隊長。私も行かせてください。私は戦って、一人でも多くの―――」

「黙れ。この阿呆が」

 静かな恫喝がカーナの声を断ち割った。

「そもそも、おまえのような問題児が何故この作戦に回されたのか。その理由を少しは考えろ」

 有無を言わさぬ声音だった。

 決して大きくも荒くも無い声音だが、どんな騒音や雑音にも遮られることなく突き通る槍のような声音だ。後部座席のアンナが溜息をつく。この声音はヴォルフが心底から怒りを抱いた相手だけに放つ激情のサインだったからだ。

「二度とは言わん。作戦プランは“C”。“レイヴンーV”はバックアップだ。いいな?」

 ヘルメットのバイザーを跳ね上げ、睨みあげたヴォルフの視線が怒気を放つ。その先では、通信カメラを通してヴォルフの眼光にあてられたカーナが息を呑んでいた。

「返答はどうした?」

「りょ、了解……」

 色をなくしたカーナをかばうようにドナトが返信する。ヴォルフの怒気に冷や汗を流し、かすれた声音で返したドナトも真っ青だった。

「最終確認だ。発進後、俺と“レイヴン-2”、“3”“4”は四方位から別々のアプローチで敵基地へ突入、敵の旗艦へ手持ちの対艦ミサイル全てを叩き込むのと同時に戦域を離脱する。“レイヴンーⅤ”は撤退コース合流ポイントにて待機。戦闘状況の記録と、撤退の援護だ。作戦開始時刻は1時間後の宇宙時間0800。各機、機体の時計を俺と同期させた後、速やかに指定のポイントへ移動しろ。敵に見つかるなよ」

 指示を出しながら、通信ケーブルを介して各機へ突入コースと合流ポイントを示したデータを送信する。アンナの現状解析にヴォルフの見解を足して導き出したものだ。

 1機、また1機と、僚機たちが小惑星を離れてゆく。推進器の噴射は最小限に抑え、浮遊する小惑星の影を縫うようにして遠ざかる四つの機影たちはまたたくまに彼方へと消えていった。

「……死なせたくはないものね」

 僚機が溶け込んだ虚空を見つめ、アンナがポツリと呟いた。

「あの様子だと気づいていないみたいよね。自分たちが捨て駒にされたんだってことに。送り込んだ捨て駒たちに敵戦力をあぶりださせ、戦域外に控えた斥侯部隊に敵機のデータを収集させる。ひどい作戦よね。そのために、扱いづらい問題児や私たちみたいなロートルを……」

「ふん。気づいていないのは、あの阿呆だけだ。良くも悪くも他のジジイども全員は腹をくくっている。どのみち前哨戦は必要だしな。最終防衛ラインそのものである要塞に接近されるまで、敵の実態が不明なままでは話にならん」

「最新鋭機と一番槍。ああいう子が真っ先に飛びつきそうなエサですものね」

「だからこその配置だ。ああいう阿呆は言ってもわからんクセに、体感して覚えた途端、大きく化ける事が往々にしてある。守らねばなるまいよ。可能性ある若い芽は、な」

「そうね。それにあの子は、彼の生徒でもあったのだもの。そんな子が私たちのところへ流れ着いたのも、きっと縁があったのだと思うわ」

「死後の楽しみが増えたな。あれをあんな阿呆のまま戦地へ送り出したクロモの奴には、高級酒のボトルぐらいは奢らせなければ気がすまん」

「そのときはあたしも御相伴にあずかるわ。そのときにはきっと、お店で一番高い酒を奢らせてやりましょう」

「当然だ。あの生真面目な堅物野郎に豪遊と散財という言葉の意味を実践で教えてやろう」

 笑い合う二人の手元で小さなアラーム音が鳴る。ヘッドアップディスプレイに表示させた作戦開始時間までの残り時間が5分を割ったのだ。

「そろそろか。サポートは任せたぞ。アンナ」

「ええ。ヴォルフはいつもの通り、前だけを見ていて。背中の心配は無用よ」

 変わらない相棒に微笑みかけ、ヴォルフは開けていたヘルメットのバイザーを下ろした。




   三

 FRE。“感情抑制器Feeling Restraint Equipment”の略称である。

 テレパシー能力を軍事利用するために開発されたテレパシストの情動を抑制するためのシステムだ。

 テレパシストを搭載したブラッディ・ティアーズという兵器が持つ最大の特性―――それは周囲に点在する人間の思考をテレパシー能力で捕捉することにある。それにより勘や経験、予測によるそれを遥かに上回る精度での空間認識および立体的かつ全周囲での知覚領域の構築を可能とせしめているのだ。

 だが、それには重大な欠点があった。

 それは、テレパシストが“感情を持つ人間である”という点だ。

 テレパシーで他者の思惟を感じ取るまではいい。だが、その敵意や殺意、果ては撃墜の瞬間に放たれる死への恐怖や憎悪といった負の感情は、テレパシストにとって自我や脳へ深刻なダメージを与えかねない恐るべき負荷でもあったのだ。

 ブラッディ・ティアーズの優位性を維持しながら、襲い来る負の思惟へ抗うために開発されたシステムこそがFREなのである。

 パイロットの情動を抑制する―――すなわち機械的に人間の情動を抑制・欠落させ、負の感情を感情として認識させないことで、ダメージからパイロットの精神を保護する仕組みなのだ。だが感情と意志は表裏であり、不可分なものでもある。完全に感情を殺すことは人間から意志を奪い、戦闘どころか指一本動かすことも出来ない木偶へと貶めてしまう。

 故に、FREはパイロットに合わせた精妙な調整が施され、意志と感情抑制を両立させるギリギリのレベルをデッドラインとして精神負荷に応じた強さに抑制レベルを自動調整するシステムをも組み込まれているのだ。

 FRE起動時にパイロットが抱えるストレスの強さは感受性と比例する。

 より感情が豊かな人間ほどシステムによる抑制レベルも高くなるため、必然的に若い新兵ほど稼働時間は短く、発揮できる性能限界も低くなる。

(老いてゆく―――いや、壊れてゆくとは、こういうものなのかもしれん。哀しいものだな)

 かつて感じていた吐き気をもよおすほどのストレスが年々薄れてゆく現状に、ヴォルフの胸裏を寂寥の風が吹き抜けてゆく。

 思えば、失い続けの人生だった。

 ヴォルフだけではない。アンナも、部下たちも、敵である中央の人間たちですら、あのテレパシーシンドロームによって望まぬ戦争の現在へと引きずりこまれてしまったのだ。

 混乱の日に家族を亡くした。

 戦乱の中で友を亡くし、また今も部下と己を死地へとさらしている。

 元々、木星圏の自衛軍に所属する軍人ではあった。

 だがそれは、コロニーへと遅い来る小惑星や隕石、事故により救援を求める同胞を救うための力になりたいと願ったからであり事実、若き日の彼はそんな日々に邁進していた。

 それなのに、気づけば人を救うための手は血でまみれ、肩を並べた友は皆、虚空の塵へと帰してしまっている。

 無力感から退役を考えたこともあった。

 だが、結局できなかった。

 今は戦時であり、自身の故郷が戦地となるか否かの瀬戸際に立たされているのだから。


『あとは頼んだぞ』


 撤退するヴォルフら部下たちのため、そう言い残して敵陣へ切り込み散った上官がいた。


『あなたは死んではいけない人だ!』


 そう叫び、ヴォルフの盾となって死んだ部下がいた。


『俺の代わりに、あいつらを頼む』


 負傷によって戦う力を失い、涙ながらに部下を託して去った友がいた。

 数え切れない言葉と無念にまみれた知己たちの姿が、ヴォルフの胸裏には焼きついている。烙印のように刻まれ、癒えない灼熱の痛みと流れる血でヴォルフを苦しめ続けている。

 戦争などという理不尽極まる戦いに理由を見出すとするのならば、その痛みこそがそれなのだろう。消えない灼熱の痛みこそが、兵士としてパイロットとして肉体のピークをとうに過ぎたヴォルフを戦場へ留まらせている理由なのだ。

 だが、そんな日々も終わりが近づいているらしい。

 奇妙な予感があった。

 全身に絡みつくような湿度の高い冷気にも似た寒気を感じるのだ。

 過去が脳裏をフラッシュバックする。この感覚を覚えたことは過去に七回ある。そんなときに出た戦場では、決まってヴォルフは決定的な危機へさらされるのだ。

 これまでは上官が、友が、部下がヴォルフをかばってくれた。しかしもう彼らは亡く、ヴォルフを守る者は一人としていない。恐らくは、きっとヴォルフはこの戦いで死ぬのだ。だがそれでいいとも思う。彼らがそうであったように、今度はヴォルフ自身が若者に道を示し去ることこそ、疲弊し磨耗しきった老兵に出来る最後の仕事なのだと思えるのだ。

「“死の覚悟はしても絶対に生を諦めるな。生きあがけ”。それが口癖のあなたが、そんな顔をしていたら皆に怒られるわよ?」

 含み笑いとともに暖かな感触がヴォルフの背中から滲んだ。

 ゆっくりと、後ろから抱きすくめられるような感覚は複座席に座るアンナの思惟だ。

「それに、私はヴォルフがいれば何もいらないけれど。ヴォルフはそうじゃないでしょう?」

 凍りつきそうに冷え切ろうとしていた五感が賦活され、甦る感覚と意志が、乖離していた思考と肉体を一瞬で結びつける。

 途端、ヴォルフの全てが光と激痛で埋め尽くされた。

 忙しない両脚のペダルと右手の操縦桿操作によって、機体が目まぐるしい宙空機動を続けているのだ。急制動、急加速、左右の転回に火器の反動と、凄まじい慣性が固定具とコクピットをきしませている。

 外部カメラのディスプレイでは襲い来る曳光弾とビームの雨が飛び交い、その先にあるワン・ハンズ基地の威容で画面視界が埋め尽くされている。

「ヴォルフ! 現在、予定進路の70%を突破。降下ポイントがずれたわ! 進路修正を!!」

 ヘッドアップディスプレイに表示されたナビゲーション画面が更新され、進路変更要求メッセージが明滅する。

 無言のまま左の制動ペダルを蹴りつけ、閃いた左指がファンクションボードで姿勢制御パターンを切り替える。

 コウモリの翼を思わせるアクティブスラスターが羽を打ち鳴らすようにして翻り、慣性変化のため回し蹴りにも似た動作で振るわれた脚部の姿勢制御ノズルが轟炎を轟かせる。

 ほぼ直角に近い角度で行き過ぎた空間を、基地の砲台から放たれた無数の光弾が通り過ぎていった。

「対空火力も万全か。遠征基地なだけに、戦闘力は低く見積もっていたが……」

 急激な動作のたびに歯を食いしばる合間を縫ってヴォルフが毒づく。

 侵入コースの中で最も防御が硬いコースを担当したとはいえ、さしものヴォルフにも基地への接近は簡単では無かった。

 前回の襲撃では被弾ゼロであった機体も、無傷では無い。シールドを覆う複合素材は3割が砕け散り、各部装甲も小さな被弾の積み重ねで一部装甲が脱落し内部機構を露出させてしまっている。

 強襲仕様機ということもあって、軽量化のためハリケーンは装甲が薄く設計されている。直撃を受ければただでは済まない。

「ヴォルフ!」

 ヴォルフと同様に忙しく手元を動かし、機体各部に備えた対空迎撃システムと位置管制を行っているアンナが叫んだ。

 テレパシーに依らずとも意を察し、機体を右へと振り向け全開加速をかけさせる。

 対空迎撃の砲弾が目に見えて減り出した。

 無数の艦艇が停泊する港湾ブロックへと抜け出したのだ。鋼材とコンクリートで構築され、小惑星の中央部を取り巻くリング状の施設だ。施設の各所には、四本の柱状設備によって固定された艦艇たちの姿がある。

 だが、そのどれもが長距離航行用の増加燃料ブロック接続と甲板補強シールをされたままの状態で、ヴォルフに向けて艦載機を発進させるどころか、砲撃ひとつする艦は無かった。

「やはり罠か……」

 更に加速を重ねる中でファンクションボードのキーパネルを叩く。

 左腕シールドを保護する複合素材が爆裂ボルトによってパージされ、直径5メートル弱の青黒い円形盾を露出させた。

「SSTシールド起動。アンナ。索敵を怠るな」

 シールド表面を陽炎が波紋のように広がった直後、円形盾が暗黒の虚無と化す。

 シールド表面に空間破砕振動力場を形成することによって文字通り空間を破砕し、光の反射さえ許さない絶対の盾と成したのだ。テレパシスト特有の脳波でのみ起動する“超空間振動子Super Spatial Transducer”を備えたシールドが持つ超機能だ。

 テレパシー能力とならぶこの兵器こそが、宇宙におけるブラッディ・ティアーズの戦闘力に絶対的な優位性をもたらしているといっても過言ではない。

「他の奴らは!?」

「全員無事よ。約500メートル先を先行中! どうやら私たちが最後尾みたい。すでに各機とも対艦ミサイル発射体勢にはいっているわ」

 進路先には他の艦艇の数倍―――全長500メートル近い巨躯の戦艦が係留されている。巨大すぎて基地の施設では収まらないのだろう。

 小惑星の小山を改築したと思しきドックに着陸脚を出して着床し、各所を艦艇係留用ワイヤーで係留していた。

 中央軍による木星圏侵攻作戦の司令部でもある旗艦“ジャスティス・コード”だ。

 全長480メートル、全高240メートルの巨躯に乗員1300人、艦載機搭載可能数130機に大型荷電粒子砲4基を初めとした大火力を誇るコバルトブルーの戦艦は、文字通り圧倒的な存在感でもって遥か進路の彼方へ立ちふさがっている。

「上出来だ。アンナ。覚悟は出来ているな」

「いったでしょ。私はヴォルフさえ居てくれるなら何だっていいって」

 基地砲台からの散発的な砲撃をかいくぐり、加速を重ねるハリケーンの顔面に刻まれたセンサースリットの中央部が展開し、遠距離射撃用スコープが露出した。同時に背部中央のウェポンラックが展開し、四連装の対艦ミサイルポッドを露出させてゆく。

「ターゲット―――ロックオン。発射トリガーの遠隔設定完了」

「了解だ。先行する3機と同時に全弾発射。3機の離脱を支援する」

 先行する3機から白煙が立ち上った。それぞれが背部に背負った対艦ミサイルを射出したのだ。同時に機首を上げ、離脱のための上昇体勢へと移行してゆく。その直下をヴォルフの発射したミサイルが、そしてヴォルフたちの乗る機体が一直線に駆け抜けていった。

 悲鳴のような思惟がヴォルフのこめかみをチクリと刺す。遠ざかる三つの機体に乗る六人たちが上げる、戸惑いで満ち満ちた悲鳴のような思惟だ。

「さらばだ。全員とも良い仕事ぶりだった。良い仕事には良い報酬があってしかるべきだからな。援護は任せろ。そして無事に生きて帰れよ」

 恐らくは届かない通信を一言だけ流し、ヴォルフは目前の敵艦を睨み据える。

 戦艦ジャスティス・コードの各所が展開し、あらわとなった無数の砲台が砲火を放つ。圧倒的な量の対空砲撃によって先行するミサイル12基は、次々に迎撃されはじめていた。

「さすがに対空能力を強化してきたか。この近距離で、あれだけの対空性能は貴重な情報だな」

 最後の一発が爆光を花開かせ、ヴォルフの放ったミサイルへと火線が矛先を向けてゆく。

「アンナ!」

 ヴォルフの指示にアンナが左手のファンクションボードでキーコードを打ち込んだ。その瞬間、ヴォルフ機の前方100メートル先を進んでいた四つのミサイルが同時に起爆する。

 遠隔操作によって爆散したそれはしかし、先ほどの12基と違って爆炎の花とはならなかった。真っ白な霧にも似た白煙が広範囲に渡って瞬間的に広がり、機体のレーダーから敵艦表示がロストする。同時に戦艦ジャスティス・コードのレーダーからもヴォルフ機が消えた。

 ヴォルフ機が放ったのは対艦ミサイルではない。白煙による一時的な煙幕を張るのと同時に、はらんだアルミニュウム箔片によってレーダーを撹乱する策敵妨害兵装“スモーク・ディスチャージャー”だ。

 ヴォルフ機を見失い、対空砲火の火線が統制を乱してゆく。

 同時に押し寄せた白煙が、戦艦ジャスティス・コードの前甲板を覆い尽くした。だが巨大な船体と広大な宙空でのことである。白煙は瞬く間に拡散し、5秒と持たず視界とレーダーが彩度を取り戻してゆく。

 その間隙を、黒影が突き抜けた。

 基地の地表を這うようにして接近した機影が上昇し、戦艦ジャスティス・コードの上弦へと躍り出てきたのだ。

「決死の一撃。刻ませてもらう」

 SSTシールドを前面にかざし、要所以外の被弾度外視での接敵を果たしたヴォルフ機が右腕をまっすぐに伸ばす。

 手にした可変式のバズーカランチャーの砲口が照準するのは戦艦の艦橋だ。携行用のため装弾数は1発しか無いが、装填されているのは対艦用の徹甲弾である。破壊ではなく分厚い装甲を打ち抜く事に特化した高硬度の弾頭は、急所に命中さえすれば戦艦でさえも致命となる威力を発揮する。

 急制動の慣性を打ち消すために全身の姿勢制御用推進器から爆炎を吐き出し、暴れる機体を押さえ込んでの照準動作の中で、正面ディスプレイに浮かぶレティクルが敵戦艦を捕捉した。同時に機体の制動が完了し、射撃体勢が整う。それとほぼ同時にヴォルフは操縦桿の引き金を引き絞っていた。

 機体動作の思考補助制御システム“S-LINK”を介した動作指令はコンマ数秒のタイムラグでパイロットの操作へ応答する。機体の右腕が照準の微調整によって微動し、右手の指先がバズーカランチャーの引き金を引き絞――――。

「!?」

 その刹那のことだった。

 凄まじい衝撃がヴォルフ機の機体を揺るがしたのだ。

 制御を失った機体がきりもみしながら地表へと吹き飛ばされてゆく。コクピットの中をアンナの悲鳴とヘッドアップディスプレイのアラートが飛び交い、必死に姿勢制御を試みるヴォルフの努力も虚しく、機体は小惑星の地表へと墜落していこうとしていた。

(な、なにが起こった!?)

 回転する視界と身を襲う制御不能の慣性に歯を食いしばりながら、ヴォルフはファンクションボードでキーコードを打った。胴体周りの装甲の数箇所が展開し、オレンジ色をした風船が膨らんでゆく。内部に衝撃吸収ジェルが充填された非常用の対衝撃機構だ。

 間髪いれず地表へ機体が衝突し、砕け散った装甲と透明な衝撃吸収ジェルを撒き散らしながら岩の地面を転がってゆく。

 砂煙を巻き上げて200メートル程を滑走した果てに、ようやく止まった機体の中でヴォルフは呻きを上げた。

 全身がバラバラになったのではないかと思われるほどの衝撃で身体が麻痺しているのだろう。骨折はしていない様子ではあるものの、思うように四肢が動かない。ヘッドアップディスプレイに打ち付けたためかヘルメットのバイザーが割れ、刺さった破片が額や頬を切り裂いていた。目に刺さらなかったのは幸いであったが、切れた瞼からの血で左目が半ば塞がれてしまっている。

「ヴォルフ……無事……?」

 身じろぐ背にアンナの声がかかる。

「あ、あぁ。アンナ。おまえこそ無事か?」

「ええ。あたしは大丈夫。頑丈な機体に感謝ね」

 ヴォルフと同様に衝撃のダメージが深いのだろう。精彩を欠いた、か細い声音が震えている。

「作戦成功。で、いいのかしら。ヴォルフ」

 鳴り止まない警報と、ディスプレイを赤く染めては流れる無数のエラーメッセージの中で、アンナはヘルメットを脱ぎ外した。ソバージュがかったセミロングの黒髪をかき上げ、大きく息を吐きながら正面のディスプレイを指差す。

 その所作を振り返らぬまま察し、顔を上げたヴォルフは無言のまま首肯した。

 所々が灰色のノイズで閉ざされたディスプレイの中で、無事な数基の外部カメラが捉えた敵機が浮かんでいる。

 戦艦ジャスティス・コードを背後にたたずむのは巨大な機動兵器だった。

 だが、なんという巨大さなのだろう。

 距離があるうえ映像が荒いので細部は判然としないが、まるで鮫か鯱を思わせる長大で流線型のシルエットをしている。翼と見まがうほどに巨大なヒレや背びれといった部位からは砲塔とおぼしき尖塔が複数伸びており、高い砲戦能力を持つのであろうことがうかがい知れた。

 最も奇異なのは頭部だ。

 まるで眼のように大きくうがたれた三つのセンサースリットが、内から溢れ出す炎のような赤い輝きを蠢動させているのだ。

 ただただ、その怪物的な姿に圧倒されながらヴォルフは悟る。

「そうか。これが……敵の切り札、か」

 ゆっくりと、怪物が無数の砲口をヴォルフへと向けてゆく。

 砲口に収束してゆく荷電粒子の白熱光を見つめながら、ヴォルフは軽く右手を差し上げた。

「任務完了。まぁ、悪くない人生ではあった、な」

 右手が柔らかな両手で包まれる。振り仰ぎ、複座席から身を乗り出したアンナにヴォルフは笑いかけた。

「あら。あたしは、最高の人生だったけれど?」

 言ってアンナも、笑う。どこまでも幸福に。ヴォルフだけが知る微笑み顔で。

「……あぁ、そうだな。たぶんきっと、最高だった」

 その手を握り返し、ヴォルフは再び生涯の相棒へと笑いかけるのだった。



   *   *   *   *   *



「なによ。あれ……」

 畏怖で満ちたカーナの声音がドナトの耳朶をすり抜けてゆく。

「なんなのよ! あれは!?」

 乾いた衝撃音は、カーナがヘッドアップディスプレイに両手を打ちつけた音だ。

 激しい動揺にFREの感情抑制レベルが跳ね上がってゆく。だが、動悸は治まってもじっとりと手と背が汗ばむのが止まらなかった。

 ドナトの中で制御不能な感情が暴れ狂っている。

「ヴォルフ隊長……」

 ディスプレイに表示させた遠隔画像の中でヴォルフの機体が閃光に包まれてゆく。

 ワン・ハンズ基地の周辺にバラ巻いてきた自立型のスパイカメラからの映像を、離脱の道すがら数基設置してきた通信機で中継したものだ。距離があるため完全なリアルタイムではないが、得られた情報は今後の戦況を左右する貴重なものとなることだろう。

「ちきしょう……」

 呟いてヘルメットのバイザーを上げ、FREを切る。ここから先は、ただの逃避行だ。戦闘のためのシステムは必要ない。むしろ神経に過度な負担をかける分だけ邪魔になる。

 その途端、溢れる涙が視界を滲ませた。

「男のクセに泣いてんじゃないわよ」

 FREが切れたことで感情の起伏を取り戻したカーナが前部の操縦席から毒づく。ヘルメットを脱ぎ外し、振り返ったカーナの顔もまた涙でクシャクシャだった。

「うるせぇよ。おまえと一緒にすんな。俺のはFREをカットしたから勝手に出てきているだけだ」

 FREによる感情抑制システムには、それを切った際に感情抑制の反動で衝動的に涙を流させるという奇妙な特性があった。人前で泣くことを疎むドナトだが、今ばかりはブラッディ・ティアーズという名の由来ともなった特性がありがたい。

「なによ。冷血漢!」

「うるせぇ!!」

 心なしか力ない毒づきに、思わずドナトは怒鳴っていた。

 発した自身でも驚くほどの大声だった。口喧嘩はしても、感情にまかせた怒鳴り声を上げることは無かったドナトが初めてみせる激昂にカーナが目をみはる。

「俺たちに泣く資格なんかあるわけねぇだろうが! 本当は俺たちのはずだったんだ。俺たちが、捨て駒になるはずだったんだ。死ぬはずだったんだ。そういう作戦だったはずなんだ」

 ヘッドアップディスプレイに何度も額を打ちつけながら、溢れる感情のままドナトは身を震わせる。

「おまえだって気がついていたんだろう!? だからあのとき声を上げたんだろう!? 泣けねぇよ! おまえと違って俺は……あのとき俺は、心の底から安堵していた。これで死なずに済むって、安堵していたんだ。俺は……ちきしょう! ちきしょう! ちきしょう! ちき…しょ……う……」

 慟哭するドナトを見つめるカーナの目から、あらたな涙が溢れて無重力の宙を流れてゆく。

 悲しみ、無力感、憤慨、様々な感情がない混ぜになった理不尽な熱が眉間を熱してやまなかった。

 コクピット内にビープ音が鳴り響く。離脱に成功した3機のハリケーンたちが合流地点に近づいてきているのだ。

 3機と合流し次第、ただちにここから退避しなければならない。敵基地から遠いとはいえ、未だここは敵の勢力圏内なのだ。

 二人には使命がある。ヴォルフ隊長とアンナが命がけでもぎとってくれた情報を、何としても木星圏まで届けなければならない。もはやそれだけが、二人に出来るただ一つの仕事であるのは間違いない。

「隊長……」

 振り返り、正面ディスプレイに表示させた遠隔画像の小ウィンドゥへと目を戻す。

 スパイカメラの電源が底を尽いたのだろう。すでに映像は途切れ、砂嵐のようなノイズしか映ってはいない。

「隊長……どうして……」

 慟哭を続けるドナトを一瞥し、青ざめた顔で操縦席へ腰を下ろしたカーナは、呆然とノイズだらけの画面を見つめ続けるのだった。

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