第13話

 ベイルにとって誤算だったのは、その馬が凄まじく速いことだった。時速百キロは超えているんじゃないか? 鞍にまたがり、激しく上下に揺さぶられながら、ベイルは必死に手綱を掴みつつそう考えた。風の壁が断続的に顔にぶち当たり、目を開けるのも困難なほどであった。

 

「いいか! このまままっすぐ行くぞ! アタシについてきな!」


 前からベーゼスの声が聞こえてくる。かろうじて半分目を開けると、わずかに彼女の乗る馬の後姿が見える。風に乗ってベーゼスの笑い声すら聞こえてくる。あの半竜人はこの状況ですら楽しめるというのか。ベイルは亜種族の強靭さを羨ましく思った。

 

「ヤッホー! ご機嫌だぜ! このまま行ったら一日で着くんじゃねえか?」


 無人の街道を疾走しながらベーゼスが叫ぶ。ベイルが風の音に負けじと、必死の形相で言い返す。

 

「結構距離があると思うんだがな! どうなんだ?」

「この馬、もっと速くなれるんだぜ! なんならスピード上げるか!」

「いや、それは」

「行くぜェ!」


 ベイルの反論を無視してベーゼスが脚で馬の腹を叩く。彼女の駆る馬もそれを受け、さらにペースを上げて走り出す。そしてベイルの乗る馬もまた、先を行く馬に追いつこうと足を速める。

 

「おっ、ちょっ、やめっ」

「いいぜ、いいぜ! もっとだ! もっと走れ!」


 ベイルが動揺し、ベーゼスが歓喜する。馬達もベーゼスの喜びに呼応するように、頼まれてもいないのにスピードをぐんぐん上げていく。そうして馬達が足を速めるとベーゼスはさらに狂喜し、ベイルは息をするのも困難になっていく。

 やがて二頭の馬は風となった。目を赤く輝かせ、荒れた道を矢のように駆け抜けていく。休むことも忘れ、日が沈んで月が空に浮かんでも、なおも馬は走り続けた。ベーゼスとベイルも休もうとはしなかった。下手に力を抜けば、たちまち馬から落ちてしまうからだ。そうしたらどうなるかは、簡単に想像できた。

 しかし休まず走り続けた恩恵はあった。彼らは夜が白み、朝陽が顔を覗かせ始めた頃に、目的地を視界に捉えることが出来たのだ。

 

「半日で行けた……」

「さすがはお馬様だぜ」


 遠くに見える球形の物体を見据えながら、人間と半竜人の二人が声を漏らす。乗り手の意図を悟ったかのように馬もスピードを落とし、やがて二頭の馬が横並びになる。進む道もだんだんと踏み固められたものに変わっていき、自分達と同じように馬に乗った旅人や道端で露店を広げる行商人の姿がちらほらと見え始める。

 

「小田原か」

「ようやく到着だぜ」


 息を吐きながらベイルが呟き、手綱から手を離して背伸びをしながらベーゼスが言った。この時二人の馬は、手を離しても平気なくらいにスピードを落としていた。

 やがて道の脇に看板が見える。そこには奥を指す矢印と、その上に「ようこそ小田原へ」という文字が書かれていた。そしてその看板を越えたあたりから、道を行き来する人間の数が明らかに多くなっていく。それまでまばらだった露店の数もあからさまに増え、馬を停めておく小屋や休憩処のような建物まで見え始める。

 ついでに人間の群れに混じって、亜人種の数も相応に増えていく。ベイルは馬に乗りながらその人の群れを見回し、愉快そうに口笛を吹いた。

 

「なんでもいるな」

「コロシアムのお膝元だからな。色々いて当然だぜ」


 愉快そうにベーゼスが返す。その間にも馬は進み続け、やがて彼らは大きな鉄門の前に到達した。頑強な門は開かれたままであり、両側に衛兵は立っていたが、通行人はほぼ素通り状態であった。ベイル達はそこを行き来する者達の邪魔にならないように脇にどいて、その開けっ放しの門を見上げながら口を開いた。

 

「ここから先がコロシアムか」

「どうする? コロシアム見ていくか? それとも先に宿屋に行くか? アタシら夜通し走って来たんだしよ」

「俺は一日徹夜するくらいなら余裕だが」

「アタシもそれくらい余裕だぜ」

「じゃあ決まりだな」


 こうして二人は、まずコロシアムを目指すことにした。

 

 

 

 

 門の奥は、非常に活気に満ちていた。ここはコロシアムを囲むように市場や宿泊施設が展開されており、至る所から陽気な声や歓声、客引きの声が引っ切り無しに聞こえてきていた。往来を行く者達は大多数が人間だったが、そこに混じって明らかに人間でない姿をした亜種族の者達もまた、堂々と道を闊歩していた。

 まるで人種の坩堝だ。ベイルは心の隅でそんなことを思った。

 

「すげえな」

「まさかここまで賑わってるとは思わなかったぜ」


 ベーゼスも意外そうに言葉を漏らす。それから二人は人込みをかき分けつつ、コロシアムを目指して歩道を進んでいった。門からコロシアムへと続く正面大通りは露天商や観光客、またはコロシアムの出場者など、多くの人でごった返していた。

 そしてその「出場者」らしき出で立ちの者の中には、大人だけでなく子供の姿も多くあった。彼らはその大半が子供用の防具を身に着け、背中や腰に武器を提げていた。服に着られているような垢抜けない姿の者もいたが、中にはしっかりと装備を着こなし、子供とは思えないほど冷たく鋭い目つきをした者もいた。

 

「ここじゃ子供も戦うのか」

「強けりゃなんでもいいのさ」


 そうして各々完全武装した子供とすれ違う中で、ベイルがベーゼスに尋ねる。その驚き半分、懸念半分の問いかけに対し、ベーゼスは何の問題も無いかのようにさらりと言い返した。それを聞いたベイルはなおも納得できないような、渋い表情を浮かべた。

 これがこの世界の常識なのだろうか。二十歳にも満たない少年少女が平然と刃物や銃器をぶら下げて往来を闊歩するその光景は、ベイルには到底受け入れられるものではなかった。

 

「お兄さん、お兄さん。ちょっといいかい?」


 その時、不意に後ろから声がかかってきた。二人が振り向くと、そこには一体の妖精がいた。その白いワンピースを着た妖精は眼鏡をかけ、ピンク色の髪をうなじで束ね、背中から生やした四枚の羽根をせわしなく動かして宙に浮いていた。

 

「いきなりで悪いんだけど、お兄さんって人間かな?」


 その妖精がベイルに問いかける。唐突に尋ねられたベイルは一瞬言葉に詰まったが、すぐに我に戻ってそれに答えた。

 

「ああ、人間だけど?」

「やっぱり。じゃあ続けて質問なんだけど、お兄さんまだ生身かい?」

「なんだって?」

「改造手術を受けたことがあるかって聞いてるのよ。で、どうなの? お兄さんはそういう経験無いの? それとももう、体のどこかをいじくられたりとかしたの?」


 妖精は興味津々に尋ねてきた。ベイルは咄嗟に言葉が出なかった。そもそも、この妖精が何について喋っているのかが理解できなかった。一方的にまくしたてられて、頭の整理が追い付いていなかったのだ。

 

「おい待てよ。まずお前は誰だよ? そういうのは名前名乗ってからにしろよ」


 そこでベーゼスが割って入る。半竜人は不満げな顔で妖精を睨みつけ、詰るようにそう言った。そして妖精はそれを聞いてすぐにベーゼスの方を向き、「ああそうだった。ごめんごめん」と平謝りしながらベーゼスに片手を差し出した。

 

「私、こういう者なんだ」


 妖精が言った。次の瞬間、妖精の差し出した掌の上に光が集まり、やがてそれは一枚の紙片となった。そうして現れた紙片を、妖精は次にベーゼスに差し出した。

 

「はい」

「あん?」


 戸惑いながらもベーゼスがそれを受け取る。するとそれは彼女の手の中で光に包まれ、音もなく肥大化し、やがて一枚の名刺となった。そこには「改造倶楽部代表 ミチ」と書かれていた。

 

「改造倶楽部?」


 その文面を見た二人が首をかしげる。ミチと名乗る妖精は不敵な笑みを浮かべて二人に言った。

 

「で、どう? 興味ある?」


 肉体改造してみない? ミチはニヤニヤ楽しそうに笑った。

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