第18話
地下訓練場でアーネストと出会ってから三日後。太陽が頂点に昇った真昼時。ベイルは天井の開け放たれた、コロシアムの闘技場の中に立っていた。時間の流れとは速いものだ。満員になった客席から迸る熱狂の声を浴びながら、ベイルはそんなことを考えた。同時に彼の脳内では、数分前に選手控室で聞かされたミチの「ありがたい言葉」が反芻され始めていた。
「今日は予定を変更して、飛び入り参加選手による特別試合を実施するって感じで宣伝しておいたの。だから今日はいつもより、客の入りがずっと凄いことになってるから。しっかり活躍してよね!」
こうなるくらいなら、あの時メリエからの懇願を蹴っていた方が良かったのかもしれない。檜舞台に慣れていないベイルは、そんなことすら考え始めていた。
「どうか、どうかお願いします。勝手なお願いとは存じております。ですがどうか、我々のために骨を折ってはいただけないでしょうか。誇りある白薔薇騎士団の名を、このようなことで汚すわけにはいかないのです」
今から数日前、騎士団の地下訓練場で彼女から言われた言葉だ。広い地下空間の中、メリエは恥ずかしさと申し訳なさで目を真っ赤に腫らし、それでも誇りを捨ててベイルに正面から懇願した。メリエは己の外聞よりも、騎士団の名誉を保つことを選んだのだ。
「もし受けてくだされば、この私がどのようなことでもいたします。ですからどうか、私達に力をお貸しください」
「……」
卑怯だ。祈るように手を組み、今にも泣き出しそうなメリエを見ながら、ベイルはすぐにそう思った。彼は理不尽な要求を二つ返事で受けるようなお人好しではなかったが、かと言って女の泣き落としを一蹴できる男でもなかった。彼は「はい」とも「いいえ」とも言わず、渋い顔のままメリエを見返した。
メリエは熱い視線をベイルに向け続けた。この女は梃子でも動かない。ベイルは戸惑いながらもそう直感した。こちらが折れるまで、ずっとこの茶番を続けるつもりだ。
「……わかったよ」
そして結局、ベイルが折れた。結局、彼は他人に厳しくなることは出来なかった。
直後、メリエの顔が光が射したかのように華やいでいく。
「本当ですか? やっていただけるのですか?」
「お前マジかよ」
「ああやるよ。やるって言ってるんだよ。ベーゼスももう何も言うな。いいな? 俺はやるからな」
「ありがとうございます!」
投げ遣りにベイルが言い放つ。ベーゼスは不満げなまま口を閉じ、メリエは感激のあまり目から涙を流し始める始末であった。
そしてその横で、ミチがおもちゃを見つけた子供のように顔を輝かせて言った。
「これで決まりだね。じゃあまずは特別試合が出来るように、コロシアム側に掛け合わないと」
「お前そんなこと出来るのかよ」
「もちろん。だって私、コロシアムのお偉いさん方とはちょっと親しい仲だからね。いやあ、楽しいことになってきた!」
その後はとんとん拍子で話が進んでいった。主に発奮したミチが先頭に立ち、あれよあれよと言う間に舞台が整っていった。試合の形式としては、白薔薇騎士団団員であるアーネストに対し、ベイルが挑戦者として挑む形になった。
ミチの行動は精力的で、全身から意志と活力を漲らせていた。この妖精は楽しいことを見つけると動かずにはいられない、生まれついてのイベンターなのかもしれない。本番まで宿屋で待機していたベイルは、騎士団の用意した連絡役を介して次々入って来る進捗状況を聞きながら、そんなことを思った。
そしてミチの孤軍奮闘により、今こうして決闘の舞台が出来上がっていたわけである。
「おいベイルとやら。逃げずにここまで来たことは褒めてやるぜ。ご立派なもんだ」
そのような感じで過去の記憶に思いを馳せていたベイルに、唐突に声がかかってきた。それを聞いたベイルが意識を現在まで浮上させてから正面を見ると、そこには今しがた声をかけてきた対戦者の姿があった。ベイルと対戦者アーネストは今、だだっ広いコロシアムの真ん中に向かい合わせに立っていた。アーネストはこの時、袖無しのレザーアーマーとズボン、アームガードにブーツというラフな出で立ちであり、背中には巨大な両刃の剣を背負っていた。一方でベイルは普段着のままであり、腰にナイフを提げていただけだった。
「お前に恨みは無いが、ここで死んでもらう。それが契約だからな」
アーネストがニヤニヤ笑いながら言い放つ。それを聞いてベイルは初めて、この男がどうして自分を狙うのか全く知らないことを思い出した。そもそも自分は、この男の名前しか知らない。こいつ普段は何してるんだ?
急に胸がモヤモヤしてきた。好奇心がツンツン刺激されていく。秘密を明かしたくてたまらなくなってきた。
「ちょっと待ってくれ。どうして俺を狙うんだ。理由があるなら戦う前に教えてくれ」
欲望のままベイルが問いかける。しかしアーネストはそれを鼻で笑い、嘲るような口調でベイルに言い返した。
「今更そんなこと聞くのか? バラすわけねえだろ。もし知りたかったら、俺を倒してから聞いてみるんだな」
「本当か?」
「ああ、本当さ。俺は嘘はつかない。絶対にな」
「よし、わかった。本当だな」
戦う前から勝ち誇った口調で言い放つアーネストに、ベイルは力強い調子で答えた。アーネストはそれを見ても気分を害することなく、ただ軽薄そうにヘラヘラ笑っていた。自分が負けるとはひとかけらも思っていないようだ。
コロシアムの客席の最上段、その一角にある特別立派な観客席に座っていた人物が腰を上げたのは、その直後だった。
「双方、準備はよろしいかな?」
それは長い髪を後ろに束ねた、顔面に皺を刻んだ長身の男だった。男は鷹のように鋭い目を眼下のコロシアムに向け、よく通る声で二人の対戦者に問いかけた。直後、ざわめいていた観客席は途端に静かになり、観客達はその立ち上がった男の次の言葉を待った。
ベイルはその長身の男を知っていた。それくらいは調べてきている。ベイルは彼の姿を見上げながら、男の情報を脳の奥から引き揚げた。曰く、彼はこのコロシアムのオーナー。ここに関係する全ての権限を握っている、とてつもなく偉い御仁だ。御年六十二歳。元帝国軍の将軍であり、引退してからこのコロシアムのオーナーになった。妻が三人、子供が八人いる、老いてなお盛んな豪傑である。
しかしそこから先を思い出そうとしたところで、ベイルは頭をひねった。脳内で作成したあの男のプロフィールの、名前の部分だけが真っ白に欠落している。ド忘れしたか?
「では戦士達よ。その知勇をもって、存分に競い合うがいい!」
そんな男が、景気の良い大声で試合開始を告げる。それと同時に、彼の横にあった大銅鑼が銅鑼係の手によって盛大に打ち鳴らされる。
コロシアムに銅鑼の音が響く。それを皮切りに観客が再び歓声を上げる。闘技場のボルテージが否応なく高まり、それに呼応するようにアーネストも狂暴な笑みを浮かべる。血に狂った野獣のような笑みであった。
初めてここに来たベイルは、突然鳴り響いた銅鑼の音に驚いて背を丸め、反射的に両耳を塞いでいた。
「行くぜェ!」
背中の剣を抜き放ち、両手に持ってアーネストが突撃する。血と暴力に酔った一匹の獣が、真っ向からベイルに突っ込んでいく。
ベイルは動かない。姿勢を元に戻したまま、近づいてくるアーネストをじっと見つめる。観衆のテンションがヒートアップし、コロシアムがビリビリと震える。
「くたばりやがれ!」
不動のベイルめがけて、アーネストが剣を振り下ろす。頭頂から股までを一直線に裂く一撃。
ベイルは半身になってそれを躱す。顔のすぐ目の前を肉厚の剣が通り過ぎる。前髪の一部が切り落とされ、鼻頭が剣との摩擦で赤くなる。耳元で空気を切り裂く音が鳴り響き、ベイルは内心肝を冷やした。
やがて剣の切っ先が地面にめり込む。刀身は陽光を受けて白銀に輝き、隣に立つベイルは五体満足を保っている。
そこで初めて、アーネストは「躱された」と理解した。見下していた相手に初撃を躱され、彼の頭は真っ白になった。
「なるほどな」
腰のナイフを引き抜きながらベイルが呟く。彼の目はアーネストを冷ややかに観察していた。
「メリエの言った通りだ」
「なんだと?」
ベイルの言葉にアーネストが反応する。彼は剣の柄を握ったまま、引き抜こうともしなかった。
その隙だらけのアーネストの腹に、ベイルがナイフを突き刺す。
腹に鈍い衝撃。次の瞬間、腹から熱と痛みが全身に広がっていく。
アーネストがくぐもった呻きを漏らす。咄嗟に閉じた口の端から血が溢れていく。
「お前、まともに対人訓練したことないだろ」
ナイフを引き抜きながらベイルが言い放つ。アーネストは答えず、腹を両手で抑えながらその場に崩れ落ちる。
勝負は決した。ベイルは観客席のどこかで観戦しているであろうベーゼス達に対し、勝利をアピールするかのように右腕を高々と突き上げた。
それに答えるように、銅鑼の音が高らかに鳴り響く。観客達はその音を聞き、一瞬で勝負がついたことへの不満も忘れてベイルの勝利に沸き立った。その中にはベーゼスとメリエ、そしてゾリやミチもいた。誰もがベイルの勝利を讃えていた。
こうして突発的に組まれた特別試合は、余所者の勝利という形で幕を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます