第3話

「へえ、あんたがベイル? ボスから話は聞いてるよ」


 着替えを済ませて武器をもらい、非常灯で真っ赤に染まった通路を走っていると、途中の左右に分かれる道の突き当りで、唐突に一人の女に声をかけられた。ベイルが立ち止まってそちらに目を向けると、そこには自分よりも背の高い、細身の女が突き当りの壁に寄りかかっていた。


「あんたがベーゼス?」

「ああ。ここの警備員をやってるベーゼスだ。よろしくな」


 壁から身を離し、ベーゼスが手を差し出してくる。ベイルもそれに応え、相手の手を握り返す。

 ベーゼスの手は硬く、手の甲から肩にかけて赤い鱗がびっしりとついていた。服の類は身に着けず、胸や股間と言った体の大事な部分は、例外なく鱗で守られていた。代わりに腹や首回りに鱗は無く、青白い素肌がむき出しになっていた。

 腰からは尻尾を生やし、それの上部分も鱗で覆われていた。背中からは翼を生やし、薄い皮膜が張られていた。頭からは一対の角を生やし、目は猛禽のように鋭く、口にはギザギザとした歯が生え揃っていた。直立する姿こそ人間であったが、よく見てみるとやはり人間からはかけ離れた姿をしていた。


「ドラゴニュートか」


 そんな異形を目の当たりにして、ベイルがしみじみと呟く。対してベーゼスは人の好さそうな笑みを浮かべ、茶化すように彼に言った。


「その通り。アタシはドラゴニュート。半分ドラゴンで半分人さ。アタシみたいなのを見るのは初めてかい?」

「ああ。俺のいたところに、あんたみたいなのはいなかったからな」

「安心しな。別に取って食ったりはしないよ。他の不良ドラゴンと違って、アタシはちゃんと分別持ってるからさ」

「普通のドラゴンは人を食うのかい?」

「もちろん。アタシも他のドラゴンも雑食だからね。ガオー」


 ベーゼスはフランクな態度を崩さなかった。彼女は悪意のない笑みを見せながら会話し、最後に気軽な動きでベイルの肩を叩いた。それは気品は無いが愛嬌のある姿で、ベイルの警戒を解くのに十分な効果を発揮した。一方でベーゼスも、自分を必要以上に恐れず、自分の挙動に対して純粋な笑みを見せるベイルに興味を持った。

 こいつはいい奴だ。二人は互いに、相手をそう評価した。


「じゃあベーゼス、こっちはあんたの働きに期待してもいいのかな」

「もちろん。でもお前こそ、ちゃんとサポートはしてくれよ? 遠くから見物するだけとかごめんだからな」

「わかってるよ。任せとけって」


 冗談交じりにベイルが問いかけ、ベーゼスも笑ってそれに言葉を返す。出会って数分と経っていなかったが、既に二人の間に壁は無かった。


「侵入者が第四ドックへ侵攻中。警備員は直ちに当該エリアに急行されたし。繰り返す、侵入者が第四ドックへ侵攻中……」


 セキュリティの警報が聞こえてきたのは、その時だった。二人は即座に顔を引き締めた。何も言わずにベーゼスが先を行き、ベイルがそれに続く。


「ベイル、武器は持ってるのかい?」

「ナイフとマチェット。刃物しかくれなかったよ」

「それだけありゃ十分だ。行くよ!」


 そう言うや否や、ベーゼスは全力で走り始めた。ベイルは一瞬虚を突かれたが、すぐに負けじと走り始めた。二人は真っ赤な通路を全力疾走し、ブラックフォーチュンのいる第四ドックへ急行した。





 ドックはベイルが思っていたよりも広かった。そこは部屋の中央に潜水艦が鎮座しており、それを取り囲むように空中通路や運搬車両、各種資材や何に使うのかわからない箱型のコンピュータなどが置かれていた。


「凄い。本格的だな」

「見物は後。行くよ」


 そしてそれらの「備品」に群がるように、ブラックフォーチュンの連中が大量に室内にいた。かつてベイルと彼の仕事仲間を襲った、例の魚人間達であった。彼らは資材や照明、コンピュータ等、目につくものを片っ端から破壊して回っていた。中には潜水艦に貼り付き、その鋼鉄の表面装甲を槍でつつく者もいた。


「やりたい放題やりやがって」


 ベイル達は上部出入口から空中通路の一つに飛び出し、通路を歩きながらその光景を見下ろしていた。そしてそれを目の当たりにしたベーゼスは、内から溢れる怒りを隠そうとしなかった。食いしばった歯の隙間から吐息が漏れ出し、大きく見開かれた瞳は大きく震えていた。


「ベーゼス、作戦は? どう動く?」


 そんなベーゼスにベイルが問いかける。ベーゼスは彼の方を向かず、両手で転落防止用の柵を掴みながらそれに答えた。


「根絶やしだ」

「なに?」

「見つけたやつを片っ端から潰せ。一匹も生かして残すな」

「おい、それは作戦じゃ」


 ベーゼスはベイルの言葉を無視した。腕に力を込め、柵を軽々と飛び越えた。ベイルが慌てて下を見ると、十数メートルはあろう高さを落ちたベーゼスが元気よく魚人間の一匹に掴みかかり、マウントポジションから顔面を殴り倒していた。


「この野郎! ぶっ殺してやる! 死ね! 死ね!」


 悪態を吐きながら一匹目を殴り続け、やがて動かなくなるのを確認すると、即座に二匹目にとびかかる。ベイルはその姿を見て、ああ、やっぱりあいつも怪物だったか、とどこか他人事のように感想を抱いた。


「くそ! あいつを好きにさせるな! やれ!」


 そうしてベーゼスが二匹目を殴り倒したところで、周りにいた魚人間が彼女を明確に敵視する。それまで破壊活動を行っていた者達が一斉にベーゼスの方を向き、一様に敵意をむき出しにする。


「殺せ! 相手はたった一人だ!」

「囲んで殴れ! 囲め!」


 魚人間は口々に言いあいながら続々と床に降り立ち、じりじりと間合いを詰めながらベーゼスを取り囲んでいく。そうして大量の魚人間に囲まれながらも、ベーゼスは余裕の態度を崩さなかった。


「面白え。まとめて相手してやるよ」


 それどころか、五十はくだらないであろう大群を前にして、ベーゼスは歯をむき出しにして喜びの表情を浮かべた。決して虚勢ではない、心から今の状況を楽しんでいる笑みであった。

 しかしベイルにとっては気が気でない状況だった。一般的な常識しか持ち合わせていなかった彼は、このままではベーゼスが殺されてしまうと真剣に考えた。

 早く何とかしないと。そう考えた直後、意識よりも先に体が動いた。


「おい! 魚共! こっちにも一人いるぞ!」


 ナイフの背で勢いよく柵を叩きながら、ベイルが力一杯叫ぶ。金属製の柵はナイフと良く響きあい、彼自身の大声も相まって、下にいた魚人間の注意を一身に引き付けることに成功した。


「新手だ」

「構わん! 殺せ!」


 幸か不幸か、魚人間の動きは迅速だった。それまでベーゼスを取り囲んでいた連中の半分がそこから離れ、それぞれが手近な階段や梯子を使ってベイルのいる空中通路へ進軍を始めた。ベーゼスの負担を減らせたのは嬉しかったが、まさか敵の半分が丸ごと自分に向かってくるとは思っていなかった。


「やべっ」

「馬鹿が!」


 多すぎる敵襲にベイルが動揺し、ベーゼスが彼の軽率さを詰る。しかしどれだけ罵っても魚の進軍は止まらない。ベイルは腹を括り、ベーゼスは目の前の仕事に集中した。

 そして既に、魚人間の先頭集団はベイルに肉薄していた。狭い通路を一列になって進み、一番先頭にいた一匹がこちらに銛を突き付けてくる。


「死ね!」


 魚人間が銛で突く。ベイルはそれを半身になって躱す。紙一重で銛の先端が腹を掠り、革製の服に横一文字の傷を刻む。

 攻撃を外した魚人間が銛を引き戻す。しかしベイルは、即座に銛を腕と脇腹で挟み込む。いきなり銛の動きが止まったことに魚人間は驚き、全身を硬直させる。

 一瞬の隙。それで十分だった。ベイルはその隙を突き、手に持っていたナイフを構え、魚人間の喉元――と思しき場所に一息に突き刺した。

 魚人間はそれに反応できなかった。気づいた時には、既にナイフが深々と刺さっていた。傷口から赤い血が滲み出す。刺された魚人間は、痛みと驚愕で痛ましい悲鳴を上げた。

 ベイルは手心を加えるつもりは無かった。彼はまだナイフを持っており、手放すつもりもなかった。


「シャオリンとジョーの分だ」


 彼はそう言って、勢いをつけてナイフを上方向へと持ち上げた。よく磨かれたその刃は魚人間の皮と肉を容易く裂き、喉元から顎にかけてを真っ二つに引き裂いた。


「ひっ」


 一瞬、息をのむような声が、続けて絶叫が血飛沫と共に喉から溢れ出す。ベイルはさらに、その左右に裂けた顎を蹴り飛ばした。魚人間は抵抗すら出来ず、後ろへ倒れていった。

 それの後ろで出番を待っていた魚人間の一部は、それの転倒に呆気なく巻き込まれた。それらもまた抵抗することが出来ず、無様にも背中から通路に倒れてしまった。

 ベイルは容赦しなかった。彼はそうして倒れて言った魚人間共の真っ白い腹に狙いを定め、ナイフをしまい、素早くマチェットを突き刺していった。得物を変えたのは、そちらの方が刃が長く肉厚で、簡単に深手を与えられると判断したからである。

 一回刺すごとに、血とそれ以外の赤い何かが、マチェットと腕にべったりこびりつく。しかしベイルは途中から嫌悪感を忘れ、ただ黙々とルーチンワークに没頭していくようになった。

 単純作業は人間から思考能力を奪う効果を持っているのだ。


「あいつ、一匹ずつ殺していってる……!」

「ひ、退くな! 攻めろ!」


 その淡々と仲間を抉っていく姿は、後ろの魚人間共に並々ならぬ恐怖を植え付けた。下から聞こえてくる硬い物が砕ける音と弾ける音、そしてそれに混じって響いてくる女の哄笑もまた、彼らの肝をたまらなく冷やした。


「一斉に攻めかかれ! 休む暇を与えるな!」


 しかし彼らは震える足に喝を入れ、大声で気勢を上げながら一列に突っ込んでいった。恐怖に打ち勝つための、やけくその行動であった。

 それをベイルは正面から待ち受けた。血と暴力によって、軍役時代に磨いてきた闘争本能が、完全に目を覚ましていた。

 覚悟完了。


「来い」


 最初の一匹が迫る。跳躍し、頭上から剣を振り下ろす。ベイルはそれを紙一重でかわし、同時に剣を通路に叩き付けながら着地した魚人間の顔面を蹴り上げる。口から血を吐きながらその魚人間は柵を飛び越え、下方へ落下する。

 次の一匹が来る。それはボウガンを持ち、こちらに向けて構えていた。それを見たベイルは、無意識のうちに体を動かした。腰に納めていたナイフを引き抜き、一瞬の動きでそれを魚人間に投げつけた。ナイフはボウガンの引き金を引くよりも早く、魚人間の眉間に命中した。そうして何が起きたのかもわからないまま、その魚人間は絶命した。

 三匹目。エンジンのかかったチェーンソーをでたらめに振り回しながらこちらに迫る。チェーンソーの重さを制御しきれず、それに振り回されているようにも見えた。ベイルは袈裟懸けに振り下ろしてきたそれを難なくかわし、それを持っていた腕を踏みつけた。骨の折れる音。チェーンソーから手を離し、踏みつけられた方の手をもう片方の手で押さえつけながら、魚人間が呻き声を上げる。ベイルがその顔にマチェットを叩き込む。結果、三匹目は多少苦しんで死ぬことになった。

 即座に四匹目が来る。同じ顔が次々来るので、ベイルは少しうんざりしてきた。それは鎖鎌を振り回していたので、姿勢を低くして素早く間合いを詰め、鎌を持っていた方の手をマチェットで切り落とした。魚人間は絶叫し、ベイルは驚いた。自分でも狙っていたとはいえ、ここまで切れ味があるとは思わなかったからだ。片手の手首から先を失い、この世の終わりに直面したかのような悲痛な叫びをあげる魚人間を蹴り飛ばして黙らせてから、ベイルは妖精であるリューから受け取ったそのマチェットをまじまじと見つめた。

 よく見ると、刀身の部分に文字が刻まれている。その文字はわずかに青白く輝き、意志を持つかのように揺らめいていた。ベイルは気味悪く思い、同時にどこか頼もしくも感じた。


「くっ、くそっ、強い! 」

「なんだあいつ、今まであったことないぞ!」

「俺達が負けるなんて、ありえん……!」

「ちゃんと訓練しろ。だから負けるんだ」


 一方的に打ちのめされていく仲間を見て、後続の魚人間は焦りと驚きと怒りに満ちた声を放つ。対してベイルはマチェットから目を離し、淡々とそれに答える。彼としては別に挑発したつもりは無かったが、それが生き残りの魚人間の神経を逆撫でしたのは事実だった。


「こいつ、言わせておけば……!」

「確実に殺せ! 骨も残すな!」


 通路に固まっていた者達は、さらに気勢を上げて一致団結した。その意気や凄まじく、圧倒していたベイルの方が軽くたじろぐ程だった。


「我らブラックフォーチュンの恐ろしさ、貴様にも教えてやる! 覚悟し」


 しかしその内の一人が景気よくそこまで言ったその時、斜め下から何かが飛んできた。それは進行方向上にあった柵を破壊し、残りの魚人間を一匹残さず反対側へと叩き落した。奇襲を受けた魚人間共は何が起きたのか理解できず、ただ悲鳴をあげて落ちていくしかなかった。


「おせーよ。ベイル」


 そうして残党を蹴散らしながら空中通路に飛び移って来たベーゼスが、ゆっくりと立ち上がりながら彼に言った。ベーゼスは体のあちこちに血がついていたが、これといって傷は見られなかった。


「そっちはもう済んだのか?」

「ああ。とっくにな」


 ベイルの問いにベーゼスが答える。気になってベイルが柵から見下ろすと、彼女の言うとおり、そこには血まみれのまま動かない魚人間共が散乱する地獄絵図となっていた。


「こいつら、定期的にここを襲いやがるんだ。いつもアタシが出張って返り討ちにしてるんだが、全然懲りねえ。何度ぶっ倒しても、めげずにまた再襲撃してくるのさ」


 ベイルの横に立ち、その自分が殴り倒した連中を見下ろしながら、ベーゼスが彼に告げる。すると今度は真下の光景を見ながら、ベイルがそれに答える。


「どうしてそこまでここにこだわるのか、わかってるのか?」

「いんや、全然。調べてみようと思ったこともあったけど、結局駄目だった。ブラックフォーチュンって連中は、その存在以外の全てが謎に包まれてるからな。詳しい所は誰にもわかんねえのさ」


 ベーゼスが面白くなさそうに、つっけんどんな態度で返す。ベイルもそれ以上は何も言えず、暫し微妙な空気が流れた。

 それをかき消したのは、ベーゼスの腹の虫だった


「あ」


 自分の腹が盛大に自己主張したのを聞いて、ベーゼスは途端に顔を真っ赤にした。ベイルもばっちりそれを聞いていたが、どう反応していいか戸惑うばかりであった。


「今のって……」

「……あー……」


 余計気まずい空気になる。ベイルは早くこの状況を何とかしたかった。


「……よし、なんか食おうぜ!」


 そんなベイルの首根っこを腕で挟み込みながら、ベーゼスがやけに明るい声で叫ぶ。当然ベイルも抵抗しようとしたが、半竜人の膂力は人間のそれを凌駕していた。

 本人は照れ隠しのつもりなのだろうが、人間のベイルにとってこの「首絞め」は半ば拷問であった。


「お、おい、苦しい、緩めろ! 痛い痛い痛い!」

「いいから、いいから。飯食うぞ、飯! お前も腹減ったろ? アタシが奢ってやるから、遠慮せず食えよ!」


 鱗の端が肌と擦れあって、微妙な痛痒感がベイルを苦しめていた。しかしベーゼスはそれに気づかず、なおもベイルを引っ張りながら上部通路の出入口へと向かっていった。


「別に腹の虫くらい何でもないだろ。俺だって気にしてないんだし」

「あんたはそうでも、アタシは気にするんだよ! ほら、さっさと行く!」

「いやだから、これ離してくれ。別に逃げたりしないから」

「うるさい! いいから一緒についてくんだよ!」


 これは面倒なことになった。ベイルは半竜人に引きずられながらそう思い、しかし一方で、今の状況を楽しんでもいた。

 彼は退屈よりも、刺激を好む性分であったからだ。

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