第2話

 やわらかな桜の香りと、降ってきた花弁が鼻先をかすめる。

 はらはらと桜が舞い散る中。木漏れ日が落ちるレンガの敷かれた道を、ナガメは歩いていた。


 その横にはずらりと道を囲むように植えられた桜並木。

 おろしたての真っ白なスニーカーに、溶けない雪のような花びらが落ちてそれを振り払うかのように足を進める。


 その道の先には、ところどころ磨きぬかれた窓がはまっている白い石で出来た2階建ての建物。ナガメがこれから通うことになる、探索者養成学校の校舎だ。

 校舎をまぶしそうに目を細めて見ると、そのまま横に首を向け、注連縄のかかった1本の桜の木に目を止めた。


「大きな桜だなあ・・・」


 この1本ですべての桜吹雪をまかなえるのではないかと思えるほどに大きな駿河台均。匂い桜と呼ばれる桜の代表格。桜並木の中でも別格の存在感を放つそれ。


 その幹の太さ、注連縄、圧倒的なまでに幻想的にみえる美しさに、自然とナガメの足は止まっていた。魅入られた様に呆然とそれを見上げるナガメを迷惑そうに避けながら道を行く、ナガメと同じブレザーを身にまとった少年少女たち。


 彼らに遠慮して、道と区切った一段高い石の列を飛び越えナガメは桜の根元まで近寄る。背中に食い込んだ重い緑色のリュックサックをよいしょと背負い直した。


「綺麗だ・・・」


 近寄ってみるとさらに圧倒的で美しくて。ナガメは思わず感嘆のため息をついた。ぼんやりといまだ花を散らし続けている駿河台均を見つめる。

 その香りを胸いっぱいに吸い込もうと、大きく鼻から息を吸った。広がった香りにうっとりしつつもふうと肩を下げながら息を吐く。


「楽しみだなあ」


 吸い込むと同時に閉じていた目をぱっちり開けると、へにゃりと顔が笑みの形へと崩れる。ふへへ、とこれからの学校生活のへの期待に一人笑う。そんなナガメにぎょっとして避けていった学生たちに気付かなかったのは幸いだったのか。

 もう一度桜を見上げ、道に戻ろうと踵を返したときだった。


 みぃ


 小さな鳴き声に呼び止められた。


「え?」

 

 思わずきょろきょろと辺りを見回すが、どこにも声の主は見当たらない。足元を見ても桜の花びらがへばりついている白いスニーカーしかない。


「気のせいかな」


 首を横にかしげて、1人呟くナガメ。耳を凝らしてみても、桜が落ちるさやかな音や、虫の羽音、他生徒の靴音しか聞こえない。

 勘違いかな? もう一度呟いて花弁のついてしまったスニーカーからそれを払おうと片膝をつき、かがみ込んだ時だった。


 にぃ、にぃ


「やっぱり!」


 さらに鳴かれて、目線は上。声がした方向へとむく。片膝をついたままそこに目を凝らすと、白に近い薄紅の中にそれよりも白い何かが見え隠れする。


 じっと見つめていると、それは白く小さな子猫だった。

 細い枝先で必死にバランスをとりながら、ふるふると震えている。強い風でも吹けば軽く宙に放り出されてしまうような。そんな小さく軽そうな子猫がなぜ。

 ナガメがどう頑張っても手が届かなそうな高所に居るのだろうか。


「猫って・・・」


 すごいなと消え入るように呟きながら、あわててそんな場合じゃないとナガメは子猫を助けるべく行動を開始した。


 ブレザーについているベルト、そこにつけていた青い魔石のついたカードをとる。ネームプレートにも似た形のそれは、中にテイムした魔物。テスターが入っていると示すかのように魔石がきらりと光った。


「シロ!」


 中に入っているテスターの名前を呼ぶと、カードの魔石部分が光り、そこから放射された白い光が1匹の蛇を形作る。

 形作った蛇の表面から、光の粒子が溶けるように消えた時。


 そこにいたのは、1匹の白蛇だった。頭部は角張り、吻端は幅広い。しゅるしゅると音を立ててはとぐろを巻き、炎のような舌をちろちろと吐き出す。きらきらと光る青い瞳。

 春のうららかな太陽光に細身な肢体を彩る白い鱗がなめらかに照っていた。

 はっとするほど、美しい白蛇だった。


 雪のように降り注ぐ桜と美麗な白蛇の組み合わせ、その対比にしばらく見とれていたナガメだったが、みぃ。と小さな鳴き声にはっと意識を戻す。

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