④ 新作づくりは前途多難

 瞳孔に投影された、仄暗き部屋。

 柔肌を蹂躙する陰湿な空気と、舌先に浸食する鉄の臭い。


 キリカは、後ろ手に手錠をかけられ、椅子の背もたれに拘束されていた。


 足首にも固い枷。四肢は金属の輪に噛みつかれ、逃走は不能。

 突然、背後から強烈に両肩を掴まれた。

 驚愕し首を回転させると、視界に手袋が介入する。


「人を殺すのは、何故悪なのか」

 聞き馴染み無き、男の声。

此処ここ何処どこ? 貴方、誰なの?」

「質問に答えろ。何故、人は、殺人を悪と断ずるのか」


 重厚な足取りでキリカの正面へまわる男。

 頬の痩せた三十代。眼と眉の間が狭く神経質な顔。


「問いに正解すれば、解放してくれるのかしら」

「対話には無限の可能性が在る。俺が納得すれば、あるいは」


 キリカは唾を嚥下えんげする。

 つまり解放の可能性は、ゼロに近しいという事。

 ならば、無理に正答を模索するより、会話の延長に尽力すべき。

 そうすれば屹度きっと、救助が――


 気丈に振る舞いながらも、心は震える。

 彼女は状況の半分も理解出来てはおらぬ。

 冗談で在って欲しいという思考が脳裏から離れない。

 しかし、見渡した監禁部屋には、楽観的希望を打ち砕くだけの狂気、凶器が揃っていた。

 金属の鈍器、ペンチ、錐や鋸。拷問、或いは人を嬲り殺す為の道具。


 タイルの溝にこびりついた血痕。

 部屋に充満しているのは、鉄の臭いなどでは無い。

 血の臭気だ。

 男の不興を買えば、自分も床の染みに変わる。


「殺人と言っても、色々在るもの。突発的な事故、快楽殺人、計画的犯行、復讐。全部一緒に悪と断じる事は出来無い。そういう事でしょう?」

 キリカは必死に、無表情な男の感情を探る。


「貴方が私を此処ここに連れて来たのにも、何か理由が在るのよね。私なら屹度、貴方の事を理解してあげられるわ。味方になってあげられると思う。ね、私に話してみて」

 

 男はしばらく黙っていたが、やがて諦めた様に溜め息をく。


「零点だ。醜悪な回答だな」

「え……」


「心の底から発せられた言葉で無ければ、人の心を打つことは無い」

「待って。今のは私の、偽り無い本心よ」

「人の本心などそう聞ける物では無い。譬えば、死ぬ前の命乞いや、断末魔の叫びがそうだ」


 男は壁に掛けられた道具の中から、一つを選び取る。

 小振りなチェイン・ソウ。

 男はハンドルを地面と足でハンドルを固定し、スターターを引く。

 轟音をまき散らすエンジン。


「このチェイン・ソウは、敢えて回転を緩やかにしている。刃は錆び切れ味も鈍い。ぐには死ねない」

「やめて。何する気……」


 チェイン・ソウを両手に、近づいて来る男。

 それとは別、キリカの耳に、カチカチカチカチと、高い金属音が響いた。

 気付かぬ内にキリカの手は大きく震え、手錠の鎖が椅子に接触していた。


「お願い、私、どうしたらいいか分から無いの。貴方の望みは何? それさえ分かれば、私……」


 チェイン・ソウの歯が、キリカの肩寸前で止まった。

「言う。言うから。何が聞きたいの? 言うからお願い、助けて……」

「良いぞ。かなり素直に成った」

 キリカは男の満足気な表情に、ほっと胸を撫で下ろす。

「が、未だ足り無い」

 瞬間、キリカの肩にチェイン・ソウが食い込んだ。


「え、いやあああああァァァァ!」


 脈動する鉄塊は、キリカの骨から、皮と生肉を削り取る。

「お願い、止めて! 止めてぇえええ! 痛い、いだいいいい!」

「未だだ、未だ本心じゃない」

 チェイン・ソウの歯が、奥へ、奥へ進行する。

 血飛沫が、男の顔に、服に、タイル張りの床と壁に飛散した。


「あ、あ、あ、あ」

 恐怖と絶望から眼の色が変化したのは、チェイン・ソウが乳房まで至ろうかという時だった。

 ごぽごぽと血を吐きながら、キリカは悪鬼の形相で男を凝視する。


「ころ、殺す、殺してやるうぅうう! 死んでも呪ってやる!」

 その叫びに、男は恍惚と微笑む。


「それだ。やっと本心が出てきた」

 男はチェイン・ソウに体重を載せて――



「――はい、ボツ♪」

 俺の書いてきた原稿『マッドマインド』から顔を上げたキリカ先輩が、にっこりと笑いながら言った。

 まあまあな、いや、結構な自信を持っていた俺のショックは、大きかった。


「ダメ、でしたか?」

「ダメでしたか、じゃないわよ。むしろこれが通ると思ってたの?」

「は、はい……」


「あのね、じゃあダメ出ししていくけど……、なんで冒頭でいきなり私が殺されてるの?」

「そ、それは、我慢できなかったというか……」

 だってDFCに入ってから、ずっとキリカ先輩を書き殺したいと思ってたんだぜ?

 そんな作家がPCに向き合ったらどうよ? 

 自分の書きたいシーンをまずは書くよね。


「そうろうやろう」

 仕事場のソファに寝転びながら、ボソっとマカロンが罵倒してきた。

「お前、その幼児な外見でそういうこと言うなよ」

「さすが、そうろうやろうはみみもびんかんですね」

 こいつ……。いや、無視しよう。

 今はデスクに腰掛けた先輩と話してるんだから。

 

 ちなみに俺は原稿をデータで渡したから、キリカ先輩が見てるのはPCのモニターだ。


「私を本名で登場させてるのは、あとで別名に置き換えるとしても……。いきなりヒロインが死んじゃったら、物語が盛り上がらないでしょ? あとから登場するキャラクター、みんな男だし」

「え? あれ?」

 気づいてなかった。キリカ先輩が殺されるシーン書いちゃったら、もうなんかどうでもよくなっちゃって。

「作者自身が、このシーンで燃え尽きたのが丸わかりすぎ」


 ――完全にバレてる。


「あとこの作品、いくらなんんでも漢字多すぎじゃない? 『瞳孔に投影』って、何? そもそも言葉の意味間違えてない? 『手袋が介入』とか意味不明。『唾を嚥下する』も飲み込むで充分でしょ。もっと開こうよ、漢字。『屹度きっと』とか時代小説でもなかなか使わないからね?」

「いや、そこは俺の作家性というかですね……」

「なるほど? 漢字と熟語をできる限り使ったほうがカッコよくなると思ってるのね。読みやすさリーダビリティより、雰囲気が重要、と」

「う……」

「そもそも私、先生に昨日、なんて言った?」

 キリカ先輩、表情はにこやかだけど目が笑ってない。


「えーっと……。確か新作のプロットを書いてこいって言ってたような……」

 プロットとは物語の設計図のことだ。メインキャラクターについてと、物語全体の構成を大まかに記載し、どういう作品なのかを説明する。


「そ。よく覚えてたわね。それで、これはなに? プロット? それにしてはずいぶんしっかりと書かれているみたいだけど?」

「いえ、プロットじゃなく、本文ですね」

「なんでプロット書かなかったの?」


 ばくばくする心臓の動悸をおさながら、俺は言い返す。

「だってプロットなんて、そんなの頭のなかにあれば充分じゃないですか。わざわざ出力するの、時間の無駄だと思うんですよね」


「モゲル先生、もしかしてプロット書いたこと、ない?」

「ありません」

「編集長のアドバイス、受ける気ある?」

「それはありますよ。でも俺書くの速いし、本文読んでもらってから修正していけばいいでしょ?」

 

 キリカ先輩が頭を抱える。俺、そんな変なこと言ってるか?

「あのねぇ。プロットっていうのは、単に話の流れを確認するために作るものじゃないんだけど」

「え、違うんですか?」

「この作品のどこが面白いか、読者に伝えたいテーマはなんなのか、そういうことを作者自身が再認識するためにあるのよ」

「いや、作者なんですから、そんなの再認識するまでもなくわかってますって」


「じゃあどうして、殺人鬼にこんなに魅力がないの?」

「ぐっ!」

 ぐっさり刺してくるなあ! 通り魔もビックリだ!

「先生、この殺人鬼になんとなく思わせぶりなこと言わせて満足してるでしょ」

「そんなことないですよ。殺人鬼マッドマインドは、人殺しに確固たるポリシーを持ったキャラなんですから」


「フッ。そのわりに、そのポリシーがストーリーに全然からんでこないのよね」

 うわ、鼻で笑われた!

「先輩にはわかりませんかね。マッドマインドの魅力が……」

 自信を失いながらも、俺はなんとか強気を保ったーーのだが。

「じゃあこのキャラ、ハンニバル・レクターに勝ってると思う?」

「ええ! ハンニバル・レクターと比べるんですか!?」

 世界的ベストセラー『羊たちの沈黙』をそこで出してくるとか、意地悪にもほどがある!


「そんなん勝てるわけ――」

「勝てるわけない? でも読者には容赦なく比べられるわよ。その作品が何万部売れてるかなんて、読者にとってはなんの関係もないんだからね」

 く……、言ってることは正論かもしれないけどさあ、トマス・ハリスみたいな創作者が世の中に何人いると思ってるんだよ。


「一番に、殺人鬼に共感できないのが問題よね。応援できないって言ったほうがいいかしら」

「いや、殺人鬼に共感させたらダメじゃないですか? 得体のしれないところが怖いんですから。応援とかもってのほかでしょ」

「なんで? 作家である貴方は、殺人鬼のほうに感情移入してるでしょ?」

「う……? あ、まあ、そうですね」

 言われてみればそうだ。


 俺は間違いなく、原稿を書きながら殺人鬼マッドマインドになっていた。

 そして、恍惚とした気分になっていた。

「だったら読者も、殺人鬼のほうに感情移入させなきゃ」

「うーん。そういうもんかなあ」

 確かにレクター博士は、怖いけど魅力的だし、応援したくなるキャラだ。

 いや、シーンにもよるけど。


「でも、それって読者を選びませんかね」

「ん? スプラッター作品書こうとしてる人が、なに今更なこと言ってるの?」

 デスヨネー。

「あとはバトルね。モゲル先生の作品は加害者と被害者が固定されすぎ」

「どういう意味ですか?」

 スプラッター・ホラーを描いてるんだから、それが当たり前じゃね?

 訊ねると、先輩は自らの考えをまとめるように、トントンと机を叩いた。


「もっとイカれた連中をたくさん出して、血みどろの戦いをさせましょうよ。山田風太郎先生の忍法帳シリーズみたいなのが理想。漫画だと無限の住人。映画だとフレディVSジェイソンみたいな? どっちも人を殺しまくるけど、あの作品のなかだと視聴者はジェイソンを応援するようにできてるじゃない? あんな感じで」


「はああああ?」

 俺は思わず、無加工の不満を口から出してしまった。

 あんな感じで、じゃないぞ。

 さらっとメチャクチャなこと言ってる。

 それ、主人公クラスの濃いキャラを何人も作れって言ってるのと同じだからね。

 なんか、先輩が口を開くたびに、どんどん新作の難易度が上がってるんだけど。


 あと、なんでこの人、俺が作品を知ってること前提に話を進めるの?

 さっきから例に出されてる作品、発禁法が施行されてからは触れることができないものばっかだからね?

 なのになんだかんだ全部わかる俺もどうかと思うが!


「じゃ、とりあえずキャラね。怪人、怪物、どっちでもいいけど、メインキャラ張れそうなのを十人くらいよろしく♪」

 俺の不満はお構いなしか。


「…………わかりました」

 俺は渋々うなずいた。

 あー、むしゃくしゃする。


 だって、今日の原稿、先輩に超褒めてもらえると思って持ってきたんだぜ!?

 ここは面白かったとか、ひとつくらいあってもいいんじゃないか!?

 それさえあれば、いくら鞭打たれようと頑張れるのに!

 なんか先輩、俺に対していきなり厳しくなってない?

 飴を、飴をください。一粒でいいから!


「あ、次、いきなり小説を提出してきたら読まずにシュレッダーかけるからね。わざわざ印刷した上で」

「それ、なんの意味があるんです?」

「え?」

 きょとんとした顔で首をかしげるキリカ先輩。


「だって、データを消すのだと絵的に地味じゃない?」


 そんなとこでも編集視点!

 徹底している!

 あと同じことした編集者の話、どっかで読んだことある!


「じゃ、頑張ってね。モゲルセンセ」

 そう言って、自分の仕事に戻ろうとする先輩。

「あ、ちょっと待ってください」

「? なにかわからないことあった?」

「そうじゃなくて。少し話しておきたいことが」


「とりやろうがおねえさまとはなしたいのは、いまにはじまったことじゃないですよね」

「マカロン、ちょっと黙ってろ」

 今、年下からの横やりを受け流せるほど、俺の機嫌はよくないぞ。

「これいじょう、とりやろうのこえがおねえさまのみみをとおるかとおもうと、ぞっとします」

「まあまあ、マカロン先生の言うことももっともだけど」

 もっともなのかよ!

 いや、今の先輩の発言はマカロンをあやすためのものだ。

 そう思っとかないと、心が抉れる。


 俺は、シイナが口にした『プロジェクト・フレイム』なるものについて、キリカ先輩に報告する。

 といっても、なにひとつ内容がわからないだけに、漠としたことしか伝えられない。


「プロジェクト・フレイム……」

 キリカ先輩は頬杖をつき、考え込むように呟いた。


「意味、わかります?」

「ううん、全然? マカロン先生は?」

「さっぱりですね。とりやろうのはなしがあいまいすぎます」

「曖昧なのは自分でもわかってるよ。でも言わないでおくよりは、言ったほうがいいだろ」


「ーーフレイムじゃなく、フレーミングだったら、オレっち、しょっちゅうしてるけど?」

 自分のPCに向かって作業をしていたサンカクPが、ヘッドフォンを外し、首をこっちに傾けた。

「聞いてたのかよ、サンカクP」

 てか、その遮音性高そうなヘッドフォンして、よく話が聞こえてたな。


「で、フレーミングってなんだ?」

「オレっち、自分の音楽をけなされっとカーッとなってコメント上でケンカしちゃうだろ。それでファンからも文句言われたり、愛想つかされたりすることもあるわけ」


「ああ、ネットの炎上のことか」

「そうそう、それそれ。ファイア、フレイム、フレーミング、フゥーッ!」

「だんだん強くなってく呪文かよ……」

 あとフゥーッの意味がわかんねえ。

 でも炎上は英語でフレーミングっていうのね。それはわかった。てか、そのまんまだな。


「DFCのサイトに書き込みをして、こちらの過剰反応を待って炎上させるとか?」

 顎に手をあて、考え込みながらキリカ先輩が言う。

「だとすれば、サンカクやろうがいちばんひっかかりそうですね」

「サンカク先生、しばらく書き込み禁止ね」

「げげっ! オレっち、煽られたときに我慢できる自信ねェーッす!」

「じゃあ、サイト閲覧自体禁止」

「編集長、キビシー!」

 ぺしんと自分の頭を叩くサンカクP。うん。こいつマジですぐ炎上しそうな軽いノリしてるわ。


「まあ、炎上なんて自分たちが非のあることをしない限り心配ないわ。あんまり気にしなくてもいいかもね」

「発禁法違反は非に含まれないんですかね?」

「ファンが応援してくれる限りは、なんの問題もないでしょ」

 そう言って、キリカ先輩は微笑む。


「私にとって、人間は二種類しか存在しない。DFCのファンか、そうでないか、よ」

「は、はあ……」

 極端な思想をお持ちで。でも、本当にファンに対しては好意的だよな、先輩って。


「ファンといえば、あの、俺がDFCに入った日に助けた子のこと、覚えてます?」

 俺は前から相談しようと思っていたことを、この流れで切り出すことにした。


「ああ、新堂メアちゃん? あの子、モゲル先生のクラスメイトよね」

 知ってるんだ。さすがキリカ先輩。

「そうなんです。それで、アイツに俺の正体を伝えてもいいかなって」

 訊ねた途端、先輩の表情が急に険しくなった。


「なに言ってるの? ダメに決まってるでしょ」

「な、なんでですか。俺の幼なじみだし、信用できるやつですよ」

「私たちの活動は綱渡りなのよ。もしどこかから正体が漏れたらどうなると思う? 学園にはいられなくなるし、捕まれば作家性は完全に消されるわよ」

「そ、そうかもしれないですけど」

 アイツに秘密にしているの、騙してるみたいで心苦しいんだよな……。


「じゃあ、あいつもDFCに入れるっていうのは?」

 俺の提案に、先輩は盛大にため息をつく。


「モゲル先生、私のことバカにしてるの? それとも、自分のことをバカにしているのかしら」


「ど、どういう意味ですか」

「私は、誰でも彼でもDFCに勧誘しているわけじゃないのよ。貴方だから、貴方なら誰よりも素敵なスプラッターを書けると思ったから、DFCに誘ったの。そのあたりを勘違いしないでほしいのだけど」

 あ、少し褒められている気がする。

 そうだよな。先輩は俺の才能、ちゃんと買ってくれてるんだ。

 ごめんなメア。DFCには選ばれた人しか入れないみたいだ。俺みたいな。


「でも、今日みたいなの書いてるようじゃ、期待外れもいいところなんだから。しっかりしてちょうだいね」


 キリカ先輩はぴしゃりと言うと、PC作業を再開する。

「は、はい……」

 俺は自分にあてがわれた、まだノートPC以外なにも置かれてないデスクに戻り、ちょっと涙した。

 くそう、キリカ先輩め。自分だけじゃ、作品のひとつも作れないくせに……!

 絶対に面白い作品書いて、「惚れ直した」って言わせてやるからな……!

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