第一章 ブラッディ・ティアーズ
一
空は、青い色をしているのだと、あの人は言っていた。
海も、青い色をしているのだと、あの人は言っていた。
空と海は、青いのだと。
輝くように青いのだと。
そして時に赤いのだと。赤いだけでなく
たくさんの色になるのだと、あの人は言っていた。
思いつく限りの、それだけではまるで足りないくらい数え切れない色を、空と海は見せてくれるのだとあの人は言っていた。
そしてそんな空と海に負けないくらい大地も色づいているのだと、あの人は言っていた。
まるで万華鏡のように眩しくて美しい世界―――それが地球なのだとあの人は言っていた。
風に揺られた木々のさざめきは人の心を安らかにしてくれるのだという。
白から灰に色を変えた雲が降らせる雨音で包まれた眠りは、この上なく心地よいのだという。
夕日に照らされた黄金色の稲穂たちの輝きは、穏やかな明日の到来を信じさせてくれるのだという。
まるで謡うようにあの人は、そう僕たちに語ってくれた。
灰色の人工世界しか知らない僕たちにとって、あまりに遠い別世界の物語を語ってくれた。
あの人が語る世界は、いつも美しくて。
深いぬばたまの
いつか二人で確かめに行こう。
あの人の前で彼女と交わした約束が、今の僕にとっての全てだ。
その誓いを果たすことだけが、僕の行動原理なのだ。
呪いに等しい誓約と、
だから僕は進む。この軍神暦を。
そして目指す。
テレパシー能力への覚醒をきっかけに、地球圏から敵視されることとなってしまった遥かな故郷―――木星圏を。その衝突の最前線であるCALIBER要塞を。
仲間たちと共に。そして、僕が歩む運命の顕現ともいえる人型起動兵器―――ブラッディ・ティアーズとともに。
僕は、
二
無重力の空間を跳躍した勢いにまかせ、宇宙服姿の少年が開け放たれたままの操縦席へと飛び込んだ。
飛び込みしなに反転し、投げ出した背中がシートの背もたれで受け止められる。上質な衝撃吸収素材を用いて作られた背もたれは、華奢な少年の身体をはずませることなく受け止め、パイロット用に薄く作られた宇宙服の各所へ縫いこまれた通信チップを通じてシートサイズやホールド位置の自動調整を実行してゆく。
同時に軟質素材のシート座面に施されたセンサーがパイロットの着座を検知し、右脇に居並ぶ小パネル群の一つであるイグニッションパネルのLEDが赤から青へと変わった。間髪入れずそこへ伸びた右手が、差し込まれたままのイグニッションキーを右へとひねり、機体のエンジンを始動させる。
イグニッションパネルのデジタルが”IGNISSION”の文字を点滅させ、それによりコクピット入口上方から下りたシャッターが外の視界を閉ざしてゆく。
そうしてコクピット内が一瞬、暗闇に閉ざされるものの、すぐに左右と頭上、シャッターとともに正面へ下りてきたディスプレイが点灯し、外の様子を映す光で闇が払われていった。
「セーフモードからの復帰完了。システム、オールグリーン」
両脇からせり出した機器が眼前で組み合い、中央に球形の三次元レーダー表示機を持つ集中官制装置”ヘッドアップディスプレイ”を成した。その右下に備えたメッセージパネルにて機体のステータスを一瞥しつつ、呟かれた声音は変声期前の少年のそれだ。
「セーフティ解除」
ヘッドアップディスプレイにあるいくつかのカバー付きスイッチを押してゆくにつれ、並ぶLEDランプたちが赤から緑に変わっていく。それを映し、無骨にシルエットをゆがめるパイロットスーツをまとった少年の鋭い黒瞳が、ヘルメットの奥で冷たく光った。
『………』
シート右脇にある肘立ての操縦桿を握る右の指先が、そのナックルガード状になったグリップ部分が備えるトリガースイッチの一つへと伸びたとき、小さな電子音とともに雑音だらけの音声通信が入った。
電波状態が悪いのか周囲の騒音が激しいのか。その声はノイジーでとても聞き取れるようなものではないものの、声が帯びる焦燥で全てを察したのか、少年は舌打ちして左手をシートのヘッドレストへと伸ばす。
手探りで所在を探り、ヘッドレスト左脇からジャックピンの付いたコードを引き出す。
そしてそのジャックピンを、ヘルメット左襟元にあるジャックへ差し込むと、正面パネル中央に”S-LINK接続完了”との文字が表示され、消えた。
途端、正面ディスプレイの中央に浮かぶ照準レティクルに重なって、緑で描かれた十字マークが浮かび上がり、激しく点滅しだした。パイロットの脳波とリンクしたコンピューターが、脳内情報より得られた人物データに該当する人間を可視範囲からサーチしているのだ。
やがて左手から上がった通知音に、こうべをめぐらせて見れば、左ディスプレイ中央でひらいた小ウィンドウに少年の知る初老の男が映っている。
着用者をゴム人形のように着膨れさせる船外活動用の宇宙服をまとっていてさえ判別可能なほど腰の曲がった小柄な体格の男―――カジバ・ラプトが、隣でライフルをかまえる男に何かを怒鳴っていた。
彼らがいるのは二段に詰まれたスチール製コンテナの裏手で、その脇から身を乗り出しては散発的にライフルを撃つカジバら4人の先には、この公会堂の大ホールほどの広さを持つ庫内への入り口から銃撃を重ねる宇宙服姿の一団がある。
状況は単純だ。
ここは今や敵となった宇宙戦艦の中にあるドックで、カジバたちは逃亡者なのだ。そして彼らが乗ってきたシャトルまでの距離は10メートルも無いものの、そこへ辿り着くためには入り口からの射線を横切らなければならない、というワケだ。
「完全起動している暇はないね」
呟いたのとほぼ同時にカジバらが持つライフルの弾が尽きる。
泡を食った様子でこちらに手をバタつかせている彼らに、入り口から武装した一団が殺到してきた。
「射撃モード”マニュアル”」
音声入力とともに操縦桿頂部へ右親指を伸ばし、備えたボールコントローラーを素早く転がす。正面パネル中央で明滅する緑色の照準が左ディスプレイへ滑るように移動し、カジバらと一団のちょうど中央で止まった。
「ファイア」
宣言とともに右人差し指がトリガースイッチを引き絞り、コクピットを微震が襲う。それと同時にディスプレイの中で、照準が指した地点へと火線が走った。
時間にして1秒にも満たぬ射撃だが、連続して打ち出された200ミリの機銃弾はたやすく合金製の床を削り散らし、火花と白煙で場を混乱へ陥れてゆく。
(あとは発進を援護する)
ディスプレイの中でカジバらがシャトルのハッチへ取り付いたのを横目に、ヘッドアップディスプレイに並ぶ各機器のスイッチを次々と入れてゆく。
ヘッドアップディスプレイのステータスパネル上に人型のシルエットが浮かび、コクピットを頂とする各部機器との通信チェック、各駆動部のキャリブレーション、エラーチェックから”S―LINK”システムの完全起動へとつながりだした。
(急げ…急げ……)
複雑な機構とシビアなパイロット適性を必要とするためとはいえ、こういった緊急時には、通常兵器と比べて圧倒的に長い起動時間という、この兵器が持つ欠点が恨めしい。
と―――。
画面の端に映っていたシャトル背面で、居並ぶノズルたちが轟炎をとどろかせた。
濃紺一色で染め上げられた鳥のように幅広で鋭角的なラインを持つ船体が前方へと押し出され、凄まじい加速とともに発進してゆく。
「よし」
その様子を見送り、少年が小さく首肯するのに数瞬、遅れてヘッドアップディスプレイに起動完了のメッセージが表示された。
「あとは、初めての機体でどこまでやれるか、だね」
先ほどの照準と同様に目標地点たる発射口をカーソルで指定し、自動動作で機体を向かわせながら口元を引き締めた。
脱出前に起動前の敵機を全て破壊することも考えたが、思いとどまる。もし実行すればこの艦は大破、乗組員は全滅必死である。今後のことを考えれば正当防衛の範疇を超えた攻撃は最小限に抑えておきたかった。
「電磁カタパルト……セット」
ゆっくりと巡るディスプレイの視界が微震と共に固定された。
正面ディスプレイには、上下左右の面に2本のレールが配されたトンネルの出口が映っている。透明なる暗黒に星のきらめきを散りばめた無限の空間―――宇宙への出口だ。
(さあ、飛ぼう)
機体を固定したボックス状の懸架器の背で、電磁コイルが高電圧の火花を散らせ始めた。
ヘッドアップディスプレイの中央下部にあるメッセージパネルがカウントダウンを始めるのを見つめ、それが『1』を切る寸前で歯を食いしばる。
「!!」
カウントが『0』をあらわすのと同時にコクピットを襲った凄まじい加速と振動音に、漏れた苦鳴がかき消されてゆく。
カタパルト本体の電磁コイルと懸架器のコイルとの間にあった遮蔽版が引き抜かれ、数百億ガウスにもなる電磁力の反発が懸架器を押し出したのだ。
時間にして2秒ほどの加速疾走の中、点火していたスラスターが出力を上げ、300キロを超す慣性に速度を上乗せしてゆく。
後方から支える形で機体を押していた懸架器から機体が離れた微震と同時に、ディスプレイに映る視界が黒に塗りつぶされた。
暗黒のしじまを駆ける己を思う身が震える。
恐怖ではない。それは歓喜の震えだ。
誰からも、何からの束縛からも解放される自由に触れた一瞬の恍惚に酔う少年の口元を、自然と笑みが飾る。
が―――。
「!?」
ヘッドアップディスプレイが上げる警告音に少年は我を取り戻した。
ヘッドアップディスプレイ中央で薄緑に発光する球形の三次元レーダーを見れば、背後から自機に急速接近する機影が3機、”En(ENEMY:敵機の略)”の文字とともに赤い点で表示されている。
(追ってきたか)
背筋を走る悪寒に目をつぶり、湧きあがろうとする戦いへの恐怖を必死に飲み下す。
「FRE起動……」
口を突いた宣言に続いて左中指が、左アームレストにそなえた火器管制・簡易動作設定用のタッチパネル―――ファンクションボードのキーを一つ叩いた。
三
「
艦橋の中央に据えられた六角形の戦術指揮用タクティクスモニターテーブルが浮かべる立体映像を見つめたまま、少年は何とはなしに呟いた。
燃えるような赤毛と対照的に真っ白な肌、性別の分化が薄い中性的な顔立ちが印象的な少年だ。つい数日前に十の誕生日を迎えた文字通りの少年と艦橋という取り合わせはどうにもミスマッチで、細く小さな身体にまとう階級章のない白い軍服が殊更にそのおもむきを強めている。
「十年前、突然に訪れた”テレパシー能力”のせいで地球や火星ら”中央”に見捨てられた人たちが、その力を武器に変えて戦い合うだなんて……」
左の壁際へと背をもたれ、険しめた瞳で見つめるモノリスのようなホログラム映像に浮かぶのは、超望遠でとらえた彼方の戦闘映像だ。
その中で、虚空の黒を駆け昇る一つを追って六つの流星が軌跡を収束させてゆく。
「ブラッディ・ティアーズを見ていると、”
銃撃の射線が、一瞬のまたたきとして光たちの間を飛び交いだした。複雑に軌跡を交差させだした中で一つ、また一つと光が消えてゆく。
「まだ人類が宇宙を見上げることしか出来なかった古代の中国で、幾種類もの毒虫を一つの壺に入れて埋め、生き残った一匹を呪術の道具として使った逸話なのですけれど……まるで彼らそのもののようだと思いませんか? ヒュエル少佐」
ゆっくりと、右へこうべをめぐらせ問いかける。
投じられた視線が5段の階段をなめるように上がって、その先にある艦長席で止まった。その視線を受け、少年と同じ白い軍服姿の偉丈夫が、黒い合成皮張りのシートに深々と腰を下ろしたまま鋭い鷹の目を攻撃的に光らせる。
「くだらないな。生存を賭けた戦いの無い場所など、この宇宙のどこにある? 人だろうと、獣だろうと、敵に突き立てる牙なき者に未来なぞあるまいよ」
「中央からの供給が無くなったせいで起きた食糧不足も、そのために始まった木星圏との戦争も、みんな大したことじゃない?」
「そうだ」
浅はかな子供の感傷と、挑むように見上げてくる少年に断じた少佐―――ライトニング・ヒュエルは映像へと目を戻した。
画面の中ではちょうど、もつれあうように重なっていた光の一つが砕け散り、残る一つが動きを止めた所だった。推進炎のまたたきと、とらえたレーダーによる捕捉がなければ星々に混じって判別が難しいほどに小さな光だ。
「だが―――」
それを見すえ、剣呑な面持ちでヒュエルが口をひらいた。
「蟲毒という表現は意外と的を射た表現なのかもしれないな。”テレパシスト”という虫けらどもが争いの中から生み出した”ブラッディ・ティアーズ”という名の毒が、我ら中央を蝕もうとしていると考えればなるほど、面白い見方だと思えなくも無い。少なくとも、テレパシストを新たな人類の進化形だなどとぬかす馬鹿どもよりはよほど、うなずける表現だ」
愉快げな口調とは裏腹に、ヒュエルの表情は硬い。
モニターごしの彼方を見すえる目には怒りとも、憎しみともとれる暗い炎がチラチラと舌先をのぞかせていて、感じる彼の
「そして我らも毒というわけだ。血清という名の、な。そうは思わないか? エドガー・ライエル」
「僕は、そこまで傲慢になれません」
皮肉るようにエドガーの問いを真似て返すヒュエルに、少年は気分を害した様子でモニターへ目を戻すと、かすかに唇だけで呟く。
「ほんのすぐそばで命が、あんなにも激しい”
見つめる彼方で咲き誇る仇花たちが、少しずつ数を減らしてゆく様子を憐れむように、エドガーは小さくかぶりをふるのだった。
四
テレパシストは戦争には向かない。
戦争勃発直後、木星圏の人々が悟った最初の認識がそれだった。
テレパシーとは、認識力、感情共感力、読心力、送心力、交心力の五つからなる超感覚能力の総称である。
人の存在を感じる力。人の感情を感じる力。人の思惟を読み取る力。自身の思惟を伝える力。互いの記憶を通い合わせる力。
どれも人が殺しあうには邪魔となるものばかり。精神感応破封印装置―――シールギアをもってしても、戦場という極限の中で引き出される力の前には力不足であった。
しかし、それでも一旦ついた火は消えなかった。
FRE。”
テレパシーではなく、人としての感情を抑制することでテレパシストを兵器化する狂気の装置だ。ここまでして争わねばならないのか。こうまでして戦わねばならないのか。だが、戦火と貧困にあえぐ人々の答えは、『イエス』だった。
* * * * *
「ターゲット……インサイト」
交錯する閃光と、弾ける一瞬の光芒が乱れる空間を跳ね飛ぶ四角い”
パイロットの意思と連動したシステムが、目標を追尾対象として自動認識したのだ。対象固定と同時にサブサイトが、”(
「ロック」
ターゲットへの”
(こちらに気づいたか。しかしコンマ5秒、こちらが早い)
テレパシー能力に覚醒した人間の特徴の一つに、優れた空間把握能力がある。
文字通り、周囲空間を三次元的に捉え、在るモノを三次元的に把握する能力の異常発達は、宇宙という360°空間におけるパイロット適性を確固たる物とし、同時に人間の構造的な欠点である視界の狭さを補う機能確立のきっかけともなった。
すなわち、撹乱電波の飛び交う戦場において極端に有効範囲の狭まるレーダーではなく、FREを通じて周囲に散在するパイロットたちの認識をテレパシーでジャックし、それら多角にして複数の目より得られた位置データをパイロットの脳へダイレクトに感覚としてフィードバックする探知方法が考案されたのだ。
端的にいえば、シミュレーションゲームの画面さながらに、戦場を俯瞰して認識させるシステムといったところか。
それはイコール、この兵器の戦闘力がパイロットのテレパシー能力に比例することを意味する。
相手より早く、相手より確実に。テレパシーという異能がもたらす驚異的な索敵能力を持つもの同士の戦闘において、生存という結果は常にそれをパイロットへ課すのだ。
画面では小さな光の点にすぎない敵機のレーダー圏に音速で進入し、肉薄する。
(ブレード……スラッシュ……)
ファンクションボードの”SWORD”キーを左手が打ち、操縦桿頂部にあるボールを右から左下、そこから右上へと親指で転がし、スラッシュマークの重なった照準をめぐらせる。
その動きを追い、ほとばしるような光跡が画面の上を走った。自機が備える機械の腕が、操作に従ってブレードを振るったのだ。思考補助システムによる動作補正を受けた腕が見せる挙動は速やかで、生々しいまでに滑らかだ。
そしてそれは、音速ですれ違う敵機との相対距離がゼロになった刹那であり、高周波振動で白く輝くブレードがチタン合金製の敵機装甲をバターのように切り裂いた瞬間でもあった。
正面ディスプレイの上方に映る後方視界モニターの中で、全身に設けられた推進器を噴射光で青白くきらめかせながら向きなおろうとする灰色の人型が爆炎を上げて四散する。
「あと四つ」
と―――。
一つ、二つ、光弾が右サイドディスプレイを流れていった。
けたたましいアラーム音に続いて知覚した無数の気配が、FREによって明確な三次元座標として脳裏で閃く。
(囲まれたか)
せわしなく操縦を続ける目端で三次元レーダーを見やれば、赤く表示された敵機が三角錐状に自機を取り囲み、フォーメーションを維持しつつ旋回しながら間合いを詰めてきていた。文字通りに一糸乱れぬ連携ぶりは、確かな個々の技術とチームワークを感じさせる。
激しさを増す砲撃をかいくぐりながら、その内の一機に狙いを定め、左手のファンクションボードを叩いた。
見上げた雨空から降る雨のような光弾を映していた正面ディスプレイが巨大な機械の左腕で埋め尽くされた。正確には左腕と、そこに装備された円形盾によりさえぎられたのだ。
ディスプレイには目もくれず、三次元レーダーを見据えたままスロットルを開ける。
そのまま目一杯に右足を踏み込み、少年はレーダー上の敵機の一つへ向け一直線にフルブーストをかけた。
少年の接近を察知した敵機が急減速し、僚機との連携距離を保とうと身をひるがえす。
三次元レーダーに映る敵機との相対距離表示の減りが速度を落とすのを一瞥し、少年は他の三機を見やった。こちらの動きは予想の範囲だったのだろう。こちらの行動開始時点からのレコードを見ても動揺した様子はなく、いささかも陣形は乱れていない。
「当然か」
狭まる包囲の範囲が射程距離を割った。
「けれどね」
今度は左足のフットペダルを勢いよく踏み込む。
大きく揺れるコクピット正面の視界が開かれ、画面上部に映った
急制動の生む凄まじい慣性が、全身の骨をきしませる。
オートバランサーでも制御しきれない慣性。そして、ともすれば失いそうになる制御を、めまぐるしい
そうして収束してゆく慣性のオーバーシュートがおさまるのと同時に、駆動音とともに軽い振動が背に伝わった。見るまでもない。後ろ手にかまえさせた盾が被弾したのだ。
それと入れ替わりに機影が三つ、自機を追い越してゆく。
減速をかけようとする思考は感知していたものの、機体の限界を無視したこんな制動技術までは、さすがに予想していなかったのだろう。慌てて急制動をかける三機の挙動が乱れ、描くトライアングルがいびつに歪んでゆく。
「遅い」
すでに照準の選択を終えていた右手がトリガーを引き絞った。
時間にしてそれは1秒にも満たない時間にすぎなかったろう。しかし、それで十分だった。
パイロットの認識能力と連動している照準は一度定めた標的を逃すことなく完全にロックし、正確に三度、トリガーが引かれるたびに画面を走る光弾が敵機へと吸い込まれてゆく。
「あと一機」
シールドを構える暇もなく、ほぼ同時に四散する敵機の爆光を見つめたままポツリ呟く。
あと一機いるはずの敵機が三次元レーダーから消えている。しかし少年は自分に向けられた敵意を感じ取っていた。
おそらくSSTシールドを前面に展開してレーダーから逃れているのだろう。シールド表面に展開されるSSTのフィールドは、打ち当たる光さえ破壊し反射をさせないため、人の目には漆黒の闇としか映らないのだ。
左手がファンクションボードを叩き、右手を弾の尽きたライフルから高周波ブレードに持ち替えさせた。
「どこから来る」
まっすぐに向かって来ているはずの敵機を捕らえるため、目を閉じテレパシーに集中する。
「………そこか」
フィールドの端からこぼれるわずかな気配に耳をすます右手が操縦桿を引き、右足がスロットルを踏み込む。
すれ違う敵機のそれと干渉したフィールドの余波がコクピットを揺らす中、三次元レーダーに再び表示された敵機へ操縦桿をひねって自機を向けると、右手で突き出した白く光るブレードを引き戻しつつ左手に盾の輪郭を持つ暗黒を装備した人型がちょうど向き直るところだった。
(形式番号JABT-17”フレイムソードⅡカスタム”。隊長機か)
センサーの灯かりがちらつく幾本ものスリットが施された頭部と、腕先の盾を自在に巡らせるため多関節化された細身の左腕、それと対称にあらゆる装備を自在に操るため人そのものを模した手先を持つ密に装甲の施された右腕に、多方向へ自在に折れてあらゆる方向への推進力を生む背部の可動型推進器、さらには着陸脚と機体のバランス補正を行なうため各所に小バーニアを備えた太い両足を持つ、いびつな機械の人型―――これこそが、ブラッディ・ティアーズ(=通称BT)と呼ばれる兵器の典型的なシルエットだった。
ブレードをかまえるこちらへ向け、敵機がシールドを突き出すようにかまえる。奇妙なシールドだ。上体の半ばを隠す円形のそれはまるで、表面に宇宙の黒を切り取って貼り付けたかのような姿をしている。
(さすがに指揮官仕様機。SSTシールドの出力が、これまで落とした通常機の15%増しか……この機体の武装じゃ遠距離からの射撃は効きそうにないね)
SSTシールド。底知れぬ虚無に似たフィールドをまとう盾こそは、ブラッディ・ティアーズを最強の機動兵器たらしめている理由の一つなのだった。
SSTとは、”
人の脳波に共振して空間を揺らす(=電磁波を発振する)特性をFRE開発の副産物である増幅器とテレパシストという特異な脳波長の持ち主を組み合わせたことで、表面数ミリの空間を破砕し空間的に隔絶されたフィールドを作り出すという驚異的な性能を持つに到った特殊マテリアルだ。
それをシールドに転用し、光さえ反射を許さず破砕する不可侵の防御兵装として完成させたものが”SSTシールド”なのである。
(反応速度の勝負、か)
高速機動の最中で、こちらに振り下ろされた高周波ブレードへと操縦桿頂部のボールを転がして銀光を走らせる。
画面右から一直線に繰り出された刃が敵機のそれを受け止め、交錯するブレードの交点で弾けた高周波が衝撃となってコクピットを揺るがせた。
そうして幾度、打ち合ったことだろう。
(もう稼動限界? スペックデータより213秒も早いじゃないか。ずさんな整備をしてくれて!)
衝撃と電磁波を連続で浴びつづけた右腕が加熱し、段々と反応が鈍くなってきている。
様々な武器を扱う汎用性を生むため繊細に作られた右腕は、BTにとって最大の攻撃手段であると同時に弱点でもあった。
額の辺りがチリチリする。
FREによって感情を抑えるといっても限界はあった。脳が超時間、感情という刺激を受けないことは、同時に大きなストレスをもたらすのだ。限界が近い。
「仕方……ない」
親指をボールから放し、左手がキーを叩いた。プログラムが新たに呼び出され、操縦桿のトリガースイッチの設定が切り替わる。
(敵シールドへの自動牽制動作解除……左腕動作プログラム再設定……)
緊張が高まる。FREの制御ゲージが上限近くまで上がり、はやろうとした心拍が止まったのと同時に、少年はスロットルを踏み込んで自機を敵機へと突っ込ませた。
右腕がブレードを水平に振り払い、それを待ち構えた敵機が受け止めんと垂直にブレードをかまえる。
「カット」
ブレードが交錯する刹那、少年はトリガーを引いた。
瞬間、高振動が切れ鉄棒と化したブレードが紙のように両断される。慣性に振り回された機体がコマのように回りだす。だが、そこからだった。
間髪入れず背のスラスターが回転を加速させ、左腕の円形盾を横なぎに叩きつけたのだ。SSTの切れた、巨大な鉄塊であるソレを、だ。
超高振動によって分子レベルであらゆる物質を切り裂くブレードの前に、円形盾も当然のように両断される。だが、それゆえにブラッディ・ティアーズのパワーで加速されたシールド片は、一切の減速を強いられることなく放たれ、一個の砲弾となって敵機の胸へと突き刺さった。
炸裂した装甲の隙間から火花が飛び散り、制御を失った推進機が暴発する。爆散する敵機から走る衝撃波と断末魔の絶叫が、少年の心身へ突き刺さった。
歯を食いしばり、数秒の苦痛とショックを耐え忍ぶ。
衝撃が沈静し、吹き飛ばされた機体が自動制御で体勢を整え終えたところで、少年は荒い呼吸を繰り返した。
(終わった……ね……)
周囲に敵の気配はもうなく、敵艦が発していたジャミングも薄れ始めているのだろう。レーダーやセンサーも鮮明さを取り戻してきていた。
折れたブレードを放り捨て、盾とともに半ばから切断された左腕を肩口から切り離す。
そしてファンクションボードでシステムを戦闘モードから警戒モードへ切り替えるとモニターから照準が消え、同時に機体各所が展開して赤熱した放熱板を露出させた。
(とりあえず連絡を――)
そのとき、甲高い呼び出し音がコクピットに響いた。
ヘッドアップディスプレイを操作し、通信回線を開くと、正面ディスプレイ右上に白衣をまとった白髪の老人が映し出される。
「無事か。レイジ」
「カジバ博士」
「指揮官機とはいえ、同型の通常機であの数はキツかろうに。無茶をする……」
「そんなことより―――」
しわがれたカジバの苦笑に、レイジはヘルメットのバイザーを上げた。どこか虚ろな無表情さの漂う黒瞳が、厳しい表情のカジバを映す。
「―――アレは?」
「ダメじゃ。すでに別働隊に持ち去られた後じゃった」
「そう……ですか……」
「すぐに戻ってくれ。ヤツらがこの空域に近づいてきておる」
「了解」
通信とともにレイジは機体のFREを切った。途端、まるで幽鬼のようだった瞳が生気を取り戻し、表情が濃い疲労の色で陰る。
三次元レーダーが緑から青にホログラムを変色させ、重苦しい重圧から解放されるような感覚に大きく息を吐いた。
「ぐっ……」
そして、一拍のちに襲いくる強烈な衝動に短くうめきながら宙を仰ぐ。
双眸から大粒の涙がボロボロとあふれていた。FREの副作用だ。
感情を無理に押さえ込んだ反動なのだろう。FREには、それが切れるとパイロットが強い衝動に襲われ涙を流すという副作用があった。
その理由は判明していないが、BT乗りの間ではこんな迷信が囁かれている。
『この魂の血が枯れ果てたとき、自身の命運も尽きるのだ』と。
”
この兵器の名の由来とのなったそれは、駆る者に血の涙を強いる狂った兵器へ送られた皮肉なのかもしれない。
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