第三章 蒼いBT

   一

南風はえ優人ゆうとの日記》


 ・軍神暦0105年11月27日。

 基地を脱出して三日目。

 慌しかった艦内もようやく落ち着きを見せ始め、僕にも日記をつける余裕ができてきた。

 突然の敵襲。基地の崩壊。わけがわからぬままの脱出。理由も、敵の姿すら知らぬまま僕たちは一路、木星圏を目指している。

 幾つかの中継基地を経由しての旅路は約一ヶ月。故郷は遠い。



 軍神暦0105年11月28日。

 格納庫で訓練用BTの戦闘装備換装作業を手伝う。

 基地に配備されていたブラッディ・ティアーズは基地防衛に出撃していたため、訓練用の旧式しか積めなかったのだ。

 脚部バランサー調整のプログラム修正値をめぐってルーク整備長とキースがまたケンカをしていた。修正値をコンマ1上げるか下げるかといっていたが、僕にはそのままが一番しっくりくるような気がする。



 ・軍神暦0105年11月29日。

 ブリーフィングルームで僕たち訓練生に通達があった。

 口頭の辞令と共に渡されたのはブラッディ・ティアーズの起動キーだ。正規パイロットがいない今、予想はしていたけれど少し怖い。

 明日からは与えられた機体のカスタマイズと訓練で追われる日が続くだろう。

 


 ・軍神暦0105年11月30日。

 予備動作プログラムの作成に半日を費やした。駆動系のトルク不足だろうか。同じ機体なのに装備が実装になった途端、動作や応答性が極端に悪くなった気がする。

 ミユキが医務室を手伝っている所に会った。女性仕官は色々とかりだされているらしい。荷を運ぶ道すがらアンディのことを聞かれた。ずいぶん気にしているみたいだった。…わかっている。わかっているのだ。彼女はアンディのことを―――



「……何を書いているんだ。僕は」

 電源を落とし、ブラックアウトしたモニターを見つめながら優人は苦笑した。



   二

 居住区画に設けられたトレーニングルームにアルの荒い息遣いが響く。

 様々な器具が並ぶ部屋には、ランニングマシーンの上でひたすらに走る青いジャージ姿のアルと、竹刀を手にしたドカトの他に人影はない。

「や、やった。二十キロ……」

 コンベア速度と実走距離を表示していた右脇のパネルから、目標距離を走破したことを示す電子音が上がり、一定速で後ろに回る足元のコンベアが速度を落としてゆく。

 それに従ってアルはゆっくりと足を遅め、ベルトに流されるまま後部へたどりつくと、後ろ足を床に下ろした。


 が―――。


「あ、あれ?」

 途端、床に着いた右足が疲労に震え、身体を支えられず力なく折れ曲がってしまった。

「どわぁッ」

 背泳ぎよろしく宙をかいた手もむなしく、後ろへ転げたアルはそのまま大の字に寝そべった。

「や、やべぇよ俺。手足とか超パンパンだよぅ」

 筋肉疲労で張った四肢を投げ出し、大の字になりながら息も絶え絶えに喘ぐ中で、天井の蛍光灯を映す視界が汗でにじむ。

「もう限界、もう無理、もう勘弁」

 額からとめどなく流れる汗をぬぐい、グッタリとする頭を竹刀の先がこづいた。

「てっ。な、何す―――」

 頭を押さえて荒げかけた台詞が途切れた。かがんで見下ろしてくるドカトの眼光に射すくめられ、あっという間に汗が冷えてゆく。

「なんだ。もっと走りたいのか?」

「い、いえいえいえいえいえ」

 慌てて首を振るアルを見るドカトの目が厳しくなる。

「ワン少尉。戦場ではスキを見せた者から確実に死んでいく。まずは集中力を持続させるための体力をつけろ。いいな。それが今現在、おまえにとってこの戦争を生き延びるためにもっとも必要なものだ」

 アルを見据え語るドカトの表情は厳しくい。だが、この教官の眼差しは常に真摯であり、言葉には経験に裏打ちされた重みがあった。

「は、はい!」

 有無を言わさぬ気配に気圧され、うなずくアルにドカトは頬を緩めると、肩を叩いて踵を返していく。

「8時間後に艦外で模擬戦闘訓練を行う。しっかり休んでおけ」

「はっ」

 幅広いドカトの背が扉の向こうへ消えると、アルはヘナヘナと床にくずおれた。

(ふへぇ。とりあえず八時間は休め―――うん? 艦外だぁ? ちょっと待て、コラ!?)

 のしかかるような疲労で立ち上がることすら億劫おっくうに思いながら、与えられた八時間を胸中で指折る。

 訓練メニューの確認と暗記に1時間。自機の起動とチェックで3時間。シャワーと食事を1時間で済ませたとしても、ブリーフィングは訓練の1時間前だから、休憩に当てられるのは実質2時間弱しかないことになる。

「マジかよぉぉぉ」

 疲労困憊の中、情けなくうめいてアルは再び床へとつっぷすのだった。



   三

「お、いいねぇコレは。このカードが出るっていうことは―――」

 艦橋からの帰り道、喉に乾きをおぼえた優人が食堂を訪れると、ちょうどその一角でアンディが民間人らしき女性3人を相手に得意のタロット占いを披露しているところだった。

(強いよな。アンディは)

 給水器から水をついだコップを口元で傾け、横目にアンディらを見やる。

 基地を発ってからというものの、いつ敵の襲撃があるか戦々恐々とするあまり、軍民問わず殺伐とした雰囲気が立ち込めているというのに、不思議とアンディの周りでは笑いの花が絶えないように思える。

(きっと、どんなときでも変わらずにいられる強さが、みんなの笑顔を呼ぶのかもしれない)

 バリアスの調整と訓練で一杯一杯なここ数日の自分を思い出すたび、ことさらその思いが強くなってやまない。


 と―――。


「よっ。教官に報告、終わったのか?」

 占いも終わったのか、はしゃぎ声を上げる女性たちに手を振りながらアンディが近寄ってきた。

「ああ。こってりしぼられたよ。おまえは何回ハレー少尉に撃ち落とされれば気が済むのか。って、さ」

「ぷはは。ムリムリ。なんたって俺は、未来のエースパイロットだかんな」

「はいはい。その上に”天才”のつく、だろ?」

「わかってんじゃん」

 本当に、呆れるくらい変わりない、と。いつしか優人の顔にも笑顔が浮かんでいた。

「お、そうそう」

 ひとしきり笑い合って、思い出したようにアンディが裏向けに伏せたカードを扇形に広げて優人へと差し出した。モノトーンの幾何学模様が描かれたプラスティック製のカードは随分と使い古されていて、アンディの愛用ぶりを如実にあらわしている。

「わりぃんだけどさ。こん中から一枚引いてくんね?」

「何だよ。また迷いごと?」

 時々、親しい友人相手にアンディはそんな頼みをしてくることがある。

 詳細は優人にはわからないのだが、本来のタロット占いとは別にアンディが自分ルールで決めたコイントスのようなものらしい。

 コインの裏表よろしく、タロットカード24枚それぞれに割り振った行動指針通りに行動すると、物事がスムーズにいきやすいのだとか。恐らくは行動すること自体はもう決めてあって、無数にあるだろう余計な選択肢や雑念を払うための儀式みたいなものなのだろうと、優人は解釈していた。

「だから言ってんじゃん。こればっかりは自分じゃ出来ねんだって」

「はいはい。それでは今日の運勢は―――」

 苦笑して優人は手を伸ばし、適当に真ん中あたりのカードを指先で一枚つまみ抜いた。

「―――いかがですかなアンディさん?」

 引き抜いた手をそのまま返し、絵柄を向けつつおどけてみせる。が、それを見た途端にアンディは笑みを打ち消し、複雑な表情で優人の手からカードを抜き取った。

「やっぱり、これが出たか……」

「アンディ?」

 手にしたカードを見つめ、初めて耳にするアンディの陰鬱な声音にただただ戸惑う。

「ん? あぁ、わりわり。最近、整備の奴らとやっているポーカーの勝率が悪くてさぁ。どうにもツイてないんだわ」

 優人の視線に気づき、それまでの表情が嘘だったかと思うほどいつもの顔つきに戻ったアンディが、カードをシャッフルしながら笑う。

「アンディ、今のカード―――」

「サンキュ。んじゃ、俺、ちょっくら用事があるからよ」

 説明は勘弁しろと、言外に拒絶してアンディは踵を返した。




   四

 居住区画内の通路とはいえ、端から端までともなればかなりの距離だ。

 遠心力によって重力を発生させる為、拳銃のリボルバーを思わせる様相で回転する全長1キロ近い艦体の中央部に内包された居住区は、負傷兵や非戦闘員の呻きとざわめきで埋まっていた。

 そんな中を、血のりで赤黒くなった包帯で一杯になった籠を両手にミユキはそろそろと進んでゆく。

 いつもは三つ編みにして下げている黒髪を結い上げ、身に付けた白い看護服の袖を肘までまくりあげている。重そうに抱えた籠の脇からチラチラと前をうかがいつつ歩く姿は誰が見ても危なっかしく、すれ違う人々の視線を集めていた。

「あっ」

 小さな段差につま先を取られ、ミユキが大きくよろめいた。

「わっ…と……きゃッ」

 フラフラしながらも何とか持ち直した拍子に、籠から包帯が一束こぼれ落ちて転がってゆく。

(もうッ)

 籠と包帯を見比べ、小さな苛立ちの吐息をもらす。

 そして意を決して籠を降ろそうとしたその時、横合いから一つの手が伸びた。

「優人君?」

 手に続いて横道から顔を出した優人は、薄い笑みとともに無言で包帯を籠に放り込むと、ミユキの手から籠をひょいと持ち上げる。

「手伝うよ」

 短く言って歩き出した優人の背を、ミユキは慌てて追いかけた。

「あの……いいのよ。優人君だって忙しいんでしょう?」

「いいさ、これぐらい。さっき訓練が終わって時間、持て余していたから」

 横から遠慮がちに見上げるミユキに笑んで、優人は少し歩調をゆるめた。

「ゴメンなさい」

「いいって」

 尚も済まなそうな表情をするミユキに苦笑してかぶりを振る。

 こうした好意に、ありがたさよりも申し訳なさが勝ってしまうミユキの性格を考えればそれは慣れたはずの反応ではあった。だがつい、これが自分ではなくアンディだったら……と考えてしまう自分に気づいて、何とはなしに表情が硬くなってしまう。

(ダメだな。僕は。どうしてアンディみたいに出来ないんだろう)

 そんな心の内を知ってか知らずか、何となく気まずい雰囲気のまま二人はしばし無言で廊下を進んでいった。

「あの……」

「うん?」

「アンディは、まだ訓練中?」

 おずおずと切り出したミユキにうなずき、

「うん、僕と入れ替わりにね。こんどこそ教官を撃墜してやるって息巻いていた。っても、まだまだかなわないのだろうけれどね」

「そう、なんだ」

 訓練で見たドカトの技術や、それをあっという間に吸収してしまうアンディの非凡な才能を嬉々として語る横で、ミユキはうつむいて小さくため息をつく。

「どうかした? あ、こんな話、つまらなかったか」

「ううん。違うの」

 怪訝に問う優人にミユキはかぶりを振る。その様子に何となく思い当たり、

「ひょっとして、アンディのやつ顔みせてないの?」

「うん。えっ? あ、ち、違うの。そうじゃなくて……」

 ふとした一言に、小さく首肯した頬が真っ赤に染まった。慌てて否定するミユキに、優人の胸でチクリとした痛みが走る。

「本当にそんなのじゃなくて、ただ……」

「ただ?」

「何か悩んでいるみたいだったから。昨日、廊下で見かけて声をかけたの。でも深刻な顔で考え込んでいて聞こえなかったみたい」

「悩む? あいつが?」

 意外に思えた。優人の知るアンディはいつも明るくて、そんなものと一番無縁に思っていたからだ。そんな優人を察してか、ミユキはポツポツと話し出す。

「アンディはみんなが思っているよりずっと弱いの。すぐカードを持ち出すのだって、きっと誤魔化し。迷っている姿を見せたくないからなのよ」

「アンディが、弱い?」

 想像もできなかった。士官学校で出会って以来、常にトップだったアンディは優人にとり親友であると同時に最大のライバルだった。そのアンディが弱い? 誰だって人間ならば弱さの一つや二つは当然と頭ではわかっていても、その後塵を拝し続けてきた優人にとって感情的に受け入れがたいことだった。

「―――くん。優人君?」

 我に帰るとミユキが怪訝に見上げている。眼前の扉に貼られたプレートを見て洗濯室ときづく。

「ごめんね。変なこと言って」

「い、いや……」

「それじゃ。本当に、どうもありがとう」

「あ、うん」

 籠を受け取り、洗濯機に中身をあけだしたミユキから優人は踵を返した。

「本当に、あいつをよく見ているんだね。君は……」

 歩み去る中、肩越しにミユキの背を振り返る。見つめるほどに胸中で渦巻く、モヤモヤした気持ちを振り払うように優人は大きくかぶりを振った.




   五

 格納庫は交錯する騒音で埋め尽くされていた。

 整備場へ続く搬送レール上を、格子状のハンガーに固定されたブラッディ・ティアーズがゆっくりと進んでくる。

「あれ、ホントにバリアスかよ。訓練で使っていた時と全然ちがうじゃんか」

 実戦用に改修された機体の変わりようにアルが戸惑った声を上げた。

 シェイド社製”バリアス”。軍内における形式番号は”JSBT―B32”。初期に正式採用された木星軍初の主力ブラッディ・ティアーズである。とはいえ、現在ではとうに戦線を後発のアシモ社製フレイムソード(形式番号JABT-17)にゆずり、訓練用の練習機として細々と残っているだけだった。

 回頭性を上げるためにアクティブスラスターが装備された現行型と違い、背部から鎖骨前部辺りまで配されたレールをスラスターが移動する構造となっている。また、人に近い比率の四肢長を備える現行型に比べて肩幅が狭いうえに脚部が短く取られており、より脚部に推力バランスが偏った構造をしている。旧式の機体らしくシールドは大型の円形盾(SSTシールドの小型化が成功したのは3年前とごく最近)で、発熱を抑えるための冷却フィンがシールド裏側の淵をなぞるように配されていた。

「しっかし何だありゃ? へったくそな塗装」

 訓練用に白く塗られていた機体は、木星軍の基本色であるグレイ一色に塗られてはいたものの、手で塗ったとおぼしき塗装が所々ムラとなっており、肩部に打たれた番号などはにじんだように歪んでいた。

「仕方ないでしょう。じっくりパーツごとに焼き付け塗装している時間も人手も設備もなかったのですから。塗料にレーダー波吸収体を使ってあげただけでもありがたいと思ってくださいよ。いや、むしろ思いなさい」

 その声を聞きとがめ、付箋紙だらけのファイルを手に近くの端末を操作していたキースがジロリとアルをにらんだ。

「に、したってさあ」

 不満げにブツブツと呟くアルに、キースはこめかみを引きつらせ、

「そういうナマイキな台詞は、制動噴射でムチウチにならなくなってから言って欲しいものですね」

「ならねえよ。三ヶ月も前のことネチネチいってんな!」

「おやおや。知っていますか? 整備士に反抗的なパイロットは早死にするというジンクスが――」

「それはジンクスじゃねえ。……まさか手前ぇ。こないだ訓練中にバランサーが死んだのは!?」

「さぁて、どうでしょうかねえ」

 うそぶくキースにアルの顔が怒りで紅潮する。

「あったまきた。大体、パイロット志望だったおまえがなんで整備士なんだよ!」

 その一言に、キースのポーカーフェイスが一瞬で消し飛んだ。ファイルを足元に叩きつけ怒鳴る。

「それはこっちの台詞です。整備士志望だった君が、どうしてパイロットになっているのですか!」

「俺のセリフだろがッ!!」

「私のセリフですよッ!!」

 禁句を口にし合ったことで天井知らずにボルテージを上げていく怒鳴りあいの横で、アンディと優人がBTを見上げる。

「防具代わりの緩衝装甲が外されてら。これでずいぶん軽くなったんじゃないか」

「どうかな。フレームにもずいぶん補強が入ったみたいだから、トータルでの重量は大きく変わらないと思う。そのかわり―――」

「機体の剛性が上がった分、前よりかは無理が利くようになったってところか?」

「元が元だけにやりすぎは禁物だろうけれどね」

 命を預ける機体を詮索する二人の前に、ルーク整備長を乗せた作業用リフトがくたびれたモーター音を立てつつ降りてきた。

 60歳近いはずだが老いぼれた様子は微塵もなく、やや曲がった腰と白髪を除けば40歳でも通用しそうだ。作業服の裾で手に付いた油を拭きながら二人に歩み寄る。

「さすがじっちゃん。あのオンボロが見違えたぜ」

「当然じゃ。バリアスの開発にはワシもかかわっとったんじゃからな。そこいらの奴らとは年季が違うわい」

 ビッと親指を立てるアンディにルークが鼻を鳴らして笑う。

「じゃが所詮は8年前の設計、無理はきかん。とくにおまえらは無茶な操縦やら、おかしな動作プログラムやらをすぐやらかすからの」

 アンディは訓練中、無茶な機動により腰部関節を壊したことがあり、優人はセットしたプログラムのミスによって右肘を破損させたことがあった。

「まぁ、いいわい。機械なんていうのは、壊れて直しての繰り返しじゃからな。部品がある限り、いくらでもやってやるわい。だが、人間だけはそうもいかん。絶対に死ぬなよ。おまえら。まず、生きれ。いざとなったら命乞いでも何でもアリじゃ。まずは生きていなけりゃ話にならんのじゃからな」

 バツ悪げに押し黙る二人の肩を、ルークが通りすがりに叩いてゆく。と―――思わず振り向いた二人の前で唐突にルークは大きくワインドアップをとると、手にしたスパナを投げつけた。

「キース! いつまで油売っとる。とっとと準備せんか!」

「どわっ」

 慌ててとびのくアルの前で、後ろに目があるかのようにひょいと首をひねってキースがスパナをかわす。

「了解であります」

「そ、それだけ?」

 何事もなかったかのように怒気を収めて歩み去るキースを気味悪くみつめ、青い顔でアルが二人を振り返った。

「俺、パイロットでよかったかも」

 乾いた声で笑うアルに、二人は引きつった笑みを浮かべて首肯した。




   六

「弱い、か」

「え? なんだって?」

 ボソリともらした声を聞きつけたアンディの声が薄暗いコクピットに響く。

「なんでもない」

「お、おい」

 内心の動揺を悟られぬよう、極力押し殺した声とともに通信を切る。

 両膝の間から胸の高さまで突き出たバーの先端で、花開くようにスケルトンのタッチパネル三枚を上と左右に広げたヘッドアップディスプレイの中央部―――青い立体映像で表示されたボール型三次元レーダーの上で、三桁のカウンターが数字を減らしていた。

「模擬戦闘開始まであと30秒」

 興奮に震える声音で呟き、ファンクションボードのキーを叩いてFREを起動させる。

「うっ……」

 システム起動を知らせるメッセージがパネルを流れた瞬間、わずかな嘔吐感が神経を逆なでていった。

 FREの作動状態を表示するヘッドアップディスプレイ左パネルで、数本のバーグラフが上下を繰り返し、パイロットの精神状態コンディションに合わせて微調整をかけてゆく。

(何回やっても慣れないな。この……まるで心が壊死していくような感覚は)

 それとともに、優人の胸で心臓の高鳴りが収まりだした。

 気持ち悪いほどはっきりと、落ち着いてゆく鼓動の音が小さくなってゆく。しかし平常時ほどまでゆっくりとはならず、筋肉にほどよい緊張をうながす程度の血圧レベルで安定した。

 意識が冷えてゆく。興奮に汗ばんでいた手の震えが止まり、落ち着かなく彷徨っていた視線がヘッドアップディスプレイのカウンタにすえられ、息で曇りかけたヘルメットのバイザーがはれていった。

「あと、10秒」

 そうしてFREの起動が完了し、三次元レーダーのホログラムが青から緑へと変化したときにはもう、呟く優人の声音からは感情の波が消え、淡々とした硬質なものへと変化していた。

「目標…捕捉……」

 感覚が広がってゆく。そして脳裏に、数キロの間隔でバラけた三つの心の光が浮かび上がる。FREを通じてシールギアのスイッチが切れ、テレパシー能力が開放されたのだ。

 カウンターがゼロを刻む。

「時間だ」

 ヘッドアップディスプレイから短い電子音が上がり、自動的にシステムが戦闘モードへと切り替わる。

 正面パネル中央に照準が浮かび上がり、三次元レーダーに表示された青い光点三つの内ひとつ―――ドカト機が、敵機として赤く表示を変えた。同時に、それを頂点に自機を含めた三機が描く正三角形の二辺が、収束の方向へと動き出し始める。

(よし。いくぞ二人とも)

 それに遅れじと、優人は無言で右足のスロットルペダルを踏み込んだ。アクディブスラスターが吹く推進の轟きが構造材を介してコクピットにまで届き、いや増す加速で優人の身体をシートにめり込ませてゆく。

「模擬戦闘、開始」

 


   *   *   *   *   *



「シミュレーションの時よりフォーメーションの精度が上がっている。やはり実戦の緊張は兵士を成長させるということか。だが――」

 三次元レーダーに映る三つの光点を見つめ、ドカトは左手のファンクションボードを叩いた。操作に従い機体の右腕が、装備したサブマシンガンの銃口を上げる。

 その先では、迫る三機が小刻みに機体を振りつつ描いた正三角形が、収束しつつひねり込むようにして狭まってきているはずだった。

「―――まだまだ軌道が正直すぎる。フォーメーションはサーカスではないと教えたはずだがな」

 三機がほぼ同時に射程距離を割った。敵機が光点として視認できる距離だ。間髪入れず、三機の銃口から飛来した曵光弾の光跡が描く威嚇射撃の射線を、ドカトは右に機体を側転させてかわした。身を襲う凄まじい慣性に奥歯を噛み締めながら操縦桿のトリガーを数度、引く。

 一機に狙いをしぼったそれが、あっさりとかわされた。

 自分が狙われることを予め知っていたかのような挙動にドカトは舌打ちして自機を上昇させる。三機が分散し、ドカトの斜め左右、足元からと、弧を描いて襲いかかった。

 逃れようのない、三方向からの同時挟撃だ。

 だが、ドカトは小さく鼻を鳴らせて口はしを吊り上げると、わずかに遅れて弧を乱す一機に目をとめ、レーダーの認識表示を見やる。ナンバーは”03”。

「やるな。中継は南風少尉か」

 テレパシー能力に秀でた司令塔により部隊全員をテレパシー統制する。これによりテレパシー能力が低く有効範囲が狭い味方をカバーするのみならず、部隊員全てがリアルタイムに互いの位置関係を知覚することが可能となる。ブラッディ・ティアーズによる宙間戦闘における常套戦術だ。

「だが、それでは減点だ」

 本来それは司令塔が中継に専念できるよう、後方に据えた状態で行うのが必須だった。積極的にテレパシーを使うということは限られた意識、集中力をかなり傾ける必要があり、機体操作に少なからぬ影響を及ぼすからだ。

「指令機が先陣を切ってどうする。そんな鈍い動きでは、敵が各個撃破に出た場合に格好の餌食となってしまうぞ?」

 迫る三機のうち、わずかに動きの鈍い下方の一機へ向け全開噴射をかける。

 推進光を背負った灰色の機影がグングンと拡大され、点に等しかったそれが全容をあらわしてゆく。

「2号機だと!?」

 その左肩部に打たれた番号を認めたドカトの目が、深まる険に細められた。

 記されていたのはナンバー”02”。それはアンディ機の番号だ。



   *   *   *   *   *



「かかった」

 一直線にこちらへ向かってくるドカト機をレーダーで認め、ポツリと呟く。FREによる感情抑制がなければ喜色ばんだ声を上げていただろう。

 機体の右手でサブマシンガンを乱射しつつ、鈍いはずの敵機の動きが見せる高機動への戸惑いと、射撃への回避で速度を鈍らせたドカト機へ自機を突っ込ませた。

「二人の到着まで40秒」

 識別信号をごまかしておびき寄せたドカトをアンディが接近戦で足を止めて時間を稼ぎ、二人が追いついてきたところで挟み撃ちにする。それがアンディの立てた策だった。文字通りの反則技だが、一度くらいは教官の鼻をあかしてやりたかった。

(最後くらい。勝っとかないとな。戦場では何でもアリって言ったのは教官、アンタだぜ?)

 密やかな思惑をもらす間に、ドカト機が滑るように左へ大きく回り込んで来る。速い。アンディの予測を遥かに上回る反応速度だ。

(……野郎!)

 そのとき、アンディの能力が敵機の意志を透かした。小賢しいと、自分たちの策を一蹴せんと笑うドカトの意志を、だ。アンディらと違い、FREを使用していない身でありながら、その鉄のような意志と歴戦をくぐりぬけた経験からくる自信が、このような不測の事態にあってさえ、いささかもドカトを揺るがせていない。

 逃がさじとアンディ機もSSTシールド(訓練なのでフィールドは展開していない)をかざして全開噴射をかけた。

 威嚇射撃のいくつかがシールドに被弾し、弾けたペイント弾の塗料がオレンジ色に表面を汚す。

 無感情にそれを無視し、見すえる正面ディスプレイの中で設定した対象を自動追尾する照準が、0.2秒の射線調整を経て緑から赤く色を変えた。

(ロック――)

 SSTシールドの端より出した銃口からなる射線が完全にドカト機をとらえ、勝利の確信とともにトリガーを引き絞―――ろうとした刹那、アンディの脳裏をドカトの思考がよぎった。

「!」

 考えるより早く左手がファンクションボードのキーを叩き、自機にサブマシンガンを放らせて右下腕外側にマウントされた外折れ式の(訓練用の硬質ウレタン製プラクティス・ブレード)を引き起こさせる。

 かざしたSSTシールドごしに、頑強なドカトの気配が近づいてくるのが目で見るよりも強く認識できた。

 すでに距離は無く、テレパシーでドカト機の挙動を探れる間合いにはない。

 一瞬で思考を切り替え、感じるドカトの気配へとアンディはブレードを一閃させた。

 すれ違いざまの一撃はしかしドカト機を捉えることなく、右腕から機体全体に振動が走る。同時に、ヘッドアップディスプレイに”YOU LOST”と、自機の撃墜判定を示すメッセージが浮かび上がった。

「右腕過負荷? うっ…く……」

 制動噴射をかけ大きく宙返りをしようとした機体が急速に推力を下げてゆく。FREの自動解除とともにシステムが戦闘モードを解除、現座標に機体をとどめる以外の動作にロックがかかったのだ。

「嘘だろ!? 何しやがったんだ!!」

 うわずった声とともにヘルメットのバイザーを上げ、目尻から溢れ出す涙をぬぐう。ファンクションボードを操作し、戦闘記録からドカトの動きをヘッドアップディスプレイに表示させた。

「マジかよ」

 レコードが伝える事実に愕然とする。

 あの一瞬、ドカトは振り下ろされたアンディ機のブレードに自機のブレードを真横から引きつけるように叩きつけることで右後方へといなし、かつその反動を利用してコマのように機体を反転させたのだ。そして大きく崩れたバランスを補正しようとするアンディ機の背後から、悠々と頭部を狙撃した。

 あまりにも鮮やかなそれの意味を解し、アンディの顔が朱に染まる。

「見切られていた? 俺のやることなんか、お見通しってことかよ」

 行動も、タイミングも、ブレードの軌跡すら完全に読んでいなければ不可能な動きだ。それだけではない。FREやS-LINKを使用して思考を機体動作に反映させていない以上、あの動作プログラムは事前にドカトが仕込んでいたということになる。あんな、一瞬の状況を想定して、だ。

 打ち砕かれた自信に、アンディはほぞを噛まずにはいられない。動作パターンを増やせ。よみがえるドカトの言葉が耳に痛かった。

「ちっきしょう」

 無言の教えが示す己が操縦センスへのおごりに、アンディの呟きは畏敬から悔しさのそれに意味を変えるのだった。




   七

 アンディがリタイアしてから二人が撃墜されたのは、ほんの数十秒後のことだった。

 訓練終了のサインがドカト機から発信され、撃墜判定とともにフリーズしていた三機のシステムが慌しく立ち上がる。

「状況終了。機体ステータス、オールクリア。問題は……ないな」

 その中で優人は、レスポンスを確かめるよう軽めに数度スロットルを吹かしてから一気に右ペダルを踏み込む。ドカト機の識別信号を道標に半自動操縦で向かう優人の左右に、アンディとアルが並んだ。

「アル。アンディ。生きている?」

「や、やべぇよ俺。もしかしたらムチウチになったかも……」

「おぅ。死んだけど、生きているぜ」

 回復した通信回線を開くと、息も絶え絶えなアルと、軽く思えるほどに明るいアンディが、正面ディスプレイ上端にひらいたショートウィンドウの中で手を振っている。

「各機、機体に異常ある者はないな?」

 三機の接近を視認したドカトの通信に三様の返信が返され、ドカト機が大きく右腕を振った。

「よし。全機、帰還する。くだらん小細工の罰は覚悟しておけよ」



   *   *   *   *   *



 それは、ドカトをしんがりに先頭のアル機が着艦姿勢に移ろうとしたときに現れた。

 最初に気づいたのは優人だった。

(なんだ? 妙な感じがする)

 奇妙な感覚だった。テレパシーで離れた場所の人間を知覚する感覚に似ているが、微妙に違う。強いていうならば懐かしさだろうか。優人はこの不自然な感情に戸惑い、思わずスロットルをゆるめた。

「シールギアは、動いている」

 ヘッドアップ・ディスプレイに目を落とし、シール・ギアによるテレパシー能力封印機能が正常に作動していることを確認する。

「南風少尉! 遅れているぞ。機体の調子が悪いのか?」

「い、いえ、ただ……」

「ただ、どうした?」

「変な感じがするんです。何かこう、見られているような」

 自分の言葉が尻すぼみになるのを自覚しながら、優人は思わず首をすくめる。確証のない不確かな報告に対してドカトは容赦なく、いつものような怒声が飛んでくると思ったからだ。

 しかし、ドカトの反応は意外なものだった。

「……全機。FREを作動。ただちに装備を実弾に換装しろ」

「教官?」

「交戦認可だ。急げ!」

「りょ、了解」

 突然の指示に混乱する三人にドカトの怒声が飛んだ。慌ててシステムを起動させるものの、途端、脳に焼けた火箸を突きこまれたかと思うほどの灼熱感が優人に襲いかかった。

「ぐうぁッ!?」

「うわっ!?」

「げげっ。なんだこれ?」

 同じくFREを起動させたアンディとアルも同様の声を上げる。

 何らかの原因でFREが機能不全に陥ったのだ。感情抑制が十分に効かぬまま開放されたテレパシー能力が、グレイティガーの艦員二百数十人分の感情全てに優人たちを共感させ、流れ込む圧倒的な思考と感情の奔流に脳が悲鳴を上げている。

「FREが……弱い?」

 パイロットの精神を保護するため、FREの安全装置によってシステムがカットされる。それとともに三人の身体は弾かれたようにのけぞって、ヘッドレストに後頭部を打ち付けた。


『未確認機、高速接近中。到達まであと1分』


 身もだえし、額に脂汗を浮かべる三人に艦から未確認機の接近が伝えられる。

「もうこんな近くまで。それに……速い」

 三次元レーダーに新たな光点が浮かんだ。ブラッディ・ティアーズのレーダーは非常に狭い有効範囲しか持たないものの、飛び飛びに表示されては大きく数値を増減させる相対距離計から、はっきりとした敵機捕捉が困難な―――強力な電子攪乱ECMかステルス性能を備えた機動兵器であることは容易に想像できる。

 FRE反応が出ていることからブラッディ・ティアーズであることは間違いない。だがしかし、三次元レーダー上の光点は黄色で”Un(UNKWON:正体不明の略)”の文字とともに表示されていることから、識別信号を発していないか、機体の敵味方識別装置IFFへ識別登録された機体ではない様子だ。

「敵……BTなのか?」

「じょ、冗談よせよ。BTなら味方以外あるわけないじゃんか。そ、そうだ。味方だよ……生き残った誰かが追いついて……」

 ボソリともらした優人の横でアルが上げた震え声に、ドカトはしかしヘッドアップディスプレイを見つめたまま口をひらく。

「残念だが。その可能性はおそらくない」

「なぜです?」

「我々の基地を襲った謎の見えざる機動兵器と、接近中の機体が放つFREパターンが酷似している」

「って、ことは……」

「同一のパイロット、もしくは同型機の可能性が高い」

 パイロットの脳波を源にしているとはいえFREの反応値は機体のシステムに左右される部分が大きく、識別は血液型程度の確度しかなかったが、状況をかんがみれば敵と考えるのが妥当だ。

「迎撃する。艦の加速準備が整うまで約7分、足止めするだけでいい」

 即断し、ドカト機がアサルトライフルをかまえた。

「りょ、了解」

 返答する三人の声がかすれる。

 いつかは来るはずの戦場だった。だがそれは、まだずっと先の「いつか」のはずであった。覚悟していたはずなのに。そんな思いとは裏腹に、三人は手の震えを止めることができなかった。操縦桿を伝わる震えが三機を小刻みに震わせる。

 FREが使えないことが、尚のこと三人を心もとない気持ちにさせていた。

「よく聞け。目標が射程距離に入りしだい母艦の一斉射撃が始まる。俺は弾幕の隙間を抜けようとした敵機を牽制し、足止めする。おまえ達は艦にへばりついて、万が一、弾幕を抜かれた場合にそなえろ。いいか。目標の足が止まればいい。絶対に狙って当てようなどと思うな。とにかくバラ撒け。回避と牽制に集中するんだ」

「了解」

 ショートパネルの中、強張った表情でうなずく三人を満足げに見回し、

「安心しろ。どんな優れたBTだろうと敵は一機。恐れるには足りん。たとえFREが使えなくとも、ここにいるのは木星軍の最強部隊でエースを張っていた男だ。まぁ、”元”ではあるが」

 らしくもないセリフにわずか、こわばりを解く三人へドカトは口はしをつりあげてみせた。

(いつも突然だな。敵の襲来というものは)

 苦々しく思う中で、これまで送り出した新兵たちのことを思う。そのほとんどは現在、”CALIBER要塞”で中央を相手に戦っているはずだが、はたして何人が生き残れているものやら。


『カウントダウン、スタート』


 エルのやや緊張した声に、ドカトは我に返った。

(本当に、らしくもない)

 考えてみれば3年ぶりの実戦だ。錆びついた欠陥品の自分がどこまでやれるか。そんな不安に少し、ナーバスになっているのかもしれない。


『10……9……』


 三機が後方へと下がっていった。

 最悪、刺し違えてでも彼らは逃がさなければと、覚悟がドカトの心を研ぎ澄ましてゆく。


『8……7……』


 ドカトは機体を上昇させ、艦砲の射線ギリギリのところで静止させた。


『6……5……』


 彼方の敵機へと向けられた艦の砲塔が身震いするように射線を微調整し、臨界を迎えたジェネレーターのうなりが艦内に響き渡りだす。


『4……3……』


 彼方で一等星のごとく輝く、敵機の噴射光を視認した全員の手に汗がにじんだ。


『2……い、えぇ!? か、艦長!!』


 突然、カウントダウンがエルの嬌声で中断された。戸惑う面々次いで、マイクのスイッチを切り忘れるほど狼狽した報告が流れる。


『敵機より投降と、着艦を求める通信が入りました』




   八

『……どうした。なぜ手を止めるのじゃ。レイジ』

 正面ディスプレイ上方に開いたショートウィンドウの中で、厳しい目をしたカジバが問う。

 外部を映すコクピットのディスプレイは全て灯が落ちており、ヘッドアップディスプレイの三次元レーダーら計器類の燐光が、闇の中でレイジを浮かび上がらせていた。

「彼女に止められたんです」

「なんじゃと!」

 淡々と、語るFRE抑制を受けた言葉に、カジバが目をむいた。

「もしかしたら、いるのかもしれない。僕に似た、誰かが……」

『それを探るというのか?』

「はい」

 首肯するレイジにカジバは嘆息し、あきらめの表情で肩をすくめた。

『わかった。ただし―――』

「ええ、この間のようなことにはしませんよ。わかっています」

『ならばいい』



   *   *   *   *   *



「なんだぁ? コイツ、ホントにBTかよ」

 ドカトと共に、降伏した敵機の牽引に赴いたアンディは、あまりにも異様なそれに息を呑んだ。

「青……だと?」

 ドカトの声に苦々しい響きが混じる。

 そのブラッディ・ティアーズは鮮やかな青色の装甲に包まれていた。塗装とは違う、青い金属で作られた装甲が星明りを受けてサファイアのような輝きを放っている。

 形状も従来のそれとはかなり違いが認められた。

 背に負う涙滴を縦に割ったような3基の可動推進器に、通常より一回り小柄でありながら高い剛性を感じさせるフレーム、左腕には爪を備えた小型の菱形盾ダイヤモンドシールドが装着され、右手は人間そのもののように細長く精緻な指をそなえていた。

 武者兜を思わせる頭部の、仮面のごとき顔面へY字形に刻まれたセンサースリットが、内で踊る光の数を落とし、ドカトらのヘッドアップディスプレイがとらえていたFRE反応が消えたのと同時にシャッターで閉ざされる。

 文字通りの武装解除を前に、ためらいを隠せなかったドカトたちはようやっと青きブラッディ・ティアーズの牽引作業に移るのだった。



   *   *   *   *   *



 グレイディガーの格納庫へ誘導され、機体整備用ハンガーに固定された青いブラッディ・ティアーズの前には人だかりができていた。

「すっご~い。きれ~」

 照明を浴びて燦然さんぜんと輝くサファイアのような装甲を前に、女性仕官たちから嬌声が上がる。

「やかましい! 関係者以外は出て行け!」

 そんなギャラリーを振り返り、ビヤ樽のように肥えた短身を軍服に包んだ中年の男がイライラと叫んだ。神経質そうな視点の定まらぬ目つきといい、矮小さが顔にまでにじみ出てきているような表情といい、いかにも小心者といったおもむきの男だ。

 名はレナード・イクシス。陽方第七基地において基地指令補佐を務めていた中佐であり、現在唯一の高官であることから艦長代理に就いている男である。追従と賄賂で成り上がった小心者で、当然のごとく部下や同僚はおろか整備士から食堂のおばちゃんにまで幅広く嫌われ、基地の嫌われ者ランキング三年連続タイトルホルダーでもあったりする。

「イクシス艦長。BTの固定作業、完了しました」

 作業用クレーンでルーク整備長と指揮を執っていたドカトが歩み寄り、敬礼とともに述べた。

「そ、そうか」

 落ちつかなげに爪を噛んでいたイクシスがぎこちなくうなずき、うかがうようにボソボソと呟きだす。

「ドカト大尉。その、大丈夫なんだろうな。君がどうしてもというから、私は仕方なく許可したのだからな。そこのところを」

「出てきました」

 イクシスを無視して見上げたドカトのそれを追って、みなの視線が青きブラッディ・ティアーズに集まる。その中で胸郭が展開し、青いパイロットスーツに身を包んだパイロットが両手を上げて姿をあらわした。

「子供? まさか、あんな少年がパイロットだというのか」

 遠目からでもそれとわかる、小柄で華奢な体躯を目の当たりにしたドカトの目が怪訝に細まる。

 少年はしばし、コクピットの前に着けられた昇降用レーンで一同を見回していたものの、やがて銃口を向けて誘う二人の兵士たちに連れられて、無重力の宙空へと身を躍らせた。

 ゆっくりと、慣性に身を預けて降り立った少年は、先ほどで見定めていたのかまっすぐにドカトへ向かって歩むと、ミラーコートの施されたバイザーごしに口をひらいた。

「あなたが責任者……ですね?」

「いや、私は―――」

 少年がヘルメット下部へ手を回すと、チンガードがバイザーごと跳ね上がり、幼さが多分に残る輪郭とゴーグル型の眼鏡をかけた目元があらわになった。そのまま跳ね上がったチンガードを掴んで脱ぎ、濡れた黒髪から流れる汗を袖口で拭う。

「眼鏡はご容赦下さい。生まれつき視力が低いもので」

 右の人差し指でゴーグルを指差し、歩み寄ろうとした先で銃口が突きつけられた。だがドカトはそれを手で制し、少年をうながす。にこりと、少年は笑みを浮かべて首肯し、右手を胸に当てて名乗った。

「僕はレイジ・トライエフ。ブラッディ・ティアーズ”フューリー”のパイロットを務めています」

「私はクロモ・ドカト大尉。こちらが艦長の―――」

「ワシが艦長のイクシスだ」

 ドカトを押しのけ、ムッツリとイクシスが進み出る。

「しかし”フューリー”? 聞いたことのない機体名だが?」

「軍には、一般の兵士が知りえない陰がいくつもあるものでしょう?」

 問うドカトにぴしゃりとレイジが即答する。外見に似合わぬ堂々たる態度に、険を深めたドカトは威嚇するように声のトーンを落とした。

「では、君は木星軍所属なのか? 正体不明機のまま艦にまで乗りつけられた理由を、まさかそれで納得しろと?」

「はい」

 ドカトから発散される剣呑な雰囲気に気圧され、イクシスのみならず優人ら直接の部下たちですらたじろぐ中、変わらぬ笑みを浮かべ続けるレイジはさらりと、向けられた敵意を流して続けた。

「僕の目的はただ一つ。ソフテイルからこの艦に移されたはずのBT2機を引き取ることです」

「な、なんだと!?」

 ゆっくりと、有無を言わさぬ意を噛み含めるように語ったレイジの言葉にイクシスは色をなくし、狼狽してあとずさった。

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