第17話
二人がチェックアウトを済ませ、宿の外に出た時には、既に町はその話で持ちきりになっていた。
「なあおい、聞いたか? あの道場が襲われたんだってよ」
「聞いた聞いた。コロシアムで上位争いしてるあそこだろ?」
「道場破りかな? それとも道場生の誰かが恨みを買って、その報復を受けたとか?」
町はいつも通り活気に満ちていたが、今日のそれは昨日体験したものとは毛色の異なるものだった。誰もがそのニュースに食らいつき、他人事の視線から同情の言葉をかけたり、あれやこれやと根拠のない推論を披露しあっていた。
人の不幸は蜜の味、という言葉は、残念ながらこちらの世界でも通用するようであった。ベイルはそれを知って、少し落胆した。
「どうする? 面白そうだから道場覗いてみるか?」
そしてそんな蜜に惹かれる蜂は、彼の真横にもいた。ベーゼスは楽しそうに目を輝かせながら、そうベイルに向かって提案した。ベイルは小さくため息をついた後、彼女を見つめ返しつつ口を開いた。
「今から同情行っても、野次馬だらけでまともに見れないだろ。そもそもそこ行って、何するつもりなんだ?」
「道場がどういう状況になってるか確認するんだよ。決まってんだろ」
「それが出来ないくらい人が集まってるってことだよ」
「マジで? そんなもんなのか?」
「普通はそうだろ。みんな見たがると思うぞ」
野次馬根性は誰だって持っている。ベイルがそこまで説明すると、ベーゼスはあっさり自分の提案を捨てた。
「じゃあいいや。ごみごみしてるところには行きたくねえし」
「……もっと食い下がるかと思ってた」
「嫌なもんは嫌なんだよ。どっか別のところ行こうぜ」
そう言って、ベーゼスはさっさと一人で歩き始めた。ベイルが慌てて後を追いながら「どこ行くんだよ」と尋ねると、ベーゼスはぶっきらぼうに「飯食うんだよ」と答えた。
そういえばまともに食事をしていなかった。それに気づいたベイルはそれ以上の問答を止め、ベーゼスの隣について一緒に食事できる場所を探し始めた。
二人はそれから一分もしないうちに、軽食類を販売している屋台を発見した。二人はそこでコーヒーとサンドイッチを買い、歩きながらそれを口の中に放り込んで簡単に腹ごなしを済ませた。店主はこれを「ツナサンドだよ」と言っていたが、二人して買ったそれはツナサンドにしては酸味がやけに効いていた。ベイルはそれについて深く追求はせず、軽く噛んでからさっさとコーヒーで胃の奥へ流し込んだ。
「あっ、ここにいらしたんですね」
近くから声が聞こえてきたのは、そうして二人が朝食を済ませた直後だった。そして二人がそれに反応するより前に、声の主が速足で彼らの元まで近づいてきた。
声の主は背中に身の丈ほどもある細長い筒を背負った、小柄な少女だった。おしゃれとは無縁の簡素な私服を着て、右胸の上に白い薔薇を象ったバッジを付けていた。
「ベイル様と、ベーゼス様、ですね? お二人とも、それで間違いないですよね?」
化粧気の無い、平凡であどけない顔だちをした少女は、おどおどした調子で二人を見上げながら問いかけてきた。突然赤の他人から名前を聞かれたベイル達は困惑しながらも頷き、一方でそれを見た少女は安堵のため息をついてから再度口を開いた。
「あの、私、白薔薇騎士団のオベットと言います。副団長のメリエ様から、お二人を探すよう言われておりまして」
「メリエから?」
ベイルが反応する。同時にベイル達は、脳裏に昨日顔を合わせた女性の姿を思い描く。柔らかな物腰と穏やかな口調が特徴の、淑やかな女性。そんなメリエの姿を思い出しながら、ベイルがオベットに問い返す。
「俺達に何の用なんだ? また改めて勧誘しに来たのか?」
「そうじゃないんです。私達の方でちょっとした問題が起きまして。そちらの解決のために、お二人の協力をいただきたいんです」
「問題?」
「なんだよそれ」
オベットにそう言われた二人は、揃って首を傾げる。直後、ベイルが唐突に何かに気付き、その顔を不安と恐れで青ざめさせていく。
「それ、道場の襲撃と関係あったりするのか?」
そんな表情のままベイルが問いかける。オベットは彼を見ながら、小さく首を縦に振る。
ベイルの顔が絶望に歪んでいく。両者の反応から事情を察したベーゼスが慌ててオベットに言い放つ。
「アタシらはなんもしてねえぞ! 帝国道場とか襲ってねえからな!」
「ち、違います! お二人を犯人として捕まえるためにお呼びするわけでは無いんです!」
負けじとオベットも声を張り上げる。その声量に周りの通行人が驚き、足を止めて三人を見据える。
「と、とにかく、私と一緒に来てください。詳しい話は向こうに着いてからしますので」
周りからの視線に気づいたオベットは、慌ててベイル達に近づき、小声で耳打ちする。それから彼女は急いで二人から距離を取り、そのまま二人を手招きをしながら通りを歩きだす。残された二人はどうしようかと考え、暫くその場に立ち尽くしたが、結局は周囲から集まる奇異の視線に耐えかねてオベットを追うことにした。
白薔薇騎士団の地下訓練場には、既に役者が揃っていた。白薔薇騎士団副団長のメリエ。帝国公認道場の代表であるゾリと、その相棒のグラズ。そして見知らぬ男が一人に、なぜか改造倶楽部のミチもいた。
彼らは謎の男を取り囲むように立っており、真ん中に立つ男に明確な敵意を向けていた。しかしその素肌の上から直接ジャケットを羽織ったドレッドヘアの男は、周囲から敵視されてなお堂々としていた。半笑いを浮かべたその顔は傲慢とすら言えた。
「私は単に興味があってここに来ただけだから。気にしないでね」
「とっとと帰れよ野次馬野郎」
階段を降りてきたベイル達の存在に気付いたミチが、彼らに手を振りながら言い放つ。すると半裸のゾリがそれに食いつき、以前よりずっと不機嫌な調子でミチに言い返す。それから彼はご機嫌斜めな態度のままベイル達をちらと見やり、すぐ視線を逸らして困ったように首を横に振った。
ゾリがそのような態度を見せる傍ら、オベットはそそくさとメリエの元へ駆け出していった。そしてオベットはベイル達を横目で見ながらメリエに言った。
「メリエ様、連れてきました」
「わかりました。ありがとうございます」
メリエはそんなオベットを労い、それからベイル達の元へ近づいていった。途中で男とすれ違うが、男はニヤニヤ笑うだけだった。
「お忙しい中、本日はここまで来ていただきありがとうございます」
ベイル達の元に来たメリエは、まず彼らに頭を下げた。ベイル達はただ困惑した。そもそも今の状況が理解できなかった。
「待ってくれ。まず何がどうなってるのか教えてくれ。なんで俺達をここに呼んだんだ?」
戸惑うままベイルが問う。頭を上げたメリエは申し訳なさそうに眉をひそめ、しかしまっすぐベイルを見ながら口を開く。
「あなた方を今日お呼びしたのは、お二人に戦っていただきたいからです」
「戦う?」
「誰と?」
「俺だよ」
疑問に思った二人に、ドレッドヘアの男がニヤニヤ笑いながら答える。ベイル達は苦い顔で男を睨み、男はまだニヤニヤ笑っていた。その後、次にゾリが言った。
「そいつは白薔薇騎士団のアーネスト。元冒険者だ」
「こいつを知ってるのか?」
「自分から名乗ったんだよ。お前らがここに来る前にな」
「どういう意味だ」
ベイルがそう言ってゾリを見る。ゾリは苦々しい表情で頭を掻きむしり、それからベイルを見返しつつ言った。
「まず順番に話していこうか。お前ら、俺んとこの道場が襲われたのは知ってるよな」
「ああ」
「それ、そこのアーネストがやったんだ」
「は?」
いきなりそう言われて、余所者二人は驚いた。アーネストも悪びれる素振りは見せず、それどころか両手を広げて「ああ、俺がやったんだよ」と自慢げに言ってのけた。
ベイルはアーネストを無視してゾリに聞いた。
「なんでそんなことしたんだよ」
「お前らと戦いたいからだ」
「いや、どういう意味だ」
「ダシに使われたんだよ。ベイルとベーゼスと出せ。俺と戦わせろ。もしそれが出来なきゃ、この道場と同じように他のギルドや訓練場も潰していくぞ、ってな」
ゾリは明らかに怒っていた。額には青筋が浮き上がり、眉間に皺を寄せてアーネストを睨みつけていた。グラズも同じように鼻息荒く、アーネストを睨んでいた。メリエは渋い表情を浮かべ、「馬鹿なことを」と苦々しく呟いた。
アーネストは飄々とした態度を崩さなかった。
そして彼らの後を継ぐようにミチが言葉を放つ。
「アーネストは道場を半壊させた後、門下生とゾリ達に向かってそう言ったのよ。それからそいつはここに来て、メリエにも同じことを言ったの。で、アーネストを追いかけていたゾリとグラズもその時ここに到着して、ついでに私もゾリ達と同じタイミングでここに来た。それからメリエがオベットを使って、そこのアーネストが自信満々な口振りで素性を明かしている間、あなた達を呼びに行ったってわけよ」
「なんでお前がここに来るんだよ。どっから情報仕入れやがった」
「監視カメラって知ってる? いろんなところに埋まってるのよ」
「ああ?」
素っ気ないミチの口ぶりに、ゾリは意味が分からないと言いたげに片眉を吊り上げた。ミチはそんなゾリを無視して、改めてベイルに言った。
「そして、今に至る。要はアーネストは、ここにある全てのギルドや訓練場の安全と引き換えに、あなた達に勝負を持ち掛けてきたってこと」
「いや、馬鹿だろ」
そこまで聞いて、ベーゼスが唐突に口を開く。周りの面々は驚きと好奇心の混ざり合った視線を彼女に向け、四方から視線の集まる中でベーゼスが続けて言う。
「だって今ここで捕まえりゃいいじゃん。器物破損とか傷害とかで十分逮捕出来るだろ」
「いや、俺達は一人も死んでないし、酷い傷ももらってないぞ。ぶっ壊されたのは建物だけだ」
反射的にゾリが補足を加える。ベーゼスはそれを聞いて「ああ、そうなんだ」と相槌を打ち、一つ咳払いをしてから口を開いた。
「まあでもいけるだろ。道場壊したのは事実なんだし。それで捕まえりゃいいだろ」
「それは、ご勘弁いただけないでしょうか」
今度はメリエが水を差す。ベーゼスが半分うんざりした調子で彼女を見ると、メリエは本当に深刻な表情を見せていた。
その顔のままメリエが言った。
「確かにアーネストは犯罪者ですが、それでも彼はまだ白薔薇騎士団の一員なのです。ただの罪人として捕まえれば、その時点で白薔薇騎士団の名声に傷がつくことになります」
「ならどうすればいい?」
「彼をコロシアムで倒せばいいのです」
メリエはベイルにそう答えた。さらにメリエはベイルを見ながら言葉を続けた。
「彼を正々堂々打ち倒し、白薔薇騎士団の戦士を名乗る資格は無いということを白日の下に晒すのです。そしてその上で騎士団から追放し、最後に犯罪者として逮捕すればいい。そうすれば、我々の顔に泥がかかることは免れるでしょう」
「それを俺達に協力しろというのか」
「はい」
メリエは迷いなく断言した。さらにアーネストが口を挟む。
「もしお前らが受けないのなら、俺もコロシアムには出ない。その代わりに、ここにあるギルドとかを片っ端から潰していってやる。当然追っ手も来るだろうが、そいつらも全員返り討ちにしてやる。その内ここの連中は、やがて白薔薇騎士団の人間が町を荒らしまわっていると気づくだろうな。もしそうなったら? 騎士団の名声はガタ落ちってわけだ」
「もし途中で捕まっても、そこで素性をばらせば、結局騎士団の地位は急落する」
「その通り。要するに、お前らに選択肢は無いってわけだよ。まあ俺も捕まる気は無いがな」
アーネストは不敵な笑みを浮かべたまま、悠然と周囲を見回す。ベイルとベーゼスがその話を蹴るという選択肢は考慮していないようだった。
「で、どうする? 受けるか?」
「それは……」
そして実施、ベイル達はこの問題を無碍に出来るほど無慈悲ではなかった。
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