欺く雪

とまらし

はじまりのおわり


出会いはいたってシンプルだった。

でも、ゴールは見えないまま、今日を迎えた。


「新郎、河崎湊と新婦、河崎千夏の幸せを祈り、乾杯!」


誓いのキスも、視界に映り込む左の薬指に光るダイヤも、

写真立てに収められた今日撮ったばかりの写真も、俺は一つも幸せと感じなかった。



まだどこか夢の中のように遠くを見つめるだけ。

「夢の中って言ってよ、、」

現実と嫌でも教えられるこの空間から逃げ出したくてたまらない。


彼女は今何をしているんだろう…。なんて呑気に考えていて、

隣で微笑む妻になった人の心に向き合ったことなんて

生きてきた中で数えられるほどしかないんだろう。


「湊くん、めでたい夜に乾杯だ!」


会社の同僚とは仲がいいわけでもなく、悪いわけでもなく、つまり普通。

それが一番しっくりくる言い方なのかもしれない。


「あ、うん、呑もうか。」


28歳。少し早めなのだと妻は言った。関係のない概念。

心の奥でそっと思った感情はどこに吐き出されることもなく消化されていった。


「愛してれば、結婚しなくたって…。」

「ん、なんか言いましたか?」


くっきりとした二重の目の中に、優しげな光が灯った、

俺にはもったいなさすぎるくらい美人で、優しい、妻だと思う。


だからこそ、俺は捨てられないし、一生この人と歩くしかないと思わされる。



分かってる。君の傍にはもう何をしたって戻れない。


短くて、さらさら風が吹き抜けるたびに揺れる髪。

ふわふわ、いたずらっ子みたいに笑う顔。

白くて、小さすぎる器用そうな手。

意外と適当で、ロマンチストな、気まぐれな猫みたいなとこも、


全部、全部愛してるのに、もう君と笑いあうことも、

悲しみを分け合うなんてラブソングみたいなことも、


「じゃあね。」


君が三度泣いたうちの、三度目を、鮮明に思い出すことしかできないんだ。




まだ、僕には鮮明に残っている。


だけど、君には、僕は残っているのかな。


コーヒーに溶かした砂糖のように、奥底で、まだ眠っているのかな。



そんなわけないか、


と短くついた溜息は、この席では、浮き彫りになるだけで、溶け込もうともしない。



まるで、僕と君のあの教室闘争の夏のようだと。



なんとなく思って、そこにあったジョッキを乱暴につかむと

一気に喉の奥に液体を流し込んだ。



そうでもしないと、僕は、今度こそ精神が崩壊しそうだった。

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欺く雪 とまらし @tomarashi-0617

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