第二章 南風優人

   一

『極限の状況において、人が人たる尊厳を保ちぬくためには、二つの論理を制しなければならない。

 感情で許せない正論と、理性が許さない暴論を、だ。

 人は感情の生き物である。だが同時に理性ある霊長でもある。

 理性で感情を殺してはならない。それは生き物としての在り方に背く行為であるから。

 理性を否定し感情に支配されてはならない。それは人としての在り方に背く行為であるから。

 だがしかし、人は往々にして暴論を選ぶ。

 感情に従い、理性に背く道へと進んでしまう。

 わざわざ史書を紐解かずとも、それがゆえに人の歴史が戦争と不可分である事実は万人が知るところであろう。

 だがそれは悲劇ではあっても不自然ではない。

 不条理ではあっても過ちではない。

 なぜならば―――』



   *   *   *   *   *



 まばらに置かれた観葉植物とベンチ以外の全てが白一色に塗りつぶされた展望室の中心で、立つ一人の青年将校はぼんやりと空を見上げていた。

 やや乾燥気味の空気がたゆたう屋内から、厚さ300ミリの強化ガラスを透かして見えるのは、真空の宇宙に浮かぶ遥かな惑星だ。

 名は”木星”。この数多くの縞と斑点を持つ黄土色の星は、豆粒ほどのサイズとなっても圧倒的な質量を見る者に感じさせてやまない。

「……なぜならば人間とは、正論を夢想し暴論に酔う生き物なのだから、か。もしそれが本当なら、”感情抑制機FRE”で感情を消されたパイロットたちが戦いの放棄を選ばないのも、本能が戦いを肯定しているからなのだろうか」

 遥かな星を見上げ、青年は思う。

 呟きの冒頭は、手に持つノンフィクションの史書から引用した言葉だ。

 過激な文章と極端な人間観で知られる著者の作品は客観性に乏しく、史書としては独善ともいえる偏ったものではあったが、何故か青年―――南風はえ優人ゆうとは、散りばめられた言葉のいくつかに時々ひどく惹かれるのだった。

「おかしいよな。人殺しなんて嫌だし、したいなんて思ってもいないクセに、気づけば軍人だなんて。この矛盾も、暴論ってやつなのかな」

 苦笑をもらし、ガラスに映った自身をなんとはなしに見やる。

 痩身に紺色の軍服を身につけ、短く刈ったクセの強い黒髪に軍帽を載せた青年がそこに映っていた。自身の鏡像をしばし見つめ、二十歳という若さにしては、どこか生気に欠ける凡庸な外見、などと胸中で評してみる。

「士官学校を出てから、”木星軍陽方第七防衛基地ここ”に配属されて、もう半年か。少しは僕も、軍人らしい顔になってきているのだろうか」

 陽方とは太陽方面のことで、混乱のフロンティアを見捨て門戸を閉ざした中央への航路監視と警戒を目的に建造された、基地とは名ばかりの小施設である。特にこの第七防衛基地は最も木星に近い場所にあるということもあり、今では新兵の訓練を兼ねた養成所、もしくは軍事拠点として占領した”CALIBER要塞”への中継基地と化していた。

(僕の基地、か) 

 宇宙に浮かぶジャイロスコープ。この基地を外から見たなら、誰もがそんな感想を持つことだろう。

 ”中央柱センターピラー”を中心に、幾本もの”連結柱コネクションピラー”でつながれたリング状の施設は、遠心力により重力を生み出すため常に回転しつづけている。

 リング部は主に居住区画で、他に研修区画と研究区画となっており、センターピラーの下端は整備場および宇宙港、上端は集中管理施設が設けられていた。また、中部は三層から成り、上から順にリング部への連絡通路ジャンクション、厚生施設、各種プラントとなっている。

 そうして窓からのぞく基地の外壁をぼんやりと見回した目に、一隻の航宙船がとまった。

「戦艦? しかも現役の巡洋艦じゃないか。わざわざ前線から後退してきたのか?」

 センターピラー下端の宇宙港に、一隻の宇宙船が接舷しようとしていた。

 灰色一色に塗られた全長五百メートルほどの巡洋艦だ。形式名は”ソフテイル”。木星軍おいて広く配備されている軍艦だが、奇妙なことにその艦には真新しい被弾跡がいたるところに見られた。

 後方中の後方ともいえるこの基地には、前線での使用に耐えられなくなった老朽艦や機材が回されることが常であったが、それにしてもこの傷は新しすぎる。まるでたった今、戦闘を行ってきたばかりのようにさえ見えた。しかし、この後方中の後方で戦闘などありえないことである。


 と―――。 


 浮かんでは消える疑問符に思いをはせる背で、自動扉が軽い音とともに開いた。

 優人と同じ軍服に身を包んだ金髪碧眼の青年が、ファイルを持ったままの手を上げて歩み寄ってくる。さらさら揺れる長髪をなびかせ、女性的な眉目を持つ秀麗な顔に軽薄ともとれる笑みを浮かべる姿は一見、軍人という職業からはおよそかけ離れたおもむきがあるものの、物腰とは裏腹にどこか影を感じさせる雰囲気が、硬い軍服姿への違和感を打ち消していた。

 名はアンディ・ハレー。優人と同じく士官学校を卒業したばかりの同期生だ。

「よっ。相変わらず早いな」

 相好を崩しながらの声に、優人も思わず笑みをこぼし振り返る。

「アンディこそ珍しいな。いつもギリギリなのに」

「ハハッ。実はコレ、自慢したくってさ」

 いって左袖を少しまくり、手首を飾るリストバンドの甲を向けて見せる。そうすると、そこに留められたブルークリスタルのプレートがあらわになった。薄く幾何学模様が透かし彫りされた美しい表面には投影式のデジタルが浮かび、時を刻み続けている。

「新しい”シールギア・ホルダー”か」

「そうそう。手に入れるの苦労したんだぜ? カードで負かした補給部隊の奴に頼み込んで、本国の直営店に並んでもらったりとかしてさ。ようやくだよ」

 笑うアンディがプレートの両隅を指で押すと、端のスロットから手のひらへ向けて薄い白金板が飛び出す。精神感応波封印装置―――通称”シール・ギア”と呼ばれるものの本体だ。

 所有者の精神感応波と同調し、生体電流を通じてアクセスした脳髄へ自身の精神情報を流すことによってテレパシー機能を騙す―――端的に言えば、テレパシー能力の指向性を自身に限定させてしまうことによって事実上の能力封印とする装置なのである

「やっぱハヤマ製だよな。飾りもへったくれもない軍支給のワカサキ製なんてダサくて着けてらんねーよ」

封印シール”の名の通り、テレパシストの能力を抑制し、同時に他人からのテレパシーへのシールドでもあるばかりか、個人認証のIDカードでもあるシールギアが普及してから10年あまり。人口の98%がテレパシストで構成される現在の木星圏において、シールギアは必須の携行物だ。

 どんな道具であれ広く普及し利用者が増えれば当然、利便性や携行性、はてはデザインに対しても注文が出てくる。シールギアも例外ではなく、個々人に合わせて調律された専用端末であるそれを携行するために、いまや数多くの企業が様々な専用アクセサリーを販売しているのだった。そんな中で、最もポピュラーな物が優人たちも使用しているリストバンド型ホルダーなのだ。

「まぁ、質実剛健、さ。なんだかんだいったって耐久性は支給品が一番みたいだし。これはこれで悪くないよ」

 右手首にはめらた飾り気のない鈍色のプレートを見やり、優人が肩をすくめる。そんな友人にアンディはやれやれといった表情で首を振ると、

「いかんよ。優人くん。いくらこんな女ッ気ないところにいるからって洒落っ気を忘れちゃあ。そんなんじゃ、ミユキにフラレちゃうぞ?」

「なんでミユキがそこで出るんだよ」

「隠すな隠すな。なんなら占ってやろうか?」

 朱が差した顔で声を荒げる優人に、アンディが懐から愛用のタロットカードを取り出した。邪気の無い顔でカードをシャッフルしだしたアンディに優人は内心でため息をつく。

(コイツ……本当に気づいていないのだろうか。どうみたって彼女、アンディしか見えていないのに)

 アンディの幼馴染であり、優人ら数名の同期生たちらと共にここ―――陽方第七防衛基地へ配属となった女性仕官の顔が脳裏をよぎる。

 ノリの軽いアンディとは対照的に、生真面目で丁寧な物腰の女性だが、色事には疎い優人の目から見ても、彼女がアンディに惚れているのは明らかだった。

「おおっとぉ? これはチャンスですよ優人さん。ワタクシめのカードによれば―――」

 知ってか知らずか。それとも全て承知の上であえて、なのか。

「大ハズレだよ。アンディ」

 あけっぴろげなようでどこか読み切れない親友に、優人は深々と嘆息するのだった。



   二

 激しい振動とともにモニターがブラックアウトした。

 数瞬の間をおいて、暗闇に閉ざされた空間からシートごと後方へ引き出される。

 眩しい白光に目を細める中で固定具のロックが外れ、肩口から腹部までを覆っていたベルトがシート内へ引き込まれていった。

「や、やられた……」

 荒い息で曇ったヘルメットのシールドを跳ね上げ、その縁からシートへと伸びたケーブルをうっとおしげに引き抜く。ヘルメットを脱ぎ、汗で湿った肌をひんやりとした外気にさらすと、優人は息をついて床へ寝転がった。

(まだまだか。あそこで動作プログラムの切り替えにモタつかなければ、もうちょっとは粘れたのに)

 張り詰めていた緊張を解いたためか、こめかみの辺りに軽い疼痛を覚える。

 けだるげに上体だけ起こし、優人はぼんやりと周囲を見やった。

 色とりどりの計器がまたたき、大小のケーブルがツタのごとくはう鈍色の壁に囲まれた小部屋だ。いままで優人が座していたシート裏は壁と同じ模様が施され、収納された状態では完全に壁の一部と化すようになっている。ただし、そこには”4”という数字が施され、一見して見分けがつくようになっていた。

 ここはブラッディ・ティアーズ操縦訓練用のシミュレーター室だ。優人のような訓練生が操作方法の実技訓練を行う部屋である。

 FREこそないものの、バーチャルリアリティを駆使したそれは訓練生達にとって限りなく戦場に近い場所だった。

 スロットルを開けたときの加速感。トリガーを引いた際の感触。そして、被弾し目の前が闇に閉ざされるときの恐怖感。どれもが恐ろしい緊張を強いられる瞬間ばかりだった。

(いまはまだ、シミュレーションが戦場、か)

 思う頭上で突然、ブザーがけたたましく鳴り響いた。

 次いで優人の隣にある3番シートが引き出される。

「いててて。く、首が曲がる。いや、折れるって。やべぇよ、俺。いま一瞬、曲がっちゃいけない方向に曲がりかけちゃったよぅ」

 シートの動きで首をやられたのか。途切れ途切れにうめきつつ立ち上がった小柄な人影がヘルメットを投げ捨ててよろめいた。

「またムチウチになったらどうするんだよ。あの極悪鬼教官め。よりにもよって背後から頭部を蹴り飛ばしやがって……」

 首を押さえながらふらふらと歩み寄り、隣で腰を下ろす。

「やっていられますかっての。システムが撃墜判定くれるまで二十回は回ったぞ。しかも縦に」

 そういってしばしば高校生と間違えられる闊達そうな童顔をしかめた青年はアル・ワン―――優人の同期であり、同じ戦闘機パイロットを目指す仲間の一人だ。

「アル。アンディは?」

「まだ粘っているよ。けれど、ありゃ時間の問題だな」

 そう云ってぷらぷら手を振るアルの後ろで2番のシートと、少し遅れて1番のシートが引き出された。

「あぁ、終わったみたいだ」

「言っているそばからこれだもんなぁ」

 立ち上がって裾をはらう優人に、ぼやきながらアルは肩をすくめるのだった。



   *   *   *   *   *



「ハレー少尉」

「はい」

 低く硬質な声に呼ばれ、横一線に並んだ三人からアンディが一歩進み出る。

「操縦技術はかなりマシだが、動作パターンが少なすぎる。三日後の訓練までに回避と防御、攻撃姿勢のパターンプログラムをそれぞれ5種類作成して提出しろ。いいな」

「はっ」

 鍛え上げた長身をパイロットスーツで包んだ教官にアンディが敬礼し、列へと戻る。

 教官の名は、クロモ・ドカト大尉。前大戦において伝説的な活躍をしたブラッディ・ティアーズ部隊―――通称”ゼウス特攻隊”の元メンバーにして、撃墜王の名を欲しいままにしたエースパイロットだ。だが戦闘中の負傷によりFRE適性を失ったため、現在は当基地において新人パイロット育成の任にあたっている。

(右のこめかみから頬に走る傷はその時のものだろうか)

 そんな教官の略歴を思い浮かべ、胸中でごちる優人のとなりでアルが一歩を進み出た。

「ワン少尉。さっきのザマはなんだ! 戦闘中に息など切らせやがって、貴様には特別メニューをくれてやる。あとで俺の所に来い。いいな!?」

「はっ」

 ただでさえ鋭い碧眼をさらに険しくするドカトに、内心肩をすくめながらアルが一歩下がる。

「南風少尉」

「はっ」

「元技術仕官志望だけあって、ファンクショントリガーのカスタマイズぶりは大したものだ。だが、どれほど豊富なパターンを作っても使いこなせなければ意味がない。おまえはここに残れ。補講だ」

「はっ。ありがとうございます!」



   三

 リング部をつなぐ連結柱の幾つかは中央柱への連絡通路となっている。それらが集合する階から1階下ったところに、福利厚生を目的に設けられた公園があった。木々があり、芝があり、花壇には花も咲く。すべて本物の植物だ。

 こうしたものは密閉されたコロニー内では病原体になると危険視する声もあったが、どれほど宇宙に慣れようとも人は緑を目にせずにはいられないらしい。実際、何かの調査でも緑がそばにあるのとないのとでは、精神にかかるストレスが格段に違うという結果がでたと聞いた事もある。

 そんなことをぼんやりと思いながら優人は、公園の一角の芝に一人、寝転んでいた。

 地球を模して一年かけて変化する温湿度設定が春ということもあり、さんさんと降る照明の明かりが心地よく頬を照らす。

 そうして、まぶたにぶら下がる心地よい重さに抗うこともなく、うつらうつらと夢世界との境界を漂っていると、唐突に冷たいものが頬へ押し当てられた。

「!?」

 驚いて跳ね起きたかたわらで、複数の笑い声が上がる。

 冷たい清涼飲料水の缶を手にしたアンディ、厳重にラッピングされた箱を大事そうに抱えたアル、そして二人の女性仕官が優人を見下ろして屈託の無い笑顔を浮かべていた。

「相変わらずね。優人くん」

「エ、エル先輩?」

 一人はスラリとした肢体に紺色の軍服をまとい、背中まである栗色の長髪をパレットでまとめている。形の良い目鼻立ちをした美人で、薄く紅を塗った唇からこぼれるコロコロとした明るい笑い声が不思議と心地よい。

「ふふふ。ごめんね。あんまり気持ちよさそうに寝ていたから、つい」

「ミユキまで……」

 もう一人は手入れのゆきとどいた瑞々しい黒髪の三つ編みを左肩から前に垂らし、度の薄いフレームレスの眼鏡ごしに見えるクリクリとした大きな黒瞳が印象的な、どこかひかえめな感じのする女性だった。優人の胸ほどの身長なせいか、軍服を着ていてもどこか少女然としている。

 前者はエル・ティン少尉。この基地の管制官をしている女性で、容貌や屈託ない性格からちょっとしたアイドル的存在だった。

 後者はミユキ・ラベルダ少尉。管制官訓練生で、優人の同期生、そしてアンディの幼馴染でもある女性仕官だ。

「わりぃわりぃ」

「はい。おわびにコレあげるから機嫌なおして。ね?」

 しれっと笑うアンディにつづき、ミユキが笑顔のまま手にした缶飲料を差し出してくる。

 その細く華奢な指先におぼえた小さな胸の高鳴りを振り払うように苦笑を浮かべ、優人は缶飲料を受け取ってプルタブに指をかけた。

「で、みんなそろってどうしたのさ」

 小気味よい開封音をたてる缶のコーヒーをひとすすりし、アンディに問いかける。

「実はさ。これ、見せただろ?」

 そういってアンディが左袖をめくって見せたのは、先日の”シールギア・ホルダー”だ。

「こいつらも欲しいっていうんだけどさ。ここって、勝手に外と連絡とれないだろう? だからじっちゃんのツテでなんとかなんないかなってさ」

 じっちゃんとは、ルーク・フェザードという壮年の整備士長のことで、頑固で融通のきかない職人肌の性格で知られていた。

「じっちゃんかぁ。なるかもしれないけれど駄目だろ。一喝されて終わる未来が、アンディのカードを使わなくても丸わかりじゃないか」

「心・配・な~し!」

 大事そうに抱えたケースを自慢げに突きつけ、アルが大仰に包装紙の一部をめくってみせる。

「お酒?」

「ただの酒じゃない。こんなこともあろうかと、酒造家やっている俺の実家からくすねてきておいた幻の酒。ニホンシュだッ!」

「ニホンシュって、ひょっとして古式の醸造酒か? 超高級品じゃないか! そんなのあげちゃっていいのか?」

 太陽から遠く、農業用プラントの生産効率が低い木製圏において穀物は貴重品だ。ましてや、それを醸造して作られる醸造酒ともなれば単純な嗜好品の枠を超えた高級品であり、一般流通など望むべくも無い文字通りの幻に等しい存在なのだった。

 初めて目の辺りにする逸品に、優人の目が丸くなる。

「ふっふっふ。これも愛しのローラちゃんのため」

「恋は盲目ねぇ」

 酒箱を抱きしめ、うっとりと彼方を見つめるアルのとなりでエルがしみじみと呟いた。

「ローラって事務局の? ……おまえ、先週ふられなかったっけ」

「おもいっきり気味悪がっていたものな」

「あのプレゼントがいけなかったと思う」

「あったりまえよ。女の子に普通、戦艦の模型なんか渡す?」

 優人、アンディ、ミユキ、エルが口々にあきれた声を上げる中、アルは酒箱を抱きしめたままそっぽを向いて宙を仰ぐ。

「なんとでも言いたまえ。彼女があの美しさを理解できなかったのは非常に非常に非常ぉ~に遺憾ではあるが、しかたあるまい。所詮は女。男のロマンは理解できぬのさ」

「あ、差別発言!」

「差別ではありません。悲しいことですが、事実なのですよエル先輩」

「いや、あれがロマンっていわれても……なぁ?」

「まったくだよ」

 拳を震わせて悲しげにかぶりを振るアルを指差すエルの脇、一緒にするなといわんばかりのアンディに優人も首肯する。

「何を言うんだ二人とも。あの無骨にして繊細な機能美あふれるデザイン。グッとくるだろう? 男ならッ。特にあの”クルセイド”は、旧西暦末期に伝説的な兵器設計者カルロス・サンダーが手がけ―――」

「また始まった」

「長いんだよな。これ」

 げんなりとため息をつく皆をよそに、次第に熱をましていくアルのウンチクは延々と続いた。


   四

「この大馬鹿モンがぁぁぁ!!」

 怒声とともに投げつけられたスパナを、新米整備兵キース=ダカーはひょいと首を傾けてかわした。

「お言葉ですが」

 度の強い黒ぶちの眼鏡をなおしつつ、妙に落ち着いた声音で手元のマニュアルを開く。

「私はこのマニュアルに記された適性値通りに作業を行ったまでのことです。整備長の設定では推奨値を大きく外れてしまうことになりますよ」

「やかましいわ! そんなモンが現場で使えるくらいなら整備士なんていらんじゃろうが! メインフレームのB-598番付近の補強は、やりすぎなくらいでちょうどいいんじゃ!!」

「だとしても、ミクロン単位の公差で作成されている部品に勘で手を入れてしまうというのもいかがなものかと思いますが……私の計算でも、強度過剰と出ておりますし」

「だから、そんな計算式通りにいかんからそうしてんじゃろうが!」

「でしたら、その具体的な根拠を教えていただけますか? あと詳細なデータと整備事例をいただけないことには、私としましても納得いたしかねます」

「こ、このクソガキ―――」



   *   *   *   *   *



「……なにか白熱しているわね」

 表情一つ変えずにタブレット端末をとりだすキースと、しわくちゃの顔を怒りで真っ赤にしたルーク整備長を見比べ、エルが目を輝かす。

 整備場の入り口からこそこそと顔だけ出して、二人を遠巻きにのぞくエル以外の面々は大きく嘆息した。

「キースの奴、あいかわらず融通きかないよな」

「ありゃダメだ。じっちゃんそのうち血管キレるんじゃねぇ?」

「ワン君。大丈夫?」

「あは……はは……は……や、やべぇよ俺。いま一瞬、走馬灯とか見えちゃったよ」

 処置なしと、手で顔をおおう優人とアンディのかたわらで、鼻先をかすめて壁へ突き刺さったスパナに腰を抜かしたアルをミユキが心配そうに介抱している。

「まいったなぁ。あれじゃ相談どころじゃねぇや」

「そうだねぇ。ヘタするとこっちにとばっちりがきそうだし―――うん?」

 響き渡った重々しい振動音に視線をめぐらせた先で、宇宙港との搬入通路が開いた。整備場の天井へ張り巡らされたクレーン用のレールが通路天井のそれと連結され、通路奥から幾つかのコンテナと砂色のカバーをかけられたブラッディ・ティアーズとおぼしき機体を懸架した種々のクレーンが流れてくる。

 だが、それらは荷を整備場に下ろすことなく、そのまま隣の訓練用の練習艦へ通じる搬入通路へと運ばれていった。

「素通し? アンディ。あれって」

 梱包された荷をノーチェックで通すという、普通ならばありえない出来事をいぶかしみながら優人がアンディを振り返る。

「ああ、今朝入港した艦のヤツに間違いねぇ。エル先輩。何か聞いています?」

「それが妙なのよ。入港手続きを受けたの私なんだけれど、『責任者にこのコードを伝えろ』の一点張り。おまけにそれ聞いたイクシスの奴ったら青くなっちゃって、『ここ、このこととは、ひみ、秘密つに』だって」

 気の小さい上司の口真似をしつつ、エルは嫌悪感で眉根をよせる。

「しかもここだけの話だけれど、練習艦のグレイティガーってあるじゃない。今朝からあれの発進準備で関係者はおおわらわらしいわよ。もしかしたら管制担当で私とミユキにも声がかかるかもって。絶対何かあるわね。それも、知られちゃヤバイような何か」

「でも、それにしちゃ随分お粗末な話だよな。こんなにバタバタされていたら、バレない方がどうかしているぜ」

 細い顎先に指を当て、流れゆく物資を見つめるエルに肩をすくめ、アンディが小首をかしげた。

「たぶん、予想外の出来事が起こったんじゃないだろうか」

「予想外?」

「アンディも見ただろう? あの生々しい被弾痕。あれはどう見ても数日の内に付いたとしか思えない。きっと何かと交戦したんじゃないかな」

「何かってなんだよ。あれが来た方角には―――」

 言いかけた言葉をハッと飲み込み。

「まさか、”CALIBER要塞”が抜かれたってのか?」

 驚きに言葉をなくす皆に、優人はゆっくりうなずくと、

「正直いって僕も信じられないけれど、そうとしか考えられない。たぶんあれは――」


 と―――。


 突然の爆音に優人の言葉がさえぎられた。

 次いで上がる振動に足元をすくわれ、全員が床へと投げ出される。

 無数の悲鳴と激突音と破壊音が反響する整備場に伏す頭上から、高らかにサイレンが鳴り響いた。

(このサイレン音って)

 打ち付けた背の痛みに顔をしかめつつ、身を起こす優人の顔が、響いてやまないサイレンの種別を悟って強張る。

「敵襲!?」

 思わずもれた声に、アンディら仲間たちの間にも緊張が走った。



   五

「ずいぶんな無茶をしてくれる」

 漆黒の空間から次々と飛来する光条に刻まれながら崩壊してゆく基地を見つめ、被弾したソフテイル艦長ジョン・カーク中佐は軍衣の襟を正した。それが緊張したときの自分のクセであることを思い出し、白髭をたくわえた口元を皮肉げに歪める。

 急速離脱するソフテイルの艦橋から見つめる先ではコロニーの連結柱が折れ、回転の慣性で円周部が巻きつくようにして主柱をへし折りながら四散するそれらが爆光に飲み込まれていく。

 その爆光を背に、光条とは逆の方向へと飛び出した戦艦がある。距離と爆光のため視認はできないが、カークはそれが灰色地に黒の縞を持つ戦艦であることを知っていた。

「グレイティガーはうまく発進できたようだな」

「はい。あのまま衝撃波をカタパルトに行けば、敵の追撃を振り切れるでしょう」

「すまないな。死地につき合わせてしまった」

 硬い表情で振り返るカークに、恰幅のいい身体を軍服に押し込めた副官がかぶりを振って笑う。

「謝る必要などありませんよ。これでやっと妻子の元へ行けるのですから」

 同盟を結び、共にくつわを並べるようになって4年がたつとはいえ、木星圏コロニー間で5年近くも続いた内乱による戦火の爪痕はいまだ深い。カーク自身、その戦闘でブラッディ・ティアーズ乗りだった息子を失っている。

「それよりも」と、もはや小さな光点となったグレイティガーを副官は見つめ、嘆息する。

「謝るのなら彼らにです。あと半日あれば、物資も人員も十分に積めましたものを。突然のこの事態に、はたして何人が乗り込めたものやら」

「そうだな。だがせめて祈ろう。彼らが無事、本国へ帰りつけることを。そしてその確率を少しでも底上げしてやることが、私の最後の仕事だ」

 うなずきを返し、こちらに向き始めた砲撃に目を向ける。

「部下のほとんどを死なせた無能な私だが、彼らが逃げ延びる時間ぐらいは稼いで見せるぞ」

「ですが、イクシスのような臆病者にアレを任せて本当によろしかったのですか? もし我が身かわいさに、むざむざアレを引き渡してしまうようなことになれば……」

 不安げに彼方を見やる副官にカークは口端をつりあげ、どこか愉快げに口をひらいた。

「いや。臆病な者ほど利にさとく、我が身を守るすべに長けているものさ。アレを渡したところで口封じに殺されるのは目に見えている。ともなれば、誰より必死に働いてくれるだろうよ」

「そういう、ものでしょうか」

「あぁ、そういうものだ。と、どうやらおしゃべりもここまでのようだな。総員! 腹をくくれよ」

 散華する基地の爆光から一筋のきらめきが飛び出した。

「敵機補足。こちらにむかってきます」

「よし。撃てぇい!!」

 彼方の敵に向け伸びる弾光の先で無数の小花が開く。

「弾を惜しむなよ。ありったけ撃ちこんでやれ!」

 ビームが、ミサイルが、機銃弾が狂ったように飛び爆ぜ、生まれる光芒に満たされた空間を黒い影が舞い踊る。

 遠目とはいえ、モニターで確認する限り幾つかは確実に敵機を捉えているはずなのだが、その全てがまるで、鉄板に落ちた雨滴のごとく何のダメージも与えぬまま飛散してゆくようだった。

「敵機接近! ダメだ。弾幕が――――突破される……」

Anch BeamB Paudare散布!」

 オペレーターの絶望的な声音にカークの指揮が重なる。

 艦の周囲、数十メートルに対ビーム減衰用の粉が撒かれ、迫る光条の熱量を減衰させた。

「ミサイルを短距離設定で全包囲発射。メクラでかまわん!」

 それだけのミサイルを至近距離で爆発させるなど、もはや自爆しろと言われているも同然の命令だ。だがカークの下で歴戦を経た兵士たる部下たちは、ためらうことなくそれを実行する。

 命令のまま、ソフテイルから全包囲に向け発射されたミサイルは数秒で爆発し、叩き壊さんばかりの衝撃が艦体を襲う。

「こ、これはさすがにキクな」

 嵐の中の木の葉のごとく揺れる艦橋で、歯を食いしばりながら必死にシートへとしがみつく面々の中で一人、愉快げにカークがうそぶく。

「敵機発見!」

 衝撃波のピークを耐え切り、平静を取り戻そうとする艦橋に索敵官の声が響いた。

 声に誘われるがごとく、正面モニターを白く塗りつぶした爆光の中で一点だけ、削り取られたかのような暗黒が人形ひとがたを結ぶ。

「撃てぇ!」

 発したカークの号令に重なる集中砲火が敵機を包み込んだ。

「やった……か?」

 誰かがかすれた声で喉を鳴らす。その瞬間、カークの脳裏で戦士の勘が警鐘をかき鳴らした。プラズマの光芒を突き破り、矢のような黒影がソフテイルへと走る。

「いかん! 砲げ―――」

 カークの声が、黒影の放つ”制動噴射バックブースト”の衝撃とクルーの悲鳴でかき消された。

 一機の特異な形状をしたブラッディ・ティアーズが、揺れるソフテイルの艦橋へと取り付いたのだ。

 涙滴を縦に割ったような推進器を三基背負い、通常より一回り小柄な全身を滑らかな昆虫に似た光沢を持つ青い装甲で包んでいる。左腕には先端に爪を備えた小型の”菱形盾ダイヤモンドシールド”が装着され、防いだ衝撃への過負荷なのだろう。赤熱し、冷却用の内臓式フィンを露出させていた。

「こ、これが”幻想機”か……」 

 鮮やかなメタルブルーの装甲色を認めたカークが戦慄とともに呟く。

 西洋甲冑の兜に似たブラッディ・ティアーズの顔面へY字形に刻まれたスリット上を無数のセンサー光が動き回っていた。

 次いで、変調を施された耳障りな声音が通信機のスピーカーを震わせる。

 一方的な通信は一言だった。


はどこだ?』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る