第15話

「ああもう! またあいつらが来たのね!」


 警報が鳴った直後、真っ先に動いたのはミチだった。彼女はバネ仕掛けのようにテーブルの上から跳び上がり、羽をはためかせて浮遊し、扉を開けて外に飛び出した。ここまでコンマ数秒、あっという間の出来事であった。

 ベイルとベーゼスは、そのあまりに唐突な事態の変化についていけなかった。二人は警報にもミチの動きにも反応できず、その場に釘付けになっていた。

 

「な、なんだよいきなり」


 そうしてベーゼスがようやく口を開いたのは、ミチが通路へ飛び出していった後だった。二人は揃って顔を見合わせ、未だに警報の鳴り響く室内で互いに困惑した表情を向けあっていた。

 

「どうする?」

「どうするって、どうするんだよ」


 二人の脳味噌は、再起動に少なくない時間を要した。状況が整理しきれずフリーズ状態が続き、しばらくしてからやっとエンジンがかかりはじめる。

 

「……ここで待つか?」

「待つって、やれることねえだろ」

「じゃあ追いかける?」


 ベイルの問いかけにベーゼスが頷く。次の瞬間、二人同時に迅速な動きで腰を上げる。それと同時に、ロビーの方から怒号が聞こえてくる。


「受付だ! 受付に行くぞ!」

「なんだってんだよ、クソ!」


 ベーゼスが半開きの扉を蹴飛ばして外に出る。ベイルもそれに続いて通路に飛び出す。通路では白衣を着た研究員らしき人間達が、書類や機材を抱えて右往左往していた。この通路にあった他の扉は全て開け放たれ、そこを彼らがせわしなく行き来していたのであった。

 

「なんでこんなに慌ててるんだ」

「受付に行けばわかるだろうよ」


 彼らへの疑念は横に置いて、二人はとにかく受付に向かうことにした。他の扉と違って、受付へ続く扉は硬く閉ざされていた。

 

「ああ君達、待ちなさい! そっちは危険だから行っちゃ駄目だ!」


 通路にいた白衣姿の誰かが、彼らを見つけて声をかける。それを無視してベイルが扉を開ける。

 

「何があった!」


 最初にベイルが受付に足を踏み入れる。

 その彼の顔面めがけて、正面から槍が飛んできた。

 

「えっ?」


 ベイルに避ける余裕は無かった。それが何か認識する暇も無かった。しかし彼が動く前に、彼の横に出たベーゼスがそれを片手で掴んだ。

 ベイルの眉間に槍の刃先がめり込む。皮膚が僅かに裂け、傷口から血が流れていく。その感触を知って初めて、ベイルは自分に向かって槍が飛んできたことを理解した。

 

「誰だ! こんなことしやがったのは!」


 一方で、ベーゼスは何が起きたのかのを即座に理解していた。そして間一髪でベイルを救った後、ベーゼスは飛んできた槍を握りつぶしながら激昂した。鱗が逆立ち、威嚇するように広げられた翼が激しく揺れる。

 そんな彼女の怒気に内心びくつきながら、ベイルは槍が飛んできた方向に視線を向けた。ついでに意識もそちらに傾け、そこに「何が」いるのか確かめようとした。

 そこには見える限り、三人の人影があった。正確には一人と二人が、相対して向かい合っていた形であった。一人の方はこちらに背を向け、対して二人組の方がベイル達に向き合う形になっていた。

 一人の方はフレームやピストン、ギアや蒸気噴出口が複雑に絡み合った、人型の機械であった。さらにその表面を何百何千ものケーブルが駆け巡っており、その姿は黒い筋肉で覆われた、無機質の人体模型のようであった。対して二人組の方はどちらも半裸であり、どちらも筋骨隆々とした鍛え抜かれた肉体を備えていた。一人は普通の人間であり、もう一人は首から上に牛の頭を有していた。

 先程の槍は、おそらくあの二人組のどちらかが投げたのだろうか。

 

「グラズ! 余計な事はするなと言っただろうが!」


 その二人組の片割れが、不意に声を荒げる。すると彼の横に立っていたもう一人の方、牛の頭を備えた男が、申し訳なさそうに頭を掻きながら口を開く。

 

「す、すまねえ兄貴。てっきり新手が来たとばっかり……」

「いい加減にしろ! 俺達はここに不意打ちを仕掛けに来たわけじゃねえんだぞ! もっと堂々としてろ!」


 もう一人の男が、横にいた牛男を一喝する。それを受けて牛男はさらに委縮し、背筋を丸めて筋肉で覆われた立派な体躯を小さくしてしまった。横目でそれを見たもうひとりの男はその後改めて視線を前に戻し、相対していた方に声をかけた。

 

「それで? 後ろのそいつらはいったい何者だ? 何しにここに来たんだ?」


 それを受けて、「機械人間」が全身でベイルの方に向き直る。ベイル達の視線もそちらに集中する。

 その機械人間は、顔をもっていなかった。顔面は黒いカバーで覆われ、冷たく滑らかな印象を与えていた。そして胴体部分に半透明のカプセルが埋め込まれ、その中に一体の妖精が鎮座していた。

 それは先ほどまで、自分達と話し込んでいたあの妖精であった。

 

「え? どうなってんの?」

「お前ここで何してるんだよ? そもそもなんだそれ」

「お前まさか、また新しい奴ら引き込んできたのか?」


 困惑する二人であったが、それに反応したのは件の二人組の「人間」の方だった。その男は最初にベイル達を、続けてミチを納めた機械人間を見やり、しかめっ面を浮かべた。

 それを聞いて、ベイル達は今度はその二人組の方に意識を向けた。二人組の方も余所者の気配に気づき、揃って彼らを見据えた。

 

「あ、兄貴、もしかしてあいつら、余所者ですかい?」

「かもしれねえな。おい! あんた達!」


 牛男からの問いかけに答えてから、人間の男がベイル達に声をかける。ベイル達は揃って彼を見つめ、男も二人の視線を受け止めながら言葉を続ける。

 

「ここに何しに来たんだ? ついでにお前らの名前は? なんて言うんだ」

「人に名前を聞くときは、先に自分から名乗るのが礼儀じゃないのかよ?」


 ベーゼスが言い返す。彼女はまだ翼を広げて鱗を逆立たせ、警戒を解いていなかった。そして鼻息を荒くする牛男をなだめつつ、人間の男がそれに答える。

 

「そうだな。じゃあこっちから名乗らせてもらうぜ。俺はゾリ。こっちのミノタウロスがグラズ。四番通りの道場で、主に体術を教えている」

「四番通り? 表通りの一つか?」

「そうだ。こことは違ってクリーンな場所だ。グリディア帝国公認の道場だから、薬物も肉体改造もしない。健全で安全、それでいて確実に強くなれる」

「いいことずくめだな」

「だろう? ついでに言うと、俺もグラズも帝国軍の兵士だ。帝国軍のエースになれるような強い資質を持った戦士の卵。そいつを探すために、ここに道場を構えているんだ」


 ゾリはそう説明した。そしてゾリがそこまで言ったところで、余所者二人は顔色を変えた。気楽な調子でゾリに言葉を返していたベイルも、彼のあるワードを耳にした瞬間、顔面を真っ青にした。

 

「お前、帝国軍の人間なのか」

「ああ」

「そっちのミノタウロスも?」

「そうだ。二人でコンビを組んでから、もう結構経つ。無敵のクラッシャーズとは俺達のことさ」


 ゾリが誇らしげに言ってのける。彼の自慢はベイル達には届かなかった。彼らの意識は妖精に向けられていた。そして同時に、彼らの脳内で過去に見聞した言葉が絶えず反響(リフレイン)される。

 帝国は人体改造を嫌う。敵方の技術を使っていることが帝国にバレたら、どうなるかわからない。

 バレなきゃいいのよ。

 

「バレてるじゃねえか」


 ミチを見ながらベーゼスが言い放つ。カプセルの中にいた妖精は、はぐらかすように口笛を吹いている。ベイルはただ唖然とするだけだった。

 そのミチを指さしながら、ゾリが声を荒げて言い放つ。

 

「あんたらもそこら辺をわかってるみたいだな。お察しの通り、そいつは犯罪者だ。帝国に無断で、非合法な改造手術を行っている。それも一人や二人じゃない。何百人もだ」

「完全にバレてるな」

「じゃあなんだ。あんたらはここの連中を捕まえに来たのか?」


 呆れるベーゼスの横でベイルが尋ねる。ゾリは手を降ろし、腕を組みながらそれに答える。

 

「もちろん、本当は捕まえなきゃならない。だが、ただの犯罪者として捕まえるのは、俺のプライドが許さない。生身の戦士としてのプライドがな」

「は?」

「どういう意味だ?」

「ここで改造した奴に打ち勝ち、肉体は決して邪道に負けないということを証明してから、初めてそいつを逮捕する。要はそういうことだ」


 ゾリが断言する。余所者はどちらもその言葉の真意を掴みきれず、首を傾げた。

 その二人にミチが告げる。

 

「私のところで改造を受けたやつと、あいつの道場で修業した奴は、どっちもここのコロシアムに出場してるのよ。で、向こうはそのこっち側のエントリー選手を全員片づけて、それから改めて私達を逮捕しようとしてるってわけ」

「なんでそんな面倒くさいことを」

「さあ? 戦士のプライドってやつじゃない?」


 ミチはそこまで言って口を閉じ、黙ってゾリ達の方に向き直る。ベイルとベーゼスはなおも理解しきれないように困惑の表情を浮かべた。

 そこでミチの視線に反応するように、グラズが口を開いた。

 

「ちなみに今まで五十四回戦って、向こうが二十九勝、こっちが二十五勝。ミチの方が勝ち越してる感じだな」

「うるせーぞグラズ! 余計なことは言わなくていい!」


 そこまで言ったところでゾリが声を張り上げ、グラズを黙らせる。ミノタウロスはまたも委縮し、前と同じように背筋を丸めて大人しくなった。

 そうして相棒が静かになったのを確認してから、ゾリが再び口を開く。

 

「そういうわけで、俺達は今こいつらを捕まえる気はない。そいつらを刑務所にぶち込むのは、この純粋な肉体が勝利を掴んでからだ」

「意味が分からねえよ」

「こっちの戦士ってみんなこんな調子なのか」


 余所者の半竜人と人間が揃ってぽかんとする。お構いなしにゾリが続ける。


「だからお前らのことも見逃してやる。それからここにはあまり近づくなよ。もし強くなりたかったら、俺達のところに来い。健全な精神と健全な肉体を育みたいなら、俺達の元に来るのが一番だ」

「ちなみに今一番実績が良いのは、一番通りにある白薔薇騎士団よ。あそこの団員が五人コロシアムに参加してるんだけど、全員ランキングトップ10に入ってるんだから。ゾリの門下生は一人も入ってないんだけどね」

「ミチ! このクソ妖精! 余計なことしゃべんじゃねえ!」


 ミチの密告にゾリが怒りを露わにする。機械人間の中に入っていた妖精は「あら、ごめんなさい」と澄まし顔で返し、それからまた二人に告げる。

 

「だから、強くなりたいって思うんだったら、その白薔薇騎士団に行ってみるといいかもね。少なくとも、ゾリの道場よりずっと有益よ。まあ一番いいのはここなんだけどね。改造費用サービスしてあげるわよ?」

「騙されるんじゃねえぞ。ここで体いじったって良い事なんか一つも無いからな。それに白薔薇騎士団もやめとけ。あそこは武器に頼らなきゃ何も出来ない弱虫ばかりだからな。一番は俺達の道場だ」


 負けじとゾリも声をかける。それにミチが反応し、彼の方を向いて口を開く。

 

「何言ってんのよ。この突っ込むしか能のない脳筋どもが! そういうセリフは、私達に勝ってから言ってもらいたいわね!」

「言うじゃねえかこの野郎。騎士団に負け越してる連中の癖に、でかい口利くんじゃねえ!」

「何よ! そっちこそ騎士団にボロ負けしてる癖に! 自分達のことを棚に上げて、よくもまあそんなことが言えるわね!」

「なんだと!?」

「なによ!」


 半裸の男と機械人間が言い合いながら互いに歩み寄り、やがて額がぶつかる程に顔を近づけあう。そうなってからも二人は口を閉じず、そのまま口論――というにはあまりに知性の輝きのない罵声の応酬を始めた。グラズはどうしたらいいかわからず視線を泳がせ、余所者二人は完全に蚊帳の外に置かれる形となった。

 

「これ、どうしたらいいんだ」

「アタシに聞くなよ」


 無人の受付で、二人の言い争う声だけがやかましく響く。そんな見苦しい光景を前にしてベイルとベーゼスは耳を塞ぐことも忘れ、ただ呆れる顔を見せるだけだった。

 

「帰るか?」

「他にすること無いしな。別に今すぐここで改造したいって気もないし」

「では、私のところに来てみますか?」


 背後から「三人目」の声が聞こえてくる。二人が反射的に後ろを振り向くと、そこには流線型の鎧に身を包んだ細身の女が立っていた。

 

「……あんたは?」

「あっ、ごめんなさい。驚かせてしまったのなら申し訳ありません。私、白薔薇騎士団の副団長を務めているメリエと申します」


 メリエと名乗る女はそう言って、小さく頭を下げる。すると彼女が背中に背負っていた筒の先端が僅かに視界に入り、同時にガラガラと中から音が聞こえてくる。

 

「ここに帝国道場の方々が入っていったと情報を受け取ったので、少し興味が沸きまして。こうしてここまでやって来たという次第です。野次馬とやつですね」


 それからメリエは頭を上げ、自分からここに来た理由を物腰の柔らかい丁寧な口調で、しかし一方的に話した。二人はただそれを黙って聞くだけだった。

 そしてメリエが口を閉じた後、おそるおそるベイルが問いかける。

 

「あんた、いつから? どこから入って来たんだ?」

「ゾリ様とグラズ様と一緒に、入口から入ってきました」

「マジかよ。気配なんか全然感じなかったぞ」

「気配を消すことくらい、訳ないことでございますので」


 礼儀正しい口調でメリエが説明する。ベイル達はそれまでとは違う意味で驚いた。同時に彼らは、ミチが言っていた白薔薇騎士団の評判を思い出した。

 

「あなた達、この町には初めて来られたのですね? どうでしょう? 今から私達のところに来てみませんか?」


 その二人にメリエがやんわり提案する。ベーゼスが警戒しつつ「なんで誘うんだ?」と問うと、メリエは微笑みを浮かべてそれに答える。

 

「勧誘活動です。ミチ様と一緒ですね。同志が増えてくださるのは、私達としても嬉しいことですので」


 それで、どうしましょうか? メリエが尋ねる。ベイル達は即答せず、ミチとゾリの方を見る。

 二人はまだ口論をしていた。こちらのことはまるで眼中に無いようであった。

 

「どうする?」


 ベーゼスがベイルを見る。ベイルもベーゼスを見つめ返す。

 メリエはそんな二人をニコニコ笑いながら眺めている。

 

「よし、決めた」


 ベイルがそう決心を口にしたのは、それから少し経った後のことだった。

 ミチとゾリはまだ口論を続けていた。

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