第二次CALIBER要塞攻防戦(前)

序章 幻想と現実

 涙が流れて落ちている。

 とめどなく、落ちている。


 涙がこぼれ落ちている。

 とめどなく、落ちている。


 涙があふれて落ちている。

 とめどなく、落ちている。


 とめどなく。

 とめどなく。


 哀しくて。

 苦しくて。


 寂しくて。

 心細くて――――――。




   *   *   *   *   *



 

 スポットライトの光条が、立ち込めた闇を切り裂いてゆく。

 遥かな頭上から走る3条の光が交差して浮かび上がらせたのは、全長10メートル弱にも及ぶ人型の巨影だった。

 だが、そこにかつて備えていたはずの威容は微塵も無い。

 青で塗装された全身の金属装甲の所々は焼け落ち、爆ぜた内部機器やフレームをさらしているのだ。

 脚部を始めとした関節部分も、機能どころか保持力さえ失っているのだろう。各部を幾重にも巻かれた鎖たちによって懸架され、自立しているのではなく吊り下げられた格好だった。

 両腕と頭部の破損は特に顕著だ。

 武器を扱うため人に似せた精緻な右腕と、広範囲に盾を巡らせるため多関節化された左腕はどちらも肘から先を失っており、残る上腕も損傷が酷い。内部の破損状況を物語るかのように、ひび割れた顔面のセンサースリットから飛び出した撮像システムのカメラレンズが、千切れかけた配線によって眼球じみたおぞましさで揺れている。

 空間戦闘用人型機動兵機“ブラッディ・ティアーズ”。それが、この兵器の通称だ。

 テレパシー能力を覚醒させた木星圏の人々が生み出した、テレパシトのみが操れる稀代の戦術兵器なのだ。

 圧倒的な物量と勢力を誇る“(地球・火星圏連合中央)”軍と戦うため個の強化を模索した結果でもある。

 だがしかし、眼前のそれは少し意味を違えた物体でもあった。

 正確には、“ブラッディ・ティアーズを模したレプリカ”―――否、模造品を起源としていながらオリジナルに等しい進化を遂げた別系譜の、いわばもう一つのブラッディ・ティアーズと呼べる存在の残骸なのだった。

「中央製ブラッディ・ティアーズ……か」

 そんな残骸を、厳しい眼差しで見上げる3人の男たちがあった。

 いずれも一目でフルオーダーの仕立品と見て取れるスーツを身にまとい、初老以下の者は一人も無い。こんな機械油の匂いが漂う雑然とした場には不釣合い極まりない姿の面々だ。

「鹵獲前の戦闘記録では、コックピットを一撃破壊ということだったが?」

 3人の中央で重々しく口を開いたのは、豊かな口髭をたくわえた白髪の男だ。顔に刻まれた72歳という年齢相応の皺とは裏腹に、ガッシリとした190cm近い長身が目を引く。若き日は従軍経験もあるという経歴に由来するのだろう。骨太で厚みがある長躯の立ち姿には隙が見当たらない。

「これは一体どういうことか。報告とは違って随分な損壊状況ではないか」

 クリフォード・ピエガ。それが男の名だ。木星圏コロニー議会議長の懐刀とも呼ばれ、現木星軍指令長官の乳兄弟という出自から、次期議長の呼び名も高い政治家でもある。

「詳細記録によりますと、コックピット破壊とほぼ同時に各部が爆発、自壊したとのことです。軍部の調査報告では、パイロットの生存信号途絶と同時に作動する仕掛けが施されていたのではとの見解でした」

 鋭い視線を受けた右の補佐官―――ブルーノ・グスタフが手にした携帯端末のデータを読み上げてゆく。軍部とのパイプ役も兼ねて軍諜報部から派遣されてきた老齢の男だが、その的確な情報分析と判断力に今では全幅の信頼を置いている。

「機密保持と証拠隠滅のため、か」

「恐らくは。特に、コンピューターを始めとした記録装置やエンジン周りの自壊ぶりは徹底しており、拾えた情報は、ほぼ皆無とのことです。業腹ですが今の我々に、この男の要求を拒む選択肢は無いかと……」

 職業柄あまり感情を表に出さないブルーノにしては珍しい苦りきった声音に首肯し、クリフォードが左に立つ男へと目を向ける。

「カジバ・ラプト博士……でしたかな? 一つだけ質問をよろしいか?」

「なんなりと。中央からの亡命者である今のワシらには、あんた方の庇護が必要じゃからの。一つと言わず、幾つでも質問してくれてかまわんぞ?」

 問いかけに、自虐的な笑みを浮かべた男が肩をすくめる。あらゆる意味でクリフォードとは対照的な男だった。

 枯れ木のように身は細く、わずかに曲がった腰を支えるためか右手に杖を突いている。ざんばらの白髪の隙間から覗く顔には深いしわが刻まれているものの、緑の双眸がたたえるギラギラとした生気が、見かけとは大きくかけ離れた彼の本性を物語っているかのようだった。

「本当の目的は何なのです? 中央が開発したブラッディ・ティアーズ用の新型エンジンに数々の新技術と素材サンプル。単なる亡命にしては大きすぎる手土産だ。しかも要求が、あなたを含めた一党の木星軍参加と、同道した家族たちに対する生活保証と居住権のみでは、あまりにも釣り合いますまい」

 鋭い眼差しがカジバを映す。

「カジバ博士―――いや、私の前でまで仮面を被る必要はないでしょう。カミル・ネーフェ・レングナー。あなた程の方が名を偽り、中央を裏切ってまで木星圏に加担する真意を、どうか私にお聞かせ願いたい」

“ジ・エッジ”。高い身長と、鋭い切れ長の眼じりが作り出す刃のようなクリフォードの眼差しを指して付いた二つ名だ。

 だがしかし、幾多の政敵を切り払ってきた視線を前にカジバは瞑目すると、ため息まじりに中央製ブラッディ・ティアーズへと視線を戻した。

「マイセルフ」

「……機密文書にあった中央製ブラッディ・ティアーズの特殊仕様機のことですかな? にわかには信じられない内容ではありましたが」

「真偽の是非に意味は無い。そのうち嫌でも目にすることとなるだろうからの。だが、CALIBER要塞だけは死守せねばならん。木星圏を守るためではなく、マイセルフを真の完成から遠ざけるために」

「全てはその為だと? 馬鹿げている。あなたを疑いたくはないが、あの文書の内容は、まるで出来の悪い三文小説だ。あんなファンタジーを真に受けて、私に軍を動かせと?」

 壊れたブラッディ・ティアーズとカジバを交互に見やり、睨むクリフォードの険が深まってゆく。

 即断即決を旨とし、ことあるごとに部下や周囲へ説いてきたクリフォードであったが、今回ばかりはらしくもない逡巡を禁じえない。

 もたらされた物理的なリアルと、語られた情報のリアルの差が、あまりにも大きすぎた。物理だけで見れば破格だが、情報だけ見れば、まるで狂人の世迷言なのだ。それを丸呑みにすることなど現実に生きる人間がすることではないと、クリフォードの理性は告げている。

「失礼ながら、いい加減に真実を語っていただきたいと言っているのです。私は政治家であって、バラエティ番組のプロデューサーではない。面白おかしい絵空事ではなく、血肉の通った現実を担う者なのですよ。あなた方を拘束し、技術情報と物資を一方的に接収することも出来る。それをしないのは、かつてあなたに師事した私個人の配慮であるということをお忘れなくいただきたいものですな」

 そうだとするのなら、絵空事を隠れ蓑に何かを企んでいる。もしくは企みに加担させようとしていると考えるのが自然な物の見方というものだろう。

「“現実リアル”……か」

「そうです。偽りなき真実を―――」

 向き直り、その胸裏を切り開こうとするクリフォードの眼差しを横目に、ふたたびカジバが嘆息する。深いため息だった。疲れ果て、磨耗しきった感情を感じさせる溜息にクリフォードは絶句する。

「……よかろう。ならば現実リアルを見せるとしよう」

 振り向いて、クリフォードと正対したときには、もうカジバから憔悴の気配は消えていた。

「私が連れてきたマイセルフ―――“フューリー”で、な」

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