③ レジスタンスの放課後

「はぁーあ」

 学校の廊下を歩きながら、ガリガリと頭をかく。

 放課後になっても、なんだかむしゃくしゃした気持ちがおさまらなかった。


 教師からダメ出しされた日によく起こることだ。

 なんでそこまで言われなきゃなんないんだよとか、もっと評価されるべきとか、もうちょっと自由にかけりゃなとか、そういう想いが胸のあたりをぐるぐるする。


 こんなときの対処法はハッキリしてる。

 即効で寮の自室に帰って、ベッドの下に隠した本を読むことだ!

 といっても、エロ本じゃねーぞ。


 発禁法が成立する前に書かれた小説だ。

 俺もこういうものが書きたいんだよなと奮い立たせてくれる、貴重な宝物。


 しかし、今日はいつもの方法に頼らなくていい。

 俺は学園の屋上にあがると、斜めに設置されているソーラーパネルの台にもたれかかる。

 タブレット端末を起動すると、退屈な無料コンテンツの広告を押しのけ『DFC』というアイコンを見つける。


 発禁法に違反しているサイトを閲覧するための、特殊なアプリだ。

 タップすると、小さな端末のなかに俺の探し求める自由な世界が広がった。


 国家に対する疑問や不満を、高性能ボーカロイドが歌い上げる。

 バッドエンドの小説に血まみれの漫画。キャラはバッタバッタ死にまくる。

 セックスに乳首にパンツ。ホモと百合に傾きまくった二次創作。


 そこには『有害』とされている表現が溢れかえっていた。

 

 キリカ先輩が編集長を務めているという組織――

 無料コンテンツ撲滅委員会。

 デストロイ・フリー・コンテンツ。

 略してDFC。


 DFCのコンテンツは、有料だ。


 俺は冒頭を試し読みすると、気に入った作品に料金を支払い、続きを読む。

 この行為自体が、なんだか新鮮で楽しい。

 コンテンツにお金を支払うなんて、無料コンテンツが配信されるようになってからは一度もしてなかった。

 懐は痛いけど、作者を応援している感じがいいよな。作品にも愛着がわくし。


 このアプリを通して作品を読むためなら、なけなしの小遣いを使い果たしたってかまわない。

 だって、アツいんだよ。アップされてる作品が、もう全部。


 編集長がいるくらいだから厳しいチェックを受けているんだろうけど、それでも作者が活き活きと作品を作っているのが伝わってくるんだ。

 ただ規制するだけの検閲官の目を気にするのと、より面白くしようとする編集者の目を通すのとじゃ、コンテンツの出来に雲泥の差が出るってことだよな、これ。


 なかでも俺が気に入ったのは『LEOLAレオラ』というタイトルの小説だ。

 ゾンビウイルスの蔓延した世界を、壮年の男ギースと少女レオラが旅する物語。


 ふたりに血のつながりはない。はじめはレオラの存在を疎んじるギース。けれど危機を乗り越えるたび、離れがたい絆を感じるようになる。そしてレオラはギースから戦う術を学び、たくましく成長していく。

 いつか訪れるふたりの別れを予感させながらも、物語は続いていく。


 作者の名前は――RBアールビー

 おそらくリチャード・バックマンの頭文字。

 モダンホラーの巨匠スティーヴン・キングがたまに使ってたペンネームだ。

 この作者、キング作品が好きなんだろうな。


 そういえば――先輩も俺を勧誘するとき、キングを引き合いに出してたっけ。

 もしかしたら先輩はキング本人だけじゃなく『LEOLA』の作者、バックマンも頭に浮かべていたのかもしれない。


「しかし、面白い……」

 このレベルを求められるのかー。

 正直めちゃくちゃきつい。


 悔しいけど読ませる文章力も、ストーリーの構成力も、キャラクターの魅力も、どれをとっても今の俺なんかより遙かに上だ。

 なにより、ゾンビの造形が魅力的なんだよなー。


 突然変異を起こし、千差万別に枝分かれした怪物たち。

 スピードに特化した四つん這いの『ランナー』、ツノと拳を武器とする巨体の『オーガー』、獲物の探知に優れた三眼の『シーカー』。


 どの敵も腐臭が鼻にツンとくるほどリアルに描かれている。

 俺にもしひとつだけ勝てるものを挙げるすれば、血なまぐささ――だろうな。

『LEOLA』はゾンビモノにしては『死の描写』が淡泊だなと感じるときがある。

 ま、これは好みかもしれない。


 俺はどろどろでぐっちゃぐちゃなほうが好きだしなぁ……。


「そんなに真剣になって、なにを読んでいるのかね?」

「わわっ!」

 読書に夢中になってたら、突然真横から声をかけられた。


 しまった、屋上に人がやってきたことにさえ気づいていなかった!

 DFCのコンテンツは発禁法にモロ違反。

 こんなものを読んでいることがバレたら退学になってしまう!


 タブレットを隠そうと慌てた俺だったが、声をかけてきた人物を確認して、ようやく焦る必要がないことに気づく。


「メ、でしょ。敵の多い学園で、DFCのサイトに入ったりしたら」

「キリカ先輩……。びっくりさせないでくださいよ」

 フフ、と先輩は悪戯っぽく笑う。それだけで俺はドキドキしてしまう。

 本気で怒ってるわけじゃないんだよ、って瞳の輝きだけで伝えてくる。

 魔性の女感がすごい。


「ホラー書いてるのに意外とビビりだね、モゲルセンセ♪」

「もしかして、俺を探してくれたんですか?」

 言ってから、自意識過剰だったかもと後悔した。けれど先輩は。

「もしかしなくても、そうよ」

 マジかよ。先輩が俺のことを考えながら、廊下を歩いたり、階段をのぼったりしたのかよ。それ、奇跡以外のなにものでもないだろ。

 ……あ、ダメだ。さっきの発言より今の考えのほうが自意識過剰だ。


「よ、よく屋上にいるってわかりましたね。これまでここで人に会ったことなんてなかったのに」

「そんなの当たり前なの。あなたは私の作家(モノ)なんだから」

「そ、それはまだ気が早くないですか」


 そう。俺は結論を出してはいなかった。

 先輩の組織について、なにも知らなかったから。

 だから一晩の猶予をもらって、DFCに触れてみることにしたんだ。


「じゃあ、どうするの? 私の作家モノになってくれるの」

 少し不安そうに、殺したくなるくらいにいじらしい表情で、先輩が訊ねてくる。

 俺の気持ちはとっくに決まってる。

 先輩に対して、ちょっともったいぶって見たかっただけだ。


「むしろ、こちらからお願いします。俺、無料コンテンツ撲滅委員会で小説を書きたいです」


 そう宣言した直後、キリカ先輩はむぎゅっと俺に抱きついてきた。

「さすが私の見込んだ作家ね! そう言ってくれるって信じてた! 好きっ!」

 感極まった先輩は、俺の頬にキスまでしてきた! おっぱいも唇も柔らかッ!

「いやあ、あはははは」

 入るって言っただけなのにこのご褒美。これ、傑作でも書き上げちゃった日にはどうなるの?


 ヤバい。顔がニヤける。ニヤけちゃう。

 俺の残酷描写が火を噴くぜ。いや、血を噴き出させるぜ。

 ああ、今すぐにでも書き出してぇー。

 きっと最高に恍惚とする小説になるぞ。


「……へんたい」


 ん? どこからか、知らない声が聞こえてきた。


「こんなじこまんやろうが、おねえさまのきたいにこたえられるわけないです」


 んん? どこから聞こえてきてるんだこの罵り。

 下のほうから聞こえてきたけど……。

 きょろきょろと視線を巡らせると、そばに小柄な女の子が立っていた。

 しかも金髪碧眼の、すごくかわいらしい少女だった。


 どう見ても日本人じゃなくて、おとぎ話のなかから抜け出してきたお姫様みたい。

 どうやらさっきまでは、先輩の後ろに隠れてて見えなかったらしい。


「マカロン先生。そういうこと言わないの。メッ」

「だって、じじつじゃないですか」

 マカロンと呼ばれた女の子は無表情のまま、手に持っていた紙の束をばさりと投げ捨てる。


「こんなの、ただざんこくなだけの、うんこいかのぶんしょーです」

 よく見たら、投げ捨てられたのは俺の原稿だ!

「せ、先輩。なんでこいつが、俺の作品を読んでるんですか!」

「へ? 問題あった? あなただって、大勢の人に読まれるために作品を書いてるんでしょ?」

「それはそうですけど……」


 この作品は、あなたを想って書いたもの――

 つまりはラブレターみたいなものなんです、とはさすがに言えない……。

 ていうか、先輩。俺が小説を送った意味、理解してるのかな……。


「それに、この子はあなたの作品にイラストをつけるんだから、誰より先に読んでもらうのは当然よ」

「……は? イラストをつける?」


 今度は俺がきょとんとする番だった。俺の小説、イラストがつくの?

「そ。この子はイラストレーターのマカロン先生。まだ中等部二年だけど、イラストの腕はすごいわよ。創作公務員の連中なんてメじゃないんだから」

「そ、それほどでも――」


 ぽっと頬を赤らめたマカロンだったが、すぐにはたと我に返る。

「まってください。あたし、とりやろうのさくひんにえをつけるとはいってません」

 俺の顔をびしっと指さすマカロン。怒っているみたいなのだが、表情は乏しい。

 てか、とりやろうって……。俺の名前が鳥波田だからか……。


「俺は鳥波田モゲル。先輩なんだから、せめて名前で呼んでくれよ。今日からは仲間なんだからさ」


「なかまあつかいされたいなら、まともにかけるようになってほしいです。いまのままじゃ、あたしのイラストはしんじゅです。ぶたやろうのしりめつれつストーリーには」

「お前なあ……!」

 鳥の次は、豚かよ。

 牛を引き出して、三大食肉制覇したくなってきたぞ。

 しかし先輩の前でこうも罵られると、さすがに腹立つ。


「後輩のくせに、いい気になるなよ、ちびっ子」

 頭を上から押さえつけ、体重ぎゅーっとかけてやる。そうすりゃ、年上を敬う気持ちも少しは湧くだろ。


 くっくっく。いやいやしても、しばらくやめねーかんな。

 スプラッター好きのSっぷりをとくと味わうがいい。

 そう思って伸ばした俺の手は――


 スカッと空ぶった。


「……あれ?」

 まるで幽霊みたいに、マカロンの身体を手が通り抜けたんだ。

 なに、今の感覚? マカロンが避けたようには見えなかったぞ。

 彼女がやったことといったら、俺が手を伸ばす前に、自分の腕時計に触れただけ。


「きやすくふれようとしないでください」


 マカロンの周囲が、突如ぐにゃりと歪んだ。

 そして彼女の全身は、一瞬にして黒いコートに包まれる!


「え、え、え? 変身した!?」

 瞬時に服が変わるなんて、どういう魔法だよ!

 しかも髪まで、お菓子のマカロンの飾り付きゴムでツインテールに結ばれてる!

 そして俺は、全身黒に変化したマカロンの姿を見て思い出す。

 この子は昨夜、キリカ先輩の後ろにくっついてた金髪少女だ!


 ドンッ!


 マカロンが俺を手のひらで突く。

「はがっ!」

 それだけで身体は吹っ飛び、フェンスに叩きつけられた!

「いててて……」


 嘘だろ。

 ちっちゃいマカロンのどこに、こんな力が隠されているっていうんだ?


「こんどさわろうとしたら、もっといたくしますからね」

 汚れたものを触ったあとみたいに、マカロンは手をパンパンと叩く。


「新人に『クリオネ』を使うなんて、お姉さん感心しないなあ」

 乱暴な後輩に、キリカ先輩は口を尖らせる。

「ク……クリオネ?」

 俺は痛みをこらえ、立ち上がりながら訊ねる。

 文脈的に考えて、海にいる半透明の生き物のことじゃないよな。


「そうだ。モゲル先生にも渡しておくわね」

 先輩はごそごそと制服のポケットを探ると、デジタルディスプレイの腕時計を俺にくれた。


「これが……、クリオネ?」

 それはなんの変哲もない、腕時計型のウェアラブルデバイスだった。

 ベルトは赤く染められた革で、丸いディスプレイにはクロノグラフっぽく時刻が表示されている。


「画面に表示されてるジャケットの絵をタップしてみてくれる?」

 自分の身につけている腕時計で位置を教えてくれる先輩。

 俺は時計を腕にはめると、時刻の下に小さく描かれた『服』のアイコンをタップする。


「うわっ!」

 動作が終わるやいなや、黒いヴェールが俺を包みこみ、気づくと一瞬で着替えが終わっていた。


 マカロンが着ているのと同じトーンの、黒いコスチューム。

 身体のラインにぴったりと沿った服、袖付きのマントと言った方がしっくり来るようなシルエットのコート。


 マカロンはコートの下に短いスカートを履いているが、俺はパンツにロングブーツを合わせていた。

 デザインの違いは、あとは差し色くらいだろうか。俺の服には、ところどころ腕時計のベルトと同じ、赤の差し色が入っている。コートの裏地も赤。


 マカロンはそれらが全て黄色。

 どうやら、デバイスのベルトカラーと一致してるみたいだ。

 それぞれのイメージカラーみたいなもんだろうか。


「思った通り、似合うじゃない。DFCの制服」

「人相わるいやつのほうが似合うんですよ、うちの黒服は」

「差し色を血の色にしたのも正解ね。モゲル先生の作風にあってる」

 ふたりはさも当然のように語り合うけど、俺は全然ついていけてない。


「ど、どうなってるんですか、これ?」

「それ? 私たちが戦うときに使う恰好。仮面のボタンを押すと、顔も隠せるわよ」

「へえー。って、そういうことじゃなくて、この服、どこから出てきたんですか?」

「あなたの心のなかからよ、モゲル先生☆」

 パチンとウインクするキリカ先輩。くそう、無駄にかわいい。


 しかし。

「俺、こんな中二感のある衣装を着たいと思ったこと一度もないです」

「うそでしょ!?」

 キリカ先輩は驚愕し、俺の両肩をぎゅっと掴んだ。


「男の子ならゼッタイ一度は着たいと思うはず! 子供の頃は戦隊モノ観てたでしょ? ヒーローより敵の怪盗に憧れたりしたでしょ? あとは漫画に出てくる戦闘集団の隊員服。〇番隊隊長になりたいとか、思わなかったとは言わせない!」


「う、一度はあるかも」

「ほらね! 創作者たるもの、自分に嘘をついちゃダメ!」

「おねえさま、だっせんしてます」

 興奮して俺を指差すキリカ先輩を、マカロンが冷静にたしなめる。

 初めてこの生意気な後輩に感謝した。

 キリカ先輩って、ちょっと中二病入ってるよな。クールな外見なのに。

 そのギャップがまたかわいいんだけどさ……。


「おねえさまのいっていることはじょうだんじゃありません。そのふくは、あなたのそうさくりょくをもとにできています」

 キリカ先輩に代わって、マカロンが説明してくれる。


「創作、力?」

「ええ。そうさくしゃなら、だれもがもつもの」

 でも、やっぱりわけわからん。


「俺の知ってる創作力っていうのは、文字になったり絵になったりはするけど、服になったりはしないんだが」

 マカロンはやれやれというふうにため息をつく。


「ものわかりがわるいですね。つまりは『だーくまたー』ですよ『だーくまたー』」

「出た、ダークマター! それ言っておけば、説明になると思っているの創作者あるあるだから! 結局は未知ってことじゃないか!」


 暗黒物質ダークマター。これまた中二感全開の響きだけど、れっきとした科学用語だ。宇宙に存在している質量のなかで、未知のものをそう呼ぶんだっけか。

「創作力の物質化については、わかってないことだらけだからね」

 フフ、と先輩は微笑む。


「でも『わからない』はそのまま『使えない』ってことにはならないわ。火がなんなのかわかってない太古から、人は火を使っていたんだから」

「そう。げんにわたしたちは、そうさくりょくとクリオネをぶきに、たたかっている」

「戦っているって、なにと……?」

「あなたも昨日見たでしょ? 特殊検閲官と、よ。いいわよねー、敵対組織との多人数バトル。熱い! そしてクール! あん、熱いのか涼しいのかわからなくなっちゃった♪」


「………………ん?」


 ……ちょっと待て。

 俺、DFCに入るって言っちゃったけど……。

 よく考えたら、活動内容についてあんまり聞いてなくね?


 好きなテーマで、好きな表現方法で、好きに小説を書けて、アプリを通して読者へ配信できる。

 しかも有料で配信ってことは、印税とか入ってきちゃう? 最高じゃね?

 ――そんな風にしか考えてなかった。

 でも、おいしい話には必ず裏があるって言うよな……。


「もしかして……、俺も戦わなきゃいけないってことじゃないですよね? 俺はあくまで好きな小説を書くために、DFCに入ろうと思ったわけで――」


「けんりをしゅちょうするまえに、ぎむをこなす。できないやつはうじむしやろう」

 鳥、豚、ときて、今度はうじむしだった!

 食肉通りこして、肉が腐ったときにわいてくるやつになっちゃった!


「俺、運動神経切れてるから、戦力にならねーと思うなぁー。後方からバックアップする役割とかなら、やらんでもないけど。ガチ戦闘要員にしても、足手まといにしかならないっていうか、かえって迷惑かけるっていうか」


 くっ、俺に対するマカロンの視線が痛い。

 背が低いから絶対に上目づかいになるのに、どうしてそんなに人を見下すような瞳を作れるんだ?


 救いを求めてチラチラとキリカ先輩を見ると、彼女は俺を安心させるようにグッと親指を立てた。


「大丈夫! 小説が上達すれば、クリオネ能力もアップするから! モゲル先生もすぐ強くなれるよ! ウェルカム、スタイリッシュバトルの世界へ!」

「いや、なんで小説を上達させるのが、戦闘力を高めるための手段みたいになってるんですか! 逆、逆!」


「えー。一石二鳥と思ってほしいなあ。どっちも大切なことなんだから」

「クリオネのうりょくがつよいひとは、さくひんもはずれなし」

「……ッ! マジ、で……?」


 いかんいかん。俺はぶるぶると首を振る。

 それならめっちゃ面白い小説が書ける俺は最強じゃね、とか考えたら相手の思うつぼだ。


「うん。先生の創作力がどれくらいか、軽く小手調べしてみましょうか」


 先輩がクリオネの画面をタップすると、さっきの俺と同じように、黒い制服が彼女の肢体を包んだ。黒に差された色は、ラピスラズリを思わせる青。


 学校の制服を着ているときとはまた違った魅力が、先輩を引き締める。

 柔らかい雰囲気が薄まって、凛とした印象が強まった感じだ。


 先輩はもう一度、クリオネをタップする。と、今度は腰に太刀と小太刀が出現した。その二振りのうち、先輩は太刀を抜いて、俺に切っ先を向ける。

 太刀の峰は、服の差し色と同じ青色をしていた。


「ちょ、ちょっと待ってください。なんですかその刀。なに抜いてんですか」

「これは私の武器。妖刀『撃霧ウチキリ』。斬られると痛いわよ」


「そりゃ痛いでしょうね! ていうか、『打ち切り』? 編集長がそんな名前の刀を使わないでください!」

「私ね、人の何倍も所有欲が強いみたいなの。面白いものはなんでも自分のモノにしたい」


 撃霧の刀身にチュッとキスをする先輩。

「でも逆に、面白くなかったらポイッ。その線引きに容赦はないから♪」


 そう言うと先輩は刀を振り上げ、俺に斬りかかってきた!

「うわっ!」

 間一髪のところで、身体を横に逸らして避ける俺。

 よく反応できたと自分で自分を褒めたくなるほどスレッスレ!

 おいおい。今の、十回あったら九回は死んでる。

 ゾゾゾゾゾッと、本能が時間差で俺に危険を伝えてきた。遅いっつーの。


「お、いいじゃない。かわせてるかわせてる。じゃ、これは?」

 先輩はとまらない。すかさず刀を俺の眉間へ突き込んでくる。


「ヒエッ! お願いですから、やめてくださいって!」

 それもなんとか退がって防ぎ、俺は叫んだ。

 しかし先輩はフフフと笑いながら、刀を振り回し続ける!


 俺は情けない悲鳴を上げながら、連撃を必死によける、よける。

 恥もへったくれもない、腰砕けのみっともないポーズ連発で。


 なんなんだ! 先輩ってこんな一方的な性格だったのか!

 普段、猫かぶりすぎだろ! 清楚なイメージが、音を立てて崩れていくぞ!

 そしてこの人が編集長って、DFC所属の作家って大丈夫なのか!?

 権利守ってもらえてる? 作者として尊重してもらえてる!?


 ……………………あれ?

 でも……………、かわせてね?


 不思議な感覚だった。

 先輩の振る刀の動きが、全てスローモーションに見える。


 決して、先輩の剣が遅いわけじゃない。

 スローモーションに見えるからこそ、俺には先輩の、ブレのない剣筋の美しさがわかった。ひとつひとつの挙動が、型みたいに綺麗だ。いつまでも見ていたい。そう思わされるほどに。


「おねえさま、もうすこしすぴーどをだしては?」

「そうね」

 けれどマカロンに言われたとたん、刀の速度が急に速くなった。


「うっ」

 目では追えた。けれど、かわす動きまではとれなかった。

 刀は俺の首を斬る寸前で、ぴたりと止まる。

 先輩は、さっきまで全然本気じゃなかったんだ。


「観察力は優れてるみたいね。でも、速筆力はまだまだ、と。ふふふ、鍛えがいがありそう」

 先輩は嬉しそうに刀を下ろして、革ベルトで固定された鞘へと納めた。


「…………はァッ」

 刀を突きつけられて、呼吸するの忘れてた。

 死ぬかと思ったけど、どうやら終わったらしい。

 安堵で、どっと汗が吹き出す。

 でも俺は、心のどこかで、今の攻防を甘美な時間だと感じてしまっていた。


「俺、こんなに動けたのか……?」

 同時に、自分で自分にびっくりする思いだった。

 特に、さっきのスローモーションみたいに見えた現象。

 一流のアスリートは、試合のなかで時間が止まったような感覚になることがあるって聞いたことがある。


 たぶん今のは、それに似ていた。

 でも俺、体育で平均以上の成績、とったことねーぞ。


「今、先生の身体能力は、このDFCの制服――ダークコートによって引き上げられているの。どれくらい引き上げられるかは、創作力次第だけど」

 俺は自分の黒服をまじまじと見下ろす。


「このコートが、クリオネの能力ってことですか?」

 すごい。ただの中二病全開な変装じゃなかったんだ。

「ううん、服による基礎能力向上は、ただのおまけみたいなものよ」

「これが、おまけ?」

 じゃあ、クリオネの真の力って、どんだけすごいんだ?


 詳しく続きを聞こうとした、そのとき。


 ブルルルルル、ブルルルル、と小刻みな振動音がした。

 先輩がポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。


「ごめんなさい。いいところだけど、仕事が入っちゃった」


 届いたメールの内容を確認した先輩は、小さくため息をついた。

「仕事って、DFCのですか?」

「そ。DFCの読者が検閲官に狙われているみたい。助けに行かないと」


「またですか。けんえつかんもきんべんですね」

 マカロンがクリオネを押し、仮面を起動させる。

 キリカ先輩と一緒に戦うつもりらしい。

 取り乱す様子もなく淡々としたもので、本当に検閲官と戦うのが日常なんだな、と思わされる。


「気をつけて行ってきてください」

「ん?」


 ふたりを送り出そうとしたら、キリカ先輩に首をかしげられた。


「なにいってるの?」

「……は?」

「あなたも行くのよ?」

「ハアアアアア!!??」

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