第5夜 逃げた男
夢をみた。
友達は、恋人と、ふたりの間に生まれた赤子と、三人でつましく暮らしていた。
けれどある日、恋人が逃げ出してしまったと言って、友達は憔悴していた。
私は憤慨し、友人の恋人を追って、迷路のような商店街の先へと向かった。
そこはコンクリートで固められたおおきな建物で、何十人もの男たちが住んでいるようだった。どこかからうるさいほどの太鼓の音がした。
見上げるような巨大な男が、何の用かね、と言って、私を食事の席に招いた。大皿も、茶碗も、何もかもがとても大きくて、私は逃げ出してしまいたかったけれど、それでも声を張り上げた。
――友人が、赤子を抱えて困っております。赤子の父親である彼には、早く戻ってきてもらいたく存じます。
男たちの表情が変わり、ざわついていた巨大な室内に静寂がうまれた。
――お嬢さん、それは何かの間違いだろう。彼には家族なんていないのだよ。
巨大な男が、指さして言った。
「彼」と呼ばれた、部屋のすみに縮こまっている男は、まだ少年で、私と変わらぬくらいの大きさで、素知らぬ顔をして食事を続けていた。また、太鼓の音が再開されて、室内はうるさくなった。巨大な男はにやにやと笑いながら、証拠はあるのかね、とたずねた。
ごまかしきるつもりなのだ、と気づいて、頭に血がのぼった。
――わかりました。裁判にいたしましょう。
私はそう言い放った。内心は、彼らに喰われるのではないかとおそろしくてたまらなかった。巨大な男は、それを見透かすような目をして、私に一枚の、演奏会の切符を渡す。
――太鼓の演奏をね、しているのだよ。良ければ聴きに来るといい。
私はその切符を受け取った。小さく書かれた演奏者の名前の中に、友人の恋人の名前があることに気づいて、私は絶望的な気持ちになる。
彼ははじめから逃げるつもりだった。逃げて、ここで生きるつもりだったのだ。
それでも私は友人のもとに駆けていく。迷路の商店街を逆戻りしながら、裁判だ、裁判だあ、と、大声で叫ぶ。声でも出していなければ、何も信じられなくなってしまいそうだった。
(おしまい)
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