第5話 ドッチボール事件1
「はあ?ドッチボール?」
教室中から驚きと批判の声が上がった。
何でも他の学年との兼ね合いで、今日の体育の授業は男女合同でやるらしい。うちの高校では体育は男女別なので、みんな戸惑っている。喜ぶ者、難色を示す者、反応は色々。俺は、秋と一緒になれるかなあなんて、ちょっと嬉しかったりした。とはいえ、男女合同でドッチボールとは……。
「静かに。チーム編成やらルールやらはお前らが勝手に決めていいぞ。じゃあ牛飼、仕切ってくれ」
理不尽な体育教師の振りに、未衣の反応が一瞬遅れた。
「え?あたし?」
頼んだぞ、とだけ言ってうちの担任兼体育担当はホームルームを切り上げて職員室へと帰っていった。
ざわざわとざわつく教室内。体育の授業は昼休みの後。それまでに何とか方向性をまとめないといけないのだが。学級委員でもないのにまとめ役に任命されたクラスのリーダーは、最近なんだか元気がないみたいだし、大丈夫か?
みんながざわつく中、男子の一人が声を上げた。
「おい牛飼、どうするんだよ」
なんて無責任な台詞なんだ。まとめる方の気持ちにもなってみろ。なんて思うけど、結局俺は何もしないチキン野郎で、マジョリティーになんとなく付き従う典型的日本人なのさ。ごめん、未衣。
サル山のボスザルが「あ、えっと」とかオドオドしている間に、意外な奴が立ち上がった。
「まあまあ、ここはみんなで話し合って決めようぜ」
池上啓介だ。授業中は居眠りしていて気配を全く感じない奴だが、こういうイベント事になると突然存在感がスパークする。結構仕切りたがり。そういえばこういう奴だったな。
「じゃあ私から提案、いいかな」
またまた予想外の奴が挙手なんてしやがった。猪狩華花だ。
「おう、なんでも意見を出してくれたまえ、猪狩君」
なんか啓介仕切ってるし。
「男子対女子、なんてどうかな?」
教室中が再びざわつく。いやいや、その選択肢はないっしょ。
「ふむ、おもしろそうだな」
ええ~!?全然おもしろくないですよ啓介さん。ビックリですよ!
「牛飼、それでいい?」
猪狩さんの問いかけと、
「あ、うん」
未衣の生返事、
「よし、決まりだな」
そして議長の一言で、決定してしまった。
「ルールは女子(そちら)で決めてもらって構わないぞ。何かしらのハンディキャップがないと男子と女子じゃあ戦力差がありすぎるからな」
なんで偉そうなんだ、池上啓介……
「えっと、男子は外野から女子を当てちゃいけない、っていうのはどうかな?女子に有利なルールはそれだけでいいよ。あとはイーブンで」
数秒考えた後、啓介は不敵に笑む。
「いいだろう」
だから何故しきる。
「それでは後の細かいルールは昼休みまでに俺が書き出しておこう。まあ、わかりやすいように単純明快なものだがな」
勝手に話が進んでいく事に、不満がありそうな者が何人かいたが(当たり前だ)、猪狩さんが教室中の空気を一つにまとめた。
「ごめんねみんな。勝手に話進めちゃったけど、これでいいかな?」
ほんの少し首を傾げ、長い黒髪が揺れる。ちょっと眉毛を下げながら、優しく、それでいて有無を言わせない迫力と、懇願するような隙のある表情。
あんた、そんな綺麗な顔されたら、男女関係なくノックアウトですよ。もう誰も何も言えませんよ。
ありがとう、と小さく付け加えた瞬間、1限開始のチャイムが鳴った。
教卓には、数学の高松先生が複雑な表情をして立っていた。
こうして波乱の1日が始まった。
でもそれは、天才戦略家・猪狩華花の伝説の序章に過ぎなかった。いや、嘘だけど。
/
「ごめんねみんな」
休み時間に女子を集めて、私は謝った。猪狩華花の独断によって男子対女子というルールを押し切ってしまったから、一応詫びを入れておかないといけない。
すると女子達はあまり気にしていなかった様子だった。それよりも感情の矛先は男女合同で体育をやると言い出した体育教師に向かった。別にいいけどという女子もいるけど、大多数は男子と一緒にやるのが嫌らしい。難しいお年頃だ。これが水泳の授業だったら――女子達の反応を妄想しながら、私の嗜虐的な心が疼いた。
「ドッチボールボールをやるとしたら、女子同士って微妙かな、って思って。それにほら、向こうも手加減するだろうし、逆にこっちは存分に本気で投げれる。もしも男女混合だった場合、男子が本気で投げた流れ玉が当たったら危ないしね。女子ばっかりだったら本気で投げるバカな男子はいないかなって。ドッチボールをやるって事実は変わらないわけだし。あの筋肉先生に抗議をした所で競技を変えてくれるわけないしね」
一応筋は通しておく。ちゃんとした理由があればみんなも納得してくれるものだ。
案の定、女子達はなるほどねと感心までしてくれた。よくあの一瞬でそこまで思いついたね、と。
まあ、この計画はすでに組み立ててあったわけだが。
「どうせやるなら勝ちに行こうと思うんだけど、どうかな?」
このクラスの女子は割とノリがいい。それも計算済み。
よって、
「いいね!やろうよ」
「男子に思いっきりぶつけてやろう!」
などと声が上がる。
秋や大人しいタイプの女子達はオドオドしていたが、それも考えてある。
「大丈夫、危ない目には合わせないよ。ちゃんと守るから、牛飼が」
「へ?」
牛飼がすっとんきょうな声を上げた。
「みんな聞いて。攻撃の要、主砲は牛飼を置く。牛飼は運動神経めちゃくちゃいいし、牛飼を中心に攻撃の手を組みたいと思う」
みんなは頷いて牛飼コールが起こる程。男よりも漢らしい女として、牛飼の人気は不動。彼女なら守ってくれる、彼女がいれば勝てる、その安心感が女子達の戦闘意欲を上げた。
「ちょ、ちょっと待った!」
牛飼が異議ありと叫ぶ。普段の彼女なら、よし来いと言わんばかりに乗り気になるのだろうが、やはり調子が悪い証拠か。
が、私は有無を言わさず、
「やれ」
と命令。
「な……」
「あんただって、むしゃくしゃしてることがあるんでしょ。だったらボールで男子にぶつけちゃいなよ。男子だったら女子みたいに後で面倒臭いことにならないしさ」
あははと笑ってみせる。
「わかったわよ……」
牛飼もしぶしぶ了承。
よし、これで条件は揃った。
「それで、具体的な話をするけど――」
とりあえずドッチボールが出来そうな子をAチーム、運動が苦手な子達をBチームに分けた。Aチームは基本が攻め、Bチームが基本は逃げである。
「基本的にボールを取るのはAと牛飼。男子は外野から私達を狙えないから、注意するのは正面の玉だけになる。これならなんとか対処できる。取りこぼした玉は周りがフォローするように。守りはこれでOK?」
うんと頷く女子。一回の説明で理解してくれる辺り、なかなか優秀な駒達だ。若干一名、長瀬秋だけはついてこれてないが、とりあえずボールを避けてとだけ言っておく。
「次に攻めだけど、基本的に外野と内野でパスを回して、敵を攪乱させて、Aチーム、主に牛飼が当てる。ただし外野と内野間のパスで絶対に男子にボールを取られないように。男子のジャンプ力とか力とかを舐めてかかったら痛い目に合うよ」
おっす、とみんな応える。素直な子達だ。
「それと最初の外野は、これは向こうが提示してくるルール次第なんだけど、最初の人数はおそらく1~3人。0人ていう可能性もあるけど、その場合は仕方がないとして、1人以上だった場合、必ず私は外野からスタートさせて。全体の状況を把握したいし、私もそこそこ速い玉投げられるから、戦力になると思う。指示があったら外からするから、従って」
全員協力的にうんうんと頷く。だんだんとみんなのテンションが上がっていくのがわかる。もしかしたら私にはリーダーの素質があるのかも知れない、なんて考える。
「外野から狙われないっていうのは大きなアドバンテージだけど、身体能力の差はどうしても埋められないから、油断しないように」
おす!という声に乗って、女子達のパワーが伝わってくる。
「あと、活躍した人には特別賞として、牛飼の胸を触る権利を贈呈しましょう」
おお、と歓声が上がった。妙なテンションである。でも女子高生なんてこんなもんである。
「ちょっと待てい!さすがにそれは嫌だぞ!なんであたしがそんなわけわからんことされにゃいかんのだ!」
牛飼の猛反論。まあお怒りはごもっともだが、ノリだ。許せ。
「だって、牛飼って胸大きいし」
みんなうんうんと頷く。「うしちち」や「柔らかそう」などという言葉が飛び交う。
「ば、ばかっ!何言って――」
「それにほら、牛飼が活躍すれば権利と貞操は守られるわけでしょ」
にっこりと微笑む。
「ちくしょう」
勝った。牛飼が私に勝てることなど、もう一生かけても無理だなと、私は確信する。
イベント事には景品が必要で、ノリやテンションっていうのは青春において非常に重要な要素なのだ。
「あと牛飼、ボール投げる時はできるだけ飛び跳ねながら投げてね」
「な、なんでよ?」
「その方が胸が揺れて男子の集中力を殺げるのよ」
「おい!猪狩っ!」
激昂する牛飼。でも私は涼しい顔をして、
「体育の授業の時、遠くから結構男子が見てるよね。牛飼が走ってるのとか」
牛飼は恥ずかしそうに、それでいて機嫌が悪そうに俯く。
「ほらほら、ムカつくでしょ、だからボールでぶつけな」
「あんたねえ……」
「言っとくけど、拒否権はないから」
「え?」
私は誰にも聞こえないように牛飼の耳元で囁いた。
「拒否すれば、牛飼が彼氏欲しいって言っていたことを公言するわよ」
「な……」
決定打だ。熱血漢の牛飼が乙女的発言をしたなど、イメージが許さない。牛飼は絶対に、他の人に知られたくない。
「交渉成立ね」
「……あんた、友達なくすよ」
「私は牛飼のこと親友だと思ってるけど?本当に」
なんだか私は楽しくて仕方がなかった。さてさて、早く体育の授業にならないかな。
私が牛飼の隣でニヤニヤしていると、女子の一人がこんなことを言った。
「ねえ、猪狩さんって、そこまでして勝ちたいのって、男子に何か怨みでもあるの?」
/
「俺達は、手加減をしない」
池上啓介は、そう断言した。
「待てよ、女子相手だぞ。何言ってんだよ」
俺は秋の事が心配で意見した。
「なんだ洋、勝ちたくないのか?」
「待て待て、大人気ないって」
「わかってない。お前は全くわかってない」
休み時間。只今男子のドッチボール会議中。
「おそらく女子は――猪狩は本気で勝ちに来る」
「んなアホな」
いちいち啓介の言葉に返してあげる俺って、いい人かな?いい人かな?
「根拠は?」
慎吾が怪訝な顔をして尋ねる。
「男の勘だ」
いや、根拠になってないぞ啓介。
「というのは冗談で、俺は何か引っかかる。あまり目立った行動をした事がない猪狩が自ら女子を率いるなど、何か裏があるに違いない」
なんだそれ。
「未衣が仕切らないから変わりに仕切ってるだけじゃないのか?」
言いながら俺は普通にあり得る可能性だと思うけどな。
「まあ、そういう考え方もできる。だがな、女子もこうやって集まって作戦会議をしたらしい」
なんだってこのクラスの連中はこんなくだらないことに一生懸命なんだ。
「内容までは入手できなかったが、俺は作戦会議が行われたという事実から、敵の本気さを伺い知ったわけだ」
敵って……。
「猪狩は恐らく、男子が女子に向かって本気でボールを投げないと見越して、男子対女子の試合を提案したのだろう。しかし俺達は、敢えて裏をかく!」
「いやいや、裏をかくっていうか、大人気ないって」
「馬鹿な。おい洋、お前長瀬ちゃんの前でカッコ悪い姿見せてもいいのか?」
何もみんなの前で言わなくても。
「でも、秋にケガさせるようなことはできないよ」
言った瞬間、空気が変わった。あれ、俺ひんしゅくかいました?
「ノロケおってから、バカップルの片割れめ。こいつは無視だ。諸君、今回の戦いの意味――我らにとって一番大きなメリットは何だ?」
戦いて、えらい大げさだなあ。だいたいたかが体育の授業でメリットとかあるのか?
しかしまあ、愚直な男子諸君はエセ政治家みたいな啓介の言葉に踊らされて、真剣にメリットについて考えているよ……。アホばっかだなこのクラス。
「わからんのか君達。この戦いの大きな意味。それは、女子と一緒に体育ができるということだよ」
野郎共からおお、と歓声が上がった。
「我々は中学を卒業して以来、女子と体育で行動を共にしたことはない。故に、女子の体操服姿を間近で直視する機会が皆無なのだ」
そうだそうだと数名の男子が頷く。
「待てよ、女子と一緒なんて体育祭の時だってあったじゃん」
なぜか一人冷静なツッコミ役となってしまった俺が、一応気付いたことを言っておく。そのまま放置してたら話はあらぬ方向へぶっ飛んで行きそうだからな。誰も歯止め役になってくれそうにないし。
「洋、お前、まだそんな過去に捕らわれているのか?」
待て待て、中学以来とか言ってたお前はどうなんだよ。
「俺はあんな即興カップル発生イベントになど興味はない!」
一年の体育祭で彼女作ったお前が何を言う。まあ1ヶ月で別れたけど。あ、だからか。
「今年の、このクラスの女子はレベルが高い。顔もだが、スタイルがいい奴や胸がでかい奴が多い」
だからなんだ。
「見たいとは思わんかね、体操服姿を」
馬鹿か?
「今年の体育祭まで待てば?」
俺は呆れて言った。
「馬鹿者!目の前に飛び込んで来たチャンスをみすみす見逃せと、そう言うのか!?
あ、長瀬ちゃんは大丈夫だから。ああいう幼児体型は我々男子の興味の範囲外だ」
「失礼だな!秋だってちゃんと胸あるよ!確かに、ちょっと小さいかも知れないけど」
言った瞬間、また空気が変わった。あれ、またひんしゅく買いました?
「はっきり言おう、俺は体操服が好きだ」
これ、笑うとこ?
「だから俺は今回の戦い、本気で行く」
男子全員(一部を除く)が、ごくりと息を飲む。いやいや、引くところですよ。
「お前が体操服が好きなのはわかった。でもさ、それがドッチボールの勝ち負けとどう関係があるのさ。手加減しないって」
「洋、俺達の勝利とは、なんだ?」
「え?試合に勝つことじゃないの?」
はあ、と心底溜め息を吐かれ、お前は本当に愚かだなと、ゴキブリを見るような目を向けられた。
ほっとけ。お前と一緒にしないでくれ。
「女子を、愛でることだ」
男子の一人が言った。馬鹿は啓介だけではなかったようだ。
「その通り!我々の目的はそこにある!」
おお、と再び歓声。エロ男子共は、誰の体はエロいだの、誰の胸がでかいだの、そんな下世話な話で盛り上がっている。うん、ここまで来るとついて行けない。
中でも、取り分け未衣の名前が上がっていた。あーそういえばあいつ胸大きかったような。大丈夫、俺は秋にしか興味ない!
そんな中、ふと慎吾の方を見ると、すごく不機嫌そうな顔をしていた。やっぱり、仲の良い友達がそういう会話の対象になっているのはおもしろくないってことなのか。よかった、まともな精神の人がいてくれて。でも最近未衣と慎吾ってギクシャクしてるよな。あんまり話さないし。
「さてそれでは、本格的な話し合いを始めようか」
啓介が悪の総督みたいな顔で立ち上がった。
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