第4話 水族館事件(後編)
「待てよ牛飼」
俺は何も考えずにそいつを呼び止めた。まあ無意識に出た言葉ってやつだ。
「何よ?」
怒った顔で牛飼がにらんできた。
「なにって……その……」
俺は返答する言葉を持ち合わせていなかった。そりゃ何も考えずに言ったんだからな。
「お前、あれはやりすぎだよ」
俺は自分でも思いも寄らないことを口走っていた。
水族館を4人で回って、それから洋と秋と別れて俺と牛飼は二人きりになった。電車の中までは4人だったが、その時点で俺は気まずさに耐えきれずにいた。いや、もう少し前からか?
最後、よくわからん4人組で水族館を見て回ったわけだが、やはりカップルとお邪魔虫二人である。いやはや、居心地悪いぜ?俺は俺で意外と楽しめたし、洋と秋も二人きりではなかったけど、俺たちを含めても楽しんでいたようだ。邪魔してごめんな。
問題は牛飼だ。
終始笑顔でいた彼女だが、その笑みが逆に俺には痛々しくてならなかった。
だってそうだ、彼女の長瀬秋奪還計画は海の泡のように水槽の中に無惨にも消えてしまったのだから。
彼女はどこか、物寂しげな、そして諦めたような目をしている――ような気がした。
俺は別に牛飼専門家ってわけじゃない。女心の微妙な変化を確実に感じ取れる程の経験があるわけでもない。その辺の専門職は猪狩嬢に譲るさ。全面的にな。しかしだ。俺はこれでも自称観察者・傍観者である。だったら、他人が考えてることを「想像」するくらいならできるさ。まあ簡単に言うと、牛飼は「失恋した」という見方でいいかな?
彼女が秋に対してどれほどの感情を抱いているのか、そして水族館でどんなやり取りがあったのか俺は知らない。が、彼女の恋は終わったんだ。そう俺は解釈した。おそらくだけど。そんなわけで電車内はどことなく気まずかったし、二人と別れた後もなんとなく一人にさせるのが忍びなくて、こうして後ろを歩いていた。猪狩嬢はどこに消えた!? こういうのはお前の役目だろうが。そして沈黙に耐え兼ねて俺は彼女を呼び止めてしまったのだ。
「あれって何が?」
どことなく冷たい視線。俺は本当にこの先を言っていいのか、かなり躊躇した。が、毒を食らわば皿まで。一度首を突っ込んじまったら最後まで責任を持たなきゃならない。
なんてのは、ただの建て前だったんだな。後になって考えてみると。
「お前、秋にキスしようとしただろ?」
「見てたの?」
「ああ」
「最低」
冷たい視線。冷たい言葉。
でも俺の声はもっと冷めきっていたに違いない。自然と俺の口調は責めのそれになっていた。
「最低はどっちだよ。秋の気持ちも考えずに、お前何様だよ?」
「あんたに何がわかるって言うのよ。あたしのことも秋のことも、何も知らないくせに!」
そう熱くなるな。そういう態度をとられると、俺の嗜虐的な部分が刺激されるんだ。他人を否定したり、揚げ足を取ったりするのが俺の得意技なんだぜ?
「お前の事なんか知らないよ。大切なのは秋の気持ちだろ?俺はずっと秋を見守って来たんだ。お前なんかよりずっと昔からな。秋は洋が好きなんだ。今回のデートだって、あいつらが仲直りする為の大切なものだったんだぜ。それをお前はぶち壊そうとした。それって秋の気持ちを踏みにじったことにならないのか?」
「違う。違う! 秋はあたしを許すもん。何をしたって許してくれるもん。だから、あたしは、あたしの気持ちを」
「ほら。お前はそうやって自分の気持ちを押し付けてる。お前は本当に秋の事を考えてない。考えてるのは自分のことだけ。なんて独善的で、自己中心的なんだ。お前が守りたかったのは、自分の心だろ?」
どうしてこうも心臓をえぐるような言葉が次から次に出てくるんだろうな。俺が言ってることは正論だ。正論だから最強。相手も返す言葉を失うってわけだ。俺は自分のサディスト加減にゾクッとしてしまう。ああ、だから止められないんだな、他人を責めることを。彼自身、或いは彼女自身で気付いている、わかっていることを敢えて指摘してやる。逃げ場のない袋小路で俺は責め句を続ける。そうやって、身動きが取れなくなる彼女を見て、確かに俺は精神が高揚するのを感じた。
が、彼女は食いついてきた。
「人の気持ちを考えていないのはどっちよ。あたしは真剣なの。秋が好きなの。世界で一番秋が好きなの。あたしは、秋じゃなきゃダメなの。洋にも誰にも渡したくない。あたしだけの秋にしていたかった。あたしは、秋が、秋が好きなのよ!」
思考が止まった。
今にも泣き出しそうな彼女の顔はただ必死だった。俺はこんなにも強くて真っ直ぐな感情を知らなかった。だってそうだ、俺は誰かと対等に向き合ったことなんてなかったんだから。無関心を装って、傍観者を気取っていた俺は本当の人間というものを知らない。
そうか、これが人間なんだ。俺はそんなことを思った。
それほどまでに彼女の感情に、言動に、表情に、存在に、心を揺さぶられた。だから、これは不意打ちだった。俺だって驚きだ。不謹慎だけど、そう思ってしまったんだから。
そう、俺は、
そんな牛飼を愛おしいと思ってしまったんだ。
有り得ない。どうしたことだ? 落ちつけ、俺。不意打ちもいいとこだ。秋に対する気持ちをぶつける言葉の一つ一つにドキドキしてしまった。いや、俺が言われてるわけじゃないぞ。わかってる。落ちつけ。ああ、そうかわかった。俺は今、困っている。
「あんたが邪魔しなかったら、言えたのに。ちゃんと好きって言えたのに。言ったら、ちゃんと諦めるつもりだったのに。どうして、どうして……。海月の前で、ちゃんと言いたかったのに、ちゃんと、だって、あたし、秋が」
泣いた。
あの牛飼が顔をくしゃくしゃにして、声を上げて泣いた。いつも元気いっぱいで、外とか廊下とか走り回ってて、デカい声で秋を呼んで、クラスのガキ大将みたいな牛飼が、泣いた。天地がひっくり返ったような衝撃だった。
ちょっと待て、俺はどうしたらいい? とりあえず泣き止ませなきゃと言葉を探したが、何も出てきやしない。見つけたとしても、気の利いた言葉をかけられる気がしない。かけられたとしても、泣き止む気がしない。俺が心中でおどおどしていると、
「あんたなんかだいっきらいよ」
泣きべそをかきながら牛飼は叫んだ。
そしてきびすを返して駆け出した。
俺が慌てて追いかけようとすると、誰かに肩を叩かれた。振り返ると、猪狩がいた。猪狩は苦い笑みを浮かべると、牛飼が走った方向にゆったりと歩き出した。
一気に力が抜けた俺は思考を必死に巡らせた。
あれ? 見られてた? 猪狩さん、水くさくないすか、いたなら顔出してよ。この状況をなんとかしてくれよ。
ああ、それは逃げの発想だな。格好悪いよ俺。
そうだ、俺はただただショックだった。女を泣かせたってこと以上に、俺がショックを受けたという事実に。
嫌われたちゃったかな……
そう思ってる自分が実に気持ちが悪い。不可解だ。どういうことだ?
とにかく俺は、めちゃくちゃヘコんでいた。
…………………………
秋はブランコに座って、俺は手すりみたいなとこに腰掛けて、向かい合った状態で黙り込んでる。
そう、事は何一つ解決なんかしてなかったんだ。
秋を傷つけた俺。潔癖な秋。男と女。……むむ、これはこれでいやらしい感じがするのは気のせいか? なんて、意味のない思考がグルグルと回っているから事態は進展しないんだ。
秋は時々軽くブランコをこいでは俺に視線を送る。俺が気まずそうに視線を逸らすから、秋も目を地面に落とす。その繰り返し。
このままじゃダメだ。俺はなんて情けない男なんだ。これじゃ秋を不安にさせるだけじゃないか。よし、言う。言うぞ。俺の素直な気持ちを伝えるんだ。嘘やごまかしは逆効果だ。きっと。真っ直ぐな秋には真っ直ぐにぶつかった方がいいに決まってる。多分。それに俺は、秋にもっと俺の気持ちを知って欲しい。ちゃんと気持ちを伝えたら、もっと近づける気がするんだ。
だから俺は、頭の中に台本を用意せずに口を開いた。そして意識的に、全身をかっこ良く見せようと神経を巡らせた。
「あのさ、秋。俺、今日すごく楽しかったよ。ちょっとハプニングもあったけど、それでもすごく楽しかった。俺、秋といるとすごく楽しいんだ。だから、すごく好きなんだと思う、秋のこと」
秋は照れた感じで少し俯いた。かわいいなあ、もう。
「この間のことは、ごめん。秋を傷つけて。だから、俺の正直な気持ちを伝えようと思う。さっきの質問の答えだけど、その、ああいう写真とか、そういうのは、まあ、好きだよ、俺も、男だから。でも別に秋に対してそういうの求めてたりとか、そういうのはないから。でもまあたまに、そういう気持ちになるときもあるけど……いや、大丈夫。ちゃんと抑えつけてる、じゃなくて、考えないようにしてる。あーじゃなくて……。俺は、秋がすごく大切で、あんまりそういう目で見たくないというか、でも俺も男だから、時々秋にそういう女の部分を見ちゃうというか……。ごめん、本当はもっといっぱい秋に触りたい。いや、全然変な意味じゃなくて、もっと手を繋いだりとか、時々抱き締めたいって思うし、その、キスしたいとか、そんなふうに思うし……。いや、でも大丈夫。秋が望まないなら俺も絶対そんなことしないし、いやそんなことって言うのはまあ、いろいろで……。えっと、少しずつでいいから許して欲しい。いっぱい手を繋いだりとか、抱き締めたりとか、俺、もっと秋に近づきたいんだ。もっと、くっついていたいんだ。俺は男だから、エッチなこととか考えたりするし、でも秋はすごく大切な人だからそういう対象にしたくなくて。えっと……俺、女の子のことなんてよくわからないから、もっと知りたいと思うし、だから何が言いたいかって言うと、秋のことをもっと知りたいんだ。そして、俺のことももっと知って欲しい」
ちょっと待て、かっこ悪すぎだろ俺。
しどろもどろすぎ。何言ってるのかわけわかんないぞ。
「ひろちゃん」
名前を呼ばれてドキっとした。ブランコから立ち上がった秋が真っ直ぐに俺の目を見つめてた。
「みっちゃんが言ってたよ、男の子はみんなやじゅうだって」
牛飼、なんてことを。そんなに俺と秋の仲を邪魔したいか。
「ひろちゃんもやじゅう?」
なんてことをおっしゃるか。
「まあ、多少は」
なんてことを答えるか、俺。
完全にテンパってしまっている俺の顔を覗き込んできて、秋は言った。
「えっち」
ドキっとした。なんか責められてる?そんな感じなのに、妙にかわいくて。俺の平常心はノックアウト。不謹慎だけど、めちゃくちゃかわいいと思ってしまった。
「あのね、私そういうの苦手なの」
わかってるよ。だってそれが原因で雑誌事件は勃発したんだから。
「でもね、私も、ひろちゃんといっぱいくっつきたいと思うの」
ああ、ヤバい。今すぐ抱き締めたい。力いっぱい抱き締めてしまいたい。でもダメだ。今そんなことをしたら秋の信用を損ねてしまう。俺は秋の前でもっと紳士的になるべきなんだ!
「ひろちゃんと手を繋いだらすごく幸せになるの。ひろちゃんがぎゅーってしてくれたらすごくドキドキするの。ひろちゃんがほっぺとか手とかにキスするの、ちょっとびっくりするけど、なんかうれしいの。ひろちゃんと一緒にいると安心するし、お話するのもすっごく楽しい。でもね、ひろちゃんと触れ合ってるときも、すっごく幸せなの。えっちなのとかは、すごく嫌だけど、手を握ったりとかは、すごくうれしいの。……ダメかなあ?」
全然いいです。秋さんがそう言ってくれて、僕はめちゃくちゃうれしいです。ああ、そうか、二人の気持ちは同じだったんだ。そりゃあ俺だって健全な男だ、時々変な気分になったりもするさ。でも、そういうことじゃないんだよ。大切なのは、秋。秋と一緒にいること。秋を好きでいること。側にいられれば、それでいいじゃないか。池上がチューさえしてしまえばこっちのものだと言っていたが、そんなのは馬鹿のすることだ。俺は紳士だ。秋を大切にする。と、自分に言い聞かせてるみたいだな。
「ダメなんかじゃないよ、すごくうれしい。俺も、秋ともっと手を繋いだり話したり、いろんなところに遊びに行ったり、いろいろしたいな。秋が嫌がることは、絶対にしない。それでも、秋が今以上に俺を求めてくれたら、そしたらすごくうれしいな」
俺は今できる最高の笑顔を秋に向けた。
秋は少し照れくさそうにしてたけど、まんざらでもないみたいだった。俺の最後の言葉はあんまり理解してないみたいで、頭の上にはてなマークが浮かんでいたけど、今はそれでいいやと思う。
秋の心を少しずつ溶かしていこう。世間知らずで他人との関わり方を知らない秋。俺を通じて、秋の世界が広がればいいと思う。そんでもって世界中に自慢してやるんだ。このめちゃくちゃかわいい女の子が俺の彼女だ! ってな。だから俺も胸を張って秋の恋人なんだって言えるようにがんばらなくちゃいけない。もっといい男になってやるさ。本当に秋に出会えてよかったと思う。だって俺はこんなにもがんばりたいと思えたんだから。二人でもっと成長できるんだ。なんだかそう思うと、すごくうれしくなってきた。
あわよくば、そのうちエッチなことも……なんて思わなくはないけど、当分はおあずけだな。なんてことを考えてちょっとでも期待してしまっている自分はなんて汚い奴なんだと思ってしまう。でも仕方がないさ、本能だもの。だがな俺の本能、俺の理性が黙っちゃいないぜ。俺は秋が大好きなんだ。秋を泣かせる奴は俺が絶対に許さない。例え相手が俺自身であっても。
そうだ、今はこうやって一緒にいられるだけでいいじゃないか。俺は十分に、幸せなんだ。
「ねえ秋、抱き締めてもいい?」
俺は結構な大胆発言をした。でもこれは大事な儀式だ。仲直りのためのね。秋は控えめにこくりと小さく頷いた。そういう仕草の一つ一つがすごくかわいいと思ってしまう。全く、困った奴だよ俺は。
ゆっくりと秋に近づいて、ゆっくりと秋の背に手を回す。優しく、壊れものに触るように、優しく抱き寄せる。
控えめな胸の柔らかい感触がした。抱き寄せた手には女の子の柔らかい体の感触が。全身を伝って秋の体温が流れこんでくる。ドキ、ドキ、と二人の心臓の鼓動が交わる。ああ俺はこんなにもドキドキしてるんだなと実感が沸きながらも、秋もドキドキしているんだなとうれしくなる。ふと、体の一部が反応しそうになる。やめろ。今はお前の出番じゃない。お前が出てきたら計画が水の泡だ。何も考えるな。無心に。無心に。
と、秋が回した手をぎゅっと強く握った。
すると、俺の理性はぶっとんだ。さすがに押し倒したりとか、そんな馬鹿な真似はしなかったが、ぎゅーっと強く抱き締めた。それくらいは許容範囲だろ?
俺は愛しい愛しい秋の体を力いっぱい抱き締めた。秋はきっと少し苦しかったに違いない。でも俺のことをまっすぐ受け止めてくれた。それがうれしくて、俺はとんでもないことを口走っていた。
「ねえ、キスしてもいい?」
………………………
「好きって言えなかったの……海月の水槽の前で言うつもりだったの。秋が好きって。言ったら諦めるつもりだったの。伝わらないかもしれないけど、あたしにとっては秋が一番大事で、大切で、好きで、ちゃんと言いたかった。秋の一番になれないのはわかってる。でも、あたしは、秋に恋してるんだって、伝えたかった。知って欲しかったの、あたしの気持ちを。もしかしたら言っちゃったら、伝えちゃったら元の関係には戻れないかもしれない。でも、言いたかったの。もうどうしようもないくらいに秋のことが好きだから。……でもあいつに邪魔された。山崎にならまだいい。悔しいけど、あたしはあいつに負けたんだから。秋はあいつのことが好きなんだから。でも“あいつ”は関係ない。どうして出てくるの?どうして邪魔するの?慎吾が邪魔しなかったら、ちゃんと好きって言えたのに」
泣きながら話す牛飼の気持ちを、私は抱きしめたまま聞くだけしかできなかった。頭を優しく撫でてはいるが、私の行為など何の慰めにもならないだろう。それでも気休めに頭を撫で続ける。誰の気休めかって?決まっている、もちろん私のだ。
これは懺悔の気持ちの表れだろうか。牛飼の中で悪者は長瀬君一人になってしまっている。でも実は私も水族館にいたのだと、口が裂けても言えない。そう、私も彼と同罪。こっそりつけ回して、彼女の計画に介入しようとしていた。もしもバレたら私もただの悪者だ。刺されてもおかしくない。私は途中から先生とのデートの下見で水族館を探索していた。先生と初めての場所を楽しみたいという気持ちもあったが、事前の準備は必要だと思った。好きって感情のウエイトは私の方が遥かに大きい。完璧な私の唯一とも言える敗北は先生に心を奪われてしまったこと。大抵のことはそつなくこなす私だが、先生との恋愛に関しては後手に回りまくりだ。なんとかして私に気持ちを向かせようといつも必死なのだ。一応付き合ってはいるけど、やっぱりあれだ、恋愛は惚れた方が負けだ。だから私は努力しなきゃいけない。先生にもっと好きになってもらう為に。だから私は水族館事件では途中で手を引いた。でもそれはただの理由付けに過ぎなかったのかもしれない。私は、あの場から逃げ出したかったのだ。
だって牛飼の惨敗は目に見えていたし、彼女が傷つくことなんて前から予想ができていた。だというのに、私は逃げた。見るのが怖かった。立ち会うのが怖かった。踏み込むのが怖かった。その瞬間に。彼女の心が崩れるその時を。だから私はその場から逃げた。だからこれは私の罪滅ぼし。止めることも見守ることもしなかった私の償い。とめどなく流れ出す彼女の感情を受け取り、慰めの言葉をかける。これは私が彼女のことを親友だと認めたからしているのだと思う。牛飼と私は全く違うタイプの人間だ。でも、ものすごく似ていると思った。今の彼女は恋をしている一人の女でしかない。泣いているいる彼女を見て、不謹慎だけど、私は先生の顔を思い浮かべていた。無性に会いたくなった。それほどに、彼女のまっすぐな熱い想いに共感を覚えたから。
ああ、私も彼女もただの女でしかないんだと。
………………………………
「だ……だめ」
今にも消え入りそうな声で秋が呟いた。
「どうして? 俺のこと、嫌い?」
俺は少しいじわるなことを言った。秋はふるふると首を横にふる。
「俺とキスするの、イヤ?」
「いやじゃないけど……恥ずかしい」
めちゃくちゃかわいい。俺って馬鹿だなあと思う。こんな秋の反応を見るだけでめちゃくちゃ幸せになれるんだ。なんて単純な奴。しようがないな、今日はこのへんで許してやるか。続きはまた次の機会にでも狙ってみよう。
俺はぎゅっと秋を抱き締めた。秋は俺の胸に顔をうずめて息を思いっきり吸い込む。俺の匂いをかがれているみたいで、少し恥ずかしくなった。
うん、俺たちは今、幸せだ。世界中に叫んでやるさ。それくらいの実感が俺の腕の中にある。
「映画、楽しみだね」
俺はとびっきりの笑顔と優しさで言った。少しの間を置いた後、秋が天使みたいな笑顔を向けて、
「私も」
と言った。かわいいかわいい俺だけの秋。俺は今まで生きてきた中で一番じゃないかってくらいの幸せを感じていた。
でも幸せはもっとあるんだ。俺と秋は、もっと幸せになれるんだ。そんな確信があった。俺は今、幸せだ。
◇◇◇
秋を家まで送って、俺も家路についた。秋は今祖母と二人暮らしらしい。秋の家は結構大きな屋敷でびっくりした。いつか遊びに行きたいな、なんて野望を抱きながらさよならをした。
いろいろハプニングもあったが、水族館デートは大成功を収めたと言っていいだろう。なぜかいた慎吾や牛飼なんかは、この際気にしないことにしよう。秋を抱きしめた感触がまだ腕に残っている。思い出しただけでドキドキしてきた。こういう時、実は俺はヘンタイじゃないのかと心配になったりする。大丈夫、妄想くらい誰だってするよな。多分。
とにかく次は映画計画だ。完璧にして綿密なデートプランで秋を驚かしてやる。
そして、あわよくば唇を……。
よし、次の目標はキスだ。もっと秋と仲良くなるんだ! ……あれ? やっぱりヘンタイ? いやまさか。
俺、秋を好きになってよかったあ。だって、今こんなにも舞い上がってるんだから!
家に着いて、秋にただいまメールでも打とうとした矢先、慎吾から着信があった。
なぜに? 考える間もなくとりあえず電話に出てみる。
しかしまさか、慎吾があんなことを言うなんて、誰が予測できたか。いいや、できなかったさ。神様でも仏様でも。それほどに慎吾からの電話は衝撃的で、意表をついた内容だったんだから。映画計画は、もうしばらくおあずけになりそうだ。
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