第4話

「いいか? 今大陸は、大きく分けて二つの勢力に分割されている。この二つの国家が、今のこの大陸を統治しているのさ」


 魚人間の駆除を終わらせた後、ベーゼスとベイルは退治完了の報告もそこそこに、食堂室へ直行していた。なおベイル達が目標達成したことを当のブルズが知るのは、いつまでも報告の来ないことを訝しんだ側近のリューが、直接現場に出向いて状況を把握した後の事だった。

 ベーゼスたちはそんなことなどどこ吹く風と言わんばかりに、食堂で思い思いに腹を膨らませていた。ブルズとリューが額に青筋を浮かべているとは露知らず、二人は揃って至福の瞬間を味わった。


「よう、ベーゼス。話聞いたぜ」

「またフォーチュンの奴らが出張って来たんだって? 災難だったな」


 そして彼らがここで食事にありつき始めた頃には、それまで輸送任務のためにここを離れていた雇われの「運び屋」達が続々と戻ってきていた。おかげで食堂室は、ベイル達と同じように腹を満たそうとする者達で、あっという間にいっぱいになった。

 そして彼らの関心は、すぐさま「余所者」のベイルに向けられた。


「まずは東側。こっちはグリディア帝国が統治している。首都は東京都。王権政治が特徴の、人間族だけで構成された国だ。で、次は西側。こっちはアリューレ連邦。人間族以外の亜種族達で構成された国家だ。各種族の代表が互いに話し合い、国の方針を決めている。だからこっちは、特定の首都ってものは持ってないんだ」

「住みやすさで言ったらアリューレだろうな。グリディアは工業化だなんだって言って、どこを見ても機械まみれなんだからな。森林伐採上等で、息苦しいったらない。その点、アリューレは自然を尊重して、動植物を慈しむ方針を打ち立てている。水も空気も新鮮で美味いぞ。京都とか四国とかが特におすすめだな」

「いつもグリディア製の工業製品使っておいて、よく言うぜ。あの国が無かったら、俺達もっとビンボーな生活してたんだからな。この施設だって、あそこの発明した技術をたっぷり使って建てられてるんだからな」


 彼らはまず、何も知らないベイルに、今この場所がどのような構造になっているかを説明し始めた。彼らは日本地図を広げ、富山県と岐阜県を跨ぐ縦のラインを引き、その左と右で色を塗り分けて、それぞれの色の地域を説明した。

「ちなみに言っておくと、グリディア帝国の中にも森林地帯はちゃんとあるんだ。群馬、栃木、茨城の三つの県が、丸ごとジャングルになってる。そこだけな。新潟と福島から上の所は、ちゃんと町として機能してるんだ。理由はわからん」

「そうなのか……」


 まったく奇妙な気分だった。今自分が見ているのは日本地図であり、彼らが使っている都道府県の名前も、かつてあった日本のそれそのものである。しかしそうした記号を使って彼らが説明してくるのは、それまで自分が聞いたことも無い、日本とは全く無縁の名前をした国々ばかり。


「日本はどこいったんだ?」


 ベイルは思わず呟いた。するとそれを聞いた取り巻きの一人が口を開いた。


「それが知りたきゃ、本土の大きな町に行ってみればいいんじゃないか? 俺達は学は無いから、そこらへんのことは全然知らないんだ」

「ここに日本人がいないことも説明つくのか?」


 ベイルがそう言って、周りを見渡す。彼の周りには様々な姿をした人がいた。大部分は人であったが、中には人の形をした怪物や、特定の形を持たない不定形の存在までいた。しかしその中にあって、日本人の顔をした者は皆無であった。

 欧州。中東。南米。そう言った国々の出身者と似たような特徴をした顔つきの者はいくらでもいた。でも日本人は一人もいなかったのだ。


「ここは日本なんだ。一人くらい日本人がいてもいいはずだ。でもここには、そんな日本人は一人もいない。だからさっきからおかしいと思ってたんだ。あんたら、日本人に会ったことは無いのか?」

「知らないよ。そもそも俺達、どんな奴がニホンジンなのか全然知らねえもん」

「それも本土に行ってみりゃいいんじゃねえか? ここで聞くより、あっちで聞いて回った方がずっと効率いいと思うぜ」


 取り巻きの一人である、カエル頭の運び屋が答える。正論であった。ベイルはすぐに自分のここでの目的を思い出し、「それしかないか」と考えた。しかし同時に、また別の疑問が頭をもたげた。


「でも、どうすればいいかな? ここから出たいんだけど、俺船とか持ってないんだ」

「それくらいなら乗せてってやるよ。お安い御用さ。もちろんタダだ。金を取るほどがめつくねえよ」


 だがベイルが懸念を口にした途端、すぐに誰かがそんなことを言った。そしてそれを引き金に、方々から同じ言葉が飛び出してきた。

 ここの運び屋たちはどこまでも好意的だった。それがかえってベイルを困惑させた。


「いいのか? そこまでしてもらって」

「いいんじゃねえか? 受け取っておけよ。向こうからやりたいって言ってるんだしさ」


 戸惑うベイルにベーゼスが返す。それでもベイルは踏ん切りがつかないように渋い顔をしていたが、ベーゼスはそんな彼に向かって続けざまに口を開いた。


「まあ、まずはブルズに話を聞いてみないとな。とりあえずあいつに話してみようぜ」





 それからすぐに、ベイルとベーゼスはブルズの執務室に向かった。扉を開けて入って来た彼らに対し、ブルズは最初どこか憤ったような表情を見せていたが、ベーゼスはそんなことお構いなしに話を切り出した。


「実はベイルの奴、そろそろ本土に向かいたいって言ってるんだ。それで、他の運び屋連中に頼んで、こいつを上まで送ることになったんだ。特に問題もないし、別にそれでいいよな?」


 しかしベーゼスが堂々とそう話しているのを見て、ベイルは大きく息を吐き、風船の空気が抜けていくように肩を落とした。これ以上抵抗しても無駄だと悟ったのだろう。首を上げ、こちらを見てきた顔には諦めの色がありありと浮かんでいた。


「べつにいいよ。そっちで好きにしてくれ」


 ベーゼスの熱意に押し負けたような格好で、ブルズが許可を出す。ベイルは歓喜と申し訳なさを同時に覚えて微妙な表情を浮かべ、そして彼の横でベーゼスが続けて口を開いた。


「じゃあもう一つ。こいつの旅に、アタシも一緒に行かせてほしいんだ」

「は?」


 今度はさすがに喜びよりも困惑が勝った。ベイルは唖然としながら、反射的にベーゼスを見た。彼の横にいた半竜人は媚びることも怯むこともせず、厚かましいほどに堂々とした態度を見せていた。自分が正義であると信じて疑わない、確固たる自信に満ちていた。

 ベイルはここまで自分勝手な提案をする奴を見たことが無かった。


「わかった、わかった。もういいよ。好きにしろ。それでいいから」


 そしてブルズも投げ遣りな態度でそれを許可した。ベイルはまたも驚く羽目になった。彼はすぐにブルズに視線を動かし、彼に問いかけた。


「いや、それはいいのか? ベーゼスはここの用心棒みたいなやつなんだろ? それが抜けるのはさすがに……」

「ヘーキ、ヘーキ。ここにはリューがいるしな。アタシが抜けても問題ないんだよ」


 しかしそれにはベーゼスが答えた。先に言われたブルズも、少しふてくされた顔を見せてから彼女に同意した。


「そういうことだ。君は見たことが無いからわからんかもしれんが、実はリューもかなり出来る奴なんだ。ひょっとしたらベーゼスより強いかもな」

「アタシより強いよ。少なくとも、正面からぶつかりたくはないね。アタシも死にたくないからさ」


 ブルズの言葉にベーゼスが答える。あの小さい妖精が? ベイルは今一つ実感がわかなかった。


「それに最近、ベーゼスは働きづめだったしな。確かに休みをやってもバチは当たらんだろう」

「本当か? やったね」


 そんなベイルの傍らで、ベーゼスはちゃっかりブルズから同行許可をもらっていた。ベイルもそれをしっかり聞いており、色々釈然としないところはあるものの、とりあえず彼らに礼を述べることにした。


「色々すまない。本当に助かるよ」

「なに、気にするなよ。困ったときはお互いさまだろ?」

「ベーゼスの言うとおりだな。それはそうとベーゼス、仕事が済んだらちゃんと報告をしておくようにと何度も」

「それで? あんたはまずどこに行きたい? 海沿いの場所ならどこでもいいぜ。なあブルズ、地図出してくれよ」


 ブルズの忠告を遮ってベーゼスが尋ねる。ブルズは傍若無人な彼女に何かを言おうとして、しかしすぐに諦めたように口を閉じた。その後緑色のオークは何かぶつぶつ言いながらデスクの引き出しの一つを引っ張り、そこから日本地図を取ってデスクの上に広げた。


「ベーゼスの事だが、もう少しきつく言った方がいいぞ」

「言って変わるならとっくにやってるよ」


 そんなブルズにベイルが顔を近づけ、小声でそれとなく忠告する。しかしブルズの返答は、ベイルの想像していたものよりもずっと切実なものだった。そして当のベーゼスは、そんな彼らのやり取りを全て無視して、一人で日本地図に食いついていた。


「こっから一番近い所っていったら、静岡だな。グリディア帝国の領内にある場所だ」

「特に目的地が決まってないなら、とりあえずそこに行ってみるっていうのもありじゃないか?」


 ベーゼスがさっそく一つの提案をし、ブルズがそれに乗っかる形でベイルに言う。ベイルとしてもどこを足掛かりにすればいいか全くわからなかったので、素直にそれに従うことにした。


「じゃあ、そこに行ってみるよ。静岡だっけ? そこに上陸する」

「よっしゃ。決まりだな。じゃあアタシは暇そうな奴適当に捕まえてくるからよ、あんたも準備しておくんだぞ?」


 そう言うや否や、ベーゼスは一目散にドアを開け、外へと飛び出した。部屋に取り残されたベイルはどうしていいかわからず、そしてそのベイルに対してブルズが言った。


「あいつはいつもあんな調子なんだよ。考えるより先に体が動くってやつだ。良識はあるが、それでも感情のままに動いてしまうこともある。だから地上に出た時に、あんたがブレーキ役になってくれると助かる」

「中々面倒な役を押し付けるんだな」

「いつもは俺がやってたんだ。大丈夫、あんたならやれるさ」

「根拠は? オークが出来るから人間にも出来るっていう明確な証拠はどこにあるんだ?」

「基本的に人間はオークより繊細だ。他人の感情の機微に聡く、協調性にも長けている、とされている。だからさ」

「その情報はどこから来たものなんだよ」

「アリューレ連邦学会に提出された研究論文だよ」


 読むか? ブルズが鼻を鳴らし、書棚の一角を指さして促す。ベイルはげんなりした顔で「結構」とだけ告げた。

 施設内放送でベーゼスがベイルを呼び出したのは、その直後だった。

 

 

 

 

 彼らが上陸に際して利用したのは、小型の輸送艇だった。それは円盤形で、真ん中に四人まで乗れる座席が横二列、縦二列でついており、前方の座席の前に操縦桿やら各種モニターやらがついていた。


「随分ハイテクだな。これもその、グリディアってところで作られたのか?」

「ああ、そうさ。ここで使われている機械系のブツは、基本的にグリディア帝国で作られたものだと思っていい。グリディアのことを、環境破壊を推進する野蛮な連中だって貶す奴もいるが、あいつらのおかげで俺達の暮らしが豊かになったのも事実なんだ。そこんところは覚えておいてくれよ」


 ベイルの問いかけに、運転手として同行してきた運び屋が答える。そして彼はついでのように、ベイルが聞いていないことまでべらべらと話して聞かせた。しかしベイルにとっては貴重な情報だったので、彼は黙ってそれに聞き入った。

 すると今度は運び屋の横に座っていたベーゼスが、振り向いてベイルの方を見ながら言った。


「ま、そこら辺の話も、帝国についてからゆっくり調べればいいさ。あそこの連中は特に排他的ってわけでもないしな」

「余所者に冷たいってことはないのか?」

「あんまり無いな。人間族が支配者層の大半を固めてるってだけで、ちゃんと亜人族にも寛容なところだよ。ただし、敬意は忘れるなよ。変に斜に構えたり喧嘩売ったりしてみろ。あっという間に牢屋にぶち込まれて、下手すりゃそのまま死刑なんてことになるかもしれねえからな」


 ベーゼスが脅すように告げる。ベイルは素直に背筋を引き締めると同時に、この半竜人が一丁前に敬意云々について話していることに苦笑を禁じえなかった。さすがに表立って笑みをこぼしたりはしなかったが、これを操縦していた運び屋はベーゼスの真横でゲラゲラ笑っていた。


「経験者は語る、てか?」

「うるせえ、てめえは黙ってろ」


 そして運び屋の言葉にベーゼスがふてくされる。それから前に向き直り、腕を組んで面白くなさそうな顔をするベーゼスを見て、ベイルは「そういうことか」と一人納得した。


「わかったよ。気を付けることにする」

「そうだよ、そうやって素直に頷いときゃいいんだよ」


 ベイルの明確な返答を受けてベーゼスが満足そうに頷く。それから彼女は横の運び屋を睨みつけ、運び屋は「おお、怖い怖い」と言わんばかりに両手を上げる。

 そこは気の置けない、険悪とは無縁の空間であった。ベイルはこの中にあって、これなら本土での旅も順調に進むかもしれない、と気持ちを軽くしていった。

 

 

 

 

「止まれ! じっとしていろ!」


 数十分後、港に上陸し潜水艇を降りた彼らを、大量の兵士が取り囲んでいた。彼らは全員が同じ鎧を身に着け、鋭く研ぎ澄まされた剣を一斉に突きつけていた。


「申し訳ないが、我々と共に来てもらう。反論は許さん。わかったな?」


 その中の一人が彼らの前に進み、強い口調で言い放つ。兜の隙間から見えるその眼は威圧的で、言葉通り相手の反論を許さないものだった。


「いいな?」

「……」


 そして実際、誰も反論しなかった。代わりにベーゼスがベイルの袖を掴み、小声で彼に耳打ちした。


「敬意を払えよ」

「わかってるよ」


 この状況で喧嘩を売るほど馬鹿ではない。ベイルはこのまま流れに身を任せることにした。

 気に食わないのは事実であったが。

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