幻想機マイセルフ

@xei

幻想機マイセルフ

序章 願うのは。失ったのは……。

(帰りたい……帰りたい……)


 望郷の念ばかりがつのってゆく。


 押しつぶされそうな想いの中で、浮かぶのは風と光にちた遠き故郷だった。

 生まれ、育ち、学び、出会いと別れを繰り返し、そして最後には自分を追いやった忌まわしい場所であったはずだというのに。

 回想し、追憶し、おもうたび、つのる懐かしさが胸を締めつけてやまない。


(帰りたい……)


 幾度くりかえしたのか。幾度つぶやいたのか。バラバラになった心とともに薄れてゆく記憶からは、恋を語りあった少年の名さえ消えてしまったというのに。自分の顔も、本当の名前すら思い出せなくなってしまったというのに。


 だが、それでも―――。


(帰りたい……)


 意識も、感覚も、全てが希薄な夢幻むげんの中で、少女はただそれだけを願い続けていた。




   *   *   *   *   *




 激しい動悸どうきが内側から鼓膜を叩き続けていた。

 汗でぬれそぼった肌は冷え切って感覚が薄く、濃密な血臭を吸い込んだ鼻は麻痺している。

 緊張で乾ききった口中はかさついており、ひゅうひゅうと苦しげな息づかいをこぼすばかりだった。

 血の気の引いた顔が、眩暈めまいで揺れている。

 五感の全てが鈍化し、まるで出来の悪いヴァーチャル映像の中にいるかのような錯覚を覚える中で男―――メーヴェ・アグシャは心底、呪わずにはいられなかった。

 何故、おのれは正気であるままなのか。

 自身への嫌悪が、憎悪が、炎となって身の内を焼き焦がし続けている。初めて犯した大罪の衝撃に魂までをも打ちのめされていながら、狂うことなく理性を保ち続けている度し難い自分自身を、破却できたならばどれほどの救いとなったことだろう。

「なぜだ。メーヴェ」

 震える銃口から硝煙が立ち昇っている。

 定まらぬ銃口の先で、血染めの白衣をまとった男が灰色の鉄壁を背に膝をついていた。

 壮年の男だ。

 やや小太りながらも広い肩幅と日で焼けた褐色の肌色が、彼の活動的な人となりを如実にあらわしている。深く顔に刻まれたシワと、思慮深い知性に満ちた眼差しがなければ、まとう白衣はさぞや不似合いと映ったことだろう。

「なぜだ。なぜ、こんなことをした!?」

 血のかたまりを吹きこぼしながら、問う男の腹部からは鮮血がとめどなくあふれ、急速に色を失っていく顔色には死相が色濃く浮き出ている。

「答えろ。メーヴェ。なぜ、私たちを撃ったのだ」

 息もたえだえに問う男の左右には、折り重なって倒れる幾人もの男たちがあった。

 みな一様に白衣をまとい、銃撃を受けて絶命している。

「メーヴェよ!」

 残された命を振り絞り、裏切りの友へと叫ぶ男にようやく、メーヴェは強張って拳銃を放さない両手を下ろし、ためらいがちに口をひらいた。

「……恐ろしかった。再び、あの子を失うことが恐ろしくてたまらなかった。ただ、それだけだったのだ」

「この……たわけが……倒錯とうさくしやがって……」

 恐怖に震え、腰砕けて尻餅をついたメーヴェを見つめる男の瞳に理解の色が浮かぶ。それとともに広がる憐憫れんびんの情が、苦々しい言葉となって口をついていた。

に魅入られたのか。おまえらしくもない。失うことをおそれるなかれとは、おまえの口ぐせであったはずだろう」

「あぁ、そうだ。それは私の言葉だ。大切な者を失う痛みを知らず、その重さをおもんばかることさえしない愚か者だった、かつての私の言葉だ。独り身のおまえにはわかるまい。自身の過失で娘を亡くした親の苦しみなど。あさましい豚のような権力者どもによって、それを再び味あわされようとしている私の苦しみが、おまえ達になどわかってたまるものか」

「つまらない欺瞞ぎまんはよせ。アレはおまえの娘などではない。同じ顔を持ち、同じ声で鳴く、おまえの悔恨が生み出した幻像の産物だ。娘どころか人間ですらない。生物かどうかすらも疑わしい”異邦人エトランゼ”ではないか。どんなにアレを愛し、娘と思ったところで、それは亡くした者へのつぐないなどにはなりえない。いや、むしろ冒涜だ。永遠であるべき空席に、あんなモノをいつまで座らせておくつもりなのだ。もう一度、よく見てみるがいい。おまえが今、何にすがりついているのかを」

「黙れ!!」

「撃つか? それもいいだろう。どのみち私はもう助からない。いまさら傷の一つや二つ増えたところでなにが変わるものかよ。だが、これだけは言わせてもらうぞ。おまえは間違っている。そして予言しよう。近い未来、おまえは必ずアレを傷つける。我ら以上に大きく、深く、そして凄惨な傷を、おまえ自身が刻むことになるだろうよ。せいぜい苦しむがいい。そして知れ。終わりの無い辛苦に打たれ続ける無間むげん地獄こそ、人の道を外れた者に待つ末路なのだと。愚かな我々に、神が下した結末なのだと」

 激情に恐怖を忘れ、再び拳銃を振り向けたメーヴェを男は嘲笑う。

 だが言葉とは裏腹に顔は悲しみで引き歪み、目じりからは涙がとめどなくあふれ続けていた。

「愚かなメーヴェ。欺瞞と贖罪しょくざいをはき違え、どこまでおまえは堕ちてゆくのだろうな」

 怒りや憎しみよりも、憐れと思わずにはいられなかった。

 身勝手なエゴで男と仲間たちを撃ったメーヴェが、ひどく小さく見えて仕方がなかったのだ。

(なんだ。そのザマは。いつもの自信と矜持きょうじに満ちた、高慢で鼻持ちならない我々の長はどこへいってしまった?)

 小柄で枯れ木のようにやせ細った身と、まとう白衣を返り血で染め、歯の根を鳴らしながら銃口を向けてくる姿は別人のように頼りない。昔から伊達でかけている片眼鏡の曇りが、常なる彼までをも隠してしまっているように思えた。

「どうした。撃たないのか? いっておくが、ここで生かせば今度こそ私はアレを消滅させるぞ。今度こそ……あの怪物を、な」

「黙れロラン。黙れ!!」

 怪物という形容にメーヴェの目の色が変わった。

 激昂し、はじける感情のまま動いた指先が拳銃の引き金を引きしぼる。

「わかれ。メーヴェ。あれはバケモ―――」

 乾いた破裂音が幾重にも反響し、つむぎかけたロランの言葉を半ばで刈り取った。

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