2章 創作活動と工作活動

①DFCの仕事場

 筆の先みたいな柔らかな感触が、鼻をくすぐった。


「ん……」


 あと、胸の上になにか重みを感じる。

 目を閉じているせいで、それがなんなのかはよくわからないけど。


 って、俺どうして寝てるんだ?

 確かキリカ先輩たちについていって、メアを助けたんだよな……。

 そのあと急に眠気が襲ってきて……。


 そうだ、倒れそうになった俺を、先輩が抱きとめてくれたんだった。


 てことは今、鼻をくすぐってるのは先輩の髪?

 俺に乗っかっているのは、先輩の身体?

 まさか、倒れた俺を心配して、添い寝してくれたのか?


 ぺろっ――


 うわ、なんか知らないがいきなり頬を舐められた!

「あの-、先輩。俺、起きてますよ……」


 ぺろぺろぺろぺろ――


「だ、だめですってば」


 そりゃ、俺は先輩のこと好きだけど、これは好みのシチュエーションじゃない!

 襲う側を書くスプラッター作家が、寝込みを襲われるなんて、ギャグにもなんねーぞ!


「せ、先輩!」


 ぐいっと押し退けようとすると、手にふさふさとした肉厚な毛玉の感触があった。


「せ」


 んぱいじゃない。


 ハッと目を開けると、胸の上にいたのは一匹の猫だった。

 しかも、丸々と太っている。


 ににゃー。


 短い前足でうっとうしそうに俺の手を払うと、猫は胸の上から降りた。

 そしてデカいケツをプリプリ振りながら歩き去っていく。


「な、誰の猫だ……?」


 首輪をしてるけど身体がムチムチしすぎてて、ほぼ肉と毛に埋まっちゃってるぞ。

 背中が茶色くて腹が白い、いかにも混血って感じの猫だ。


 ににゃー。


 むう、添い寝してくれてたのがキリカ先輩じゃなかったのは残念だけど、コイツはコイツでデブかわいいな。

 健康面さえ大丈夫なら、動物はデブいほうが好みだなんだ。

 ちょっとだっこしてみようかな。


 ――待て。その前にここはどこだ?


 俺が横になっていたのは、三人掛のファブリック・ソファ。

 部屋はすごく広かった。照明が薄暗くて正確じゃないが、三十畳以上はあるんじゃなかろうか。大豪邸のリビングダイニングって感じだ。


 部屋の真ん中に、ローテーブルを挟んでふたつのソファ。俺が寝ているのと対になるほうには、ピンクのもこもこしたクッションが置かれている。

 茶色基調のカフェテイストで、そこかしこに配置された観葉植物の緑が良いアクセントになってる。


 めっちゃしゃれてて、落ち着いた空間だ。


 部屋の壁沿いには本棚、それにデスクがいくつも設置されている。


 デカいディスプレイとペンタブ、それに美少女フィギュアが大量に置かれた席。


 漫画と小説がうずたかく積まれ、周辺の床にまで侵食を始めている席。


 ありとあらゆるゲーム機で棚が支配されているのに、恐ろしいほどケーブルが綺麗に片付いている席。


 その席に座っているのがどういう人なのか想像できるような、そんな愛おしきデスクたち。


 本当に、なんなんだよここ。

 創作意欲がわきあがる、今まで何度も憧れてた感じの空間なんだが!

 あとはもう少しスプラッター色が足されれば、もっと良い雰囲気になるぞ。


「――くっそ。わかってねーな、こいつら」


 と、そのとき部屋の隅っこのほうから声がした。

 見ると、こちらに背を向け、男がノートPCを睨んでいる。


 耳にはデカいヘッドフォンをつけ、身体をリズミカルに揺らす。


 そいつのデスクまわりにあるのはたくさんの楽器だ。

 キーボード、ギター、ベース、横には電子ドラムまで置かれている。

 近づいて画面をのぞき込んでみると、観ているのはネット動画だった。

 音は聞こえないけど、イラスト付きのボカロ動画のよう。

 規制前に作られた最後のボーカロイド『終音おわりねムク』がスタイリッシュに描かれていて、画面の下には歌詞。

 そして動画の上を、たくさんのコメントが流れていく。


「あのー」

 俺はそいつにここがどこなのかを訊ねようとしたんだが――


「はあ? パクリじゃねーし。定番のコード進行使ってるだけだし。音楽の『お』の字も知らんくせにこいつらときたら!」


 一瞬ビクッとしたが、どうやら俺に向かって言ったわけじゃないらしい。

「おーい」


「フヒ、そうそう! 今のフレーズがこの曲のウリなんだって。ま、通にしかわからねーだろーけどな」


 ……全然気づいてもらえない。

 どうやら、画面に流れるコメントを見ながら一喜一憂しているらしい。


 ブチンッ


 仕方が無いので、俺はヘッドフォンのプラグをPCから引っこ抜いた。


「お」


 ようやく男は振り返る。デスクの脇に備え付けられていたスピーカーから、動画の音楽が流れ出す。


 ギュンギュンに音の歪んだエレキギター、ズシンと心臓を叩くベース、軽快に打ち鳴らされるドラム、パンクテイストな曲調。


 そして終音ムクは、とてもボーカロイドとは思えない流暢な声で歌いあげる。


『D・F・C! D・F・C! デストロイ・フリー・コンテンツ!』


 歌詞で丸わかり。

 やっぱこの人も無料コンテンツ撲滅委員会の人だ。


 今観てるのも、DFCの動画サイトか。


 すっくと立ち上がった男は、俺と同じように創作義塾学園の制服を着ている。けれど、身長は俺より頭ひとつ分は高い。


「や。お目覚めかな、モゲルっち」

「モゲルっち?」


 なんだこのなれなれしいやつ……。


「新人歓迎しちゃうよ! つってもこっちも入ったのはひと月前だけどね。オレっちはサンカクピーってーの。モゲルっちとは同学年。よろしくっ!」


 手をさしのべてきた男のテンションに圧倒されながらも、俺は握手する。

 こんなやつ、同学年にいたっけ? 

 後ろで束ねて、ひよこのしっぽみたいになった特徴的な髪型。

 それにこの長身だろ? 

 同じクラスじゃなくても、覚えててよさそうなもんなのになあ。


「よろしく、サンカクP。ところでお前、クラスどこ――」

「おおっと、素性は詳しく聞かないでくれよ? オレっち、仕事とプライベートは分けたい派なんで。あ、ちなみにモゲルっちは醤油派? ソース派?」


「……なにが?」


「目玉焼きを食べるときのドレッシンッグ!」


「…………ケチャップ?」


「クゥー! オレっちの提示した二択をあっさりと覆す、それでこそ創作者!」


 いや、単にいつもそうしてるだけだしなあ。


「でもケチャップかけんなら目玉焼きにせずにスクランブルエッグにしろよってコメントせずにはいられないっしょ! っしょ! あ、塩こしょうもアリじゃね? 塩こしょうっしょ!」


 うーん。ここはサンカクPが何派なのかも聞いておくのが礼儀だろうか。

「えーっと、サンカクPは醤油かソースだったら――」


「オレっち? だから塩こしょう!」


「それさっきまで選択肢になかっただろ!」


「だっけ? ま、細かいことはどうでもいいっしょ! あ、俺っちの動画を観るときは、サンカクサンカッケーってコメントつけてね。それが俺と付き合っていく上での最重要ポイントだからね。フゥーッ!」


 俺を両手で指さしながらポーズを決めるサンカクP。

 テンションについていけねえ……。

 もしかしてDFCってこういう変人ばっかなんだろか……。


 ついていけるかな……。

 俺、スプラッター作品を書きたいだけの普通人なんだけど。


 ほんと、考えなしで変なトコ入っちゃったのかもなあ、と思っていると、ガチャリ、と部屋のドアが開いた。


「サンカク先生、自分の曲はヘッドフォンで聴いてって何度も言ってるでしょ? ――あら?」


 部屋に入ってきたのはキリカ先輩だ。

「あ」

 しかも今日は私服!

 白ブラウスに青のカーディガン、そこにショルダーバッグのたすきがけですよ。

 おまけにショートパンツときたらさあ、おっぱいも美脚も強調されて、どんな目の保養だ、甘やかしすぎだろ! と言いたくなってくる!


「起きてたの、モゲル先生。どこも痛くない?」

 キリカ先輩の優しい声に、俺の背筋はシャキッと伸びる!


「大丈夫です! 今からでも血なまぐさい作品書けるくらいには元気! です!」

「そ。血気盛んでよろしい」

「てか、すみません。俺、どんくらい寝てました?」

「えっと、だいたい一日半くらいかしら?」

「えっ! がっこ……うは問題ないか。もう週末入ってましたね」


 メアを助けた日が金曜だったからな。

 まあ、一日くらい欠席しても留年するようなことはないからいいんだけど。


 でも、土曜日が完全に消えたっていうのはショックだ。

 土日使って、新作書き始めようと思ってたのになあ。

 俺は腕に巻いたクリオネで時刻を確認する。

 日曜の朝八時、か。休日なのにみんな結構早いんだなあ。


「DFC白日しらび北支部の仕事場アジトへようこそ! 歓迎するわ、モゲル先生♪」

 そう言って、俺の頭をなぜかなでなでするキリカ先輩。


「白日北支部。てことは、DFCにはこういうところがいっぱいあるんですか?」

「そうよ。それこそ日本中にあるわ。じゃないとあんなにたくさん作品をアップできないしね。ここのメンバーはとりあえずこれで全員。十人以上いる白日南支部に比べると、かなり少数精鋭ね」


 なるほど。キリカ先輩はあくまで白日北支部の編集長ってことか。

 そりゃ、そうだよな。あの膨大な作品群を全てひとりで管理するとか無理があり過ぎだし。


 しかし、ちょっと残念だ。

 DFCに所属すれば『LEOLA』の作者であるRBさんにも会えるんじゃないかと思ってたんだけど、仕事場がたくさんあるとしたら接点持つの厳しそうだな。


「はい、マカロン先生も起きて」

 キリカ先輩がソファに向かって声をかける。

 え、誰もいなかっただろと思っていると、ピンクのクッションだと思っていたものがもぞりと動いた!


「おはようございます、おねえさま」

 もこもこのパジャマを着たマカロンは、寝ぼけ眼をこする。


 かぶっているフードには、羊みたいな顔がついてて赤ちゃんの服みたい。

 金髪美少女がその恰好すんのはあざとすぎんだろ……!

「まったく、ここで寝ちゃメだって、言ってるでしょ? 男子もいるんだから」

「ごめんなさいです」


 こつんと軽く頭を叩かれ、マカロンはにへらと嬉しそうに笑う。

 先輩に心配されるのを喜んでやがる。絶対にやめる気ないな。


「ロンちゃん、今日も朝からカワウィーね! 癒されるゥー!」

「うざいですよ、シカクやろう」

「シカクじゃなくて、サンカク! サンカクサンカッケー! はい、リピート!」

「シカクPしかっけー」

「違う違う。サンカクサンカッケー

「シカクPしねってー」

「死ね!? うう、ロンちゃんが冷たい……」

 いや、こっちに助けを求められても、なぐさめねーぞ。


 ににゃー。


 バカなやりとりを見つめていたキリカ先輩の足下に、あのデブ猫がまとわりつく。


「ただいま、ヤヌシちゃん。待っててね、今家賃支払うから」


 キリカ先輩はキャビネットからドライのキャットフードを取り出して、皿に山盛りにした。デブ猫は、テトテトと重たい足取りで近寄ると、座り込んでガツガツと食べ始める。


「その猫、ヤヌシっていうんですか?」

 変な名前だなと思っていると、さらに変なことを言われた。

「そう、この部屋の主だからヤヌシ」


「主? どういうことですか?」

「この部屋はヤヌシちゃんのクリオネ能力で作られてた異次元空間だからね。家賃を滞納でもしようものなら、私たちはすぐにでも出て行かなくちゃならなくなるのよ」

「……は?」


 言ってる意味が全然わからない。

 てか、猫がクリオネ能力を使うの?

 だってこの猫、クリオネなんて身につけてな――


 あった。


 肉と毛で覆い隠された首輪をよく見れば、クリオネのディスプレイがついているじゃないか。


 …………。


「いやいやいや、待ってください。先輩はここが異次元だって言うんですか? 起きたら立方体のキューブに閉じ込められてったてほうがまだ現実味ありますよ」


「ああ、あの映画は一作目が一番いいわよね」

「そうそう。結局は空間そのものより、極限状態に追い込まれた人間が怖いって展開、ほんと最高――じゃなくて。じゃあ、あの扉はどこにつながってるんです?」

 俺は、さっきキリカ先輩が入ってきた扉を指さす。


「そんなの、出てみればわかるわ。創作者たるもの、聞いてばかりじゃ始まらないわよ。何事も経験ってね」

 にやにやと笑う先輩。


 ゴクリと唾を飲み込むと、俺は歩いて扉の前に立った。


 なんの変哲もない、ダークブラウンの木製ドアだ。

 開けたら崖の上とか、宇宙が広がってたとか、白亜紀に繋がってるとかは勘弁してくれよ……?


 カチリとドアノブをひねり、前へ押し出す。


「おっ、と」


 すぐ足下はコンクリートだった。目の前には幅の広い川が流れ、頭上には四車線分はありそうな大きな橋がかかっている。

 なーんだ、やっぱりただの隠れ家じゃん。キリカ先輩も担ぐの上手いな!


 一歩踏み出してみる。

 よく観察すると、見たことのある景色だった。たぶん、創作義塾学園の近くに流れている皆瀬川。


 思ってたより街中にあるんだ、DFCの仕事場アジトって。

 こんなところにあって、よく見つからないもんだなあ。


 ガチャン


 後ろで、ドアの閉まる音がした。

 振り返ると――扉がどこにもない。


「あ、れ……?」


 目の前にあるのは、コンクリートの壁だけだ。

 木製の扉は?

 こっち側はコンクリートと同じ色に塗られているのか?


 手探りで壁を探ってみるが、どこにあるのか全然わからない。


「そっちじゃないってば」

「わ!」


 いきなり横から先輩が出てきて、俺は声をあげてしまった。

「大声はメッよ。仕事場アジトに入るところ見られたらマズいんだから」

 そう俺に注意しながら、空中に手を這わせる先輩。

 すると、なにもないところでカチリと音がした。よく見るとキリカ先輩はすでにドアノブを掴んでいて、じんわりと木製の扉が再出現する。


 ただ、その扉はコンクリートの壁につけられたものじゃない。

 まるで某マンガのどこでもドアのように、なにもないところに垂直に立っていた。


 しかし開けば、扉の奥にはさっきまでいた部屋が見える。

 真横に回ってみる。ドアの後ろには、やっぱりなにもない。


「ど、どうなっているんですかこれ……」

「だから言ったでしょ? これがヤヌシちゃんの『愛しの我が家マイ・スイート・ホーム』よ。昔ご主人さまと暮らしていた部屋を忠実に再現する能力なの」


 キリカ先輩が部屋に戻るので、俺も後ろについてなかに入る。

 扉を閉めれば、もはやそこは普通の部屋。異次元だという違和感は全くない。


「部屋のなかの家具は?」

「『愛しの我が家マイ・スイート・ホーム』の付属品。あ、壁際のデスクとか、PCとか、書籍とかは持ち込んでるけどね」


「じゃあ、で、電気は? PCとか使うのに必要でしょ?」

「ヤヌシちゃんのクリオネ能力で生み出されてる。コンセントが普通に使えちゃうから」


「す、水道」

「それもクリオネ能力で。お風呂とトイレもついてるのよ。すごいわよね。さらにいうと、空気とかも常に綺麗に入れ替わってて、温度や湿度も快適に保たれてるのよ」


 ににゃーと誇らしげに鳴くヤヌシの頭を、キリカ先輩はよしよしと撫でる。

「私が今まで見てきたクリオネ能力のなかでも、ヤヌシちゃんの力はダントツですごい。ご主人様と過ごした居心地のいい場所を取り戻そうっていう心が、創作力として作用しているのね」


 すごいっていうか、頭おかしいだろ。物理法則無視が多岐に渡りすぎだし。


「でも、自分が食べるキャットフードは作れないみたいなんだけどね」


「中途半端ですね、それ!」

「ヤヌシちゃんにとっては、あくまでキャットフードはご主人様がくれるものであって、自分で作るものではないのかもね」


 そう聞くと、いきなり切なくなるな。元のご主人様ってどうしてるんですかって訊きたいけど、なんか訊ける雰囲気じゃない。


「ヌッシーの力って、マジ最高だよな! そういえば、モゲルっちのクリオネ能力も面白いって聞いた! オレっち超見てえ!」

 はいはいっと、ハイテンションで手を挙げるサンカクP。


「おもしろいですよ。とりやろうにおにあいな、キモのうりょくで」

 褒めているようでひどいことをいうマカロン。

 このゆるふわした生き物から、どうしてこんな毒が出るんだ?

 擬態でもしてるのか?


「なんかキーボード出るって聞いたぜ!? 何オクターブ? 88鍵くらいあんの!?」

「いやそれ、音楽のキーボードだろ? そっちじゃないから。文字打つほうのキーボードだから」

 ボカロ曲を作ってるサンカクPからすれば、そっちのキーボードを連想するのが当たり前かもしれないけどな。


「私もモゲル先生の能力には興味があるのよね」

 んふ、と妖艶に微笑むキリカ先輩。なにかよからぬことをたくらんでいるようにも見える表情だ。


「一昨日の戦いじゃわからない部分も多かったし、これから実験してみない?」

「実験って?」

「モゲル先生の能力がどんなものかを、よ」

「ええー……」


 俺、そんなことより小説が書きたいんだけど。

 ここって創作者が集まる場所でしたよね? ねえ?


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