第8話

「こちらです。閣下」


 暗闇の中から声が聞こえてくる。声の主は見えず、ただ闇の中から声だけが響いてくる。


「彼が一番適当かと」

「この男が? 外から来た者の中では適任ということか?」

「はい。少なくとも私は、彼を推したいと思っております」

「お前がそこまで言うのであるなら、期待も出来るというものだが……」


 声は途中から二つに増えた。一つは女、もう一つは男の声だ。しかし目の前の闇は晴れず、ただ声だけが聞こえてくる。

 誰だ? 誰が喋っている? 正体の見えない感覚に、ベイルは不安と苛立ちを覚えた。

 

「どうしますか? 今すぐ始めますか?」

「いや、もう少し待とう。我々が自分から生者の命を狩るわけにもいかん」

「わかりました。では保留と言う事で」


 そんなベイルを尻目に、二つの声は勝手に話を進めていった。ベイルの目には今も闇しか見えず、ただ二人の人間の声だけが響いてくるだけだった。

 いや、そもそもこの声は人間のものなのか?


「しばらくはお前が監視を続けるのだ。何かあった時は、よほどのことが無い限りはお前の裁量で対処せよ」

「わかりました。途中で命を落とした場合は?」

「その場合はすぐに例のプランに移るのだ。その瞬間を見逃すでないぞ」

「仰せのままに」


 一体何を喋っている? 何のつもりだ?

 ベイルは訝しんだ。しかしどこを見ても暗闇ばかりで、誰が何を喋っているのかわからなかった。

 生殺しであった。


「くそ、誰だ? どこにいる? さっきから何を話している?」


 思わずベイルが叫ぶ。闇は沈黙を貫いた。何かの気配も既に消えていた。

 ベイルはさらにイラついた。そして恐怖を隠すように、感情のままに闇に叫んだ。

 

「おい! 誰かいるのか! おい!」


 しかし彼の叫びは、虚しく闇に溶けて消えるだけであった。ベイルはせわしなく辺りを見回し、もう一度叫ぼうと腹に力を込める。

 

「おい! 聞こえてるのか!」

「ベイル? ベイル!」


 その時、どこからか声が返ってきた。最初ベイルは、それが自分の呼びかけに反応してのものだと思った。しかし彼はすぐに、それが間違いであることに気づいた。

 その声は女のものだったが、最初に聞こえてきたそれとは明らかに声質が異なっていたからだ。

 

「ベイル起きろ! ベイル!」


 その声が続けて自分の名を呼ぶ。そしてそれに反応するかのように、ベイルは自分の魂が勢いよく引き上げられていくような、上向きの重力が全身にかかる感覚を味わった。

 それが何かを理解する前に、ベイルの意識はそうして強制的に覚醒を促された。

 

 

 

 

「おい起きろ。大丈夫か?」


 目を覚ましたベイルは、その声を聴きながら呆然と上体を起こした。意識がはっきりしてくると、彼は最初に尻から冷たく硬い感触を覚え、次に目の前に鉄格子があるのを見て取った。

 そしてそこまで認識したところで、ベイルはようやく、自分が今牢屋の中にいることを理解した。クロードに嵌められ、また牢屋送りにされてしまったのだ。ただ以前と違うのは、この牢屋の中にいるのが自分だけではなかったことだった。


「大丈夫ですか? なんだかうなされていましたが」

「どうした? 悪い夢でも見たかよ?」


 ベイルの両脇にいたベーゼスとメリーゼが、それぞれ心配するような声をかけてくる。場所が場所でなければ、両手に花と喜べただろう。

 

「いや、なんでもない。平気だよ」


 しかし今のベイルに、そこまで能天気になれる余裕は無かった。彼はそれだけ言って立ち上がり、背伸びをして活力を取り戻した。寝ている間に見たことに関しては、自分から話すことはしなかった。

 そして幸運なことに、ベーゼス達もベイルが何の夢を見ていたかについては把握していないようであった。

 

「それより、どうしたんだ? 何か進展があったのか?」


 そんな二人にベイルが問いかける。牢屋にぶち込まれてから、まだ数時間しか経ってないはずだ。いったいどうしたというのだろうか。

 それを受けてメリーゼはベーゼスの方を見つめ、ベーゼスは自信満々な顔でベイルに言った。

 

「脱獄するぜ、ベイル」


 直後、ベイルはハンマーで頭を殴られたような感覚に陥った。そしてすぐに我に戻り、真剣な顔でベーゼスを見据えた。

 

「本気で言ってるのか」

「ああ。大マジだぜ」

「いくらなんでもそれは駄目だ。自分から罪を増やしてどうする」

「だからって、このまま何もしないでいるのかよ? あのクロードとかいう野郎、絶対アタシらをここから出さないと思うぜ。下手したらもっとでかい刑務所に送るか、もしくはここで処刑するかもな」

「だからここから抜け出すって言うのか?」

「ちょっとくらいの罪でビビってんじゃねえよ。まさかあいつらも、投獄されたその日に牢破りするとは思ってねえだろ。つまり今が一番油断してる。抜け出すなら今だ」


 ベーゼスは自信満々な口調で言った。ベイルは渋面を崩さず、そのままフォローを求めるようにメリーゼに視線を向けた。

 不運なことに、メリーゼはベーゼスと同じ類の顔をしていた。

 

「今が好機です。ベイル、やりましょう。ここで籠っていても良いことはありません」


 ベイルは最初、メリーゼは清楚で大人しい女性だと思っていた。彼女がエルフ族であることも――偏見ではあるが--また、彼により一層その印象を与えていた。しかし実際は、お淑やかなのは表面だけで、根っこはベーゼスと同じくらい武闘派であったのだ。

 

「いくらなんでも、これは横暴です。こんなことを黙って見過ごすことなど、私にはできません。断固戦うべきです」

 

 ベイルがそれに気づいたのは、今まさにこの瞬間であった。

 

 

 

 

 脱獄自体は簡単だった。牢屋や鉄格子に特別な仕掛けは施されておらず、周囲に見張りの類もいなかった。


「雑過ぎんだろ」

「所詮ここは地方の小さな拘置所ですから。意識もそれ相応なものなんですよ」


 思わず毒づくベーゼスに、鉄格子を握りしめながらメリーゼが答える。そしてメリーゼはそう言いながら鉄格子を掴む手に力を込め、その鉄の棒に自身の魔力を送り込んでいった。

 やがて掴まれた周りの部分が白く変色していく。その色の変化はたちまち両端まで行き届き、数秒も経たないうちに、鉄格子の中の一本が真っ白になった。

 それを見た後、メリーゼはそれの隣の棒を同じように掴んだ。そしてそれも同様に、音もなく白色化した。メリーゼは同じことを二度繰り返した。

 

「何してるんだ?」

「見てのお楽しみです」


 疑問をぶつけるベイルに、四本の鉄格子を白色化させたメリーゼが楽しげに返す。それから彼女は白く染まった鉄格子の一本に狙いを定め、それを手刀で軽く小突いた。

 直後、鉄でできていたはずのその棒がぽきりと折れた。

 

「えっ?」


 それを見た外野の二人は声を低めて驚いた。その間にも、メリーゼは慎重に、白く変色した鉄格子に手刀をぶつけ、細かく切り刻むようにそれを折っていった。

 

「ああ、凍らせたのか?」


 やがてベイルがからくりに気づいたのは、メリーゼが四本目の鉄格子を折り始めた時だった。鉄格子には既にすり抜けるのに十分な空間が出来上がっており、メリーゼの足元にはかつて鉄格子だった物の欠片が何十個も転がっていた。

 

「冷気を上手く使えば、これくらいなんてことはありませんよ」


 仕事を終えたメリーゼが達成感に満ちた表情を向ける。ベイルは感心したように頷き、ベーゼスはその冷凍され寸断された鉄格子の破片を手に取りながら言った。

 

「魔法ってのも結構面白いもんなんだな」

「あなたも習ってみますか?」

「アタシは別にいいよ。魔法とかガラじゃねえし」


 しかし半竜人(ドラゴニュート)は、そんなエルフからの提案をやんわり断った。メリーゼも大仰に落胆したりはせず、「はい。わかりました」とだけ言って話を終わらせた。

 それから三人は、あっさりと牢屋から外に出ることに成功した。見張りは一人もいなかった。

 

「やっぱりザル過ぎる。どうなってるんだ」

「これが普通なのか?」

「お恥ずかしながら……何分、ここに来るのは大抵がスリや万引きと言った、軽い犯罪で捕まって来る人達ばかりですので。大げさに警戒することが今まで無かったんです」


 外に誰もいないことを知った余所者二人が疑念を口にし、それについてメリーゼが謝罪する。その話はここで打ち切りとなり、三人はまた別の問題に取り組むことになった。

 

「まずは私の武器を回収しないと。地下に押収物倉庫があるので、おそらくはそこにあるはずです」


 メリーゼはベイル達にそう告げた。そして彼らに、自分の武器を取り返すのを手伝ってほしいと言った。

 

「あの剣は、私が故郷を離れる時に、家族が私のために用意してくれた物なんです。命よりも大切な剣なんです。どうか、取り戻すのに協力してくれないでしょうか」


 断る理由はどこにも無かった。余所者二人はそれを快諾した。

 しかしいざそこに行こうとなった段階で、ベイルがメリーゼに尋ねた。

 

「そこの警備はどうなんだ? 誰か見張りがいるのか?」

「いえ、いつもはおりません。あそこに入っているのは、殆どがそんなに価値のあるものではないので。万引き犯から没収した物とか、道端に落ちてた物とか。そんな物ばかりなんです」


 メリーゼは即答した。二人は「これは楽に済みそうだ」と安堵する一方、ここの警備意識の低さにより一層落胆した。よくこんなので今まで何の問題も無く運営できたものだ。

 

「よし、じゃあ行こうぜ。善は急げだ」


 それからベーゼスが提案する。二人も頷き、メリーゼが先導して地下への階段へと向かった。しかしいざ地下への階段が見えてきたところで、唐突にベイルが二人を止めた。

 

「待て」

「え?」


 つられて二人が足を止める。そしてその二人に、ベイルはハンドサインで物陰に隠れるよう指示した。

 

「?」


 不思議に思いながらも、二人はそれに従った。そうして三人は同じ場所に隠れ、それからベイルが指さす方に目線を向けた。

 

「なんだよ。どうしたんだ?」


 そう愚痴をこぼしながらそちらを見たベーゼスは、次の瞬間息をのんだ。メリーゼも同様に驚愕し、声を出すまいと手で口を覆った。

 

「怪人だ」


 ベーゼスが漏らす。彼女の言う通り、そこには箱を頭にかぶったような姿をした怪人がいた。彼らが牢屋に入れられる前に戦った連中と、同じ格好をした奴であった。

 そんな箱頭の怪人は、一度立ち止まって周りを見回した後、そそくさと地下への階段を降りて行った。それは今まさに、ベイル達が降りようとしていた階段であった。

 

「なぜ怪人がここに?」

「しかもあいつ、地下に向かってるぞ」

「地下には倉庫以外に何かあるのか?」


 ベイルがメリーゼに尋ねる。最初に口を開いたメリーゼは、彼の言葉を聞いて暫し考え込んだ後、思い出したように言った。

 

「空き部屋が一つ二つ、それくらいですね。特に何もありませんよ。本当に空き部屋なんです」

「物置とかじゃなくて?」

「無いです。椅子とか机とかも無いです。がらんどうです」


 メリーゼが答える。三人はそれから顔を見合わせ、おもむろにベーゼスが口を開く。

 

「そっちから見てみるか」

「怪人が巣食ってるとか?」

「まさか、そんな」


 ベイルのその言葉を、メリーゼは否定しようとした。しかしそこまで言って、彼女は途端に不安になった。

 

「まさか……」


 メリーゼが深刻な表情を見せる。エルフのその顔を見て、つられて二人も重苦しい顔をする。

 

「……確認してみよう」


 やがてベイルが、重い口調で言った。二人も首を縦に振って、それに賛同する。面白半分でこの提案をしたわけでも、それを受け入れたわけでもなかった。

 もし本当にそうだったら、冗談では済まされない。

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