第2話
「盟主様。上から土左衛門がやってきました」
「人間か?」
「はい」
「またどこかの誰かが、船から落ちたのだろう。いつも通り、海の底に埋葬しておきなさい」
「それが変なんです。その人、こっちの世界じゃ見ない顔なんですよ」
「それはどういう意味?」
「言ったとおりです。見た目じゃなくて雰囲気? みたいなやつが、帝国でも連邦でも見たことが無いタイプなんです。フォーチュンの中にも見たことは無いです」
「つまりあなたは、その死体は外の世界からやってきた者のそれだと? 興味深い」
「それにその人、腹に剣が刺さった状態で落ちてきたんです」
「なるほど、溺死ではないと」
「はい。それもブラックフォーチュンの下級戦闘員が使ってる剣です。おそらく、彼らと戦っている最中に負傷し、船から落ちたものかと」
「まさか……」
「それからもう一つ」
「まだ何か?」
「その人、まだ生きてます」
ベイルが次に目を覚ました時、彼の視界に入ったのは白い天井だった。彼は天井につけられた照明の出す光を受けて眩しそうに顔をしかめ、それからゆっくりと上体を起こした。
「ここは……」
かすむ目をこすりながら、呆然とベイルが周囲を見渡す。そこは天井だけでなく、壁も床も真っ白だった。シミ一つない清潔な空間であり、自分が寝かされていたベッドもまた白かった。右腕には点滴用の針が刺されており、ベッドのすぐ横には薬液を収めた半透明の袋を吊るした棒があった。針と袋はチューブで繋がれ、定期的に薬を体内に注入されていた。病院か何かだろうか? 予想は出来たが、明確にこれと判断することは出来なかった。
そこまで観察したところで、ベイルは咄嗟に腹に手を当てた。彼は意識を取り戻すと同時に、船上で自分の腹に剣が突き刺さったことも思い出したのである。貫頭衣の下に手を潜り込ませ、恐る恐る腹部をさする。
腹の傷は完全に塞がっていた。傷口らしいものも見当たらなかった。ベイルは自分がまだどこにいるかもわからないにも関わらず、安堵のため息を漏らした。
「生きてる」
それが何より嬉しかった。他の事はどうでも良かった。ベイルはただただ、自分がまだ生きているという喜びを噛み締めていた。
「良かった。目を覚ましたみたいね」
その時、遠くから声がした。ベイルが顔を上げると、声の主は意外と近い所にいた。自分の寝ていたベッドからそう遠くないところに出入口と思しきドアがあり、そのドアが全開となっていた。そして件の声の主は、その開け放たれたドアの近くに浮いていた。
「え……?」
それを見たベイルは自分の目を疑った。夢でも見ているのかと思い、何度か目をこすったりもした。しかしそれから改めてそこを凝視しても、そこにあったものは決して形を変えたりはしなかった。
「傷の具合はどう? もう治った? 歩けそう?」
唖然とするベイルを尻目に、ドアの近くにいたそれは矢継ぎ早に質問をぶつけていった。ベイルは何が何だかわからず、ただ流されるままに頷くだけだった。
「ああ、もう、平気だよ。多分歩けると思う」
「本当? よかった。じゃあ私について来てくれないかしら? あなたに色々聞きたいことがあるの」
ドアの近くで浮遊していた「妖精」は、そう言ってにっこり笑った。
「それにあなたも、色々知りたいでしょ? 今ここがどこで、私が誰なのか、とかね」
妖精が問いかける。ベイルはそれに対しても頷くしかなかった。
その妖精は、世間一般でイメージされているものと全く同じ姿形をしていた。体は小さく、ベイルの顔程の大きさしかない。背中には半透明の羽を一対生やし、それをせわしなく動かして宙に浮いていた。袖のない服は前の露出が小さい代わりに、背中がほぼむき出しになっていた。羽が服の形状に影響しているのかもしれない。顔だちは幼く、そして言動も幼かった。
「ねえねえ、あなたどこから来たの? 外の世界? 外ってどんな場所? どんな人がいるの? どんな感じなの?」
妖精がベイルの周りをぐるぐると回り、次々と質問をぶつけていく。ベイルはただ戸惑い、曖昧に返事を変えうばかりであった。どうしていいかわからなかったのだ。
何せ、自分が子供の時に読んでいたファンタジー小説に出てくるものと全く同じ形をした妖精が、今自分の周りを飛び回っていたのだ。非現実的にもほどがある。彼はこの状況が受け入れられず、ただ困惑するばかりであった。
「あ、ちょっと待って。ここは右に曲がるの。そうしたら、次は左。あとはずっとまっすぐ進めば、盟主様の執務室よ。そこが私達の目的地なの」
この時彼らは妖精の先導のもと、彼女が「盟主様」と呼んでいる者のいる部屋へと向かっていた。例の妖精もただ質問攻めをするだけでなく、要所要所での道案内もしっかりとこなしていた。彼らが進む通路はベイルがいた病室と同じように白く、道幅は狭く、窓の類は一つも無かった。自分たち以外の誰かと遭遇することも無かった。それが余計に物寂しく、居心地の悪さを助長していた。
おかげでベイルは妖精へのとっつきにくさと狭苦しい通路から来る、二重の閉塞感を味わっていた。できるものなら、さっさとここから出ていきたかった。
「はい、到着。ここが執務室だよ」
ベイルがそんなことを考えていると、彼の耳元で唐突に妖精が言った。驚きながら彼が正面に目を向けると、そこには一個の木製のドアがあった。ドアは閉め切られ奥の方から不規則に物音が聞こえてきていた。
「ここが?」
「ええ。入るわよ」
ベイルの意向を無視して妖精がドアを開ける。彼女がおもむろに手をかざしただけで、ドアはひとりでに開いていった。ベイルはこの時点で、目の前の光景に疑念を差し挟んでいくことを諦めかけていた。
「盟主様、連れてきました」
そんなベイルの考えなどお構いなしに、妖精が中に入って声をかける。そこはごく普通のオフィスルームであり、部屋の中央にデスクが置かれ、それを取り囲むように書棚や金属製のラックが規則正しく置かれていた。デスクには一人の人間が座っており、書類の一枚を手に取ってじっとそれを見つめていた。
「盟主様? 来ましたよ?」
そんなこちらに気付いていない様子の「盟主」に向かって、妖精が声をかける。そこでようやく「盟主」はこちらに気づき、ゆっくりと顔を上げた。
それの顔を見た直後、ベイルは心の中でそれを人間と判断したことを訂正しなければならなかった。こちらを向いた顔は全体が緑色で、下顎から牙が上向きに突き出し、目は赤くギラギラと輝いていた。眉毛は無く、頭髪も無く、おかげで可愛げのない、無骨で厳めしい雰囲気を放っていた。
どう見ても人間ではなかった。
「おお、そうか。来たか。それに彼も目覚めたようだね」
その緑色の怪物は、ベイルを見て嬉しげに口を開いた。口振りは友好的だったが、声はその外見にふさわしく重厚なものだったので、ベイルは警戒を解くことが出来なかった。彼はそれが何者かはわからなかったが、それがどのような種族かは大体見当がついていた。
「オーク?」
「私の種族がわかるのかね?」
半ば無意識に呟かれたベイルの言葉に、緑色の怪物が反応する。ベイルは口を滑らせたことを「しまった」と後悔したが、オークと呼ばれた怪物は笑ってそれに答えた。
「確かに、私はオーク族の一人だよ。今はこうして、ここの代表者を務めているがね」
「……本当にオークなのか?」
「もちろん。見てわかるだろう?」
ベイルは唖然とした。お伽噺やファンタジーの中でしか見たことのない、オークや妖精が、今当たり前のように目の前にいる。これが現実だとは到底信じられなかった。一方でオークにしては理知的だなと、心の片隅ではそんな場違いな感想を抱いたりもしていた。
「さて、早速ですまないが、情報交換といこうか。お互い、聞きたいことが山ほどあるだろうからね」
そんなベイルに対し、オークは早速本題を切り出した。妖精はそそくさとオークの横につき、興味深げにベイルを見つめた。
しかしそれは、ベイルにとっては好都合であった。あれこれ考えて一人で悶々とするより、見知らぬ他人と話し合って状況を正確に掴んだ方が、精神衛生上非常によろしいと判断したからだ。
「わかった。知っている限りのことを話すよ」
「おお、そうか。良かった。協力的で助かるよ」
ベイルの返答にオークと妖精が揃って喜ぶ。そしてベイルはこの時、現実の光景に抵抗することを止めていた。それは全てを受け入れて楽になりたいという、逃げの姿勢から来る開き直りであった。それだけ彼の精神と肉体は疲弊していたのである。
彼らはまず自分の名前を言い合った。オークはブルズ、妖精はリューとそれぞれ名乗った。それからまず最初にベイルが、自分がここに来た理由を説明した。
「へえ、こっちとコンタクトを取るために」
「なんだか大変そうね。お金払ってくれるんなら、私達が目的地までエスコートしてもいいわよ?」
「金取るのか……」
ベイルは少し落胆した。ファンタジーの世界から、急に現実に引き戻されたような錯覚を覚えたからだ。マイアに説明すれば、経費として落としてくれるだろうか? ベイルはそんなことも考えたりした。
次はブルズとリューの番だった。彼らは自分達がどのような存在で、ここはどこで、何をしているのかをベイルに説明した。
「オーグナー運送会社?」
「の、海洋方面東支部さ。海のルートを使っての、輸送業をやっているんだ。あんたらが太平洋と呼んでる側の海でな。もちろん日本海側にも支部があって、そこではまた別の連中が仕事をしている」
「もちろんメインは海上輸送。でもそれだけじゃなくて、場合によっては水中を行き来して物を運んだりもするのよ。必要に応じてね。他にも色々やってるんだけど、とりあえずは私達はこちら側の海で荷運びの仕事をしている、って認識でいいわよ」
ブルズとリューは、そうして互いに自分達の職務について説明した。ついでに彼らは、この海洋方面東支部は海底に建設されたものであり、今は繁忙期なので常駐している社員が殆どいないこと、そしてベイルはここへ偶然流れ着いてきたのだということを説明した。
「まったく運が良かった。我々が見つけていなければ、今頃お前は魚の餌になっていただろうな」
「本当、本当。私が見つけなかったらどうなってたか。それで、今度はこっちから質問なんだけど」
リューの質問は、そのベイルが流れてきたことに関するものだった。お前はどうしてあんな状況に置かれていたのか。ブルズとリューは好奇心から、ベイルに説明を要求した。ベイルは自分の素性を明かした後、あの時起きたことを説明した。
「魚に襲われたんだよ。人間の手足を持った魚だ。信じられないかもしれないけど」
「……」
しかしベイルの話を聞いた後、オーグナー側の二人は共に神妙な面持ちを浮かべた。ベイルはまずいことを言ったかと不安に思ったが、やがてそんな彼を見ながらブルズが口を開いた。
「そうか、フォーチュンに襲われたのか。運が悪かったな」
「ほんと、災難だったわね」
「あいつらを知ってるのか?」
ベイルが驚いた調子で問いかける。ブルズとリューは共に頷いた。
「正式名称はブラックフォーチュン。一言でいえば犯罪組織ね。こっちじゃかなり有名よ。海だけじゃなくて、陸でも空でもやりたい放題やってるの」
「殺人、強盗、破壊活動。なんでもありだ。神出鬼没で、どこにでも現れる。我々も対策を講じてはいるんだが、奴らの犯罪による被害総額については、正直考えたくも無い」
オークと妖精の二人は、非常に暗い顔をした。彼らも相当やられてきたのだろう。ベイルは気の毒に思いながら、話を聞く中で疑問に思ったことを尋ねた。
「そいつらがどこから来たのかはわからないのか?」
「わからん。少なくとも、我々の元いた世界に、あんな奴らはいなかった。我々がこちらの世界に二度目の訪問を果たした時、既にここに存在していたのだ」
「目的もボスの正体も不明。私達に敵意むき出しってことと、進んで犯罪をやりまくるってこと以外、全然わからないのよね」
正体不明の犯罪組織。わかったのはこのくらいだった。しかもベイルはこの段階で、件のフォーチュンとはまた違ったベクトルの疑問を抱いていった。ころころ話題が変わることを失礼に思いながら、ベイルが二人に問いかけた。
「さっきあんた達、こっちの世界に進出してきたって言ってたよな?」
「ああ。確かにそう言った」
「どういう意味なんだ? そもそも何がどうなって、日本はあんな状況になったんだ」
ベイルからの問いに、ブルズとリューは顔を見合わせた。説明を嫌がっているのではなく、どこからどうやって説明しようかと考えあぐねているように見えた。
が、やがてブルズがベイルに視線をよこす。そしてブルズはベイルを見たまま、彼に向かって口を開いた。
「話せば長くなるんだが、いいかな?」
「ああ。出来るだけ詳しく教えてくれ」
「わかった。では初めから」
しかしブルズがそこまで言った次の瞬間、遠くから爆発が聞こえてきた。直後、部屋の明かりが消え、赤い非常灯が点灯した。
「なんだ!」
「敵襲!?」
驚くベイル。一方でリューがしかめっ面のまま叫ぶ。ブルズはデスクの上にある通信機を手に取り、どこかに連絡をしようと試みた。
「こちらブルズ。監視室、何があった? さっきの爆発はなんだ?」
「第三ドックに侵入者! フォーチュンです!」
通信機から言葉が返って来る。直後、ブルズは通信機を握ったまま驚愕した。オークも顔を青くするのかと、それを見たベイルは不謹慎ながらもそう思った。
「奴ら、目につくものを手当たり次第に破壊しながら中央部へ向かってきてます! スペア用の船も、もう何個もやられてる! このままじゃ施設そのものがぶっ壊されますよ!」
「落ち着け。まだ死んだわけじゃないんだ。ベーゼスはいるか?」
「は、はい。さっきから別回線で出動させろと言ってきてます」
「よし、ベーゼスを向かわせろ。あいつに任せるんだ。それからお前達は、そこからベーゼスに情報を与えろ。どこに誰がいるのか、リーダー格の奴は誰なのか、なんでもいいからあいつをサポートしろ。わかったな?」
「了解!」
鬼のように険しい表情で指示を出した後、ブルズは肩で息をしながら通信機のスイッチを切った。そのブルズに対し、ベイルが恐る恐る問いかける。
「これ、そのブラックフォーチュンって連中がやってるのか?」
「どうもそうらしい。さっきも言ったが、奴らは神出鬼没なんだ。金も物資も取らず、ただ破壊したいがために行動を起こすこともある。だから質が悪いんだ」
「あいつらを追っ払いたいか?」
「出来ることならね。だが心配はいらん。なにせこっちにはベーゼスがついている――」
「俺にも手伝わせてくれ」
唐突にベイルが告げる。それまで自信満々に話していたブルズは、驚いて彼の顔を見た。
「なんだって?」
「俺がフォーチュンを撃退する。手伝ってもいいかって聞いたんだ」
「どうしてそんなこと?」
「治してくれた礼だよ」
自分の腹に手を当てながらベイルが答える。この時彼は改めて、自分がまだ貫頭衣姿であることを認識した。
そんな彼を見ながら、ブルズが渋い声で言った。
「まだ生きてる奴を、そのまま死なせるのも気分が悪いと思っただけだよ。別に見返りを期待してやったわけじゃない」
「一回は一回だ。借りを返させてくれ。それに俺としても、あいつらには恨みがある」
「しかし、こっちの問題に余所者を巻き込むのは」
「やらせてくれ」
ベイルは頑なだった。直後、どこかからまた新たな爆発音が響く。部屋全体が震動し、浸水を告げるアラームがそこかしこかで鳴り始める。
ブルズが折れるのに時間はかからなかった。
「わかった。好きにしろ」
「そうこなくちゃ」
ベイルが会心の笑みを見せる。一方でブルズはリューを向き、「あいつに合う服と武器を渡してやれ」と指示を出した。リューはそれを聞いて、ドアを開けて何処かへすっ飛んでいき、そしてそれを見届けたブルズは改めてベイルに向き直っていった。
「それから地図を渡しておこう。ついでに、ベーゼスと会うことがあったら、挨拶もしておくといい」
「ベーゼス? どんな奴なんだ?」
「喧嘩好きの半竜人(ドラゴニュート)さ」
ブルズはにやりと笑って言った。ベイルはそれを聞いて、自分の常識がまた一つ崩れていくのを感じた。
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